ふと、ルーファウスは目を開けた。
目を開けたのは良いが、自分が現在置かれている状況がすぐには飲み込めなかった。
視界に広がるのは、温かい色合いではあるがどこかよそよそしく感じられる天井だった。
何故、自分は今、こうして覚醒感を覚えているのだろう。
何故、自分は今、こんなところに横たわっているのだろう。
そんな言葉が去来する。しかしそんな戸惑いもさほど長くは続かなかった。
今見つめている天井が、最近ようやく馴染み始めてきた療養先のそれであることに思い至ったのである。
一旦状況が理解できると、その後はするすると現状に至るまでの道筋も思い出すことができた。
先程まで自分は、部下の前で今後の方針について話していたはずだった。
それは遠大な話だったが、それでも部下達は真剣にこの話の一部始終に耳を傾けていたのを覚えている。
そしてその第一歩として『北の大空洞』と呼ばれる巨大クレーターの探索を命じたのだ。
しかし誰一人として異を唱える者はいなかった。
その最終的な打ち合わせをしている最中。
自分は無様にも倒れたのだ。
何時になく強い発作を起こし、あっけなく意識を手放してしまったのだ。
不甲斐ないにも程があると、ルーファウスは忌々しげに舌打ちした。
発作は、ルーファウスが現在罹患している病が原因だった。
星痕症候群。
発症機序も治療法も未だに確立されていない、致死率100%の不治の病。
罹患している証左としては、身体の何処かしらに浮かぶ黒い痣と時々起きる発作があげられる。
症状が進行すれば、痣からじくじくと膿のような黒いものが染み出るようになるのだ。
ルーファウスの右手の甲には、黒々した痣が浮かんでいた。
自分が不治の病に冒されている証であるそれを、しかしルーファウスは何の感情も交えない冷徹な視線でただ眺めやっただけだった。
すぐにそれから興味を失った淡青色の眼差しが、部屋の窓へと流される。
窓外に広がる空はすでに淡い朱色に変わり始めていた。
部下を交えての最終打ち合わせは昼過ぎから始めていたはず。
自分が思った以上に意識を手放していたことを知ったルーファウスは僅かながらも眉間にしわを寄せて渋面になった。
発作の直後は著しく体力を消耗しており、身体の自由があまり利かない。
それを重々承知していながらもこれ以上情けない様を晒し続けるのは我慢できないと、ルーファウスはやっとの思いで寝台の上に上半身を起こした。
日が暮れるとともに外気温も下がってきているのだろう、少し肌寒さを覚える。その端正な唇から重いため息が、自然こぼれ落ちていた。
それを聡く聞き咎めたのか、隣室に続く扉が控えめなノック音と前後して開かれた。
扉の向こう側から姿を現したのは、少数精鋭を地でいく総務部調査課、通称タークスの主任を務めるツォンだった。
「お目覚めになりましたか」
低く静かな声がルーファウスの鼓膜を震わせる。
優秀である反面一癖も二癖もあるメンバーばかりが揃っているタークスの主任が勤まるほどの辣腕家とは到底思えぬ静かなその佇まいに、ルーファウスは微かに表情を緩めた。
それだけで十分意思が伝わったのだろう。ツォンは静かな表情のまま寝台の傍らまで歩み寄り、寝台の脇に置いてあったショールをルーファウスの肩にそっと羽織らせた。
黒い痣の刻まれた右手がショールの端を捉え、自身の体を覆い隠すようにきつく引き寄せる。
その右手を覆っている包帯が黒く汚れていることを目敏く見咎めたツォンの表情が微かに歪んだ。しかしその口から特に言葉が洩れることはなく、ツォンは黙然と包帯を取り替えるべくその右手をとった。
夕日に赤く染まり始めた室内に、包帯を取り替える擦過音が静かに響く。
包帯の下から現れた黒い痣が、自分の知るそれよりも広がっていることにツォンは衝撃を受けた。
症状の進行は即ち死へのカウントダウンが早まっていることを意味する。
この若き総帥がそのことをどう受け止めているのか。
ツォンはそれが知りたくもあり、知りたくもなかった。だから無言のままこうして傍らに在ることを己の責務と心定めたのだ。
やがて包帯の交換を終え、ツォンはその場から数歩後退り、その場に硬直した。薄い青い瞳が自分を見据えていることを知り、瞬間、言葉を失う。
人に息を呑ませてしまうくらい強い光が、そこには宿っていた。研ぎ澄まされた刃のように鋭い意思の力がそこには漲っていた。
「皆はどうした?」
人の意思を己に従わせる強い声音が、静寂に満ちていた室内を凛と震わせる。
ツォンは背筋を駆け抜けていく戦慄を感じた。
死病に見舞われようと獅子は獅子。例えつらく苦しい発作に襲われようと心まで挫けてしまうことはない。
何故だかツォンは笑い出したい衝動に駆られていた。しかしそれを表に表すようなことはせず、作戦説明の完了の旨を報告してのけた。
部下の報告に、薄い青い瞳に満足げな光を浮かべ、ルーファウスは力強く呟く。
「頼んだぞ」
自分が場合によってはどれだけ困難な任務を言いつけられているのか理解しながらも、ツォンはそれをおくびにも出さず淡々とした表情で頭を垂れてみせる。
そんな頼もしい部下の様子に、ルーファウスは自身意識せず、微かに笑みを浮かべた。
END