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あしがらじょう |
足柄城 |
別称:霞城 |
所在地:静岡県小山町 |
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形状 |
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平城 |
史跡指定 |
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国特別 |
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平山城 |
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国 |
○ |
山城 |
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都道府県 |
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陣屋・館 |
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市町村 |
遺構 |
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建築物 |
天守閣 |
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現存 |
○ |
石垣 |
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木造復原 |
○ |
土塁 |
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鉄筋復原 |
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水堀 |
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復興 |
○ |
空堀 |
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模擬 |
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(撮影年月 H17・9) |
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現存建築物 |
国宝 |
なし |
国重文 |
なし |
都道府県指定 |
なし |
市町村指定 |
なし |
その他 |
なし |
復元建築物 |
なし |
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アクセス |
公共 |
JR御殿場線足柄駅下車 |
車 |
東名御殿場ICから足柄駅方向、足柄峠すぐ近く |
ミニ情報 |
自動車での探訪がよい |
地図情報 |
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城略史 |
足柄城は天文5年(1536)頃に北条氏綱によって、武田氏を監視し足柄街道を押さえる目的で築かれたといわれている。天文24年(1555)には北条氏康が補修をおこなったとされている。永禄11年(1568)武田信玄の駿河侵攻により三国同盟は破棄され、相模と駿河の国境を守る足柄城の重要性が増し、永禄12年から元亀2年(1571)にかけて、大幅な改修が行なわれた。
武田氏の滅亡後、天正15年(1587)に北条氏光を城番とし大規模な改修を施し、天正18年(1590)に豊臣秀吉による小田原征伐の際には、北条氏忠を守将として配置した。氏忠は山中城(静岡県)が落城すると戦わずして引き払い、小田原城に退却し落城した。 |
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主な見どころ |
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↑現地案内図:足柄街道をおさえる国境の城です。江戸時代には代官所があったようですが、その跡地は確認できませんでした。 |
↑曲輪を結ぶ橋:この橋を渡ると本郭で、下には県道(足柄街道)がはしります。当時、橋が架かっていたのかは不明ですが、架かっていてもおかしくない、むしろ架かっていた方が自然な感じです。 |
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↑本郭:不整形ですが、比較的平坦です。公園として後世削平したのかもしれませんが。 |
↑空堀跡:堀底から撮影したものです。郭と郭の間は土橋だったのか、木橋だったのか、現地での観察ではわかりませんでした。 |
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↑二の郭:本郭から、二、三・・・と続きます。それなりに敷地も広いし、平坦であり、かなりの防御力が期待できたのではないでしょうか。 |
↑三の郭:手前は二の郭との間に切られた空堀になります。 |
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↑空堀跡:もう少し整備されてもいいのでは? |
↑眺望:夏のため、ガスがかかり写真うつりも悪いですが、最高の眺望です。是非弁当持参で探訪したい場所です。 |
探訪年月 |
@H17・9 |
併設・周辺資料館 |
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参考見学所要時間 |
約0時間30分 |
お薦め度 |
私見 |
足柄峠にある足柄城は、まさに国境の城。郭の保存状態は非常に良いが、それにもまして眺めが素晴らしい。城跡の遺構よりも、おもわず景色に見とれてしまうことでしょう。 |
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城郭ファン以外も必見 |
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見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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初版20070313
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