〜 アンジェリーク 〜
緑の守護聖マルセルと風の守護聖ランディは、連れだって光の守護聖ジュリアスの執務室を訪れた。
入室してきた二人に、室の主である首座の守護聖は取り敢えず決済中の書類から視線をあげ、扉の方へ視線を投げた。そして二人を見つめた途端、ジュリアスは珍しく驚きの表情を浮かべた。
それもそのはず、大きな花束を抱えているため、マルセルの顔が全然見えないのだ。
一緒にいるランディは、どうやら前方不注意状態のマルセルが心配でつきそってきたらしい。
「そなたたち、何用だ?」
ジュリアスはすぐに表情を改めて首座としての顔つきになる。こちらから呼びださない限り、あまり自分の執務室へ足を運ぶことのない若い者たちだけに、この突然の訪問を不審に思った。しかも、マルセルは何を考えているのか、両手いっぱいに花芯に紫を微かに宿した白薔薇の花束を抱えているのだ。
さほどきつい言い方ではなかったのだが、マルセルは何故かもじもじとしてなかなか用件を切りだそうとしなかった。
無為に時を送るのが大の苦手であるジュリアスは、その様子に次第にイライラを感じ始める。
首座の表情がだんだんと厳しいものになっていくのに気づかず、マルセルは自分の思いついたよい考えをジュリアスに告げることができずにいた。もっとも、花束でお互いの顔を見ることは不可能だったので、現在相手がどんな表情を浮かべているのか知るよしもなかったが。
傍らで二人を見ていたランディはジュリアスの機嫌が悪くなっていっていることに気づき、
「マルセル、早く言っちゃえよ」
肘で軽く小突き、小声で警告を発する。しかし自分の言いたいことを必死に頭のなかで整理しているマルセルにそれはあまりにも小さくて届かない。
はっきりした態度をとろうとしない年若い二人に少々苛立ちを感じたジュリアスは、
「特に用がないのであれば、退出するがよかろう。私は執務に戻る」
特に感情をこめず、平坦な声音でそう告げると、手元の書類へと視線を戻しかけた。そこへ、
「ジュリアス様!お誕生日おめでとうございます!!」
やっと決心を固めたマルセルがかなり大声でそう叫んだ。不意をつかれたジュリアスは目を大きく見開き、ばさっと音をたてて差し出された白薔薇の花束を反射的に受け取っていた。腕のなかにある白薔薇は、どうやらマルセル自身が丹精したものらしく、今朝方庭先で剪ったものだろう朝露がまだ花弁に残っている。
「誕生日・・・だと?」
珍しく狼狽も露わに尋ね返すジュリアスに、マルセルは満面の笑顔で、先刻の躊躇いがまるで嘘であったかのようにはきはきとしゃべりだした。
「今日がそうだって、ルヴァ様からお聞きしたんです。僕、全然知らなくて、まだ何の準備もできてませんけど、執務が終わったら、ジュリアス様、お誕生日会を開きますので、来てくださいね!」
マルセルの思惑をやっと理解したランディはやはり満面に笑みを浮かべて、
「それはいいや。ジュリアス様、俺もマルセルを手伝いますから、必ずいらしてくださいね!!」
爽やかに告げる。
思わず、ジュリアスは面前の二人の笑顔を見つめてしまった。二人の言っていることが咄嗟に理解できない。
「私の誕生した日が、何か、そなたたちにとって関わりがあるのか?」
珍しく戸惑い気味な声音でそう呟いていた。
「ええ〜、何を言ってるんですか。ジュリアス様がこの世にお生まれになった日じゃありませんか。お祝いするのが当たり前です!」
ランディは持ち前の明るく大きな声で叫ぶ。
どうやら誕生日パーティを開くこと(予定)がきっかけで、かなりテンションが高くなってしまっているらしい。
「もう少し静かに話してくれぬか。そう、大声を出さずとも聞こえる」
「はい!すみません!!」
再度大きな声で元気よく返答する。
どうやら人の話を聞いていなかったらしい。
ジュリアスは微かに嘆息すると、話題提供者であるマルセルを見遣った。
少女めいた容貌の緑の守護聖は、風の守護聖がそうであるように、軽く興奮しているらしく頬を朱に染め、スミレ色の瞳をきらきら輝かせている。
「それでですね、ジュリアス様。ちょっとお聞きしてもよろしいですか?」
尋ねる声も明るく弾みがちだった。
「何だ?」
鷹揚に頷きつつも、そのあまりにも楽しげな様子にジュリアスは苦笑するしかなった。
「あのですね、ジュリアス様って今年でお幾つになるんですか?」
そう尋ねられた瞬間、ジュリアスは一切の表情を消してしまった。
外界と時間の流れが異なるここ『聖地』では、自身に関する時間の概念がどうしても曖昧になりがちだった。
確かに宇宙の運行に関わるものが暮らす地だけあって、暮らす者は皆、時間の流れの重要性を身に染みて理解してはいるが、それでも外界と大きく隔たった時間の流れのなかで日々を送っているため、一種独特な感覚を持たざるを得ず、その落差が自身に関する時間の流れの曖昧差へと反映されていた。
光の守護聖がここに召喚されたのはわずか五歳の時であり、それ以降ここで守護聖として宇宙の運行に関わりを持ち続けているため、ジュリアスは特にその傾向が強かった。
実際、ジュリアスが召喚されてから外界では気の遠くなるような時間が過ぎ去っており、また、それだけの長い間外界を、宇宙をこの地より見守り続けてきたジュリアスにとって、ここで送った時間などさほど問題ではなかった。
在位期間がジュリアスよりも短い地の守護聖の子供時代のことですら、すでに遠い過去のこととして研究されるようになっており、このことからもジュリアスがどれほど長い時間、宇宙を見つめ続けてきているのかわかるだろう。
沈黙してしまったジュリアスに不安を感じたマルセルは、思わずランディの顔を見つめる。
その視線を受け、ランディは肩をそっと竦めた。
二人は物問いたげに光の守護聖を見つめる。
視線に気づいたジュリアスは未だ手にしていた花束をそっと机の上におくと、苦笑いをうかべ、
「多分、25・・・くらいではないかと・・・思う。自分の年齢など、あまり気にしないゆえ、大体これくらいであろうと思うのだが・・・」
らしくない曖昧な口調でそう答える紺碧の双眸が、珍しく天空の色ではなく海の色の如く微かに翳りを帯びていた。
二人は触れてはいけないことに触れてしまったことに気づき、表情を暗くした。
気まずい沈黙が室内に漂う。
いたたまれない思いのまま深く項垂れてしまった二人を見、ジュリアスは殊更に明るい口調を作り、
「そなたたち、私の誕生日を祝ってくれるつもりなのであろう?私も久方ぶりのことゆえ、楽しみにしている」
滅多に見せない極上の笑顔を浮かべて見せた。
常に厳めしい表情を浮かべているためにとても恐い印象を与えがちだったが、こうして柔らかく微笑んでいるとその端正な容貌が強調され、年若い二人は思わずその笑顔に見入ってしまった。
(うっわあ〜、ジュリアス様って、何て素敵に笑われるんだろう。いっつもこうしてお笑いになっていたらいいのに〜)
(・・・・・・。ジュリアス様、こんな風にお笑いになられるんだ。・・・、正直、意外だったな)
自分をじっと見つめたままでいる二人に疑問を感じながらも、ジュリアスは笑みを消していつもの厳格な顔つきになると、
「それでは私は執務に戻る。そなたたちも戻るがよかろう」
端的に話を切り上げた。そして隣室に控えている侍従を手元の鈴で呼び寄せると薔薇の花束を渡し、活けるよう命じた。その間に目を通していた書類を手元に引き寄せて目を通し始める。
ジュリアスが完全に執務へと意識を向けたのを感じた二人は、それ以上何も言わず一礼するとともに退室していく。その背中へ、
「そなたたち、準備にとりかかる前に執務は総て終えておくのだぞ」
手元に視線を落としたまま、しっかり釘を刺すことを忘れないジュリアスであった。そしてそっと小さい声で、
「そなたたちの好意、嬉しく思う」
低く囁いた。
その声はあまりにも小さくて二人に届くことはなく、室内にきらめく陽光に溶けて消えていってしまった。
執務机の傍らでマルセルが贈った白薔薇がほのかな香りを漂わせていた。
忙しく動かしていたその手を止め、ジュリアスは白薔薇を見つめ淡く微笑む。
紺碧の双眸が常にない優しさを宿していた。
それはとても穏やかな微笑みで、見る者すべての胸のうちを暖かくさせる何かが潜んでいた。
END