〜 ファイナルファンタジー9 〜
右も左も、上も下も、それらの区別が一切つけれらない、そんな暗黒のなかを、ジタンは必死に走っていた。
どれくらいそうしているのだろうか?
それはすでにわからなくなって久しい。
時間の観念が失われてしまうほど、ジタンはひたすらに走り続けていた。
いや、走り続けていると、自分で感じているといったほうが正しいのかもしれない。
自分の手を見ることすらかなわない、そんな暗黒のなかにいるのだから・・・・・・。
ただ、ジタンは取り憑かれたように、走っていた。
何故走り続けているのか、その理由もわからずに・・・・・・。
どこまでも、どこまでも続く暗闇のなかを、ただひたすら、走り続けていた。
かなり走り続けているはずなのに、息切れするでもなく、汗すらかかずにいる状況に、ジタンは不安を覚えずにはいられなかった。
何故、自分はこれほどまでに必死になって走っているのだろう?
(確か・・・・・・・・・・・・)
ジタンの足が少しだけ、遅くなった。
(確・・・か、自分は、誰かを助ける・・・・・・ために、仲間と別れた・・・・・・のではなかった・・・か?)
足の運びがやや鈍くなる。
(誰・・・を・・・・・・助け・・・・・・・・・・・・る・・・とい・・・う・・・・・・のだ?)
さらに足が遅くなる。
(仲・・・・・・間?それは・・・・・・誰の・・・・・・ことだ?)
ジタンの足が完全に止まった。
自分の記憶があまりにも欠落していることに気づき、愕然とする。
とても大事なことを、あっさりと忘れている自分が、信じられない。
恐る恐る、自分が走ってきただろう方角に視線を向けた。
そこには静けさに包まれた暗黒が存在しているのみだ。
暗黒が、大きく、ぱっくりと口を開けているように感じられる。
ジタンはその暗黒にいいようのない恐怖を感じた。
今まで一度として感じたことのない恐怖を。
『自己の喪失』。
心のままに生きてきたジタンにとって、それは肉体の死よりも恐ろしいことだった。
悪寒が背中を走り抜ける。
ジタンは恐怖に顔を引きつらせ、再び走り出した。
限りのない暗黒のなかを、ただひたすら、目的地もわからないままに・・・・・・。
◇◆◇
そうして、ひたすらに走り続けたが、背後に広がる暗黒は消えることはなく、やがてジタンは気力がつきてしまった。
ただ闇雲に走り続けているうちに精神は疲弊しきってしまった。
よろよろとジタンは暗黒に座り込む。すると、暗黒は優しくジタンを受け入れた。
つい先刻まで感じていた恐怖心が、あっさり溶解していく。
音の一切感じられない暗黒のただなかに、ジタンは無防備に横たわった。
恐怖心を捨て去った影響なのか、そこは先刻までの暗黒と異なっていた。
ジタンの視線の先には、無数の星のきらめきとも見紛う淡く小さな光が瞬いている。
(ああ、人の記憶が灯す明かりだ)
そんな言葉が脳裏に浮かんだ。何故そんなことがわかるのか、一切疑問に思うことなく、その考えはあっさりとジタンの心のなかへ染み込んでいく。
(やがて、自分もあの光の一つとなるのだろう)
ゆっくり、ゆっくりと、ジタンはその双眸を閉じていった。
『自分』というものが、暗黒の大気のなかへと溶けだしていく。
それは底知れぬ恐怖と同時に、限りない安堵感をもたらすものだった。
自然、口元が幸せそうに綻んでいく。
(このまま、何も考えずに・・・・・・眠りたい)
あらゆるものを投げだそうとしたジタンの耳元で、突然、
【目を覚ましてよ!】
幼げな感じの聞き慣れた声が、聞き慣れないほど大きくきつい調子で叫んだ。
すでに『自分』を投げだしはじめたジタンの意識には、その声はかすかにしか届かない。
【『自分』が消えてしまってもいいのかい?】
皮肉な調子が多分にちりばめられた、聞き慣れた声がジタンに囁きかける。
何者かが自分に話しかけていることを、ジタンはゆるゆると認識した。
(だ・・・・・・れ・・・だ・・・・・・?)
【やれやれ、ぼくが誰だかわからなくなるくらい、きみはぼけてしまったのかい?】
皮肉な調子の声がそう揶揄するのに対し、
【ぼくのこと、忘れちゃったの?ねえ??】
幼げな調子の声は心配そうに尋ねる。
(だれ・・・・・・だ・・・・・・?お前たちは・・・・・・・・・・・・)
どちらも自分にとって重要な人物であることはわかるのだが、それが誰であるのかまでは思い出せない。
【これは本格的にぼけているな。さて、どうしよう?】
皮肉な調子の声が肩を竦めてそんなことを言っているのが気配で伝わってくる。
【どうしたらいいのかな?ぼくが説明しても、意味、ないよね?】
幼い調子の声が不安げに自分のことを見つめているのを、ジタンは感じた。
(お・・・前・・・・・・、お前・・・・・・・・・・・・)
どこかで記憶の回路が故障してしまったのか、うまく思い出せない。でも、声の人物は自分にとってとてもとても大切な存在だということはわかった。
(お前、だ・・・れ・・・・・・?おれ・・・・・・は・・・・・・・・・・・・)
急速に強烈な眠気が襲ってくる。ジタンはそれに抗う気配を見せようとせず、せっかく開き始めた瞼がまたもや閉ざされていった。
【眠っちゃだめ!ジタン、眠っちゃだめだ!!】
【そのまま眠ってしまったら、二度と戻れなくなるけど、いいのかい?】
何かが、心の琴線に触れた。
(戻れ・・・なく・・・・・・な・・・・・・・・・・・・る・・・・・・?)
【そう、きみが今までいたところに、仲間のもとに、戻れなくなるんだよ。きみがそうしていれば・・・・・・確実に・・・ね】
強烈な眠気が、少しだけ、薄れる。
それは、ジタンの意識が目覚め始めた証拠。生きる気力を取り戻し始めた証。
【ねえ、ジタン。ダガーのお姉ちゃん、きっと寂しがってるよ?】
(ダガー・・・・・・、それは、誰だ?)
先刻よりもジタンの思考が滑らかになっていく。
ふと気づくと、ジタンの顔を覗き込む光が二つ。
光の輪郭が人影を象ったものであることに気づいたジタンは、あわててその身を起こした。
自分以外、誰も存在していないと思っていた暗黒の世界に、人がいたのだ。
【やっと、お目覚めかい?まあ、のんきなきみらしいと言えばらしいけどね】
すらりとした長身の輪郭の光が皮肉げに呟く。
【よかったぁ、起きてくれて。ジタン、いなくなっちゃうかと思って、ぼく、心配だったんだから・・・・・・】
小柄な輪郭の光が嬉しげに呟く。
(ああ・・・・・・)
二つの光の放つ存在感に促され、ジタンは思い出した。暗黒の世界に一人佇む前の自分を。
あの時、世界から総ての人を消滅させようとしていた敵を倒した後、崩壊をはじめる『イーファの樹』から自分と仲間が脱出する手助けをしてくれた人を助けるべく、ダガー達と別れた自分は、暴走する『イーファの樹』に閉じこめられてしまったのだ。
(そう、そしてそのまま脱出する方法がわからなくって、俺は・・・・・・・・・・・・)
【そう、きみはまだ『イーファの樹』のなかにいる。ただし、ちょっと次元の異なる・・・・・・ね。ぼくなんかを、きみのことを苦しめていたぼくなんかを助けようとするから、こうゆう目に会うんだよ】
自嘲めいた呟きが、長身の光から洩れる。
(そんなことないさ。俺はおまえを助けたかったんだから・・・・・・。人を助けるのに理由なんか、必要あるのかい?なあ、クジャ)
【ジタンに置いてきぼりにされて、ぼく、悲しかったんだよ。ぼく、足手まとい・・・だったのかな・・・・・・って・・・・・・】
嗚咽混じりの悲しげな呟きが、小柄な光から洩れる。
(そんなこと・・・・・・。あれは俺のわがままだったから、おまえには関係なかっただけさ。だから、泣くなよ。なあ、ビビ)
ジタンは優しく小柄な光を抱擁した。すると、光の固まりだった存在が肉の存在へと変化した。
ジタンは、少し戸惑ってしまった。今、目の前にいる少年は記憶のなかの姿よりもほんの少しだけ大人びていたのだ。
(ビビ、だよな?)
【うん。ぼく。何でぼくのこと、そんなに見つめるの?】
ちょっと照れくさげに帽子をかぶり直す仕草は、間違いなくジタンの知っているビビそのままだった。
記憶のなかの姿と少し異なるその姿に、ジタンは何かイヤな予感がした。それを問いただそうと口を開きかけた途端、それを狙い澄ましたかのようにクジャが邪魔をした。
(なん・・・・・・で・・・・・・・・・・・・、って、おい、何するんだ!クジャ!!)
【何って・・・・・・、ぼくも実体化しようかなと思っただけだよ。このままじゃ、話しづらいだろ?】
とぼけた調子で言いつつ、ジタンの左手を強引にひっぱり自分の肩に触れさす。すると、ビビの時と同様、クジャも肉体を得た存在へと変化した。
(ビビ・・・・・・、クジャ・・・・・・も・・・・・・久しぶり!・・・・・・・・・・・・かな?)
よく見知った顔が目の前にある。そのことにジタンは少なからず安心した。
【で、どうする気だい?きみはここから脱出する気はあるのかい?】
周囲を示すように右手を大きく左から右にかけて振り、口元を歪めるクジャ。
見覚えのある、あまりにもありすぎる、尊大な態度で皮肉げに話すクジャの姿に、ジタンは苦笑いを浮かべる。
【その気があるなら、ぼくたちが手助けしてもかまわないよ。ジタン、きみがそう望むなら・・・・・・ね】
言われるまでもなく、ジタンはそのつもりだった。このままここで一人残されても何の意味もない。仲間がいてこそ、自分も『生きている』のだと、すでに知っているから。
(みんなのところへ、ダガーのいるところへ、おれは帰りたい)
真剣な表情で二人を見つめ返す。
(今のおれの居場所はあそこなんだ)
静かに、静かに告げる。
(だから・・・・・・・・・・・・)
化粧に彩られた切れ長の瞳がふっと和む。
まあるく大きな瞳が嬉しげにふっと細められる。
【まあ、きみには恩もあることだし、ぼくのこの偉大な手を貸すことにしてあげるよ】
【それがジタンの望みなら、ぼくたち、かなえてあげられる】
そういいざま、二人はジタンを取り囲み、呪文を唱え出した。
耳朶を打つ聞き慣れない呪文。
それは儚くも美しく、聞く者の耳に夢幻のごとく響きわたる。
しかし、なんと長い詠唱か。
究極魔法のひとつであるジハードやアルテマですら、これほど長い詠唱を必要とはしなかった。
複雑で強力な魔法ほど、自然に発動させるための呪文の詠唱は長くなる。そうすることで発動に必要な魔力を緻密に練り上げていくのだ。
ジタンを異空間からもとの世界へ戻すために必要な魔力は、気の遠くなるほど膨大なものだった。
ジタンの目の前で、二人の姿が輪郭を崩していく。
(ビビ?クジャ??)
ジタンの悲鳴のような呼びかけに反応せず、二人は己のもてる最大の力で呪文を織り上げていく。
二人の魔力が最大限に発揮されたとき、呪文は発動した。
それは、一瞬のことだったのか。それとも永劫の時間が過ぎたのか。
ジタンを中心に、目のくらむような閃光が放出される。
ハンマーで殴られたような衝撃を受け、一瞬意識が遠くなる。
【ねえ、ジタン。ぼくがぼくらしく精一杯生きられたのは、ジタンのお陰だった。だから、ジタンも精一杯、自分らしく生きてね】
【ジタン、きみのお陰でぼくも『生きること』というのがどんなものだか知ることができた。だから、これはほんのお礼代わりだよ】
(ビビ?クジャ?)
二人の声がどんどん遠ざかっていく。それに比して、ジタンの身体は何処へとも知れず、落下していった。
【ジタン、ぼくのこと、忘れないでね。そうすれば、ぼくはいつまでも、ジタンのなかで生きていけると思うんだ。例え肉体は滅んでしまっても、ジタンの記憶のなかで生きていける】
(ビビ?何言ってるんだ?おい!ビビ!!)
【じゃあね。また、いつか、会えるよ】
そんな言葉を耳にしたのを最後に、ジタンの意識は途切れた。
◇◆◇
気がつけば、ジタンは見慣れた船室にポツリ立っていた。
(・・・・・・・・・・・・ビビ・・・・・・、おまえ・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
ジタンは深いため息をひとつついた。いつもならば強い光を宿している双眸が暗く沈む。しかしそれもほんのしばらくの間だった。
何かを思いきるように大きく頭を左右に振り、己の顔を軽く両手ではたき、大きく深呼吸する。そして周囲を見回す。
そこは盗賊団タンタラスの所有する劇場飛空艇プリマビスタの自室だった。
部屋の外からは歓声が聞こえてくる。どうやら舞台で何か演目が行われているらしい。
(おれらしく生きろ・・・・・・か。なんて単純で難しいことを言ってくれるんだか・・・・・・。まあ、いいさ。おれはおれであればいい)
内心そんなことをぼやきながら、軽く肩を竦めて頭をがしがし掻く。
ジタンは外の物音に耳を澄ました。流れてくる音楽から推測すると、どうやら上演されている演目は『きみの小鳥になりたい』らしい。ダガーやビビとめぐり逢うきっかけになった劇だ。
歓声の調子からすると、そろそろ劇はクライマックスにさしかかったようだった。
(おれは思うままに生きるしか能のない男だから・・・・・・・・・・・・)
意を決し、ジタンは部屋の扉を開けた。
(だから、ダガー、きみに会いにゆくよ)
衣装部屋から修道士の着るようなローブを取り出し、その身にまとう。
(なあ、ダガー、再会したとき、きみにどんな話をすればいい?おれの、昔のこと?それとも未来?)
ローブ姿のジタンに気づいたタンタラスの仲間たちは一瞬驚いたが、そっとその場をジタンに譲った。
(ああ、そうだ。ビビの話をしよう。とても臆病で、そのくせとても勇気のある、あのビビの話をしよう)
舞台に進み出て高らかに自分の役を演じ始める。
(だれよりも人間らしい、あのビビの話をしよう。そうすればきっと、きみとおれ、その胸のなかでビビは生き続けるだろうから・・・・・・)
【約束の時間はとうに過ぎたのに・・・・・・】
(さて、きみに最初にかける言葉は何にしよう。やっぱり『ただいま』がいいかな?それとも・・・・・・・・・・・・)
END