選択は常に二つしかなくて、一々立ち止まって考えられるほど時は待ってはくれなくて・・・・・・
オレは間違った選択をしたと、後悔するだけしかできない
六道骸はいつも唐突に綱吉の前に現れる。彼は綱吉の都合も何もかも無しにして、謎めいた事を告げるときもあれば、ことさら作った表情で皮肉を言うこともある。綱吉にとってはあまり係わり合いになりたくない人間の上位に立つ人物だった。
その日も彼は綱吉の前に現れた。いつもお供のようについている二人は今日はいなかった。
「なんか用?」本当は無視してしまいたいところだがどんな嫌味を言われるかわからないので綱吉はぶっきらぼうに尋ねた。
中々に寒い星空を数多の星空が明るく彩っている。そのなかでも一際明るい輝きを放つ星を見上げながら綱吉はジャングルジムの天辺に座っていた。
「君に関しておもしろい噂を聞いたので」骸はジャングルジムの枠に背中を預けて腕組みをし、人の悪い笑みを浮かべた。
「オレを笑いにきたのか」綱吉が骸を見下ろすと、そこには月の光に染まった美しい顔がある。
六道骸という男は、すべてが人間離れしたような男だ。何度か話を交わすようになった今でも綱吉の認識は変わらない。
「そうですね。君は馬鹿で愚かでどうしようもない甘ったれたクズだとばかり思っていましたが、」
そういって言葉を区切ると、「マフィアを離反したのは何故ですか」骸は冷えた声で綱吉を見た。
言葉を刃物にしたらきっと総てを切り刻んでしまうような男の声に、綱吉ははぁーとため息を吐いた。
「なんですかその反応。殺しますよ」目を細めて睨んだ骸に綱吉は首を振る。
「どうせ言ったってお前には解んないだろうと思ったんだよ」
「そんなことは君が決めることじゃありません。僕の質問に答えろ」
綱吉は骸から視線を外して大空を見上げた。月に薄い雲がかかり、星々は淡く瞬いている。情景や感動には疎いけれど、夜空だけはいつだってただ綺麗だと綱吉は思う。
人が安らぎを覚えるのはギラギラと眩しい太陽の光じゃなくて今にも消えそうでちっぽけな星の誤魔化しだ。
「骸の血は何色なんだ?」
「は?」唐突な質問に骸は訝しんだ表情をする。気が違えたのかもしれないと自分でも思って綱吉はなんだかおかしかった。
「血だよ血・の・い・ろ!お前みたいに色々と捻くれちゃってるやつでも血って赤いのか?」
綱吉は骸と初めて戦ったときの事を思い出しながら聞いた。お互いに満身創痍になりながらの激闘。よく生きてられたなと自分が少し分からなくなるほど酷い戦いだったと綱吉は思い返した。
「気でも狂ったんですかボンゴレ。人の血は皆等しく赤い」
骸は嘲笑を唇に乗せた。
「やっぱそうだよなぁ……」さして残念な様子も見せずに綱吉は曖昧に頷く。
「とりあえず僕の質問に答えるほうが先ですよ。何故ボンゴレを裏切った」
綱吉がぼうっとしていると、いつの間にか目の前に骸が立っていた。腕を組んで綱吉の瞳を興味深そうに覗き込んでいる。真っ黒なグローブに全身黒ずくめの服を着ている。
こうやってみると、彼は人ではなく闇そのものに見える。おぞましい、恐怖の代表のような存在。
「そもそもオレは最初からボンゴレに入るなんて言ってないぞ。おまえも、みんなも、なんか勘違いしてる」
上手くバランスをとって綱吉を見下ろす骸を見上げて綱吉は吐き捨てた。搾り出すような声は低く掠れた。
朱と蒼のオッドアイが数度瞬いた。綱吉の言葉に驚いているようにも見えたが、それが演技なのか本心なのか判断がつかない。
「君は仲間を傷つけられたから僕らの前に現れたんじゃなかったんですか?」
「そりゃ、マフィアとは関係無しに友達を傷つけられたら怒るよ。別に相手が骸じゃなくてもそうしてた、かなぁ?」
「なんで僕に聞くんですか」
「いや、なんとなく……」骸のヒヤリとした声音にもごもごと口ごもる。
自分の言ったことを嘘だとは思わなかったが、本当に友人のために怖い思いをしてまでどうして行ったのか、綱吉は考えるたびに自分が見えなくなる。元々臆病で体力もなく、暴力などからっきし駄目な人間の筈なのだ。
それがどこをどう間違えたらマフィア殲滅を企んでいる犯罪集団の巣にわざわざ出向いてしまったのか。
そのときはきっと、それが最善だと思ったから。そう納得してしまえばあとで理由をつけても別に構わないのに。
いつからだろう。自分が沢田綱吉じゃなくボンゴレ十代目としての未来しか見えなくなってしまったのか。
それはもう、リボーンに出会ったときから始まっていたのかもしれない。獄寺に出会って、山本と仲良くなって確かに自分は何かが変わったはずなのに。回りすぎた歯車の軋みなど誰も気にしないのだ。本人ですら、本当はどうでも良かった。
「オレはさ、ボンゴレ十代目である前に沢田綱吉なんだよ。骸さん。あんたの言うとおり臆病で弱虫で何をやってもてんで駄目な人間なの。それが沢田綱吉であるオレなんだって」
「君が何者であるかなんて僕には興味が無い」
「そうだろ。それで良いはずなんだ。でも、じゃあなんで沢田綱吉であるボンゴレ十代目を気にするんだ」
「君が将来マフィアのトップに立つ男だからですよ。そうじゃなければ君など」
「相手にしなかった、だろ。知ってるよ。言わなくたって態度で分かる。みんな本当はオレなんかどうだっていいの。別にそれに拗ねてるってわけでもなくて。なんていうのかなー、このままじゃ自分を見失いそうだったんだ」
綱吉は冷たい夜風にぶるっと震えて鼻を啜った。骸には綱吉が普段の彼らしさを失っていることを不審に思った。
妙に大人びているかと思えば意味の分からぬことを一人で喋っている。先ほど言ったように本当に気でも狂ったのかとさえ思う。
泣けばいい。綱吉は自分に言い聞かせる。泣いてスッキリしてしまえば後は忘れられる。本当はそうしていくつもりも出来たし、リボーンたちと懐を別つことだってなかったはずだ。また孤独に戻る生活は、温かな居場所を知ってしまった後には辛すぎた。
綱吉とて自分の被害妄想がここまで手の付けられない狂犬になってしまっているとは思いもしなかった。
流されて生きてきて、自分という存在がいまいち認識できていなかったのに。
それでも、ボンゴレとして生活する将来を想像してひどく息苦しくなっていた自分はとうに限界を超えていたのだと今になって気が付いてしまった。
「骸さん。オレも初めて知ったんですけど、大切なものってすぐ無くなっちゃうんですよ。ほんとに、呆気ないほど急に」
綱吉は話をしていて初めて骸を見つめた。その瞳の暗さに骸の背中にぞくぞくとした悪寒が走る。愉悦かもしれなった。
「骸さんには無いんですか?大切なものとかって」
「あるわけないじゃないですか」つまらぬことのように骸は肩を竦めて言い切った。
「そうですか・・・・・・でもまあ、いつかわかる日がきますよ。絶対に」
夜空を見上げてそう言った綱吉の横顔を骸はしばし見つめたあと、何も言わずにジャングルジムの上から音もなく飛び降りた。
ゆうに二メートルはあるだろう高さから飛び降りて平然としている骸と、手すりにすがり付いているしか出来ない自分の決定的な違い。それは見えないものを恐れぬ覚悟があるかないかの違いだと綱吉は漠然と、しかしはっきりと感じて眉をしかめて笑った。
声を出せばきっと、泣いてしまうだろうという実感があったからただ月を眺めていた。
「沢田、綱吉……」
「え?」
「君の血は、きっと透明なんでしょう」
「な、に言ってるんだ・・・・・・?」
「知っていますか?涙と血は同じ成分なんですよ。それが何故色が変わるのかだなんて、僕にはどうでもいいことですけど」
骸は振り返らずに応えた。どこか優しさが含んだ声音を自分の錯覚だと思いながら、綱吉は呆然としていた。
「君は結局白にも黒にもなりきれない、中途半端だ。そして、僕の血は君の血の色など簡単に染めてしまえるんですよ。いくら君に浄化されたといっても、魂の本質はそうそう変えることが出来ない」
手すりを掴んでいた指が震える。鼻の奥がつんとして、淡い光が宵闇に滲んだ。いつの間にか涙が溢れていた。
「だから、僕をその他の人間共と同類だと勘違いしてもらっては困るということです」
あくまでも高飛車な骸の態度に綱吉はなんだかおかしいようなほっとしたような複雑に絡み合った感情に顔を顰めた。
「沢田綱吉!」
「うわっ?!」
急に大声を上げた骸に驚いて視線を彼に向けると、綱吉の視界に自分に向かってゆっくりと向かってくる物体が目に入って慌てて掴んだ。
「え……これって?どういうことだよ!」手にしたものに戸惑って綱吉が叫ぶと、
「僕のものですが君に貸してあげます。僕は利用できるものは利用する性質なので」彼独特の笑みで迎えられる。
「アルコバレーノが何かコンタクトを取ってきたらそれを使いなさい。犬でも千種でもいいですが、あとでそれに僕から連絡しておきましょう」
「それって、骸さん」
「利用してあげられてもいいと言ってるんですよ。君には色々と借りもあることですし。アルコバレーノは僕にとっても目障りですから早いとこ潰しておきたいんです」
アルコバレーノ、と骸が告げるたび胸がチクリと痛む。そしてそれは誤魔化してしまうには綱吉の中で大きすぎた。失ってしまったものに対する哀愁だと綱吉は気付かなかった。
「失ったものはまた手に入れればいい。そうやって落ち込んでるよりずっとマシだと思いますけど?」
その言葉に綱吉は弾かれたようにジャングルジムから身を乗り出して、闇に消えそうな骸に叫んだ。
「骸さん、ありがとぉお!!」
それにクフフとどこかかから笑い声がして「Arrivederci」という異国の言葉が星空に溶けた。
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