一発台面白かったですね。当時一発台は、一般台を改造(釘調整)して、営業してました。
好きな台の1つですが、当時石岡に在った、パチンコリボOさん、知る人ぞしるコンドル(たしか)この台も平台(一般台)を改造して造られた台です。天穴下に扇状のヤクモノ、真ん中に1つの穴が、そこに入賞すると大当たりに、なり、約4千発、2.5円換金で1万円位に成った。うれしいですよね、
当時のアルバイトは、中卒で、4千円位でしたからね。打ち止めしても、同じ人が再開放出来たので、釘が良い台は、1日出っ放し、だから、凄かったですよ、まさにギャンブル場、不良な大人達の溜まり場でした。
朝から、熱気ムンムン、そんな中に内の母が、居ましたね。(笑)19歳の夏の頃、妻と付き合うようになり、小学、中学と同級生(友達)でした。
お互いに良いところ、悪いところ(自分だけ)知る中、パチンコを教えるようになり、彼女は、一般台で遊ぶように、(お金を使わないように)
そして結婚、娘が、(大きいお腹で)パチンコ、母と一緒に行くようになり、自分は、父の会社に入りました。
(高校卒業までは、アルバイト)パチンコもだんだん、時間が限られるようになり、ストレスが溜まるので、昼休み、夜遅くやるようになりました。
昼休みは、そんな短い時間でと思いでしょうが、これがなかなか、仕事が建築関係なので、現場が多く、かならずパチンコ店がそばにありました。
昼ゴハンを慌てて食べて、デジパチや一発台に、50分位の時間でも、1回当たれば1日分の稼ぎが、大きかったですね。負ける時も、5千円位、何の為に働いたか、分からなくなる時も、完全にパチンコ依存症でしたね。
当時パチプロに成れるのは、特殊な人だけかと思い、パチプロの道へは、行けなかったです。(これで良かったかな?)保留連チャン機もこの頃だと思います。
マージャン物語、花鳥風月、そして、綱取り物語、春夏秋冬、いろいろその他、勝手も、負けても、楽しい時代でした。釘などは、全然分からなく、遊びのパチンコでした。
パチスロもこの頃だとおもいます。当時はパチスロも種類が無くお客さんもマバラでした。一番最初にパチスロ打ったのは、ニューグランOで、隣にプレハブ小屋みたいな所で、台も30台位です。
それでも、珍しかったのでみんな、行きました。新装開店、夜6時、店内は、何の飾りもなく、証明も薄暗く、変な気分でした。
パチンコ店=賑やかなイメージだっつたので、ビックリ!店員も1人、そしてやり方が分からず、スタートです。1枚ずつ入れていたので、何も揃いません、みんなでブーイングの嵐、すると店員が、3枚入れてのこと、するとだんだん揃い始めて、(その頃は千円で100枚の位コイン)面白くなり、ビッグゲームのやり方を教えてもらい、当時は、ビッグかバケかは、分からない仕組みでした。
BARと子役しかなかったから、いったん揃うと、JACゲームに入り、打ち止めまで続けば、ビッグ、途中で終われば、バケそんな感じなので、また客からブーイング、店員さん、変な汗をかいていました。(笑)
そして最高なのが、コイン換金です。打ち止めすると、1回交換なのですが、1万7千円位あったのです。
何枚交換か知りません。
まだパチスロの規定が、無かったのか、知りませんが、初日は、どの台も、爆発しました。次の日また行き、儲けようと(みんな、おバカ)一杯です。
そしてビッグ終了、換金して見ると、9千円しか、オカシイと店員に駆け寄ると、一言、昨日の調節がおかしかったので、直しましたの事。
また、ビックリ。それでも儲かったので、あまり文句を言う人が居なくなり、2日目終了。3日目も、もちろん行きました。
すると、こんどは、換金して見ると、7千円、何これ!お客の1人」が、店員とケンカを始めました。そして店長らしき人と店の外に、しばらくして、何事も無かったように、帰って来ました。
お客は、怒りながら、帰りました。(何があったのか気になる)そしてだんだん、お客は居なくなり、プレハブ小屋は、物置小屋に。
パチスロは、1,5号機位まではやりました。
パチスロは疲れる。パチスロは、昼休みには、最高でした。
お客もそんなに居なかったので、端から立ったまま、打つことが出来たのです。
パルサーXXリーチ目を覚えてから(攻略誌)千円のコインを持って立ち打ち、3ゲーム位1台、1台やり、リーチ目が入ると、かなり美味しい思いしました。
トロピカーナ、アメリカーナ、アニマルあたりが、最後でした。そして連チャン機が全盛の時代に攻略軍団の噂がチラホラと、凄かったらしいですね。
あんなに儲かるなら、みんな仕事なんか止めてしまうでしょう。でも誰もが出来るわけでは、ないですね。
そんな中、CR機時代に突入して金銭感覚がマヒ状態に、当時は、1日1万円位あれば遊べることが、できました。
少ない金額で、羽根物打ち、儲けてから、デジパチ、一発台へと、向かうスタイルでした。自分が、通っていたお店には、花満が無く、黄門チャマ、源さん、(49回、35箱経験有り)その他マイナー機が、あり最初は、手が出せなかったです。
何故なら、デジパチや、権利物、一般台で十分遊べていたからです。噂ではCR機は、当たりが、深い分連チャンするらしいと?怖い噂に手がでませんでした。
そして規制の関係で連チャン機撤廃の噂が流れ、仕方なくCR機を打つようになり、ハマッテいきました。
妻が、亡くなる前は、CR冒険島で一緒に遊びました。これが妻との最後の思い出です。(1999年)、連チャン機撤廃で、それ以上の連チャン機、どう言うことだ!(わからない)ちょうど、この頃パチンコ台が欲しくて、買えなかった事もあり、自分でベニヤ板と釘を仕事場から持って帰り、釘に初めて興味を持ちました。
釘を打ちつけたベニヤ板を15度位傾け、パチンコ玉を転がすと、いろいろな動きが、面白かったですよ。(一度試して)そうして、攻略雑誌を見ながら、釘覚えを勉強し始めたのです。
当時は、ヘソ位ですね。権利物は、入賞口を見れたのが、良かった時もあり、こずかいも、良く妻に没収されました。(何で、こんなに持ってるの?)
いろいろな、攻略法や、オカルトな、、噂が在るみたいですが?現在では、自分は信用していません。(勝手なこと)過去に、ヒドイ目に会う。 |