マーケットの世界に長くいると、何か大きな力が支配してるのではないかと錯覚することがあると感じても過言ではない。
恐らく多くの市場参加者が私と同じ思いをしているのではないだろうか。金利の世界は比較的論理的な相場観が「あたる」ことが多い。所謂エコノミスト達が、的を得たコメントを行い、そして相場も彼らの言うように動くことがよく見られる。
ところが、外国為替相場の世界では、そうはいかない。ほとんどの場合、彼らの相場観は外れる。中長期的に見てある程度トレンドが出ている場合は、彼らのコメントがなるほどだと思えることもあるのだが、それは結果論であって、後講釈的に相場を「説明」しているに過ぎないのである。であるからして、利口なエコノミストは決して為替相場を語りたがらない。少なくとも具体的な相場レベルまで言及して予測を公に立てることなどしたがらない。何故なら、相場を外すことにより、彼らの価値を下げたくないからだ。
金利の世界では、「政策金利」というものがあり、金融当局がある程度政策目標としている短期金利やマネーサプライを「決定」出来る力を有しており、幾ら投機筋が金融当局に挑戦を挑んでもかなわない。かのジョージ・ソロス氏でさえも、為替の世界では当局に挑戦状を叩きつけ、勝利したこともあったが、決して金利の世界ではそんな過ちは犯さなかった。
だからこそ、為替相場の世界に生きる市場参加者達は何かロマンを感じているのではないだろうか。自分たちの相場観を語りたがるのが多いのはやはり金利の世界より、為替の世界だ。そして自分をプロとして自覚(「錯覚」かもしれないが)したがる傾向がある。ところが残念なことに往々にして辛い目に会うのが多いのも事実である。
(3月7日)
私が相場の世界に入ったのは1984年の8月。当時ある邦銀の東京本部で国際業務導入研修というもが始めて行われ、自分はその第1期生として、参加(と言っても人事異動にて強制的に参加)していた。2ヶ月間、国際業務を一通り学んだ後、突然、担当部長より、「今日から、研修の次なるステップとして、この中より何人かは、国際資金為替部にて新たな研修を受けてもらう。」と言われ、この世界にまさに強制的に連れ込まれてしまった。最初は、まったく不本意で、何でこんな訳のわからないことを研修させられなければならないのかと思ったのだが、研修が進むにつれて、部にいる人が銀行からかなり期待されていて、優秀な行員が多いように見えた。1984年と言えば、所謂、実需原則撤廃が実現したばかりで、日本で外国為替を投機を目的に本格的に行う下地が整いつつあった時期である。私がいた邦銀は資産ベースでは第5位に位置しており、トップ5にあるとは言え、超一流の銀行であったとは言い難い存在だった。それだけに経営陣には、せめて収益だけでも邦銀トップレベルに達しようと強い意気込みがあったのは事実だ。そういう環境下でディーリング業務で業績を上げることで、邦銀トップレベルを目指したのは当然のことだったと言える。 そして、何故、どうしてこんな中に自分のような人間がいるのか不思議に思った。場違いだと正直思った。人事の間違いだとしても、私の目から見て「すごい」と見える人が大勢いる中で仕事出来るなんてことは男として本望であり、気持ちが振るい立ったのは正直な気持ちである。こうして、私のディーラー人生が始まった。
(3月9日)
最近、つくづく思うことであるが、外国為替相場に携っている人は実にご苦労の連続だと思う(自分自身が長く為替の世界にいたので自己弁護してるかもしれないが)。
為替相場は24時間眠らないわけであり、それこそ、東京時間早朝から土曜日の明け方まで、相場との格闘だと言える。それにひきかえ、申し訳ないけれど、債券、株式の世界は所詮、場の時間が決まっており、その時間だけ仕事すればいいわけだ。もちろん、仕事したくても、出来ない辛さもあり、緊張の度合いを比較してはいけないのかもしれない。確かに、一つ真実なのは、相場の世界で生きている人は皆、それに命をかけていることだ。だから、皆、必死なわけである。そして、根性がすわっているわけだ。だから、それぞれの相場、市場の参加者の「必死度合い」を比較してはいけないかもしれない。それでも敢えて言いたい。為替相場の参加者はあまりにも辛い。あまりにも酷な仕事だ。別な見方をすると、外国為替市場は誰もが参加出来、市場の自由度は極めて進んでいる。情報も、このIT時代には誰もほぼタイムラグなく共用出来る。
債券、金利の世界はやはり、参加者は限られており、ある意味で内輪の世界だ。そして、これは真実だと思うのであるが、エコノミストの意見でもある程度まで予想出来る世界だ。しかしながら、為替の世界は違う。一流のエコノミスト、世渡り上手なエコノミストは決して為替相場の予想などしない。否、してはいけないのだ。何故なら、エコノミストの意見がマジョリティを占める時には相場はもうすでに反転しているからだ。債券のことを「Fixed
Income」というのは最もだと思う。必ず、確実に収益があるからだ。時間が経てば必ず収益が入る。ある意味でこんな楽な世界はない。もちろんリスクは負っている。それはいかなる市場参加者として、当たり前のことである。その上で、時間と共に必ず儲かるのである。しかし、為替は違う。だから為替は面白いし我々を虜にするのかもしれない・・・・・・・。(3月10日)
私は、現在、ある外資系の銀行でトレジャラーをやっているが、チームは小さなサイズで今まで自分が属していた銀行とは大違いで、何でもやらねばならない世界である。お陰で、色々な業務、即ち、債券、資金、為替と多岐にわたっており、毎日本当に刺激があって面白い。
この年齢になって、未だにマーケットの世界に居れる自分が幸せだと思うし、全て、数多くの知人・友人のお陰だと思う。本当にご縁を感じて、毎日感謝の気持ちを持って仕事している。
以前属していた米系の銀行や欧州系の銀行では、ほとんど外国為替中心にやっていたので、マーケットに対してある意味、偏った見方、相場観を持っていたように感じる。もちろん、為替をやりつつも、金利や、株式の動きも追っていたつもりだが、やはり、限度というものがあったように感じる。ただ、所謂ファンダメンタルズといった表層的なことだけでなく、相場そのものを奥深く洞察する習慣が出来たのは幸運だったと思う。1984年に初めて相場の世界に、邦銀にて相場の世界に足を踏み入れて以来、長きに渡って経済指標、各種ニュースを追いかけながら、自分の勘に頼りながらの相場人生だったが、7,8年前からは相場そのものの根源的な部分に関心が及んでいった。そして、究極は宗教の世界ともいえるほど、相場は深いものだと思うようになった。テクニカル面をとっても、実に深いものがあり、価格分析ばかりやっていた時期のことを反省しつつ、時間分析を大幅に取り入れていった。そして、相場に入る心構えは大いに宗教に通じるものがあると感じたのも同じ時期だ。(3月14日)
私が、1984年12月に邦銀ニューヨーク支店にて外国為替ディーリングの世界に入った時の上司はとてつもなく怖い人だった。それまでの自分の人生で出会ったことのない近寄り難い存在の人だった。しかし、相場を徹底的に教えてくれた恩人であり、先生である。その彼がある日こんなことを言った。「為替は中卒。マネーは高卒。債券は大卒。」この発言にはさすがに頭にきた。まるで為替ディーラーは力仕事で頭を使わないみたいじゃないか、それはないだろう、と思った。実は、その数ヵ月後分かったのだが、為替ほど奥の深いものはない、一見単純そうに見えて、実は本当に実力がないと生き残れない世界。不断の勉強する姿勢が求められる世界である・・・・と。嬉しかった。だから、自分は絶対この世界でやっていこうと思った。
それにしては、最近の為替市場はあまりにも割りに合わない世界だとつくづく思う。そう言えば、最近FRBグリーンスパン議長も講演の中で以下のことを言っていた。
「The seeming ability of a number of banking organizations to make consistent
profits from foreign exchange trading likely derives not from their insight
into future rate changes but from market making.」(3月2日、ニューヨークエコノミッククラブにて)
まさに、相場観で儲けている為替ディーラーはほとんどいなくて、客玉からのマージンで稼いでいると言っているのだ。これには、驚いた。彼は実に現場を良く分かっている、否、分かろうとしているということを。実際、私の経験から言っても、最近の為替の世界でまともに自分のポジションで儲けているディーラーなんて数が知れている。ほとんどは、客玉を右左に動かして、鞘抜きをしているだけ。そして、そのお客へのクレジットラインをどれだけ持っているかがその銀行の「為替ディーリング」収益を決定している、といっても過言ではない。そういう意味では個人の外貨証拠金為替ディーリングで生き残っている人の方がよほど凄いということだ。(3月17日)
私は、今でもポケットロイターなる携帯の情報端末を持って歩いているが、さすがに以前ほどは使わなくなった。何故なら、為替のポジションを持っても小さなものだし、現状、債券と金利、クレジットでリスクを取ることがほとんだだからだ。それでも、昔からの習慣からか、ロイターの電波が届かないところには普段は行かないようにしている。最近でこそ、地下鉄などでも電波の受信状況がよくなり、広範囲にわたってモニターチェック出来るようになったものの、相変わらず、地階にあるレストランなどでは受信困難だ。以前、友人が食事や飲みに行こうと誘ってくれる度にいつもそのレストラン、飲み屋が何階にあるか気になったものだ。そして、正直言って、地階の場所を予約する友人がいたら、その彼のことを「こいつはプロじゃない。」なんて心では思っていた。特に大手機関投資に勤務して大玉を大きく扱っていると偉そうに言っている連中にかぎって、地下のレストランを予約することが多かった。彼らは海外マーケットの動きなど関心がないのかなと思えたものだ。もちろん、皆がそうであったわけではないし、大玉を処理するにも、そう簡単な事でもなかっただろうから、仕方ないのかもしれないが・・・。いずれにしても、自分のように毎日が勝負だと思っていた人間にとってはマーケットレートが掴めないのは、盲目の世界にいるような気になったものだ。たとえ、ストップロスオーダーをおいていても、どういう状況でストップロスがついたかなど、知っておく必要があるのは当然だと思っている。
こういう自分も、この点に関し、反省すべきことはあった。一旦利食い・損切りのポイントを決めたら後はでんと構えていても良かったのかもしれない・・・と。損切りオーダーがつくことを恐れていてはディーリングなんか出来ないし、まして、その時に熱くなって又ポジションを作ってもうまくいかないことが多いのだということには一理あるということだ。絶対に言えることは、マーケットは今日一日で終わるわけではないということ。今日やられても、明日又参加すればいいわけだ。要するに敗者復活出来る程度のロスに抑えておくということだ。柔道の受身と同じで、受身を覚えずに始めると怪我の元だということだ。(3月19日)
以前から、数多くのマスコミ関係者、日本経済新聞社、ブルーンバーグ、ロイター通信、ダウジョーンズ等々の記者達とお付き合いさせて頂いているが、記者達の苦労話を聞くにつけ、「どこも皆大変なんだなあ」と思うことがある。それは何かと言うと、「〜さん、仰ることをぜひ記事に出来ればいいなと思うのですが、上司から記事は出来るだけファンダメンタルズの見地から書いてくれ、出来るだけ、レンジ予想を入れてくれ、と言われているのです。」といったある意味「泣き言」を聞かされる。やはり、日本というところは、所謂「ファンダメンタルズ」、納得のいきそうな経済的、政治的要因を挙げて市場を「説明」する必要に迫られるカルチャーが存在するらしい。テクニカル(と言っても、私はこの言葉が嫌いだが)的な説明はどうも、嫌がられる傾向にある。特に、金融機関、機関投資家、商社等々にて上昇部の管理者に市場の報告を行う時には、「テクニカル」な説明は御法度らしい。どうも、「やくざ」なイメージが存在するのか、訳が分からない。アカデミックな説明がそんなに好まれ、そうでない解釈が嫌われるのか、という印象だ。1990年当時、ドル円が160円の頃に大多数がドルブルになり、本邦の機関投資家は米国の不動産を買い漁った。その彼らが、1995年当時、ドル円が80円〜90円をさまよっている頃、総勢ドルベアになり、海外不動産を処分した。当時の本屋には、所狭しと「1ドル50円時代の到来か」の類の本が数多く並び立てられていた。どうも、この国は国家レベルで損するように出来ているらしい。それでも、特に思い出に残るのは、私が当時勤めていた米銀では、個人の外貨預金の人気が凄まじく、初めてドル円が100円を割った1994年当時は個人投資家のドル預金が殺到した。そして、翌年の1995年に80円割れに向かう時でも、「ロスカット」はほとんどなく、むしろ買い下がる人たちが大勢だったことだ。私の知り合いの日経の記者は、新聞にはドル円暴落の類の記事を書いておきながら、銀行の窓口で外貨預金の列に並んでいたぐらいだ。まさに機関投資家がロスカットしている一方で、利口な個人投資家が「ナンピン」を入れていたのである。当時の大蔵省の国際金融局長であった榊原氏(言わずと知れたMr.円)と会合を持った時に、彼は、「本邦機関投資家はどうして逆張りが出来ないのだろう」といったのを思い出す。その後の結果は歴史が示す通りだ。
私は、ファンダメンタルズがダメで、テクニカルが良いと言っているのではない。いつもいつも論理的に突き詰めて、とことん納得のいく説明を為替相場の予測に求め続けていると、相場に乗り遅れてしまい、最後には大きな損失だけが残るということだ。(3月20日)
以前、邦銀ニューヨーク支店にいた時のボスがディーラー適性度チェックリストなるものを作って、我々部下のディーラー、知り合いのディーラーを「テスト」したことがあった。
その内容は、全て「はい」「いいえ」で答える質問形式であった。この手のリストは当時あちこちで流行ってはいたが、ボスの作品はとりわけ興味深いものだった。その質問集の中に、こんなものがあった。「あなたは、高速道路を走っていて、対向車線が混んでいたら思わずにやっとしますか?」ディーラー適性度チェックから言うと、「正解」は「はい」である。要するに、ディーラーたるものは、相手の不幸を喜ばなければならないわけだ。
大荒れのマーケットの中で、大半の市場参加者が自分のポジションで捕まってしまっている時に、自分だけ「抜け駆け」出来るかどうか、周りの目を気にせずに自分のポジションを救いにいけるかどうか、相手が大損をしようが自分だけは助かるべくアクションを取れるかどうか、ディーラーとして成功する重要な要素だということだ。
その後の自分のディーラー人生の中で、自分だけ儲ければ良いといった感じの連中を多く見かけたのは事実だ。自分のロスカットを良いタイミング、レベルで出来れば、その後は他のディーラーがポジションでスタック(捕まって)しようが高みの見物なわけだ。それこそ、他人の不幸を自分の幸福に感じれる、一瞬でもそんなふうに自分の心が変化した時、そうだ、これは以前ボスがディーラーとして必要な要素だと認めたものなのだと、無理に納得したことがあった。しかし、さすがに自己嫌悪に陥る時もあった。嫌な自分の性格に腹が立ったこともある。しかし、職業ディーラーとして当然のことだと、自分を追い詰めた。 変な話かもしれない。今の自分はそういう考え方をしてはいけないと思い、出来るだけ皆がハッピーになることを望むような生き方をしているつもりなのに・・・。いや、これは言い過ぎかもしれない。 少なくとも、人の不幸を望んでは結局自分も不幸になるから、そうでない生き方をしなければと思っている、と言った方が正確かもしれない。他人の不幸を望むと必ず自分にしっぺ返しがくる、これはこの世の真理だと思う。 (3月30日)
相場の予想をするということは、ある意味、楽しいし、面白い。しかし、こんなに無責任なこともない。自分でポジションを張っている人は予想があたろうが、はずれようが儲ければ良いわけであって、それこそ、人に「ドル円相場どう思う?」と聞かれて、「そうだね、上がるんじゃないの。」と答えた直後に売っていても、かまわないわけだ。プロの相場師というのはあまり人に予想を語らないものだ。私も、マスコミの記者に相場のことを聞かれるたびに、「そうですね。記事にするんだったら、こう書けばいいのではないですか?」「個人的にはこう思うけど、記事には出来ないだろうしね」といった会話をよくする。相手の記者も「買いの材料を書いたら、売りの材料も書かないといけないので」とか言っている。ある意味、とても可哀想な話だ。すごく記者の気持ちが分かる。それでも、記者の中に、相場のことを全く分からずにただ、ノルマのように書いている人がいるのも事実だ。(4月30日)
よく一般に言われることであるが、ポジションを持たなければ相場予想がよく当たるのに、持つとハズすようになることが多い。昔は、人が言うこともなるほど一理あるなとは思いつつ、果たしてどこまで真理なのか、普遍の法則なのか、自分でよく考えるようなこともなかった。今は、何か特別な理由が存在していると信じざるを得ない。5月6日の「掲示板」にも書いたことであるが、「努力逆転の法則」がどうもそうさせているのではないかと思えるのである。人は誰でもポジションを取るとフェイバーな方向にマーケットが動いてほしいと思う。誰も損などしたくはなく、儲けたいと願うから、至極当然のことである。
ところがである。この願望の持ち方(ここが難しいところだが・・)次第では、結果はむしろ逆のことを生み出してしまう方向になってしまうのだ。特に絶対に儲けてやろうと「一心不乱」に願うと、「潜在意識」は逆の現実(実は儲からないのではないだろうか、という不安を持っている現実)を認識、反応してしまい、常に逆の結果が生じることになるわけだ。私以外でも多くの人が経験したことと思うが、所謂「カスタマーディーラー」は相場を「語る」「解説する」「商売を取ってくる」のが仕事であるが故に、通常、自らポジションを取らないことがほとんどだ。だから、それが故に、比較的彼らの「相場観」は「当たる」ことが多い。(それでもハズす連中が多いのは参ったものだが・・。)ところが、ポジションを取って収益を期待されるポジションテイカーは先ほどの「普遍の法則」と戦わねばならない。
一般に、儲かっているディーラーは益々儲かり、儲かっていないディーラーは益々損する、とも言われる。儲かっていると、心に余裕が出来、ポジションを取るときの相場観が実に冷静に判断出来、損得をそれほど意識せず、自然にマーケットに入っていけるという、絶対的強みがある。自分の心、気持ちに余裕、平静が保たれている時の直観力は人間が本来的に持ち合わせている能力であり、それを如何なく発揮しているわけだから儲かるわけだ。別な表現に「勝ち馬に乗れ」というのがある。これも意図する意味は同じことだというのはすぐに分かる。
ディーラーは皆、総じてプライドが高いものだ。だからやはり人の真似はしたくないと思うディーラーは多い。むしろ人の逆を行きたいと行ったコメントはよく聞かれる。「人の行く裏に道あり、花の山」というのは有名だ。しかしである。本質を間違えては本末転倒だ。あくまで、自分に確固とした相場観があってのものだ。いつも人の逆をやっていて儲かるほどマーケットは甘くない。そういった世の中の大衆意見を無視できるほど、超越した自分の尺度があれば怖くない。そして、大切なのは儲けることに執着しないことだ。この「執着心」ほど、怖いものはない。先ほどの「努力逆転の法則」を益々誘き出す結果となってしまうから本当に要注意だ。(5月9日)
一目山人翁が著書「一目均衡表」の中で次のようなことを言っておられる。
「相場は動かないか、動くか。動けば上げか、下げか。極めて簡単なのでありますが、しかし、実際にやってみるとなかなか儲からないのであります。そこで、新聞に、放送にと、あるいは人の意見に、罫線にと、色々研究して、本来簡単なものを非常に複雑化して、いよいよ迷いを深めるのみであります。」
「およそ相場をやる上におきましては、何が一番大事なことか、と言いますと、申すまでもなく、『何を、何日、幾らで買うか、または売るか』ということであります。」
「・・・新聞、雑誌を見ましても、人の意見によりましても、よく『押し目買い』『戻り売り』というのでありますが、余りに抽象的でありまして、実際問題として、どこまでが押し目か、どこまでが戻りか、良く分からないのですが・・・・・」(昭和44年8月25日)
相場の真髄を極めた一目山人翁の言葉は実に的を得ていると思う。当時でさえ、情報が氾濫していて、相場を難しくしていると考えておられたのに、今の世の中、インターネット時代で誰もがあらゆる情報をそれほどの時差もなく、取得出来るわけで、そういう意味で益々難しくなっているのかもしれない。材料を織り込むとよく言われることも、どこまでどの程度織り込んでいるのか、途方もなく分かるわけがないと思われる。ところが、この表現は実に便利なもので、相場を後から「解説」「講釈」するには極めて簡単に使える「フレーズ」なのだ。
私は、相場をやってきて、お金儲けすることがどれほど困難か、それなりに分かっているつもりである。何故なら、それだけ苦労したし、辛いことも多かったからだ。特に損した時の記憶は鮮明に残っている。だからこそ、一般に聞こえてくる相場解説があまりに空しく聞こえてくるし、果たしてどこまで役に立っているのか、多いに疑問を感じる。何日、幾らで買うか、売るか、は一目山人翁が何十年も要して追い求めた究極のテーマであり、それ以上でもそれ以下でもないのだと思うのだ。(5月15日)
約9年ほど前、某民放の日曜日の朝の番組にゲストで出演した時のこと。外国為替相場に関して、1時間半ほどの番組であったが、あの著名なジョージソロス氏が本邦テレビ番組でニューヨーク州ロングアイランドの別荘から衛星二元放送で初生出演をした記念すべき日でもあった。ドル円が87〜88円程度で推移していた頃だ。番組の中で、出演者が自分の為替予想をする場面があった。各人がフリップに今後のドル円為替相場レートを書いて、見せるといったものであった。 その時のこと。一人の著名な証券系シンクタンクのエコノミスト(今でもよくテレビでお見かけします)が予想レートを書かずに、グラフのようなものを見せたのである。確か、少し、ドル円が上昇した後、下げていくといった感じのチャートだった。そして、キャスターの方に、「どうしてレートはないのですか?」と聞かれた時の彼の返答は、「私は、普段からそういう具体的なレート予想はしないのです。」であった。私は、正直、このエコノミストは凄いと、思った。何故なら、彼は、そんな為替レートの具体的な予想をして、もし、外したら、自分の名声、評判が落ちることをわきまえていたのだ。彼は、マクロエコノミストとして、全国でも有名な人であるが、そういった場面で、為替相場を予測する、といった大胆なリスクを犯さなかったのだ。確かに、彼が具体的な予測をすると、何らかの影響を考えたのかもしれない。しかし、ジョージソロスほどの大物までもが出演しているところでさえ、予測をせず、おとなしくしていたわけである。もちろん、理屈は相当お話になっていたが・・・。
為替相場の予測をするということは、それほど、大変なことである。又、リスクでもあるわけだ。だから、数多くのディーラー、それもある程度の地位にある人にかぎって、あまり、はっきりと為替予測をしたがらないものだ。上げの話をしても、必ず下げの可能性にも触れておく。ヘッジするわけだ。さもないと、後で何を言われるか分からないというリスクがあるからだ。しかし、所詮、相場。上がるか、下がるか、動かないか。厳しい世界と言えば簡単であるが、自己ポジションを張っている人はもっと大変なのだけれど・・・。やはり、エコノミストのような、一旦評判を落とすと後々影響を受ける人たちにとって、為替は恐ろしい魔物なのかもしれない。(5月24日)
古くからの友人で今も海外にて現役で活躍する為替ディーラーの数少ない一人であるW氏が以前教えてくれたこと。彼は、かつて、コモディティコープという、ヘッジファンドの親玉のようなところに勤務していた時に、ファンドマネージャー養成研修なるものを受けたらしく、その時のエッセンスを教示してくれたのだ。内容を、要約して言うと、
「「ファンドマネージャーとして成功する要件とは
1)Strategy
and market view
いわゆる相場観であり、市場に対する自分の見方である。
2)Tactics
何を、幾らで、いつ買うか、売るか、まさに戦術である。
3)Money
management
ポジションを持った後の、ポジション管理、リスク管理である。
(1)が必要なのは、市場に参加する上で当たり前の前提条件であるが、特に(3)が出 来るかどうかが、ファンドマネージャーとして、成功するかどうか最重要要件だ。」」と伝えてくれた、と記憶している。ちなみに、(2)は一目山人翁が突き詰めた最大のテーマであった。そういう意味で、(2)は(3)と合い通じるものがある。
そして、(3)の出来、不出来が「Probability of Ruin」(破滅の可能性)を決定すると言っていた。さらに、例えば、50人養成研修に参加して、2,3人がプロとして自立出来れば良い方、とも言っていた。全く、同感だと私も至極納得した次第である。極論すると、相場観など大したものでなくて良いのである。もちろん、究極の相場観なるものがあれば強い見方であるが、要は、如何に収益の出ているポジションをひっぱるか、損失を抑えるかが、「キャリアプロフィット」を極大化するポイントと言えよう。(6月4日)
昔から超一流と言われている「ディーラー」「相場師」には色々なタイプがあると思う。
私は外国為替の世界が長いけれど、自分が直に知り合った、もしくはお付き合いさせて頂いている現役、もしくは引退された方の中で印象に残っている人を何人か紹介したいと思う。
1)ガイ・ヒールド氏
言わずと知れた、伝説の為替ディーラー。直近は、HSBC東京の駐日代表を務められ、今年お辞めになられたが、かつてはケミカルバンクのロンドン支店長兼外国為替本部長。当時はケミカルバンクの頭取以上に報酬をもらっておられたと聞いている。昔、バンカーズトラストが全盛の時代に、互いに勝負を張り合ったのはあまりにも有名な話。市場の何割かのボリュームをこなしていたこともある。その彼とニューヨークでお会いした当時の思い出であるが、会う前はそれだけの大物ディーラーだから、さぞかし、強面の自信満々のお人かと想像していたのだが、まるっきり正反対のオックスフォード大学卒のジェントルマン。 英国の紳士のことを御存知の方もいると思うが、握手をする時も誠に柔らかにしか握らない。その彼に、優秀なディーラーを見極めるポイントは、と聞いた時の彼の答え。「少なくとも6ヶ月程度好きなようにディールをさせる。けっして、外見的なもので判断しない。」それまで、私は、ディーラーと言うものは、とにかく、派手で、積極性丸出しの人間ばかりだと思っていたから、彼の意見には大変感銘を覚えた。とにかく、印象に残る「相場師」である。
2)ティアン・ホー氏
同じく、言わずと知れた、かつてのアジアナンバー1ディーラー。バンカーズトラスト全盛時代のアジア市場を牛耳った男だ。現在はシンガポールにて悠々自適の生活。自分でもポジションを張っておられるとも聞く。あの、チャーリー中山こと、中山茂氏をして、「彼には勝てない」と言わせしめた大物だ。風体はというと、あの王貞治氏を目をさらに大きく、ぎょろつかせたイメージ。当時のバンカーストラスト東京支店の方々に言わせても数々の伝説がある。私の知人(現在もシンガポールにて現役のW氏)が言っていたこと。バンカース在籍当時、東京から出向いてシンガポールのディーリングルームにてドル円ディーラーをしていた時のこと。W氏がドル円を500本を売っているにも関わらず、なかなか落ちないから不思議と思っていたら、すぐ隣でティアン・ホー氏がにやにやとしている。何のことはない、彼が同じレベルで1000本買っていたのである。さすがのWもたまげたようだ。自分の部下が売っている横でボスが逆のポジションを張っているなんて考えられないこと。やはり並大抵の人間ではなかったようだ。
3)中山茂氏
ご存知、8割の男である。私がかつて邦銀ニューヨーク支店にてディーラーをやっていた当時、私のボスが中山氏と大変懇意にさせて頂いていた。実際に中山氏と私のボスが行ったディールは小説「8割の男」の中で「義の折半」の章で詳しく書かれている。その中山氏がある頃から、私を可愛がって下さるようになった。恐らく一つには、中山氏の玉を私が一手に引き受けるようになったからだろう。そして、毎週金曜日のニューヨークタイム午後3時過ぎになると決まって電話を下さった。相場観を交換させて頂いた後、そうっと静かにポジションを作っていくのである。そして、翌週の月曜日の早朝に利食われるわけである。それが、8割どころか、10割に近かった記憶がある。当時のニューヨーク支店での私の部下のアメリカ人ディーラーが彼のことを「Every Friday Man」と名付けた。そのうちに、毎日電話をされてくるようになったが、ある日のこと、ポジションを作られて10分後くらいに電話を下さり、「どうも変ですね。どんな感じですか?・・・そうですか。それでは、ポジションをクローズするので、全部手仕舞って下さい。」と仰った。そして、彼のポジションを手仕舞った直後から彼の懸念していた方向に動き出し、結果、ストップロスをしたのが大正解だったということになったのだ。あの「嗅覚」の凄さはまさに本物のディーラーだと痛感した。その後もお付き合いさせて頂いており、シンガポールに行く度にお会いしている。即ち、彼は現在シンガポール在住で自己ポジションで日夜(24時間)マーケットと格闘しているのである。
4)渋沢稔氏
まさに私の兄貴(血のつながりはありません)であり、ディーリングのみならず、人生の師である。私が邦銀を辞めて外銀の世界に飛び込むきっかけは、中山氏のみならず、渋沢氏に多いによるところである。もともとIBJ出身で、東大時代はあの江川からホームランを打ったことで有名な方であるが、本人いわく、自慢すべきはあのHRではなく、その次のバッターボックスにて江川が本気で投げてきた時のことだ、と仰っている。私は、彼のディーリングそのものも超一流だと思っているが、何といっても、凄いのは彼の人生哲学。私は一生彼の「弟子」でありたいと思っている。私が邦銀を辞めるかどうかで大いに迷っていた時のこと。彼いわく、「そこに残るのも勇気ある選択だぞ。しかし、自分の心の底からよ〜く考えてみろ。それが本当にやりたいことかどうかということを・・。」決定的な言葉だった。そして、人の本当の優しさというものを教えてくれた恩人でもある。(7月18日)
最近流行の外貨証拠金外国為替取引は実は投資の中でも最難関の一つであると言って過言ではない。
理由は何と言っても、ディレクション(方向性)で勝負をするものであることだ。上がるか、下がるかに賭けるわけで、まさに「博打」的要素が入っていることを否定は出来ない。しかも、この世の中、情報化社会であり、個人でも瞬時に世界のニュースを手に出来る。エコノミスト、評論家のコメントが出るよりも早く、自分の家に居ながらにして、見たり、聞いたりすることが可能なわけだ。
しかし、実は、このディレクショントレードは「期待収益率」が非常に低いと言わざるを得ない。このトレードで常勝するにはまさに特別な資質と労力が必要だ。それでも、目に見えて「期待収益率」が高まるわけではない。
そもそも、我々が見たり聞いたりする情報というのは、瞬時にマーケットに織り込まれ、幾ら経済指標なりを仔細に分析して投資判断を行うよう努力しても、その経済指標にはもう既に市場を動かす力は存在していないのが実情だ。決して、経済指標分析が不必要だと言うつもりはない。経済の現状を正しく分析することは投資行動の第一歩ではある。しかし、やはり第一歩に過ぎず、あくまでも前提でしかない。それによって投資の期待リターンが上がるわけではなく、合理的な将来予測というプラス・アルファがどうしても必要になってくる。
ところが、ここで又も問題が生じてくる。即ち、人間の心理というのは、将来を予測するのに適していないということだ。人間はどうしても、将来を現在に近いものか、あるいは過去から現在のトレンドの延長線上にあるものとして位置づけてしまいがちである。しかしながら、現実のマーケットは、大きなパラダイムシフトや、非連続的な変化を伴って進行していく。人間の将来予測というものは、パターン化され、どうしても似通ったものになりがちだ。その結果、「コンセンサス」なるものに従うことは人間の心理に一種の安心感を与えがちとなる。これが又、投資の成功にとって大きな障害となってくる。
マーケットの動きが世の中の大勢の考え、「コンセンサス」に近い動きとなったとすると、多数の人がそれを予測しているわけで、相場は大きくは変動せず、その結果、投資のリターンも大きくはならない。大多数の人が予測することは、やはり市場価格に大部分が織り込まれてしまっているからだ。
しかし、将来が現状とはまったく違ったものになったり、あるいは過去から現在までのトレンドとは全く違うトレンドになった場合は、相場は大きく、より急速に変動することになる。つまり、コンセンサスに沿った投資行動は、予測が当ってもあまり大きくは収益を上げられず、予測が外れた時には大きな損失を被ることになる。相場をディレクション(方向性)でポジションを張っていくことの難しさはこういうところにあるのだろう。
しかし、相場をディレクションだけでポジションを張るのではなく、オプションを用いたりして、デリバティブを駆使して市場に参加出来るようになれば、収益機会は飛躍的に増大する。即ち、「ディレクション」だけではなく、「相場の変動」そのものを狙ったり、「アービトラージ」(裁定取引)が出来ればリスクを極小化して、利益を上げることが可能となってくる。デリバティブそのものの理論構築は、皮肉にもアービトラージの機会がないものとして出来上がっているものであるが、それでも、この世の中、「歪み」は存在しているわけで、世のヘッジファンドはそれを果てしなく追い求めて、期待リターンの極大化に努めている。
もっとも、相場にディレクションでもって参加することの面白さ、醍醐味はやはり捨て難く、ある意味人間の性なのであろうか、一種のロマンを感じてしまうのは私だけではなかろう。だからこそ、昔から「相場師列伝」なるものが存在するのだと思う。(4月12日)
先日、本ホームページの読者の方から心温まるメールを頂戴した。この場で引用させて頂きたい。
彼は、私の一目均衡表理論に関するコラムを読んだのをきっかけに11万円もする原本を購入されたのだが、相場で稼ぐことがどんなに困難なことか、ご自分のご経験を引き合いに出されながら、過去を振り返りつつ、人生観も交え、実に謙虚に率直な意見を述べておられる。
「 現在私は会社を経営していますが、これまでどんなに考えて考えたか、頭をつかったか。学校を卒業して会社勤めをしているときどんなに上司にしかられ、得意先にしかられ苦労したか。事業を立ち上げてから数年間どんなにいろいろ工夫してきたことか。とても簡単に表現できるものではありません、膨大な時間、金、労力を使ってきています。 今現在は仕事のことほとんど考えていません、ほとんど反射的、本能的に仕事をこなせるようになっています。忘れていたんですね、苦労して、考えて、工夫して、それで現在の楽して仕事をしている自分があることを。」
「 相場に照らし合わせて考えてみました。今はパソコンで簡単にありとあらゆるチャート、情報がほとんどプロと同等に手に入ります。チャートに様々な線を引いて、インターネットでいろいろな情報を手に入れてそれで相場が分かったような気になっていたんですね。実は全然わかっていない、まったく分かっていない、当然のことでなにも考えていないわけです。現在は苦労しなくても様々な情報、答えが手に入る時代ですのでこんな時代に相場を始めたもので脳味噌が汗をかくような思いを全然していなかったわけです。今の仕事でしてきた努力の100分の一いや1000分の一もしてなかったでしょう。」
「 それでも欲だけは一人前で、今の仕事以上に相場で稼ぎたい。そんな都合の良いことを考えてきたわけです。そんな自分に気がつくことができたのはひとえに一目山人翁のおかげです。」
以上が頂戴したメールの一部抜粋(数箇所秘密厳守にしています)であるが、私自身、正直、澄み渡るような爽快感を頂戴した。この場を借りて、改めて感謝したい。
現在は、株式市場であろうが、外国為替市場であろうが、誰もが簡単に相場の世界に入ることが出来る世の中である。自宅に居ながらにしてほとんどタダ同然でしかも迅速に情報を手に出来、市場関係者のコメントをこれまた簡単に見たり聞いたり出来るのである。特に外国為替証拠金取引なるものは、ここ最近、個人に急速に普及してきたものであり、ほんの初心者の方もお客さんには多いと聞く。中には、外貨預金の延長線上で証拠金取引を考えている人もいると聞き、驚くと同時に心配になる。
本メールを下さった方は、ご自分の経歴を振り返り、学生時代から社会人時代も含めてのご苦労を謙虚に語って下さっている。そして、今現在は立派な経営者でいらっしゃるのも、全てご本人の努力の賜物であるという、普段忘れがちな大事な真実を再認識されている。まさにその通りで、相場にてお金を稼ごうと思えば、同じように努力し、日々研鑽する必要があるということを教えて下さっている。
通常の外貨証拠金取引は、自分の好きな通貨ペアを決めて、買うか、売るかだけのオペレーションであり、ある程度の資金があれば誰でも参加出来る。資格も必要なく、自宅のパソコンで簡単にマーケットに入っていけるのだ。そして、いきなり儲かってしまうことも往々にしてあるだけにある意味怖い。
プロのディーラーだから儲かるというものでもないと言う表現も聞くが、そもそも「プロのディーラー」というのが何を意味するのか、これが又問題だ。自己勘定のみでポジションをもってお金を稼ぐことを業務にしている「プロのディーラー」は極々少ない。ほとんどは、顧客から受けた玉を電子ブローキングにて「迅速に正確に処理」する能力が求められるのが一般的な「プロのディーラー」である。自分の相場観など二の次である。せいぜい数分先の動きを読む「カン」が要求されるというのが現実だろう。顧客担当ディーラーというのも、商品知識はあり、迅速に顧客の電話をとり、正確に処理する能力があるだけで、相場観はやはり二の次だ。むしろ、絶対に上がるとか、絶対に下がるとか、顧客に指南をするな、と言われているほどである。以上から、相場という「戦場」に挑んでいるのは、生身の個人投資家であり、ほんの一部の雇われ自己勘定ディーラーだけなのである。断っておくが、だから一般のディーラー、顧客担当ディーラーが劣っているとか言うつもりはない。職業としてどちらも専門性を要求される立派な職種であるのは事実だ。ここで取り上げているのは、あくまで「相場で稼ぐディーラー」のことである。
私自身、「ディーラー」になりたての頃は、自分で「天才」ではないかと思ったほどだ。直属のボスも高く評価してくれたのは事実だが、実はそこから辛いストーリーが始まる。自分で通貨を担当して顧客にプライスを提供しているうちはまだ良い。年次が上がって自分の目標とする予算金額が増加すると、必死で自己ポジションを張りにいった。そして何度も「憤死」した。夜通しマーケットに参加し続けても結果はプラスとは限らないのがこの世界だ。精神的、肉体的に疲労がピークに達しても、損益はマイナス方向にピークに達することもある。最悪だ。そこから何か手探り状態で藁をも掴む気持ちで色々な方法を考える。テクニカル手法というのはそのうちの一つだ。もちろん、自分ならではの方法論を確立すべく、日夜研鑽してきたつもりだ。それだけに、正直、この自分のホームページも心を込めて書いている。中途半端な相場に関するコラムなど書くと読者の方の時間の浪費になると思い、いつも自分を戒めている。
自分のことを余計に書き過ぎてしまったが、今回お便りを頂戴した方は、自分を客観的に振り返り反省するという、実に前向きな心構えの人だと思う。「一目均衡表理論」との出会いを一つのきっかけとしてこれから益々充実した人生を送っていかれることと確信する。心から応援したいと思う。(4月21日)
世界最大級の債券特化型運用会社であるピムコ社の日本法人、ピムコジャパンの社長である高野真氏がかつて外国為替投資に関して述べた発言(NIKKEI NET経済羅針盤)がある。フィックス・インカム・プロダクトである債券を中心とした運用のプロの為替に関する考えだけに非常に示唆に富んでいる。
「個人投資家へ国際分散投資の一環として投資信託購入を促すケースは多いとみられるが、このもっとも基本的な『為替をヘッジするか否か』という問題は、実際の投資信託販売の際に明確な方針をもって十分に説明されていないように思われる。おそらく為替のヘッジに関する問題において理論的かつ体系的な解釈がいまだ確立していないこと、また為替の説明そのものが個人投資家には複雑であること、などがその理由であろう。」
為替のヘッジに関して、理論的かつ体系的な解釈が確立していないと言うのだ。為替の売買を業とする為替トレーダーにとって、ある意味非常にショッキングな発言である。そして、何と、米国ですら、年金運用の為替ヘッジに関しては議論にならなかったと以下のように続ける。
「実は資産運用のプロの世界である年金運用でさえも、為替の取り扱いが議論されはじめたのはここ数年のことであるし、資産運用の先進国である米国においてすら、為替のヘッジは議論の中心にもならなかった。実際、米国年金でも外国株・外債投資はヘッジ無しが原則であるし、投資信託でも為替ヘッジを行うファンドは皆無である。」
そして、為替投資のことを以下のごとく「ゼロサムゲーム」と結論づける。まともな運用担当者はまさかゼロサムゲームに首を突っ込んで収益拡大を目指そうとは考えないだろうといった風だ。
「そもそも為替投資とは、運用の観点から見た場合にはどのように整理されるのだろうか?まず言えるのは、為替投資による収益は、通常の証券投資における配当・金利収入などのように定期的に収益を生み出す資産と異なり、全体としてみれば付加価値を生まない『ゼロサムゲーム』である点である。つまり為替投資自体は本来、期待収益ゼロの一方でリスクをもつため、単純に考えれば効率的な投資とはいえない。」
このように「効率的な投資とは言えない」とまで言い切るのだ。思い出してみると、1980年台後半から90年台前半にかけては日本の生保など機関投資家は「為替投資」というか「為替ディーリング」を大量に行っていた。私自身、91年頃、邦銀東京本店にてドル円チーフディーラーを担当しており、彼らの巨額の玉を処理していた記憶がある。まさに世界中で「ザ・セイホ」で通用した時期である。その後、直物キャッシュを通じた為替ディーリングは下火となり、彼ら機関投資家も為替ヘッジは主にオプションに頼るようになる。そして自己勘定によるトレーディングのボリュームは激減するのだ。
そもそも、一般世間においても、円相場に対する見方は真二つに分かれていると言ってもよい。即ち、1ドル=100円割れは時間の問題であり、いずれ70−80円になるとか、いずれ1ドル=150-60円であるとかいった相場観の氾濫である。個人が勝手に「趣味の世界」で長期の相場予想をする上で弊害はないが、堂々と大胆な相場予想をして世の関心を引こうとしているとしか思えない「識者、専門家」が多いのも実情だ。
やはり我々(勝手に呼ばせて頂きます)はしっかりとしたリスク管理の下、収益を少しずつ積み上げるスタンスを守るのが成功への近道だと思うのだ。昔から為替で大損を出して事件になったケースのほとんどは実は長期相場観は正しかったけれど、短期間に大量のポジションを造り、損切りが出来なり、結果憤死したわけだ。一般個人投資家でも、1年間かけて稼いだ収益を一日で失うこともあり得るだけに、くれぐれも注意したい。(5月10日)
7月14日に「だいまん、ケイトの為替で大儲け」という為替ラジオという番組に出て色々と話してきましたので、その時のエッセンス(話せなかったことも含めて)をここに一部まとめてみました。
1. 為替に携わるようになったきっかけや経歴および現在の仕事の内容等。
まさに幾つもの「偶然の一致」が重なった結果、今の自分が存在している。
大学1年の時にたまたま顔を出したクラブ活動に、銀行に就職決定していたある先輩がたまたま活動に参加していて、たまたま同じグループにて1時間程度のたった一度の出会いをする。ところが、4年後の就職シーズンになってその先輩が同じ銀行に就職しないかと勧誘してきた。そもそも、当初から銀行に就職するつもりはなく、日本の誇る「世界一の自動車メーカー」に入社内定していたところへ、その先輩が強引に誘ってきたわけだ。結果、その先輩に説得されて、土壇場でメーカーから銀行に鞍替えすることに。しかし、悲しいことに、その先輩は私が銀行に入ってすぐに亡くなってしまった。
1984年に実需原則撤廃という法改正があった年に、銀行内で、ディーラー養成研修なるものに送り込まれた。何十人もの中で結局自分はディーラー予備軍に選ばれた。そして、幸運なことにニューヨーク支店赴任。実は、私自身、その1年前に銀行内研修制度にてブラジル留学を経験、中南米向けシンジケートローンに憧れていた。当時の国際資金為替部長は元ブラジル勤務経験があった上、大学時代同期の友人が、たまたま同じ銀行に入っていて、その彼がたまたま配属された支店の支店長がその部長であった。しかも、友人の結婚式の司会を務めたことで、結婚式の打ち合わせ等で、支店長と面識を持つ機会に恵まれた。ニューヨーク支店は業務上中南米に関係が深く、資金や為替の研修を経て、中南米向けの仕事をする可能性もあった気がする。
ニューヨーク支店のディーリングルームのヘッドが市場でも名うての一流のディーラーで通っており、行内でも特にその厳しい指導で有名な方であった。その彼に多大な影響を受けたこと、そして、3ヶ月目にクビになるところが、どういうわけか評価されて生き残った。それからは当初の夢であった中南米向け業務に触れるどころか、中南米への出張すら経験せず、ディーラーを続けることとなる。為替以外では、世界一激しいと言われた債券のディーリングも経験した。
ニューヨーク支店時代は、チャーリー中山氏、渋沢稔氏をはじめ、多くの一流ディーラーと交流を深めることが出来た。特に、ニューヨークの最後の1年は中山氏の玉をほとんど毎日のように処理していた。
東京本部に戻ってからは、ドル円やドルマルクのチーフを2年ほど務めた。その後、悩んだ末、縁があって、米系の銀行(シティバンク)に移籍することになる。移籍した理由は、もう海外には行きたくなかったこと。ディーラーを天職と思い始めていたので、とにかく続けたかったこと。何といっても、この仕事が「好きであった」こと。又、ディーラー界で知り合った多くの友人は自分にとって宝であり、彼らとの出会い、つながりを大切にし続けたいというのも、「生涯一現役ディーラー」を望んだ理由であった。
その後は、幾つかの銀行を経て、現在も、債券、資金、為替を統括している。今の銀行では、債券投資が中心で、クレジット物、即ち社債投資を中心に運用している。大好きな為替よりは金利、クレジットに、より密接に関わっている。
2. HPを始めたきっかけやHPをやっていることに関して。
「心の部屋」を作るのが最大の目的だった。自分が今までの人生で経験したこと、学んだことを記録にしたかった。そして、人生哲学のようなものを書きたかった。特に、今生きている目的はなんだろうか、また、どうしたら、充実した人生を送れるか、とかいった命題をテーマに書いている。
現在の仕事が債券、金利中心なので、今まで最も多くの期間携わった、外国為替のことに触れることが、ホームページを作ったのが第2の目的。
「心の部屋」については、特に、過去つらい経験を踏まえて、仏教に足を踏み入れたこと、その後は、成功哲学に関心を向け、人生如何に生きるべきかをテーマにしている。それらはディーリングにもつながっていると認識している。
3. 個人の為替証拠金取引をプロとしてどう思うか、また個人へのアドバイスは。
すでに数多くの先輩ディーラーの方達が語られているので、ここで多くを語る必要もないが、基本的には、為替証拠金取引というものは、投資対象商品の中でも最も難しいものであるという認識が必要。
一部で外貨預金の延長であると思っている人がいるという驚きと、そういうものだと思わせて営業をしている一部取引会社が存在するという恐ろしさ。金融庁がこの7月から統制に乗り出したので、次第に改善されるとは思われる。
自分のスタイルを確立すること。幾らの資金量で始めるのか?収益目標は幾らか?幾らまで損出来るか?参加しようとしている通貨ペアの変動率はどの程度か?これらを決めると、事前に自分が持てるポジションが幾らぐらいかの検討がつく。
短期トレーディング、それこそ日計りをやるのか、中長期のポジションを張ってじっくりとやるのか、自分のスタイルを決めるのが大事。最初のうちはあまり中長期の相場観に拘らないほうが良いだろう。何故なら、アゲンストにいった時にどうしても、自分のポジションがかわいいものだから、ロスカット出来なくなってしまう。損切りは柔道の受身と同じで、受身を覚えずに柔道をやると怪我をするように、損切りを覚えないと大損をすることになる。
小さな金額で懐に余裕を持ってやること。心をいつも落ち着けて相場を見れる状態にしておくこと。
為替は、最も投機性が高いということ。もし、理屈だけで儲かるのなら、世のエコノミストの言うとおりにやっておけば儲かる。実際はそうではない。それでは、テクニカルにやれば儲かるかというと、それもそう単純なものではない。いかに、マネーマネージメントを行うかという点に尽きる。
米国のヘッジファンドのマネージャー養成講座にて教えられる内容の中で有益な幾つかの指針のエッセンス内容を、要約してみると、
ファンドマネージャーとして成功する要件とは
1)Strategy and market view
いわゆる相場観であり、市場に対する自分の見方である。
2)Tactics
何を、幾らで、いつ買うか、売るか、まさに戦術である。
3)Money management
ポジションを持った後の、ポジション管理、リスク管理である。
(1)が必要なのは、市場に参加する上で当たり前の前提条件であるが、特に(3)が出来るかどうかが、ファンドマネージャーとして、成功するかどうか最重要要件だと言える。ちなみに、(2)は一目山人翁が突き詰めた最大のテーマであった。そういう意味で、(2)は(3)と合い通じるものがある。
そして、(3)の出来、不出来が「Probability of Ruin」(破滅の可能性)を決定すると言われている。さらに、例えば、50人養成研修に参加して、2,3人がプロとして自立出来れば上出来、とも聞く。相場観を持つことは誰でも出来るわけだが、要するに、相場で成功するかどうかは、相場観そのものは比重としては大きくないということだ。もちろん、相場に対するセンスなるものがあれば強い味方であるが、要は、如何に収益の出ているポジションをキープするか、そして損失を抑えるかが、「キャリアプロフィット」を極大化する要点と言えよう。
4. 今までディーリングをやってきて記憶に残るエピソードは。
基本的には大きくやられたことが脳裏に残っている。ポジションテイカーではなく、プライスをクォートするボードディーラーをやっていると、指標発表直後など突発的な動きがあると、血の気が引くほどの恐怖感を味わう。最近でこそ、銀行が互いにプライスを出し合って打ち合うインターバンク取引は減っているが、昔は流動性の供給は大手銀行の「責務」とも言うほどの責任感を持って市場に挑んでいたもの。その結果、市場が大荒れの時などは、銀行や、お客さんにレートをヒットされて大きくポジションを持っていかれることもしょっちゅうであった。ポジションを持っていて、市場にプライスが消えるという経験を何度もしたので、原体験というか、その時の「恐怖感」というのが「トラウマ」のように残っている。
大体、損する時というのは、自ら持ったポジションではなく、持たされたポジションでということが大半であった。まさに命を削っているという感じだった。為替は見た目には派手なポストで、一見、人気はあったと思われるが、資金や債券を担当しているディーラーが、好き好んで為替ディーラーになりたいというケースは少なかった。
ニューヨーク時代に調子に乗ってポジションを大きく張った時に、「大やられ」したこと。たまたまその月は調子が良くて、月末に近いある日に為替チームで朝から意気込んでポジションを増やして始めたところ、突発的なニュースが出て、とんでもないアゲンストに。ボスが出張中で、あとでこっぴどく叱られた。気が大きくなり過ぎたり、緩んだりすることが如何に危険であるかを実体験した。
1995年4月19日の円史上最高値をつけた瞬間、ドル円ディーラー。マルク円の史上最低値をつけた4月10日にもマルク円ディーラー。いずれも、大荒れのマーケットでディーリングデスクが超多忙になり、チーフであった私が自らボードにつき、プライスクォートを行ったこと。
(7月16日)
最近は世の中で個人投資家による外貨証拠金取引が盛況と聞きます。考えてみれば、私の昔からの友人も多くが外貨証拠金取引業界に転じています。そういった友人から教えて頂いたことですが、昨年来、特に9月以降に外貨証拠金にて多くの個人投資家が収益を上げておられるとのこと。例えば、数十万円の元手から数百万円以上に増やされた方も多いということです。そして、「なんだ、為替なんて簡単じゃないか」と思われた投資家も多いと聞くにつけ、個人的にはちょっと危険な状況に入ったのではないかと危惧する次第であります。
確かに、ここ最近は、一方向に相場が動く、はっきり言うと円安トレンドが明確に動いた時期でもありました。ドル円相場で言うと、昨年9月から12月にかけて110円程度から120円越えまでたった3ヶ月でほぼ調整なしで上昇したわけです。他の通貨に対しても円安トレンドが定着した時期であり、日本の個人投資家が手持ちの円の投資先として外貨を購入した結果、大幅に収益を得たものと思われます。
加えて、例えば日米等の金利差が材料視され、手持ちの円をドルに交換して持っているだけで、金利差による収入を得ることが可能となり、キャピタルゲインに加えた利息収入も容易に享受出来たわけです。確かに、ヘッジファンド等世界の投資家が金利差を相場材料に円売りを仕掛けたことは事実です。そして、その円安トレンドに乗って外貨に対して円売りポジションを持って収益チャンスを狙ったこと自体は正解であったと思います。逆に言うと、3ヶ月で10円もドル円相場が上昇した中でその投資チャンスを見逃すことはプロの投資家であれば絶対に許されないことでもあったわけです。
問題は、こういった目立った調整局面もなく、一方向に動くというある意味簡単な相場にて外国為替市場を甘く見るようになった個人投資家が増えたことではないかと思うのです。如何なる商品相場でも同じですが、継続的に収益を上げることは極めて限られた人だけであり、一方で、今まではそうは簡単に市場に参加出来なかったわけで、いわば参入障壁が高くて、ある意味個人投資家は守られていたわけです。
ところが、ここ数年で悪徳業者も含めて多くの外貨証拠金取引会社が雨後の竹の子の如く設立され、日本円の低金利も手伝って、加速度的に多くの個人投資家が参入していったことは事実です。そして、外貨証拠金取引を外貨預金の延長のようにPRする業者も多く、それを真に受けて善良な投資家が取引を始めたと言っても過言ではないでしょう。
そして、昨年末から年初にかけての円高局面にて多くの個人投資家が痛手を被ったわけです。外国為替相場の怖さを知る以前に、投資を始めるに当っての基本的なルール、特にロスカットの重要さをマスターせずに参加し続けたことの「つけ」は大きいと思います。しかも、頭では分かっていても、実際には実施するのが困難な損切りという基本中の基本のルールを無視して知らず知らずのうちに儲けが損失に変わってしまっていた個人投資家も多いのではないかと思います。
私自身、外国為替の世界に20年以上も携ってきただけに、この世界で生き残る困難さは過酷なまでに承知しております。どうぞ、出来るだけ多くの個人投資家の皆様が末永く外国為替相場と付き合ってくだされるよう、非力ながらサポート出来ればと改めて痛感した次第です。(1月14日)