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さがらじんや |
相良陣屋 |
別称: |
所在地:静岡県牧ノ原市相良 |
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形状 |
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平城 |
史跡指定 |
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国特別 |
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平山城 |
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国 |
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山城 |
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都道府県 |
○ |
陣屋・館 |
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市町村 |
遺構 |
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建築物 |
天守閣 |
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現存 |
○ |
石垣 |
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復原 |
○ |
土塁 |
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外観復原 |
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水堀 |
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復興 |
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空堀 |
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模擬 |
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二の丸土塁(撮影年月 H18・8) |
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現存建築物 |
国宝 |
なし |
国重文 |
なし |
都道府県指定 |
なし |
市町村指定 |
なし |
その他 |
なし |
復元建築物 |
なし |
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アクセス |
公共 |
JR藤枝駅から静岡鉄道バス藤枝相良線相良営業所行き相良庁舎入口下車 |
車 |
東名道相良牧之原ICから国道473号線を御前崎方向 |
ミニ情報 |
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地図情報 |
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城略史 |
相良陣屋のあった場所は、金倉時代に九州へ移った相良氏の居館があったところと云われていますが、遺構がないため正確なことは不明です。その後、今川氏の支城、武田氏の相良古城、徳川家康の鷹狩り用である相良御殿など置かれたようですが、その遺構もないようです(発掘調査していないという意味だと思います)。
近世相良陣屋は、相良藩を立藩した本多忠清が宝永7年(1710)相良御殿跡に陣屋を造営したことに始まりますが、まもな造営は中止されました。それから忠清の孫である本多忠通が入り、前陣屋の東側に新たに陣屋を築き、以降板倉勝清、本多忠央が封じられました。忠央のあとには田沼意次が藩主となり、加増により最終的には5万7千石となり城主格として築城が認められたため、一時陣屋ではなく相良城となります。しかし意次の失脚に伴い城は破壊されてしまいました。相良はその後天領を経て、代官所が置かれたりしましたが、文政6年(1823)田沼意次の次男である田沼意正が1万石で帰封し、明治維新まで田沼氏が続きます。明治元年、徳川氏の府中(駿河)立藩により、相良藩は廃藩となりました。
(参照「国別城郭・陣屋・要害台場事典(西ヶ谷恭弘編・東京堂出版)」) |
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主な見どころ |
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↑現地案内板 |
↑二の丸土塁:やっと探し当てた二の丸土塁。往事のよすがを思い浮かべさせるようなものではありませんが、それでも貴重な遺構です。 |
探訪年月 |
@H18・8 |
併設・周辺資料館 |
相良史料館
開館時間:9時00分から16時00分
休館:毎週月曜日
0548-53-2625 |
参考見学所要時間 |
約0時間15分(相良史料館を除く) |
お薦め度 |
私見 |
近世相良は田沼意次で有名ですが、周知のとおり失脚により跡形もなく破壊されてしまったようです。大概一世を風靡したあとに失墜した人物は、その足跡を徹底的に消されてしまうようで、なかなか再評価することが難しい原因のひとつではないでしょうか。また、維新の混乱は想像に難くなく、土塁があるだけでも奇跡と言うべきでしょうか。 |
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城郭ファン以外も必見 |
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見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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公式サイト |
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参考サイト |
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初版20070410 |
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