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やまなかじょう |
山中城 |
別称: |
所在地:静岡県三島市山中新田 |
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形状 |
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平城 |
史跡指定 |
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国特別 |
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平山城 |
○ |
国 |
○ |
山城 |
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都道府県 |
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陣屋・館 |
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市町村 |
遺構 |
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建築物 |
天守閣 |
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現存 |
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石垣 |
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木造復原 |
○ |
土塁 |
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鉄筋復原 |
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水堀 |
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復興 |
○ |
空堀 |
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模擬 |
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(撮影年月 H17・9) |
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現存建築物 |
国宝 |
なし |
国重文 |
なし |
都道府県指定 |
なし |
市町村指定 |
なし |
その他 |
なし |
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アクセス |
公共 |
東海道本線三島駅下車後バス山中城跡下車又は函南駅下車後徒歩1時間 |
車 |
国道1号線沿い |
ミニ情報 |
バス停脇の茶店に城跡のパンフが置いてあります(営業時間中) |
地図情報 |
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城略史 |
山中城は箱根峠の西側、つまり静岡県側の斜面、標高585mのところに築かれたもので、北条氏にとって西の最前線である。もともと箱根旧街道に面していたが、豊臣秀吉の小田原征伐に備え城域を拡張し、その際箱根旧街道を城内に完全に取り込むような形になった。
石垣のない完全な土造りの城で、北条氏独特の畝堀で守り防御ラインは完全なようであるが、おそらく豊臣軍との兵力差が大き過ぎために1日と持つことがなく落城したものと思われる。
城域は、新設された岱崎出丸と本丸から西の丸、それに北の丸の三方に広がる。岱崎出丸のみで一つの城と同じぐらいの大きさがある。 |
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主な見どころ |
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↑現地案内板:案内板を見てもわかるように、旧東海道を南北に挟む形で築城されている。旧東海道は現在ほぼ国道1号線にあたり、見学する際にも大きく2つにわかれている範囲をまわることになる。 |
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↑旧東海道:岱崎出丸の北側を走る旧東海道。石畳は江戸時代に整備されたものであり小田原征伐時にはない。また現在の石畳も近年復元されたものである。 |
↑国道1号線:現代の国道1号線。三ノ丸と岱崎出丸の間を走る。 |
岱崎(だいさき)出丸 |
岱崎(だいさき)出丸は、標高547m〜557mに位置し豊臣秀吉の小田原征伐に備え急遽つくったものである。出丸内はいくつかの曲輪にわかれていて、最大の見所は一の堀の畝堀で箱根旧街道に面した西側にある。この出丸だけでもをじっくり見学すると小1時間はかかる。 |
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↑出丸御馬場跡:岱崎出丸に入ってしばらくすると出丸内最大の曲輪である御馬場跡に達する。東と北は土塁、西は空堀、南は急峻な谷である。 |
↑御馬場堀:御馬場南側の空堀。堀底からは高さ9メートルにも及ぶ。 |
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↑岱崎出丸@:岱崎城とも呼ばれるほど広大な出丸。もっとも、急造の完成することはなかった。 |
↑岱崎出丸A |
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↑すり鉢曲輪:岱崎出丸の最先端を防備する曲輪。その形からすり鉢曲輪と呼ばれる。自然、外からは中が見えない構造となっていて、また外部との比高も高くなっている。 |
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↑一の堀@:岱崎出丸最大の見所は畝状の一の堀。これは明らかに旧東海道から攻めてくる敵に対しての防備である。この斜面と堀を見る限り、未完成とはいえわずか1日で落城するようなものではない。つまり、それだけ豊臣軍の軍勢が多かったということを物語っている。 |
↑一の堀A |
三の丸 |
三ノ丸は大部分が宗閑寺の境内となっており、境内には山中城主である松田康長や豊臣方の一柳直末の墓などが建つ。 |
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↑三の丸堀:三ノ丸の西側を出丸方向へと伸びていく三ノ丸堀。その深さは堀底から8メートルである。ここの堀は珍しく畝のない地形を利用した堀となっている。 |
↑箱井戸:三ノ丸には2ツの池がある。写真はやや高い位置にある箱井戸で飲料用と考えられている。 |
二の丸 |
山中城最大の曲輪である二ノ丸は東西に伸びる尾根を利用して斜面のままで傾いている。南側は三ノ丸へ、北側は深い堀となっている。最大の曲輪であるが平坦な面がなく、どれだけ狭い本丸の補充ができていたかは疑問である。 |
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↑二の丸虎口@:三ノ丸から長い登り道を行くと、虎口にぶつかる。ここを右折すると二ノ丸の広い敷地に入る。 |
↑二の丸虎口A:虎口の土塁上から登り道を見る。土塁とはいえ、これだけ巧みなものだと防御力も相当であったと思われる。 |
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↑二の丸虎口B:こちらは西ノ丸側から二ノ丸虎口を見た写真。もし西ノ丸が抜かれたらこのルートで攻められる。虎口内の道が単純な分、堀が横たわる。 |
↑二の丸虎口C:そしてこちらがその空堀。もちろん畝により強化されています。 |
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↑二の丸@:二ノ丸内はご覧のとおり、斜面のまんまです。ここで生活したら病気になります。これだけ敷地が広いのに、なぜ整地していないのか不思議です。 |
↑二の丸A |
本丸・天守櫓 |
本丸は標高578メートル、土塁や堀に囲まれ堅固な造りとなっている。本丸は非常に狭く、そのため二ノ丸が大きくとられている。南側は兵糧庫と接しており、兵糧庫よりも一段高い位置にある。 |
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↑本丸堀:二ノ丸と本丸を隔てる本丸堀。橋の向こうは畝が残る。 |
↑本丸:ご覧のとおり非常に狭い敷地。城主の生活空間としてだけでも狭そうです。形は長方形で平坦ですが・・・ |
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↑天守櫓@:天守櫓は城内で最も高い場所に位置する。もちろん土の台である。本丸に付いており、おそらく木製の見晴台のようなものであったろう。 |
↑天守櫓A:ちょっとわかりにくいが左の土塁が天守櫓跡。北ノ丸から見たもので、堀で隔てられている。 |
北の丸・兵糧庫 |
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↑北の丸:本丸の北側に位置するが、広大で平坦な曲輪である。場所的には、奥ノ丸といった感じである。どちらかというと、広さと平坦さからいって、二ノ丸よりも重要人物が住んでいたのではないかと想像される。 |
↑兵糧庫:本丸の一段下には、兵糧庫とか弾薬庫とかいわれている曲輪がある。柱跡も発掘されており、建物があったと推定される。写真の建物は休憩所であり、復元建築物ではない。 |
西の丸 |
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↑西の丸案内図 |
↑西の丸:西ノ丸入口には模擬冠木門が建つ。敷地は広く平坦。出丸としては十分でしょう。 |
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↑西ノ丸畝堀:ご覧のように、西ノ丸は畝状堀に囲まれています。見る場所、角度により表情をかえる堀は、まるで芸術作品のようです。 |
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↑西の丸からの眺望:西ノ丸からの眺望です。天気が良ければ駿河湾や沼津市街、富士山が見える(らしい)のですが、この日はあいにくガスが立ち込める最悪のコンディションでした。 |
探訪年月 |
@H17・9 |
併設・周辺資料館 |
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参考見学所要時間 |
約2時間00分 |
お薦め度 |
私見 |
探訪する前は、わずか1日で落城したので小規模で貧相な、いかにも急造した感のある城かと思ったが、実際に自分の目で見てみて驚いた。これほど大規模で、またテクニカルな城とは迂闊でした。北条氏築城術の最高傑作として(時代に合うかどうかは別にして)探訪する価値が大いにあります。
なお、城跡としてはやや手を入れすぎといった感がありますが、推測の建築物などはないので、ホッとします。 |
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城郭ファン以外も必見 |
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見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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初版20070213 |
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