〜アンジェリーク〜

【流星雨】

 

 

 

 

 約束だ−
 うん、約束−

 今宵のように天空から星々が瞬き流れ落ちる夜にはこうして眺めよう−
 そうだね、今夜みたいな流れ星が素敵な夜にはふたりで見ようね−

 約束だぞ?−
 うん、約束だね−

 

 

 

 

 

「済まぬが、こちらの書類を至急王立研究院へ持っていってはくれまいか?」
光の守護聖ジュリアスは己の右腕とも頼む炎の守護聖オスカーの顔を見ることなく、たった今自分が署名した書類をインクが乾くのをしばし待ってから、書類を収納するためのファイルケースに収めるとすっと執務机の上を滑らせ、机の向こうで佇んでいるであろう相手に指し示す。その間も紺碧の双眸が新たに取りかかった書類から外れることはなく、筆ペンを持つ手が忙しげに何かを認めている。
 常になく忙しげなその様子にオスカーは気遣わしげな視線を首座へと注いだが、すでに新しい案件へと思考を切り替えてしまっている相手がそれに気づくはずもなく、それを認めたオスカーは何とも言い難い表情になってため息をつくと、自分へと差し出されたファイルケースを机から攫った。
 軍靴の踵を鳴らして敬礼するとマントをさっと翻し出口へと向かうオスカーを紺碧の双眸がちらりと追いかける。
 それに気づいた炎の守護聖は再度室の中央に据えられている机の方を顧みた。
 淡青色の瞳が天空の蒼を捉える。
「ジュリアス様」
言いながらオスカーのその足がぴたりと止まった。
「何だ?」
一旦退室の様子を見せながらそれを途中で止めてしまった相手の態度が腑に落ちず、ジュリアスは反射的にそう応じていた。
 優雅な仕草で向きを変えた炎の守護聖は再び執務机まで足を運ぶと、不躾にならない程度に相手の顔を見つめた。ここ数日あまり休息を取っていないだろう光の守護聖の顔色は今ひとつすぐれず、蒼い瞳の輝きもやや疲労に翳っているように見受けられ、オスカーは微かに眉間に皺を寄せる。尊敬して止まない相手ではあるが根を詰めすぎるきらいがあり、それが常々心配なオスカーとしてはどうにかして休息を取らせたいと思っていたところだった。
「ジュリアス様、今宵は何の日だかご存じですか?」
さりげなく聞こえるよう細心の注意を払った声音でそう切り出すオスカーだった。
 言われてすぐに記憶を浚ってみるジュリアスだったが生憎相手の言わんとしている事に該当する出来事が思い浮かばず、物問いたげに相手を見返す。
 自分の言ったことに興味を示してくれたことに内心快哉を叫んだオスカーだったがそれをお首にも出さず、
「大規模な流星群が見られるそうですよ」
如何ですかご一緒にとそう言葉を続けた。
 言われて初めてジュリアスは数日前から年若い者たちばかりでなく、年長の地の守護聖ですら落ち着かなげに流星群の話で盛り上がっていたことを思いだした。
 聖地でも数年に一度、外界の時間に照らし合わせれば恐らく数十年に一度見られるかどうかという、近年まれにみる大流星群が今宵天空を覆い尽くすのである。それを知って興奮せずにいられる人間がいたら是非ともお目にかかりたいものである。
「ほお?」
微かに目元を和らげたジュリアスは手にしていた羽ペンをペン立てへと戻し、机に両肘をついて軽く指を汲むとそこへ顎をのせた。
 蒼い瞳に好奇の色が浮かんだことにオスカーは力を得、熱心な口調で誘いの言葉を重ねたが、ジュリアスはそれを淡く微笑んでさらりとかわす。現在自分が抱えている案件はどれも急を要するものばかりであり、個人的な楽しみを優先している場合でもなかった。
 外界とは時間の流れ方が異なるこの地ではたとえ数刻であろうとも決裁の遅れが致命的な結末をもたらしてしまうことが往々にしてあった。だからという訳ではないが、仕事熱心な首座の守護聖は休日に充てられている日でも抱えている案件に目を通していることがよくあった。
 しばらく炎の守護聖との言葉のやりとりを楽しんだジュリアスは組んでいた指を解き、
「私の分までそなたが楽しんでくるとよい。本日はご苦労だった」
再度羽ペンに手を伸ばしつつ、そう労うと新たに取りかかり始めていた案件へと意識を引き戻した。
 自分が完全に意識外へと追いやられたことを感じたオスカーは落胆の色を露わにしたまま退室していった。
 扉が閉まる音を耳にしたジュリアスは紙面を滑らせていたその手を止めて顔をあげると、軽く吐息をついた。
 オスカーの気遣いは大変有り難いものであり、できれば自分も休息をとりたいと思っていたのだが、それが許される現状でもなかった。
 誕生したばかりの惑星と末期を迎えつつある惑星。どちらもサクリアのバランス調整が難しく、少しでも目を離せば崩壊の危険性が高く予断を許されない状況だった。

 

 

 それからしばらくの間、室内は紙を捲る音と紙面を走るペンの音のみに満たされた。

 

 

 とりかかっていた案件の目処がどうにか立ち、ジュリアスはここで一息いれることにした。
 衣擦れの音をさせながら椅子から立ち上がると、部屋の一隅に設えられているサイドボードに歩み寄り、そこに置かれているサーバーに手を伸ばし慣れた手つきで支度をする。そしてさほど時を置かずに出来上がった好物のエスプレッソをカップへと注ぎ入れる。
 コーヒーの芳醇な香りが室を漂う。
 満足げに淡く微笑みを浮かべたジュリアスはそのままカップを口許に運び、中身を一口含む。天空の高処を思わせる蒼い瞳に柔らかい光が宿った。
 ちらと窓外へ視線を投げればすでに世界は黄昏に包まれつつあり、あと数刻もすれば見事な流星がみられるだろう。それを知ったジュリアスは、机上に置かれた決済済みの書類へ視線を転じ、その内容を頭のなかで反芻した。
 もたらされた情報は、誕生したばかりの惑星と末期を迎えつつある惑星がともに安定期に入りつつあることを示唆していた。
 もしかすると今宵は流星雨を見ることが叶うかもしれない。そんな思いが頭の片隅をちらりとよぎる。その途端、ジュリアスの脳裏に幼い子供の声が木霊した。

 

 今宵のように天空から星々が瞬き流れ落ちる夜にはこうして眺めよう−
 そうだね、今夜みたいな流れ星が素敵な夜にはふたりで見ようね−

 

 夜空を覆う見事な流星群を楽しそうに仲良く見上げている二人の子供の姿もはっきり思い浮かぶ。

 

 笑みを浮かべながら空を見上げいてるのは、幼い頃の自分と黒髪の幼なじみ。
 何のてらいもなくお互いの感情を素直にぶつけあっていた頃に共有した数少ない思い出のひとつ。

 

 そんな幻想を振り払うかのようにジュリアスは軽く頭を左右に振り、吐息をついた。
(何を今更・・・・・・。幼い頃に交わした他愛もない約束など、あれが覚えていようはずもない)
 ふと、自分と入れ替わるようにして王立研究院で惑星の状態を見守っているであろうクラヴィスが思い起こされた。

 

 コンコン−

 

 誰かが扉をノックする音が響き、ジュリアスははっと我に返った。そして入室を許可しようとする前に扉は無造作に開かれ、たった今思い浮かべていた人物が姿を現した。
「クラヴィス」
自分の声が固くなるのを抑えることができず、ジュリアスは苦虫を噛みつぶしたかのような渋い顔つきになる。
 それをどう見て取ったのか、闇の守護聖は顔色一つ変えるでなく携えてきた書類を机の上に放ると、室の主が硬直している傍らへとその歩みを進めた。
 疲労の色を宿した黒水晶の瞳が、やはり疲労の翳りの濃い天空の蒼と絡む。
「私にも一杯貰えぬか?」
ぼそり低く呟かれた言葉にジュリアスは無言のまま応じ、新たにエスプレッソをカップに注ぎソーサーごと手渡した。そしてクラヴィスもまた無言のままソーサーを受け取り、カップの中身を一気に干した。
 実にらしくないその素振りに、ジュリアスは物問いたげな視線を白皙へと注ぐ。
 視線に籠められた意味を正確に読み解いたクラヴィスは苦笑を浮かべ、ソーサーをサイドボードに戻す。
「馳走になった」
ぼそり呟くとそのまま踵を返し、扉の方へ足を運んでいった。
「クラヴィス」
ここへわざわざ足を運んできた以上何かしらの用件はあったはずなのに、それを口にすることなく去ろうとする背中へ、ジュリアスは反射的に声をかけていた。その声音に導かれるようにして振り返った黒水晶の双眸に意味ありげな光が宿っているのを認めたが、やはり来訪の意図が掴めなかった。
「・・・よろしく頼む」
ともすれば聞き逃してしまいそうなほど小さな声でぽつりと呟かれたそれに、クラヴィスは微かに頷き、だがそれ以上の言葉を重ねることなく部屋を辞していった。
 執務室に一人残される形となったジュリアスは重々しいため息をつくと、残されている執務の処理を片づけるため再び執務机へと戻っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 頭が重く感じられるようになり思考が空転し始めた頃、これ以上正常な思考を保ち続けることが不可能という判断を下した光の守護聖はその日の執務を終える潮時だと理解した。
 時間はすでに深更近く。そろそろ天空を流星が横切る時刻にさしかかっていた。
 それに気づいたジュリアスは珍しく逡巡の色を見せたが、やげて諦めのため息をひとつつくと机上に積み上げられていた書類の片付けを始めようときちんと整えられた書類の山へと手を伸べる。
 そこへ突然ノックの音が響いた。
 夜も更け、すでに真夜中と言っても差し障りのない時刻に火急の用件以外でここを訪れる者などあるはずもない。しかしそういった場合に感じられる殺気めいたものを扉の向こうの人物は発していなかった。
 予期せぬ出来事に光の守護聖は一瞬表情を強張らせたがすぐにいつもの冷静なそれを取り戻す。それを見計らっていたかのようなタイミングで微かな軋み音をたてつつ扉が無造作に開かれた。
 廊下に佇む人物を目にした瞬間、蒼い瞳が驚きに瞠られた。
「・・・そなた・・・・・・」
滑らかな口上を得意とするジュリアスにしては珍しく言い淀む。あからさまな動揺に気を悪くした風もなく、 真夜中の突然の訪問者、闇の守護聖クラヴィスは悠然とした足取りでジュリアスの元へと足を運んでいった。
「執務室に灯りが未だ灯っていたので寄ってみた」
一旦館へと戻っていたのだろう、クラヴィスがその身に纏う衣装は執務服ではなく落ち着いた色合いの平服だった。それに気づいたジュリアスはクラヴィスがわざわざ宮殿まで戻ってきたその意図がまるで掴めず、何用だと目線で問いかける。
 微かに闇の守護聖の口元が苦笑の形に歪む。
 そんな相手の反応に冷笑されたのかとジュリアスは反射的に思い、片眉をきりりと引き上げ何か言葉を綴ろうと口を開きかけた目前にとんと酒瓶が一本無造作に置かれた。
「執務は終わったのだろう?」
感情表現に乏しい顔つきのまま、クラヴィスはいい酒が手に入ったのでななどと嘯きながら視線を執務室に隣接する私室の方へと転じた。そしてあちらへ移動せぬかとまるで自室にいるかの如き口ぶりで硬直している相手に視線を引き戻した。
 私室とは言ってもそれは執務の間につかの間の休息とったり緊急時に仮眠をとったりするためのものであり、守護聖各々に与えられている館の私室に比べれば寒々しい限りだが、それでも一応の設備は整っておりいくら堅物の光の守護聖のそれであってもそちらならばグラスくらいはあるだろうと見越したクラヴィスの言葉だった。
 最初の驚愕もどこへやら、ジュリアスは口調に含まれる存外子供っぽい響きに苦笑を浮かべ、自分を真っ直ぐ見つめる濃紫の瞳を見つめ返す。
「研究院の方に詰めていなくても良いのか?」
惑星がそろそろ安定期に入りつつあるのを知りながら敢えてそう尋ねる。しかしその口調は光の守護聖として発せられたものでなかったためか、いつものような咎める響きは微塵もなかった。
 相手の問いかけに微かに微笑みを浮かべることで応じた闇の守護聖の眼差しは常になく穏やかで、自然とジュリアスの表情が軟らかく和んだ。
「酒を馳走してくれるのだろう?」
私室へと誘いはしたものの自分から動こうとしないクラヴィスにあちらの部屋へ行かないのかと目線で問いかけつつ、ジュリアスは衣擦れの音をさせながら椅子から立ち上がり、およそ執務室にはそぐわない酒瓶をその手にさらうと隣室へと続く扉を開ける。
 闇の守護聖もすぐその後を追い、私室へと足を踏み入れた。
「そちらで待っていてくれ。すぐに用意する」
指し示された席がテラスに設えられている小卓だと気づいた闇の守護聖は目を細め、どこか楽しげに見える風情でテラスを見遣った。そして衣擦れの音をさせながら小卓へと歩み寄り傍らにある椅子へと適当に座す。
 夜独特の涼しさを孕んだ風がクラヴィスの長い漆黒の髪を後方へとさらりと流す。それを軽く手で押さえながら天空へと注がれた黒水晶が微かに煌めくものを捉える。
 そろそろ天体ショーが始まる頃合いのようだ。
 腰をおろして間もなく、酒の支度を整えてジュリアスがテラスへとその姿を見せた。
 澄んだ夜気は昼の陽気など知らぬげに、しんと冷たく冴え渡る。無論、穏やかな気候が保たれている聖地のこと、冷たいと一口に言ってもそれは身を切るような冷ややかさではなく、心地よい冷たさだった。
 用意されたグラスで酒を受けながら、クラヴィスは卓の上を見つめてぽつり呟く。
「酒の肴などないのか?」
「そのようなもの、急に用意できるわけがない」
いきなりやって来てずうずうしいにもほどがあるとグラスを傾けながら囁かれる声音は、言葉の内容とは裏腹に少々からかいを含んで涼やかな夜気を震わせる。
 微かにふてくされた表情を浮かべた闇の守護聖は視線を目前の白皙から天空へと転じた。その視界の片隅を、光の帯が流れていった。
「では、あれを肴にするとしよう」
 手入れの行き届いた指先が今し方見つけた流星群をすっと指し示す。
 つられるように指が示した方角へ流された蒼い瞳が絶え間なく流れゆく光輝を見つけた。
 光と闇の守護聖が見つめるなか、地表へと降り注ぐ流星の数が増していく。それは二人が幼い頃に何時までも眺めていたものと同じくらいに規模の大きいものだった。
 興奮しているためなのか微かに頬を朱に染めて夜空を見上げているジュリアスの手の中でグラスの氷がからんと音をたてる。
 珍しく子供めいた表情を見せるその様に、クラヴィスは微かに苦笑を漏らすが、空へ全意識を向けているジュリアスは気づかない。クラヴィスは笑みをさらに深めると、グラスの中身を一気に干した。

 

それから二人は最後の一筋が地表へ吸い込まれていくまで、あくことなく流星雨を見つめ続けていた。

 

 

 

 

 

 

 約束だ−
 うん、約束−

 

 今宵のように天空から星々が瞬き流れ落ちる夜にはこうして眺めよう−
 そうだね、今夜みたいな流れ星が素敵な夜にはふたりで見ようね−

 

 約束だぞ?−
 うん、約束だね−

 

 

END

 

 

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壁紙提供:壁紙工房ジグラット