薄いカーテンが掛かる窓辺。
深き夜と結界に閉ざされたこの館の、柔らかに灯された薔薇の明かりの下で。
受け取ったばかりの手紙を、繰り返し読む、女の姿があった。
知らずに潤む瞳に、気付かないまま。
その眼差しは、二つの異なる筆跡の間で揺れていた。

「お母さま」

幼い少女が、とてとてと走ってきた。
まだ、赤子の域を少し出るか出ないかの小さな体。
危なっかしい足取りの先には、大好きな母がいて。
手紙をサイドテーブルに置いて両腕を開くと、小さな羽根を羽ばたかせて抱き付き、女の膝に座る。

「何を読んでいらっしゃったの?」
「……お手紙ですよ」

我が子の柔らかい髪を撫でながらも、答える瞳はどこかぼんやりとして。
遠く遠く、美しい日々を思い返すような。

「ふ〜ん」
幼子は、常とは違う母の姿に、首を傾げた。
「お母さま、そのお手紙の方のことが好きだったのね?」
「ええ、勿論。今でも大好きです」
女がにっこりと微笑むと、少女は嬉しそうに手を叩く。
「じゃあ、昔のロマンスなのね! 三角関係ね! 浮気者だわ!!」
「……どこでそんな言葉を覚えてくるんですか…」

女は、やれやれ、と向かい合わせだった少女の体の向きを変え、もう一度手紙を開いた。
やや釣り目気味の大きな瞳をキラキラ輝かせて、彼女は手紙を覗き込む。

「あ、これは妖魔のお国の印だわ!…で、ええとこっちは…」
興奮して足をバタバタさせる我が子に苦笑してから、女は答える。
「…神様です」
「へ? 神さま???」
少女は、ぽかーんと口を開き。
にこにこと微笑む母の顔と、手紙を見比べ、やがてポツリと呟く。
「お母さまって、神さまの情婦だったんだ……」
「……だから、どこでそんな言葉を覚えて来るんです?」

溜息を吐くと、小さく胸が痛んだ。

永く、永く、会っていない人々。
長い時間の果てに、届いたことが奇跡のような手紙たち。
女は胸に手を当てる。昔、伝えられなかったことば。

ごめんなさいと。
大好きだと。

消え行く自分の言霊が、今もここに残っている。

「あの時は…もう二度と会えないと思っていましたから……」

少女はきょとんとした目で、母親を見つめ、やがてにこっと笑った。
「じゃあ、会いにいらっしゃればいいわ?」
「会いに…ですか……」
あれから、あまりに長い時間が経っているのだけど。
この手紙が書かれたのが、どのくらい前かも解らない。でも……。

「そうですね…」
女はゆっくり頷く。




あの方の好きな、甘いお菓子を沢山作って。
あの方が喜びそうな、珍しいお茶も用意して。

いつか。
会いに行こう。

幼い我が子の手を引き、
……何か書いてあったけれど…旦那様も誘ってしまおうかしら。

そして。
あの懐かしい風に包まれて。
もう一度、皆で………。