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〜Petit Story act1 カタカタ、と少女の手の中の柄が震える。 申し訳程度の、小さなナイフ。 対峙するのは、元がどんな生き物かも判らぬような巨大な化け物。 多分、魔獣の森から連れて来られたのだろうが、体は様々なパーツを取り付けた継ぎ接ぎ、頭も弄られているらしく、知性の欠片も見られない。 狂っている。 少女は、憐憫に似た思いを抱いたが、それよりも今は自分の命の心配をした方が良さそうだった。 尖った牙は彼女の細い喉など簡単に引き裂くだろうし、周りもそれを望んでいる。 そう。 ここは、万魔殿の掃き溜め。 お偉い悪魔たちが、豪華で淫靡で廃退した宴を繰り広げているのに対し、万魔殿の瘴気に負けぬ位の魔力があるだけの下僕たちは、薄汚れた回廊の一郭で、博打や喧嘩に明け暮れていた。 か弱いインプの少女を捉えてきて、このキメラのような魔獣を嗾けるのも、彼らのちょっとした遊びと言う訳だ。 狂っている。 自分の命にちゃらちゃらとコインが回されているのを聞きながら、少女はまたそう思った。 汗で手のひらがぬる付いて来る。こんなナイフ、脅しにすらなりはしない。 「5分」 「ペット」 もう、冗談じゃない。なんてクダラナイ。 「くだらないわね。他所でやったらどう?」 少女は自分の思った通りの台詞を後ろに聞いた。この場所に不似合いなほど柔らかな、女性の声だった。 キメラのことすら忘れて振り返る。まず目に入ったのは、長い長い銀色の糸。 そして、白い面(おもて)に凛と輝く二つの宝玉。 まるでむき出しの魂のような濃い金色。 「……げ、」 「…猊下…」 少女は、はっとした。 万魔殿でその敬称で呼ばれる女性を、彼女は一人しか知らない。 カタカタ、と手が先ほどとは違う意味で震える。 ルシフェルの魂の欠片を持つ、堕天使たちの女王。 「ルイ・サイファー…」 呟いた途端、手からナイフが落ちる。それがサイファの長い銀髪の幾筋かを切断して、床に突き刺さる。 「ひぃぃぃ…」 周りに集っていた魔族たちの一人から、そんな悲鳴が漏れた。インプの少女は、もう自分が跡形もなく消し飛ぶものと思って、ぎゅっと目を閉じた。 …数秒何事もなく。 気が付けばぐっと首筋を捕まれる感触があって、足が浮く。 思わず目を開けば、細腕に見合わぬ力で自分を宙吊りにしているサイファと目があった。 見つめられるだけで、痛いように突き刺さる――そう、地獄からはけして見えない太陽のような――あの金色の瞳が、間近に迫り。 視線すら反らせぬ、拷問のような時間の後に、少女の体は更にぐっと吊り上げられる。 「これは貰っていくわ」 「…で、でも猊下……!」 大量の金銭をやりとりしていた胴締めが、搾り出すような声を上げる。 サイファは優しいほどの笑みを浮かべて、彼を振り返った。 「私に何か言いたいことがあるか?」 それは、暗に自分の命を掛けて申告したいことがあるのかと聞いているのだった。強大な魔王たちすら恐れる地獄の盟主、ルシフェルの魂を持つ彼女に。 胴締めは数歩後ずさる。 巻き込まれるのを恐れた魔族たちは、すでに散り散りになろうとしていた。 「……い、いえ、ございません…」 「あらそう……?」 それ以上は時間の無駄だとばかりに、サイファは床を蹴った。 ふわりと六枚の翼が間近に広がり、少女は息をするのも忘れて見入った。 to be continued? |