第6回 〜小田和正〜
@★1947年9月20日生 神奈川県 横浜市出身東北大学工学部、
早稲田大学理工学部建築科修士課程卒業
A★1969年 オフコース結成
B★1970年4月5日シングル 「群衆の中で」でデビュー
C★1986年 11月1日初のソロシングル「1985」を発表
D★1991年 2月6日シングル「ラブ・ストーリーは突然に/Oh! Yeah!」発表
シングルCD史上最高の270万枚を売り上げる
E★1992年 1月25日アルバム 「sometime somewhere」シングル「いつかどこかで」発表
第一回監督作品「いつかどこかで」公開
F★2002年 2月27日シング「キラキラ(フジテレビ「恋ノチカラ」主題歌)/I LOVE YOU」発表
G★4月24日ベストアルベム「自己ベスト」発表
オリコン・アルバムチャー ト1位の最年長記録を更新。
この人に何度泣かされたか・・・(笑)
@ 56歳ですよ!(驚)
それなのに「キラキラ」とか
歌っちゃうんですよ!(笑)
高学歴なんてもんじゃないですね! 本人は建築の道を目指していたそうです。
A その当時、自分は5歳でした。
オフコースとのはじめての出会いは
「眠れぬ夜」と、言う曲からでした。
後に西城秀樹がカヴァーするんだけど
いわゆるフォークソングで、なよなよした曲でした(笑)
「眠れない夜と雨の日には
忘れかけてた 愛がよみがえる」・・・ねっ!?
Bそれから数年、中学3年の時に
「さよなら」が発売されます。
当時たいした恋愛してない連中が(爆)この曲に
無理やり自己投影して泣いていました。
「外は今日も雨 やがて雪になって
僕らの心の中に降り積もるだろう」
C 惜しまれながらオフコースは解散します。
英語で書くとOFF COURSE お気づきですか?
「勿論」の意味じゃないんですよ! 「道を外れてる」こっちの意味です
確か解散する前に「フェア・ウエイ」と言うアルバムもありました。
ゴルフで言う「道のど真ん中」ですね。
D これは、あまりにも有名
でも、若い人はこれで初めて
小田さんを知ったという人が
多いんじゃないのかなあ〜?
Eよせば良いのに(爆)映画をやりました。
個人的には大好きな映画でしたが
興行的にはあまり良い結果では
なかったようです・・。
当時は、桑田さんや武田鉄也氏までが
監督業をいわゆるブーム
だったんですかねえ・・・。
F 実は、あまりこの曲好きじゃないんです(笑)
売れた曲と言うのはファン心理として
微妙な部分がありますね・・。
G こんなに売れるのか?
ってぐらい売れましたね!
これで儲かったから
また「映画やる!」なんて言い出しそうですよ。この人は!(笑)
呼び捨てに出来ない訳
オフコース時代から
小田さんの詩は女々しいものが
多くありました。
実際、10代の頃の自分は物凄く「女々しい」男だったような気がします・
それゆえに小田さんの歌を聴いて
「これで良いんだ」と、自分に言い聞かせていた節が多分にあります。
自分の女々しさを肯定してくれる。
師匠のような存在であったのかも知れません。
前にこのコラムで書いたように
「秋の気配」なんて曲はその象徴のようなものです。
「緑の日々」と、言う曲の中では
【君の為に強くなる 君の為に僕は生きてゆく】
「私の願い」の中では
【君が好きだから いつもそばにいて
ささやかな 私の願い】
まさに、女性のような気持ちで
”あなた”を愛してるんですよね。
確かに「嫌い」と言う人もかなり
いると思いますね。
でも、「女々しい」と言う言葉は
本来、男の為にある言葉なんですよ。
誰でも持ってるんじゃないのかなあ?
それを認めるか認めないか?
その差だと、個人的には思います。
【あなたに会えて 本当に良かった
嬉しくて 嬉しくて 言葉に出来ない】
こんなの・・・痛いです!(笑)
結論、俺も50歳超えても
平気で愛だの恋だの言えるような
おじさんでいたいと思います。
小田さんが50を超えて作った曲です。
そして僕は君のために 何が出来るのかと考える
そして僕は強くなるより 優しくなりたいと思う
優しくなりたいと思う
〜風のように〜
2003.6.18