再会
再会は、小さな街で。 雪の降る夜のこと。 大きな鳥の羽ばたくような音に、エルスは静かな瞳で空を見上げた。 こんな夜遅く、しかも雪の日に鳥が? はたして、そこにいたのは一人の有翼種。 長い銀髪を束ねた、絹の糸のような輝きを風に靡かせ。 ひたと見つめる瞳は青く、悠久の空のよう。 染み一つない白い服は、地上のどんなものよりも眩しい。 しかし、その背には翼が一つしかなかった。 「やっと見つけた」 片羽の天使は、エルスにだけ聞える声でそう言った。 「…あなたは?」 再会は、しかしエルスにとっては初会も同然で。 「僕はツァドキエル。 君は、地上(ここ)に居てはいけない。君の存在が周囲の人の運命を歪ませる。 精密な機械に落とされた、一粒の砂のように。 君は本来、ここに居る筈の人間ではないんだ。だから、君が近付くだけで、そこに居るだけで、相手を狂わせてしまう」 突然の宣言は、彼女に『この世界の全てのものに近付くな』と言うも同然だった。 「そして、エルスお姉さまはなんて仰ったのですか?」 黒髪を垂らした、瞳の大きな少女が聞き返した。 彼女の名前はシアという。 ツァドキエルは、シアの隣に座り、食後のお茶を淹れているところだった。 「エルスは、小さく笑ったよ。そして『知っています』と答えた」 「…だけど、過去にどんな傷を負ったとしても。大きな悲しみがあったとしても。 人は誰かを愛さずに生きていけるものでしょうか?」 シアは、美しい青の瞳に、微かに憂いを浮かべた。 「僕には判らないことだね。人間じゃないから」 ツァドキエルの言葉に、シアは首をかしげた。 「…天使は誰かを愛さないの?」 「愛するよ。天上と地上の全てのものを」 それが役割だから、と彼は言う。 「ううん、そうじゃなくて…。たった一人の人に恋したりはしないのですか…?」 「それは出来ないんだよ」 ツァドキエルは笑う。しないのではなくて、出来ないのだと。 天使は恋愛感情を頂いてはいけない。唯一絶対の神よりも、大切なものが居てはいけない…。 それは天界に定められた不文律。 「ツァドキエルも?」 「…僕も天使だからね」 シアは酷く哀しそうな顔になる。 いつものんびりとして。 全てに惚けたような態度を取って。 それでいて、ツァドキエルは常に天界からの追っ手を警戒していることをシアは知っている。 夜昼構わず一睡もせず傍に居て、その暇を潰すために縫い物をしていることも。 それが、自分を守るためだと言う事も。 本当は。 もう、自分のことなど放っておいて欲しいと叫びたい。 神様のために自分が生贄になるのは、別に厭じゃないし。 そのせいでツァドキエルまで天界に追われてしまうのは、あまりにも申し訳ない。 だけど、それがエルスとの約束だよ、とツァドキエルは言うのだ。 それなら天界の理になど縛られなければいいのに。 心を許せるただ一人の人を見つけて自分も幸せになればいいのに。 彼は、それでもどうしようもなく天使なのだ。 「せめて、傍に居てぐっすりと眠れる人がいるといいのに…」 ツァドはあまりにも眠らないから、心配になります、と、シアの零した言葉に、ツァドキエルは少しだけ眉を上げた。 「……。小さかったエリューシアも大人になったものだね」 「な、なんですか、急に」 くしゃくしゃと髪を撫でられて、シアは何か誤魔化されている気がした。 シアの髪を撫でながら、ツァドキエルは思い返した。 あの街で見つけた時、エルスはもうどうしようもないくらい、ボロボロになっていた。 泣くことのできない、大きな眼。 血の気の失せた、白灰色の肌。 氷りついたような表情が、色の変わった暗い瞳より、荒れた手足より、彼女を違うものにしている。 無理もない、ずっと自分が殺した人々の呪詛を内側から聞き続けたのだから。 心までカチカチに固まってしまっても。 だけど、それは仕方が無い。 沢山の人が、死んでしまった。彼女の行動のせいで。 その声を聞き続けることは、天使だって辛い。 だから、ツァドキエルはエルスに”かわいそう”とは言えなかった。 彼女も、それを望んでいなかった。 その痛みを……背負っていくことが彼女の罰ならば。 それを最後まで見守るのが自分の罰。 だから、まだ天界には戻れない。 ふと目を閉じて、”彼女”を思う。 …いつも”綺麗じゃない”ことに縛られていた人。 それは、容姿のことだけではなく、心のことだけでもなく。 存在自体が、醜いということなんだろう。 だけど、全てが完璧に綺麗な者なんて、本当にいるのだろうか? 僕は、そんなのは知らない。 ”綺麗”であることが、愛される資格だとしたら、 この世界に一つの愛もありはしない。 そういえば、以前、ジブリールにこう言われたことがある。 「どうしてガジュエルがあんなに貴方を追い回すか判る?」と。 「性格の不一致」 ツァドキエルが即答すると、ジブリールはそうね…と首をかしげた。 「それもあるかもしれないわね。でも、原因の一つは、貴方の髪の色よ」 「髪〜?」 ツァドキエルは、結んでいた銀髪を前に回して、しげしげと眺める。 「そんなに変な色だったかな…?」 彼がそういうと、ジブリールはコロコロと鈴のような笑い声を立てたものだ。 「ガジュエルが好きな人と同じ色を持っている。だから貴方が気になるの」 そう、罪を犯すのは特別なことではなく、誰にでも起こりうることだ。 ツァドキエルは、半分閉じていた目を開いて、椅子から身を起こした。 「ツァド…?」 隣に座っていた、小さな黒髪の少女が瞳をぱちくりさせた。 「大丈夫、僕の心配をすることはないよ、シア。それより、神殿での自分の新しい生活を気にした方がいい」 ガタゴトと田舎道を進んだ馬車での旅もすでに数日に及ぶ。 明朝この宿を立ったらじきに、シアは遠い街の神殿で神官見習いとして勉強することになるだろう。 「そうですね…お兄様も心配していらっしゃいましたが、大丈夫、ちゃんとやっていけます」 「そうか…」 シアがお兄様と慕う魔術師の、困ったような顔を思い浮かべて、くすりと笑う。 窓からの風が、ツァドキエルの長い銀髪をふわりと揺らした。 |