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くろだだいかんじんや |
黒田代官陣屋 |
別称:黒田代官屋敷 |
所在地:静岡県菊川市下平川 |
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形状 |
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平城 |
史跡指定 |
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国特別 |
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平山城 |
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国 |
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山城 |
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都道府県 |
○ |
陣屋・館 |
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市町村 |
遺構 |
○ |
建築物 |
天守閣 |
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現存 |
ー |
石垣 |
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復原 |
ー |
土塁 |
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外観復原 |
○ |
水堀 |
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復興 |
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空堀 |
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模擬 |
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長屋門(撮影年月 H18・8) |
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現存建築物 |
国宝 |
なし |
国重文 |
母屋、長屋門、米蔵、東蔵 |
都道府県指定 |
なし |
市町村指定 |
なし |
その他 |
なし |
復元建築物 |
なし |
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アクセス |
公共 |
JR東海道線菊川駅から静鉄バス御前崎線約15分バス停「平田本町」下車後徒歩約5分 |
車 |
東名自動車道菊川ICから県道37号線を南下し県道69号線を右折すぐ |
ミニ情報 |
現在も住居として使用されているので敷地内は見学不可 |
地図情報 |
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城略史 |
黒田代官陣屋は、江戸時代を通して四千石の旗本本多氏の代官を務めた黒田氏の屋敷です。黒田氏は、かつては足利性を名乗っていったそうですが、初代善次が越前国黒田荘を領し黒田性に改めたと伝えられています。鎌倉時代末の四代義重の時に平川村(旧小笠町北部)を知行し、八代義則が現在地に屋敷を構えました。この義則は、はじめ今川氏に属しましたが、のちに徳川氏に仕え高天神城主小笠原長忠に属しました。元亀2年(1571)武田軍の高天神攻撃にはよく対抗したが、天正2年(1574)武田勝頼の攻めに抗しきれず開城し、義則とその子である義得は平川村に戻り帰農しました。
その後、徳川氏が天下を取り、正保2年(1645)本多利長が横須賀城主となり、兄の本多助久が平川村などを支配することとなった折りに、在地の黒田氏が代官に抜擢されました。四千石のうち千石程度の代官であったようです。これより黒田氏が代官職を幕末まで世襲しました。
(参照「国別城郭・陣屋・要害台場事典(東京堂出版)」、「黒田家住宅(小笠町教育委員会)」) |
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主な見どころ |
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↑現地案内板:赤線(管理人加筆)内は居住区なので見学、立ち入りは出来ません。国重文に住んで羨ましいですが、当人にはいかばかり苦労があるのでしょうか。 |
↑濠@:古写真から比べると整備しすぎた感がありますが、代官屋敷の水堀が現存するのは大変貴重です。よくぞ残っててくれましたと拍手喝采を贈ります。 |
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↑濠A:北側の水堀。幅はそれほど広くなく、中世の館の規模を見事に踏襲しています。 |
↑長屋門:国の重要文化財に指定されています。ここから内側は、いまも住んでいるので立ち入り出来ません。見学もマナーを守って。 |
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↑西蔵:敷地内には入れないので、外からしかうかがい知ることができません。これはおそらく西蔵で、左側に重文の東蔵があると思いますが、よく見えません。 |
↑代官屋敷資料館:内部はそれ程広くはないのですが、黒田家や代官らしくこの地域の興味深い史料が豊富で、非常に楽しむことができます。 |
入場券・パンフ等 |
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黒田家代官屋敷資料館入場券:記載は、まだ合併される前の小笠町となっています。今は菊川市です。 |
無料パンフ:入場券についてくるパンフ。 |
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探訪年月 |
@H18・8 |
併設・周辺資料館 |
黒田家代官屋敷資料館
開館時間:9時00分から16時00分
料金:150円
休館:毎週月曜日、祝祭日の翌日、年末年始
рO537ー73ー7270 |
参考見学所要時間 |
約1時間00分(資料館を含む) |
お薦め度 |
私見 |
代官屋敷というのは、かつては全国各地無数に存在していたはずで、それだけに今に伝わるものは少ないといえます。ここの素晴らしいところは、周囲の濠まで現存していることでしょう。したがって、当時の代官のイメージどころか、そのものを目の当たりにすることができ大変貴重です。交通の便もそれほど悪くないので、資料館と共に是非とも探訪をお薦めする場所のひとつです。 |
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城郭ファン以外も必見 |
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見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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初版20070422 |
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