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とやまじょう
富山城
別称:安住城、浮城
所在地:富山県富山市本丸
形状 平城 史跡指定 国特別
平山城
山城 都道府県
陣屋・館 市町村
遺構 建築物 天守閣 現存
石垣 復原
土塁 外観復原
水堀 復興
空堀 模擬
(撮影年月 H19・2)
現存建築物 国宝 なし
国重文 なし
都道府県指定 なし
市町村指定 なし
その他 なし
復元建築物 模擬天守(国登録有形文化財)
アクセス 公共 JR富山駅から徒歩約10分、又は富山空港より連絡バスで約20分(城址公園前下車)
北陸自動車富山ICから車で約10分
ミニ情報 城址公園地下有料駐車場あり(1時間320円)
地図情報
城略史
 富山城は、神保長職(ながもと)により天文12年(1543)頃築城されました。神保氏が神通川を越えて進出したことで椎名氏と大規模な争いとなり、富山城は神保氏の本拠となりました。椎名氏は越後上杉氏の代官となったいたので、神保氏の進出は上杉謙信の出兵を招くこととなり、永禄3年(1560)、神保長職は上杉謙信に追われ、富山城も上杉謙信の支城となりました。その後も上杉謙信の侵攻は進み、天正4年(1576)頃には越中全域を支配下におさめました。
 天正6年(1578)上杉謙信没後は、織田信長の勢力が越中にも伸びてきました。織田方についた
神保長住が富山城に入り、佐々成政が越中を与えられます。天正10年、佐々成政は富山城を奪い神保長住を追放します。その結果、佐々成功成政が富山城主となりますが、本能寺の変で織田信長がたおれ、羽柴秀吉が台頭すると対立し、天正13年秀吉の討伐を受け、富山城は破却されてしまいました。
 文禄4年(1595)
前田利家は、秀吉から富山城のある新川郡を与えられました。慶長2年(1597)利家嫡男利長が富山城に入り近世城郭として整備されましたが、大火によって焼失し、元和元年(1615)、一国一城令により廃城となります。
 
寛永16年(1639)加賀藩より10万石分与された前田利次は、富山藩初代藩主として廃城となっていた富山城を居城とし本格的な整備を行いました。富山前田家は廃藩置県まで13代にわたりこの地を支配しました。明治6年廃城令により富山城は廃城となり、城は破壊され現在は旧本丸と西之丸部分だけとなりました。
(参照「富山城ものがたり(富山市郷土博物館)」)
主な見どころ
↑現地案内板:現在の地図に、江戸期神通川が城の北を流れていた頃の地図を重ねたもの。これだけ流れを変えてしまえば、城跡だって破壊されてしまいますよね。 ↑模擬天守と堀:富山城には天守がなかったし、当然なんのゆかりもない場所に、史実と無関係なものが建っているわけです。パビリオンですね。
↑石垣:探訪したときは、そこかしこで工事が為されており、見学しにくいことこの上ありませんでした。あんまりイライラしたのか、なんの工事であるかも覚えていません。 ↑石垣工事@:模擬天守最上階からの眺め。やはり、何か石垣の工事をしているのが見えました。金網が邪魔で見にくい!時代遅れの設備です。
↑石垣工事A:探訪前は、この場所の石垣を見るのが楽しみでしたが、工事のため近づくことができず・・・。おまけに邪魔な金網。最悪。ちなみに、鐵御門という名の門が写真手前にありました。 ↑模擬天守と本丸:本丸は公園になっています。本丸側から見ると、なにやら趣味の悪い公会堂みたいに見えます。ちょっと周囲から浮いています。
入場券・パンフ等
富山市郷土博物館入場券:入館料は210円です。 富山城ものがたり(左)・富山城の歴史(右):いずれも富山市郷土博物館の受付で購入することが出来ます。他にも、書籍類は豊富にあるので見てください。
探訪年月 @H19・2
併設・周辺資料館 富山市郷土博物館(模擬天守内)
開館時間:9時00分から17時00分(入館16時30分まで)
料金:210円
休館:年末年始
рO76ー432ー7911
参考見学所要時間 約1時間00分(博物館を含む)
お薦め度 私見   「城」としては何とも味気なく、おもしろみのないものです。明治期の神通川の流れを変更するという大工事を経験してしまったため、富山城の運命もまた決まってしまったのでしょう。残念なことですが仕方ありません。それでも石垣や、当時と同じ場所に水堀もあるので、城としての雰囲気は感じることが出来ると思います。博物館としては、まあまあおもしろいのですがね。
城郭ファン以外も必見
見逃せない対象です
城好きは行きましょう
予備知識がある方は・・
マニア向け
公式サイト 富山市郷土博物館
参考サイト
初版20070815
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