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むらかみじょう |
村上城 |
別称:臥牛山城、舞鶴城 |
所在地:新潟県村上市本町 |
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形状 |
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平城 |
史跡指定 |
ー |
国特別 |
○ |
平山城 |
○ |
国 |
ー |
山城 |
ー |
都道府県 |
ー |
陣屋・館 |
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市町村 |
遺構 |
ー |
建築物 |
天守閣 |
ー |
現存 |
○ |
石垣 |
ー |
木造復原 |
○ |
土塁 |
ー |
鉄筋復原 |
ー |
水堀 |
ー |
復興 |
○ |
空堀 |
ー |
模擬 |
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(撮影年月 H17・8) |
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現存建築物 |
国宝 |
なし |
国重文 |
なし |
都道府県指定 |
なし |
市町村指定 |
なし |
その他 |
なし |
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アクセス |
公共 |
JR羽越本線村上駅下車後徒歩25分 |
車 |
国道7号線からすぐ |
ミニ情報 |
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地図情報 |
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城略史 |
村上城は臥牛山(標高135m)に築かれた平山城である。面積約24haで四方は急勾配で遠くからみると牛の臥した形をしている。村上の地に城が築かれたのは、戦国時代本庄繁長が『村上ようがい』として曲輪を築き、文献的には「越後国瀬波郡絵図」(慶長2年・1597)に村上ようがいの名がみえる最も古い資料である。しかし具体的に何年に築かれたかは、はっきりとはわからない。
西暦 |
年号 |
城主 |
禄高 |
出来事 |
1590 |
天正18年 |
本庄繁長 |
二万貫 |
上杉家家臣の本庄氏は謙信に叛旗を翻すこともあったが、通じて謙信に信頼された。しかし庄内出兵が豊臣秀吉の惣無事令に反したかどで本領を没収される。 |
1598 |
慶長3年 |
村上頼勝 |
十二万石 |
上杉景勝が会津に転封され、加賀小松より12万石で入封。家臣団の多さのためこの頃城下町を拡大し、近世村上城下町の基礎となる。 |
1618 |
元和4年 |
堀直竒 |
十万石 |
長岡より入封。元和6年頃から城下町を整え、また城郭を現在残る石垣のものに完成させる。 |
1720 |
享保 |
内藤弌信 |
五万九十石 |
大蓮より入封、以後明治維新まで内藤家が城主。 |
戊辰戦争の際、新政府軍を目前にし村上藩兵は居館に火を放ち撤退するも城の建築物はほとんど残っていた。そして明治8年(1875)残りの建築物は撤去され今に残る石垣のみとなった。
(村上市郷土資料館発行資料参考)
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主な見どころ |
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↑臥牛山(村上城)遠望:標高135mの臥牛山を北西方向から遠望したもの。向かって山の右側が本丸にあたる。 |
↑復元図:写真は石垣復元工事用のものですが、村上城の往時の絵としてイメージが湧きますね。 |
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↑藤基神社:旧三の丸(山麓)に位置する藤基神社。村上藩の内藤家初代信成、十代信敦、十一代信思を祀る。 |
↑中門跡:三の丸と二の丸をつなぐ門跡のひとつ。今や跡形も無い。しかしその位置を教える碑が建つだけでもいいほうである。 |
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↑居館跡:山麓の登山口に位置する居館跡。藩主の起居政務を行う場所であり、江戸時代は山頂部よりもここが中枢であった。今は公園のようなわけの分からない空間となっていて残念。右の建物はトイレ。 |
↑七曲り登山口:ここから山頂部へ登るわけです。もし村上城が石垣の山城で有名でなかったら山麓の居館跡に無粋な城郭風建築が復元されていたかもしれないですね。 |
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↑山頂部模型(丸数字は撮影位置):村上市郷土資料館に展示されている近世村上城の模型。この模型のおかげでかなりイメージをふくらませやすくなります。探訪時の夏は草木が生い茂り、また石垣工事中であったからです。 |
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↑七曲り(@):実際は九曲り。標高135mといっても、このように整備されてますから不安はありません。家族連れでも大丈夫です。 |
↑七曲り(@):最後の曲りです。上に四ッ門跡の石垣が見えます。はやる気持ちを抑えて登ります。 |
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↑四ッ門跡(A):七曲りを上り詰めると四ッ門にぶつかります。右手を否応無く敵の攻撃にさらされ、たどりつくと四方四面に扉があったという門が待ち受けているわけです。一体どのような門だったのか想像がつきません。 |
↑四ッ門跡(A):四ッ門入口です。左は調練場(現地案内碑では三の丸)へまっすぐ行けば田口中門跡へ至る下り坂、右へ進めば本丸方向です。 |
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↑四ッ門跡(A):四ッ門入口で振り返ると、上方に御鐘門跡の石垣が見えます。知らない間に背中も狙われていたのですね。 |
↑四ッ門跡(A):四ッ門をくぐり中から見たところです。四ッ門は臥牛山のくびれの位置にあり非常に狭い空間となっています。 |
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↑調練場跡〈旧三の丸〉(B):名称的にはどちらが正しいのかわかりませんが、四ッ門を左にまがると山頂部で最も広い空間が広がります。しかし夏とはいえ、もう少し草刈をしていただかないと・・・ |
↑御鐘門跡、壱(C):四ッ門跡を右に曲がり坂を登ると御鐘門跡にでますが、門をくぐるには右へ90度折れ曲がります。
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↑御鐘門跡、弐(C):右に90度曲がって入った後は、左へ90度曲がらなければなりません。典型的な鍵型の門です。それにしても立派な石垣。
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↑御鐘門跡、参(C):そして門の内側から見たものです。この門は松平直矩が城主のころ築かれたと説明がありましたので、1650年頃に石垣も築かれたものと思います。技術的には円熟期でしょうか。
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↑御鐘門跡遠望?:出櫓付近の石垣積み直し工事のため変な登城コースとなっているようですが、こんなアングルで見れたので良しとしましょうか。
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↑出櫓跡(D):本来は本丸の帯曲輪として見所、撮影ポイントとなるはずですが、このように石垣工事のため全く色気がありません。仕方なし。
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↑本丸石垣(E):どうですかこの高石垣。東日本の山城にこれだけのものがあるだけで素晴らしいです。 |
↑本丸石垣(E):一段高く築かれているのは渡櫓のあったところ。この古城の雰囲気たまりません。最高です。 |
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↑冠木門跡(F):本丸へ入る唯一の門。帯曲輪から直進してくると180度向きをかえ、さらに左へ90度曲がらなければならないという巧みなつくり。
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↑天守台跡(G):天守は本丸よりも一段高い位置にあった。さほど広くも無い平面であるが三層の天守がたちあがっていた風景はさぞ爽快であったろう。 |
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↑本丸からの眺望:いんちきパノラマによる村上市街と日本海の素晴らしいながめです。鮭がのぼってくる事で有名な三面川が日本海にそそぎこみます。 |
探訪年月 |
@H17・8 |
併設・周辺資料館 |
市内に村上市郷土博物館
開館時間:9時00分から16時30分
料金:500円
休館:年末年始
рO254ー53ー6304 |
参考見学所要時間 |
約2時間00分(博物館を含む) |
お薦め度 |
私見 |
村上城を探訪して自分は石垣のある山城が大好きなんだということがあらためてわかりました。東日本で石垣の山城はたいへん珍しく、そのなかでも村上城は第一級。素晴らしくてため息がでる。
村上は街並みが素朴で純な雰囲気が漂い、訪ねたら城だけでなく街をゆっくりと歩いていただきたい。かならずや素敵で楽しい発見があるでしょう。 |
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城郭ファン以外も必見 |
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見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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初版20070208 |
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