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おじまじんや |
小島陣屋 |
別称:小島御屋敷 |
所在地:静岡県静岡市清水区小島本町 |
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形状 |
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平城 |
史跡指定 |
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国特別 |
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平山城 |
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国 |
ー |
山城 |
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都道府県 |
○ |
陣屋・館 |
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市町村 |
遺構 |
○ |
建築物 |
天守閣 |
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現存 |
○ |
石垣 |
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復原 |
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土塁 |
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外観復原 |
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水堀 |
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復興 |
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空堀 |
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模擬 |
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表門(撮影年月 H18・8) |
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現存建築物 |
国宝 |
なし |
国重文 |
なし |
都道府県指定 |
なし |
市町村指定 |
なし |
その他 |
なし |
復元建築物 |
書院(移築) |
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アクセス |
公共 |
JR東海道線興津駅から静鉄バス15分小島下車 |
車 |
国道52号線沿い |
ミニ情報 |
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地図情報 |
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城略史 |
小島陣屋の主は滝脇松平氏で、江戸中期宝永年間に1万石を領し大名として立藩しましたが、無城主格であったので城ではなく陣屋を構えました。現在に残る姿は、この時に築かれたものです。陣屋といっても、高さ4メートルの石垣や、大手門などは小大名の陣屋構えと異なり、まるで城郭のような規模であり、その片鱗は今も見ることができます。
滝脇松平氏は、松平親忠9男乗清にはじまり、三河国加茂郡滝脇を本拠としたことからそう称せられました。十八松平のひとつで旗本でしたが、元禄2年(1689)松平信孝の時に五代将軍綱吉の側衆から若年寄に出世し、加増をうけ1万石の大名として諸侯に列することとなりました。その後、移封もなく明治維新を迎えましたが、徳川家達が駿府へ入ったため小島陣屋は廃されてしまい、上総国市原へ転封となりました。
(参照「城郭・陣屋・要害台場事典(東京堂出版)」・「日本史諸家系図人名辞典(講談社)」) |
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主な見どころ |
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↑現地案内板:裏門側からアクセスすると、地図のある案内板にお目にかかれます。しかし(!)、この図もかなりアバウトなもので、いったいどれだけ参考になることやら・・・。 |
↑裏門@:現存する石垣の上に、手書きの看板が立ち何ともいえない雰囲気です。畑の所有者が個人的に建てたかのようです。 |
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↑裏門A:裏門に到着したので、やむを得ず裏門から紹介しています。この石垣!ほんとに1万石の大名でしょうか? |
↑表門@:季節は夏ということもあり、草木が生い茂り到達まで難儀しました。しかし、陣屋とは思えない構えに感動します。 |
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↑表門A:石垣が折れ、連なる姿はまさに城郭。付近は耕作地になっているので迂闊に立ち入ることができず、緊張します。 |
↑表門B:小規模ながら枡形を形成しています。縄張りも陣屋とは名ばかりの城郭と言わずにはいられません。 |
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↑本丸:すっかり畑となってしまい、その面影を見て取ることはできません。知らなければ陣屋跡だとなかなかわからないでしょう。城ファンでさえ、ややもすると通り過ぎてしまいそうになります。 |
↑眺望:本丸(この表現も正かはわかりませんが)からの眺めです。山間の静かなところです。 |
探訪年月 |
@H18・8 |
併設・周辺資料館 |
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参考見学所要時間 |
約0時間30分 |
お薦め度 |
私見 |
城ファンには、その名が通っていると思いますが、如何せんアクセスのしにくさには閉口しました。国道52号線を走っていると、偶然手書きの看板を見つけたので、辿り着くことができましたが、それでも裏門側であり、大手門側からアクセスすることはできませんでした。探訪の際は、十分な下調べが必要です。しかし、それだけの価値はある遺構を見ることができます。 |
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城郭ファン以外も必見 |
○ |
見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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初版20070610 |
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