いつものように、リドルが遊びに行こうとすると、穏かな笑みを浮べた母親に呼び止められた。 「今日は定期健診にドクターがいらっしゃるから、早く帰って来て下さいね?」 「えええ〜〜〜!」 リドルは、大げさなほど不満そうな顔をする。 「どうしてドクターのことをお嫌いになるんですの、リドルさま?」 ケティがしっぽを揺らめかせて、リドルに聞く。 「嫌いなんじゃなくて……ただ、ほらちょっと苦手なだけよ」 リドルは眉を顰める。 「ふふふ、戻ってきたらお茶にプラムケーキを出しましょうね」 リドルの母親は、にっこり笑うと、また揺り椅子に座って縫い物を始めた。 夕方近くなってリドルが屋敷に帰って来ると、中庭で微かな笑い声が聞こえた。 大きなチェリーブロッサムの下に置いた、白いティーテーブルを囲んで、リドルの母親ともう一人が談笑 している。 近付くと、柔らかなブルーグレイの髪の女性が、リドルの母親の髪……耳の横から胸元に掛けて一筋 だけ垂らした黒髪に手を伸ばした所だった。 「フラウの髪はいつも綺麗ね。まるで黒曜石みたいにつやつやして」 「ありがとうございます。小さい頃はあまり好きじゃありませんでしたけど」 「あらら。自分の容姿には自信を持たなきゃ駄目よ? サキュバスだったらやってられないわ」 ばさり、と大きな蝙蝠の翼が広がった。 彼女はリドルの主治医、ドクター・シシリィ。彼女は吸精魔(サキュバス)で、一般的にリドルの母親の種族であるヴァンパイアと同じ夜魔に 分類される。 そのせいか、二人は妙に仲がいい。 「お茶、私の分もある?」 リドルとケティがテーブルに駆け寄ると、二人はそろって振り向いた。 「お帰りなさい、リドル」 「あらら。お転婆姫のお帰りね」 シシリィはわざと目を丸くして見せる。 「ごきげんよう、ドクター・シシリィ」 リドルは心の中でむっとしながら、ちょん、とドレスの裾を摘んで会釈する。これでも礼儀作法はちゃんと仕込まれているのだ。 「はい、良く出来ました〜。大丈夫、ちゃんとプラムケーキは残してあってよ?」 ドクターのからかうような紫水晶(アメジスト)の瞳から視線を逸らし、リドルは白い椅子に飛び乗った。足元では、 リドルの母親が、ケティにミルクを注いでやっている。 美味しいプラムケーキ(どうしてスモモが入っていないのに、プラムケーキって言うのかしら?)や、 クロッテッドクリームと黒スグリのジャムをたっぷり付けたスコーンを、花びらのような口に頬張りながら、 リドルは健診を思い密かに溜息を吐いた。 「うふふふふ。さぁ、服をお脱ぎなさい」 「……その言い方厭だわ。大体、どうしてレディの肌を他人に見せなければいけないの?」 「女同士、別に減るもんじゃないからいいじゃない」 ふぅ、と耳に息を吹きかけたシシリィを、リドルはキッと睨む。 「私、知ってるわ」 「何を?」 「サキュバスって、インキュバスにもなれるんでしょ? だからドクターは女じゃなくて両性体なのよね」 「あら〜。ちゃんとお勉強してて偉いわね」 ドクターはとても楽しそうに笑う。 「さぁ、脱がしてあげるから大人しくして。ほら万歳!」 「う、うう……」 リドルの抵抗を体よく収めて、シシリィは手際よく小さなくるみボタンや、アンダーウェストの白いリボンなどを外していく。 やがて、リドルは繊細なレースが施された可愛らしいキャミソールに、ふわふわ膨らんだお揃いのドロワーズと三段ティアードのペティコートいう 姿で部屋の真ん中に立たされ。 あっちを突付かれたり、こっちを計られたりして、最後にはすっかり疲れてしまった。 「はい、今回の定期健診はこれでおしまい!」 シシリィは、持っていた古めかしい医者のカバンをパチン、と閉じた。 「身長、体重ともに増加。成長スピードは遅いけれど異常なし。あとは、虫歯とお菓子の食べすぎに 注意ってとこかしらね」 「あたりまえだわ」 服のボタンを留めながら、リドルはぶつぶつ呟いた。 「この私に、異常なんかある筈が無いわよ。」 「あら」 シシリィは艶っぽい笑みを見せた。 「貴女は、ちょっと不思議な状況で生まれたし、魔界以外の所で育てられているでしょ。それがどうしてか解ってる?ん??」 と、リドルの鼻の頭を突付く。 「知ってるわ」 リドルは、ツン、と唇を尖らせた。 「お母さまはお父さまの眷属でヴァンパイア。二人とも子供を作る能力なんてない筈なのよね。」 「それならどうして貴女は生まれてきたのかしら?」 「あら?肝心なものを忘れているわ、みんな」 リドルはドレスを着終わると髪を整え、薔薇のような笑顔を見せた。 「私の意志よ」 シシリィは目を丸く開き、それからちょっと眩しそうに細めた。 ”はっきり言って、前例が多くないからどうなるか解らないのよ” ”生まれて来るのは死人かもしれないし、化け物かもしれない” ”人の形をしているかさえ怪しい” ”産むなとは言わないわ。でも、医者として忠告させて貰うなら、これは危険な賭けよ?” それは遠い…遠い昔の彼女の声。 ”解っています” ”だからこそ、こんなこともう二度とないかもしれない。奇跡のような小さな謎(リドル)……” ”ええ、私はこの賭けに乗ってみようと思っているんです。生きて、この子と共に生きるために” ”大丈夫、ギャンブルは強いんですよ?こう見えて” そして、目の前にいる少女と同じ髪の色をした、女性の笑顔。 戸惑いや恐れや覚悟より、ただただ喜びに溢れていた。ちょっと妬ましいほどに。 「もう、笑ったでしょう、今?」 リドルがむぅ、と頬を膨らます。 「ふふふ。ああ、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど」 この調子なら何があっても大丈夫ね、とドクター・シシリィは笑った。 そう、この静かなお屋敷……大きな魔力によって、世界と空間の狭間に作られた 居心地のいい箱庭……からいつか巣立つ日が来るとしても。 リドルがぐったりしながら居間に入ると、ケティがみぃ、と鳴きながら駆け寄って来た。 「リドルさま、検査は如何でしたの?」 「……すっごく疲れたわ」 「そうではなくて…ああ、そういえば……」 ん?とリドルが首を傾げた。薄いカーテンの裾が、ふわふわとなびいている。 ちょん、とカーテンをひっぱると、半分開いた窓の向うにシルエットが二つ浮び上がった。 「……わたくしの行いは、貴女を傷付けるかもしれない。けれど、この不実な舌先が甘言を紡いても……心は貴女のものです」 「はい…信じておりますから……」 心地よい静かな声が、月光に照らされた中庭に響く。その相手を見つめる母親の穏かな眼差しも、 月の光に僅かに潤んでいた。 「あら。お父さまがお帰りだったのね」 恋人のように寄り添う二人を見て、リドルは目をパチパチさせる。足元のケティがにゃあ、と返事を返す。 「…………。 でもこれは、邪魔しない方がいいんじゃないかしら…」 しかし、その時には、二人ともリドルに気付いたらしく振り返った。背の高い方が優しく微笑むと、両手を広げてみせる。 リドルは嬉しそうに笑って、その腕の中に飛び込んだ。 |