+六月の花嫁+


「……おや」

野草を集めに、森に来ていたエルスは、頬に当った冷たい雫に顔を上げた。
空には相変らず美しく月が輝いているというのに、その雫は数を増し。
突然の雨を避けるために、手近な木陰に入る。

ふいに、シャン、と森の奥から小さな鈴の音が響いた。

エルスがそっとそちらを覗くと、木の間に付けられた細い道から、一頭の白い馬が現れた。
その足に小さな鈴が結び付けられていて、シャンシャンといい音色を立てる。

馬の後には、美しく着飾った少女たちが通り。またその後に数頭の白い馬が歩いてくる。
一体、どこから来たのかと思うほど、立派な行列だった。
その真ん中の、一際瀟洒な飾りを付けた馬には、白いドレスを来た女性が乗っている。
女性は薄紅の花束を持ち、手足にも瑠璃を鏤めていた。

ふと、一陣の風が通り過ぎた。

「あ……」
女性が頭に被っていた、薄いベールがふわりと靡き舞う。

エルスは思わず手を伸ばした。
彼女の頭から飛ばされたベールが、その手にヒラヒラと落ちてきた。

「何者ぞ」
ベールを受け止めたエルスが近付くと、行列は立ち止まり、彼女を強く誰何した。
「…通りがかりのものですが」
「無礼な。勝手に我等を見た者には、罰を与えねばならぬ」
美しい少女たちは、見た目に反する鋭い声で言う。

「お待ちなさい。わたくしのベールを拾って下さったのですわ」

涼やかな声が響く。白いドレスを来た女性が、馬から下りて会釈した。
「失礼をお許し下さい。けれど、我等の婚礼は、関係なき者に見られてはならぬのです」
「然様でしたか…知らなかったこととはいえ、ご無礼を」
エルスがベールを渡すと、その指先を見て花嫁はにこりと微笑む。
「見たところ、音楽を嗜む方のようですが…わたくしのために、一曲弾いてはいただけませぬか?」
「私で良ければ喜んで」
エルスは深くお辞儀をする。楽を奉じさせることで、彼女が自分を助けようとしていることがよく判った。
花嫁が合図すると、後に控えていた少女の一人が、水晶で飾られた竪琴をエルスに差し出した。
エルスはそれを受け取ると、軽くつま弾いてみた。
「これは……」
エルスは、小さく微笑み、姿勢を正す。

「では、お輿入れを祝しましょう…」
森に、ゆっくりと静かな曲が流れ出した。
それは、風が囁く子守唄のように、優しく木々に、大地に、染みた。

「よき楽をありがとう」
音色に耳を澄ませていた花嫁は、演奏が終わるとエルスの手を取った。
「これは、わたくしからのお礼。貴方も、幸せな花嫁となりますよう」
ひんやりした白い手を引くと、そこに薄紅の花が、一つだけ、残されていた。

「……花嫁?」
「あら、貴方には想い人はいらっしゃらないの?」
花嫁が悪戯っぽく微笑む。
「いえ……」
と、エルスは慌てて首を振った。

想い人は確かにいる。一生傍に添うと決めた人。

けれど、肝心の相手の気持ちは……。
言葉は誰よりも沢山時間を掛けて貰った。指輪も交わしている。
それでも、本当に彼が自分を欲しいと思ってくれているのか、こんな私を愛しいと思っているのか、よく判らない。
もし、少しでも自分を傍に置きたいと思ってくれるのならば、他に何人恋人がいても構わない。一生幸せだと、胸を張って言えるのだが。

(……もしかして、あの方にも判っていないのではないかしら…私をどうしたいのか…)

エルスの沈黙をどう受け取ったのか、花嫁はクスクス笑いかけて、ベールを被る。

「貴方が花嫁になる時は、わたくしが祝福しますわ。覚えていてね?」


ザアッと雨の音が通り過ぎた。
エルスは、月夜の森に一人、立っていた。その手に、一輪の花を持って。
「ジューン・ブライド、どうかお幸せに」

遠くで、シャラン、と鈴が鳴った。