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こまつじょう
小松城
別称:
所在地:石川県小松市丸の内町
形状 平城 史跡指定 国特別
平山城
山城 都道府県
陣屋・館 市町村
遺構 建築物 天守閣 現存
石垣 復原
土塁 外観復原
水堀 復興
空堀 模擬
天守台(撮影年月 H19・2)
現存建築物 国宝 なし
国重文 なし
都道府県指定 なし
市町村指定 鰻橋御門(現・来生寺寺門)
その他 なし
復元建築物 なし
アクセス 公共 JR北陸本線小松駅下車後徒歩20分
北陸道小松ICからすぐ
ミニ情報
地図情報
城略史
 小松城という名が最初に文書に現れるのは、永禄7年(1564)のことで、一向一揆時代のようです。天正8年(1580)には織田信長により村上義明が小松城主なりました。天正11年(1583)秀吉により丹羽長秀が領主となりましたが、村上義明はそのまま丹羽長秀の与力となり、小松城を居城とし続けます。また天正13年(1585)には堀秀政の与力となります。その後、村上義明は、堀秀政が越後に移封になるのに伴い本荘へ移り、慶長3年(1598)丹羽長重が小松城主となります。しかし、関ヶ原合戦で丹羽氏は西軍につき、替わりに慶長5年(1600)前田利長が加賀を領し、小松城には城代がはいりました。4代の城代の後、前田利常が隠居のための居城として使用し、その没後は再び城代の置かれる城となりました。明治維新後は漸次城の破壊が進み、現在のような姿となりました。
(参照「小松城(小松知市立博物館)」)
主な見どころ
↑現地案内板:この城図を見る限り、とても一大名の城代のみの城郭とは考えられない。遺構がほとんど無くなってしまっているのは残念なことです。 ↑天守台:文化財名としては、本丸櫓台石垣となっていますが、切込みハギの立派な天守台。石垣いっぱいの建物は建てられず、内側に一回りも二回りも小さい櫓が建てられました。
↑天守台の階段:この階段を見る限り、はなから石垣いっぱいに建てるつもりはなかったのでしょうね。 ↑天守台からの眺め:平城の天守台といっても、なかなか良い眺めを望むことができます。空気が澄んでおり、遠くまで見通せます。
↑本丸石垣:本丸の西側には石垣もわずかではありますが現存しています。もっとも、カメラを構えている場所は本来水堀の中ですが・・・。 ↑天守台と本丸石垣:この位置がレベル0なので、天守台自体かなり高い位置にあることがわかります。この上に櫓があったのですから、結構あなどれないものだったと思います。
↑芦城公園(三の丸)@:廃城の後、三の丸には小松懲役場が建てられたそうです。そして囚人に、小松城の破壊工事させたそうです。時代が変わるというのは恐ろしいですね。罪人が武士の役場を壊してしまうのですから。 ↑芦城公園(三の丸)A:現在は、まるでミニ兼六園のように整備されています。
↑鰻橋御門(来生寺)@:小松城唯一の遺構。明治5年、小松城が破壊された時に来生寺に移築されました。長屋門形式です。 ↑鰻橋御門(来生寺)A:裏側、すなわち境内側から撮影したものです。
入場券・パンフ等
入場券:小松市立博物館の入場券です。旧三の丸芦城公園内にあります。 小松城(左):まさにタイトル通り、小松城の情報が余すことなく記載されています。小松市立博物館で入手可能
小松と前田家(右):小松市立博物館特別展のパンフ。小松前田家を中心とした内容となっています。
探訪年月 @H18・6
併設・周辺資料館 小松市立博物館
開館時間:9時00分から17時00分(入館16時30分まで)
料金:300円
休館:毎週月曜日、祝日の翌日、年末年始
0761-22-0714
参考見学所要時間 約1時間30分(博物館含む)
お薦め度 私見   現存するのは天守台と、移築の門だけですが、天守台の石垣は見事で一見の価値があります。周囲の城域は跡形もないけど、天守台のみ奇跡的に残ったという印象です。また、三の丸は公園として整備されており、雰囲気はミニ兼六園といった感じです。オリジナルの城域が広く、さらに遺構が点在しているため、探訪しにくいですが、それだけの価値はあると思います。
城郭ファン以外も必見
見逃せない対象です
城好きは行きましょう
予備知識がある方は・・
マニア向け
公式サイト
参考サイト 小松市立博物館
初版20070823
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