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まつしろじょう |
松代城 |
別称:海津城、貝津城、待城城 |
所在地:長野県松代町松代 |
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形状 |
○ |
平城 |
史跡指定 |
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国特別 |
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平山城 |
○ |
国 |
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山城 |
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都道府県 |
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陣屋・館 |
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市町村 |
遺構 |
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建築物 |
天守閣 |
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現存 |
○ |
石垣 |
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木造復原 |
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土塁 |
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鉄筋復原 |
○ |
水堀 |
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復興 |
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空堀 |
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模擬 |
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太鼓門と前橋(撮影年月 H17・5) |
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現存建築物 |
国宝 |
なし |
国重文 |
なし |
都道府県指定 |
なし |
市町村指定 |
なし |
その他 |
なし |
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アクセス |
鉄道 |
長野電鉄松代駅下車後徒歩すぐ |
車 |
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ミニ情報 |
駅の目の前ですが、電車の本数は少ないので注意 |
地図情報 |
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城略史 |
松代城は千曲川沿いに開けた善光寺平に位置する平城で、天文から永禄年間(1555年頃)に武田信玄によって築かれた「海津城」がその前身といわれる。武田氏滅亡後の混乱時、上杉景勝が一時占領したこともあったが、豊臣氏の蔵入地となり森忠政に時代に本格的な築城工事が行われた。
その後、真田氏が上田から松代に転封され、三代幸道のとき松代城と改名され、江戸時代を通じ真田氏の居城として栄え明治維新をむかえた。
明治以降、城跡は破却が進み、石垣の積み直しなども繰り返されたようだが、平成の大普請で往時の姿がよみがった。 |
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主な見どころ |
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↑二の丸南門:二の丸南門は大手にあたる門である。門が土塁の土留の役割をしていたらしく、復元では門の位置に木があてられている。 |
↑太鼓門:枡形内の太鼓門をくぐると本丸にでる。雪国の質実剛健な門は非常に美しい。 |
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↑内堀:本丸を囲む内堀は三方向を囲み、北側の一辺は地続きである。なんとなく見た感じ不安定であり、こころもとなく感じるのは現在の感覚。当時は千曲川がすぐ近くを流れ、天然の堀となしていた。 |
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↑本丸:松代城の本丸は狭い。ここに本丸御殿が建っていた。享保2(1717)年に火災で焼失し、後に花の丸に御殿を移した。 |
↑戌亥隅櫓台:本丸の外(北側)より撮影。天守台ですよね、どうみても。 |
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↑北不明門@:北側にも南の太鼓門とおなじような形の北不明門がある。こちらは名前が語るような役割ではなかったろうか。 |
↑北不明門A:さらに外側から見るとまるで櫓のようである北不明門。 |
探訪年月 |
@H17・5 |
併設・周辺資料館 |
真田博物館
営業: 9:00〜16:30
定休: 火曜
料金: 500円
電話: 026-278-2801 |
参考見学所要時間 |
約1時間00分 |
お薦め度 |
私見 |
駅から近く探訪には便利。復元された建築物群は、まだ新しさが消えないが、周囲の雰囲気とは良く合い、とけ込んでいる。石垣の保存状態も決して規模は大きくないが、程度は良く賞賛に値する。
松代は、城だけでなく町歩きもお薦めできる城下町である。 |
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城郭ファン以外も必見 |
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見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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初版20061200 |
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