―水鏡―


 静かに広がる水面(みなも)。銀色の月と夜の闇を映し。
 鏤められるのは、小さな星屑たち。無数に散ばる水晶の砂の様。
 …月光が呼ぶ。優しく冷たいその声音で。


 「………」
 水の中、ゆらゆらと膝を抱え揺らめいていた少女が目を開ける。
 「私を呼ぶの?」
 か細い声が、おずおずと水面に向けられる。
 「……私は、このまま消えた方がいいの。その方が、ずっと楽だから」
 少女の涙が、泡のように昇り小さな波紋を作った。
 「それでも、まだ私はいた方がいいの? 解らないの。解らない…」
 両手を瞳に当てて、少女は呟く。
 「誰か、教えて………」

 光が強く差し込み、少女は眩しげに手を翳した。



 声が聞こえる。
 いつでも、耳を澄ますとその声が。
 月の囁きのような言の葉が、私の標だった。
 遠くても、近くても。
 私は、その声に導かれていたのに。



   ゆるゆると、体が水面に引き上げられた。
 目の前に蒼い波紋が広がり、それが幾重にも重なって…エルスは瞳を開く。
 仄やかに花の香りが漂う部屋。自分にと宛がわれたその場所の、白い寝台の上。

 「あ……」

 エルスは何度も瞳を瞬き、小さく声を漏らした。
 自分がここに存在(い)るということが、酷く頼りないことのように思う。
 白い腕を天に差し伸べ…伸ばされた指を、違う物のように見つめる。
 ふいに息苦しさを感じた。伸ばしていた右手を、喉元に当てる。


 なにも…ない。


 十二歳の時にそこを切り裂かれてから、エルスは首に何かを付けるのが苦手だった。
 スカーフやチョーカーのような物はおろか、ペンダントさえも掛けることはない。
 それなのに、そこに何もないことが不安に思えてくる。
 夢の中で、とても大切なものを無くしたような気がする。

 大切で大切で…何にも代えがたいものなのに、
 自分のせいでそれを無くしてしまった…


 喉元から嗚咽がせり上がって、声にならない声が唇から零れる。
 必死で口を押さえた左手の薬指に、エルスは探していた物を見つけた。


 …………。


 ふっと涙が零れる。


 無くす筈がないのに、こんなに大切なものなのに。
 どうして無くしたと思ったのだろう。
 夢の中で……自分は何を迷っていたのだろう。
 私は………


 硬く冷たいその感触に、そっと口付ける。
 瞳に溢れる涙の中、それは水中の灯火のようにゆらゆらと煌いた。



 ずっと、貴方の傍にいたいと。
 ただそれだけの、我侭な願い。
 私の存在は、貴方の邪魔になるかもしれない。
 けれど、貴方がまだ、私が傍にいることを許してくれるなら。
 もう迷わない。この想いが、私の全てだから。





 ――繰り返し繰り返し、貴方に愛を唄う。
  私は溢れるほど幸せだと、
  いつか、伝えられたらいいのに。 
 








●ヴァンパイアキングダムのダグラス様に差し上げた、二つ目のお話です。
ダグラス様は、うちのエルスの想い人、ベリアル様のPL様でしたので、
これ以外にも、いくつかおかしな短編を差し上げました。大変申し訳ありません(深々)
タイトルの水鏡は月の別称。月の連作です。