通りゃんせ 通りゃんせ ここは冥府の細道じゃ 鬼神様の細道じゃ ちっと通して下しゃんせ 贄のないもの通しゃせぬ この子の七つの弔いに 供養を頼みに参ります 生きはよいよい 還りはこわい こわいながらも とおりゃんせ とおりゃんせ―― 「お参りが終わったらそのままサムん家に寄ってくるから! じゃ、行ってきまーす!」 「夕飯までには帰るのよー」 「はーい!」 次の日もまた、あの夢のせいで飛び起きたが、ジョミーはそれを誰にも話していなかった。もう十四にもなるというのにと馬鹿にされたくなかったし、夢であったことを言葉に出してしまうのがなんだか不安だった。 もし誰かに喋ってしまったら、本当にそうなってしまうようで嫌だった。言葉には言霊が宿っている、と、小さいころ母に教えてもらった。だから人を傷つけるようなことだけは、あまり話さないでね、とも諭された。その教えが今になって脳裏にちらついているのはどうしてだろう。口に出せばそれが叶ってしまうなど、迷信もいいところなのに。 (早く済ませてサムたちとゲームしよっと。シロエも新しいゲーム買ったって言ってたし) 夢のせいで寝不足のはずなのに、社に向かう体はやけに軽い。このままだったら、かけっこでいつも競争しているキースにだって簡単に勝てるくらいだ。そう楽しく思いながらジョミーは村の外れにある大きくて古いお社に向かって走った。鬱蒼とした緑に覆われた道を駆け抜ける。 「お参りって言ってたけど、社の中に入るのかな……それとも外で鈴を鳴らすだけでいいのかな」 家からずっと走ってきたのに息切れすることもなく社に着いた。ジョミーは周囲を窺うようにきょろきょろと辺りを見回した。しかし、そこに人の気配はない。 天にも届くような高い木々に囲まれた、厳かな空間。神が住まうとされている場所。 当然ながらそこに人影などある筈がなく、ジョミーは少し迷ってから敷地に足を踏み入れた。 「いったいどこに……あ、あれかな」 無言の空気に堪えかねて、ぶつぶつと呟きながら敷地内を進む。すると、格子扉が開かれているのを見つけ、誘われるようにジョミーはそこに歩いた。靴を脱いで、恐る恐る中に入る。見回すと、部屋の中央にうず高く積まれた白い祭壇があった。その上には、それぞれさまざまな供え物が置いてある。一番上に供えられた、なにか真っ白い布のようなものが目に入る。 (変なの。普通こういうのって、誰かと一緒にやるもんじゃないのかな) 神主のような大人がいると思っていたジョミーは、首をかしげながら祭壇に一歩一歩近づいていった。 「ま、何でもいいからさっさと終わらせてサムたちと遊ぼう」 「それは無理だよ」 (え!?) 祭壇に近づいて掌を合わせた瞬間背後から聞こえた声に心臓が飛び上がる。慌てて振り返って後ろを見た。 「き、君は?」 (いつから、そこに) 振り返った先、先程入ってきた扉を背にして一人の少年が立っていた。 驚き動揺するジョミーと目が合うと、少年はゆっくりと微笑んでジョミーに近づいてくる。 「僕はブルー」 「ブルー? あの、さ、ブルーも目覚めの日のお参りに?」 染み一つない真っ白な着物と彼の整った表情に思わず目を奪われていると、近くまでやってきた少年が唐突に名乗った。 「違うよ」 祭壇を背にして立つジョミーの前まで来ると、ブルーと言った少年はきれいな笑みを浮かべながら首を振った。 「君を迎えに来たんだ」 ブルーの言葉にきょとんとして、ジョミーは自分を指さした。 「迎えにって、僕を?」 「そうだよ」 「どうして?」 脳裏を一瞬だけ掠めた不安を押し殺し尋ねる。この村で生まれ育ったジョミーが見たことのない少年。どこから来たんだろう、と不思議に思いながらじっと見上げる。 「君がジョミーだからだよ」 「は…?」 不可解な言葉に眉が寄る。からかわれているのだろうか。 「マ、か、母さんに何か頼まれたの?」 その時に名前を聞いたのかと思いながら聞いた言葉に、ブルーは微笑んでいるだけで返事をしなかった。代わりに別のことを話し始める。 「目覚めの日を無事に迎えて、おめでとうジョミー。十四という新たなる目覚めのときを僕はずっと待っていたよ。そして、再びまみえることのできたこの再会を僕は祝福しよう」 「再会? 君と僕が? どこかで、会ったっけ…?」 ブルーは真っ赤な瞳にジョミーを映して、一度だけうなずいた。 「いつも会っていただろう?」 ブルーの唇がゆるく持ち上がる。それを目にして、ジョミーの背筋が震え上がった。 (嫌だ…聞いちゃ駄目だ……!) 心が叫んだ。しかし、ジョミーは動けなかった。 「君の夢の中で」 そう言って、伸ばされた腕を避けることも出来ず、呆然としたまま彼に抱きしめられる。ふわりと漂う風のような匂いにはっとジョミーは我に返った。 「冗、談きついよ。僕は君と会った事なんてない!」 完全にからかわれていると思い、突き飛ばそうとした体は、ジョミーの意思を無視するかのように動かなくて目を見開く。 「ど、うして……」 (力が、はいらない) かくりと膝から力が抜け、全身の力が何かに吸い取られるかのように痺れていく。 「すまない。やはり生身の肉体では負担が大きいようだ」 (負担って、なんの? いったい、なにがどうなって) 虚脱した体をしっかりと抱きしめたブルーの言葉に疑問が湧く。自分の体なのに、どうしてこうなっているのか理解できなくて怖かった。力が何かに吸い取られるように零れていく。 「僕の力は、まだ人間の君に与える影響が大きすぎるようだね。近づいただけで、勝手に生命力を吸い取ってしまう」 ふらふらと眩暈がして、視界の定まらない中で聞こえてくる声。意味不明なその言葉を理解しようとしたところで、ぐっと体を抱え上げられる。 「な、に――」 するんだ! と、口に出して抗議することもできず、急に変わった視界に目が回る。 ブルーはジョミーを抱えたまま、とんっと軽やかに祭壇の一番上に降り立った。まるで蓮の花のように重なった絹の上にそっと寝かされる。ブルーがなにをしたいのかよくわからない。 「目覚めの日…。永き時を過ごしてきた僕が、たった十四年という年月さえこんなにも遠く感じた……」 ブルーは、ぐったりとまぶたを閉じてしまったジョミーの頬を撫でながら呟く。 着ていた衣服が、音もなくするりとはだけていくのを感じる。ひんやりとした空気に睫毛を震わせ、ジョミーがうすく目を開いた。 「な…に、が」 「ジョミー、僕の瞳を見て」 「え? あ、あ……ァあ……あッ!?」 抗えない声色に、促されるまま見上げたブルーの瞳。目があった瞬間、体の内側に何かが入り込んだような気色の悪い感覚にジョミーは悲鳴を上げた。 「あぁ……っ、やめ……いっ」 決して誰も踏み込むことの出来ない領域を強引に曝け出され、かき回されるようだった。逃げられない状態のまま、なすすべもなく深く相手に潜り込まれているような気持ちの悪さ。 (いやだ…やめろっ!……ぼくに、触れるな!!) 精神を他人の手で混ぜ返され、作り変えられていく恐怖にジョミーは必死で抗う。 (大丈夫だから。僕にすべてをゆだねて) (やだ……っ、やめ……母さ……マム……助けて! ……マム…パパ!) 荒れ狂うような熱さが沸き起こって、コントロールが効かない。自分の体なのに、どうしようもできない事実に涙が溢れる。 (ゆだねるんだ。君の心、君の肉体、君の魂――) 「すべてを僕に」 (一つとして欠けることなく) 体の内と、外から響くブルーの声。 「君が生まれる前から、君はこうなる運命(さだめ)にあったんだ」 さらけ出された白く幼い肢体を、ブルーの手がゆっくりとたどる。 (ヒィっ…!) 冷たい手が触れるところから、ぞくぞくとした感覚が湧き上がって背筋を駆け上がる。びくん、びくんと跳ねる身体を見下ろして、ブルーがくすりと笑む。触れることなく立ち上がった幼い昂りに触れることなく、ブルーはジョミーの身体のすみずみまで掌を這わせた。 外と内の、わけもわからない熱の正体を、まだ十四になったばかりのジョミーは知らない。ただ、自分の身体を支配しようとするその熱から必死で逃れようと足掻く。 (くるしい……たすけて…アツイ……僕が、消えてしまう!) 「消えはしない。だが、抗わないほうがいい。抗えば抗うほど苦痛が生まれる。諦めて僕のものになるしかないんだ」 (そんなの、イヤだ…でも、くるしい……だれか、たすけて!) 「僕の手を解かない限り、その苦痛から君は解放されない」 (だからジョミー、僕を受け入れるんだ。僕の名を紡いで) は、は、と熱を吐き出すために開いた唇に触れながら、ブルーはぼんやりと宙をさまようジョミーの視線を絡め取った。 「あ…ぁ……」 「そう、そのまま呼ぶんだ。僕の名を」 「…ぶ、る…ブ、ルー、たすけ、たすけ、て……」 かすれた吐息を隠すこともできず、ジョミーはただすべての元凶であるブルーに縋ることしか出来なかった。ただ一つの名を、助けてくれという意識の中で必死に叫んだ。 (そう…良い子だ) 「ァ? ぁ、あ!?……っぁああああああああ!!!」 ブルー、と彼の名を紡いだ瞬間、圧倒的な熱にすべてを奪われるようにして、ジョミーは意識を失った。 ぐったりと気を失ったジョミーの頬や額、睫毛、唇などにやわらかく口づけを施しながら、ブルーは満足そうに微笑んだ。何も纏っていない幼い肢体に飛び散る白濁。ブルーが手を触れることもなく、幼い性はブルーの纏う気だけでその熱を散らしてしまった。 (少し無理をかけすぎたか……すまない、ジョミー) 人間の幼子には強すぎる力を持つがゆえに、ジョミーはブルーを拒むことなど決してできはしなかった。 長い睫毛についた涙の雫を唇で舐めとり、裸のまま気を失った少年を抱きかかえる。ブルーが宙を見据えると、その先に音もなく扉が浮かび上がった。 「君を連れて行くよ。僕の隣にあるために、君を作り変える」 人間は神と同じ領域に住まうことは出来ない。人ならば誰しもが持っている穢れのせいで、人は神の住まう聖域に踏み込むことが出来ないのだ。そこに神の意思がない限り、人は人としてその生を終える。 「君の穢れを清め、僕と身を結ぶとき……君はもう人間には戻れないんだよ」 意識のないジョミーに語りかけながら、ブルーは歩く。視界に広がる大きな川まで来ると、ジョミーが逃れられないようにしっかりと抱えたままゆっくりと水の中に入っていく。 この澄み切った聖なる川で、人間として過ごしてきたジョミーの穢れを清めるのだ。向こう岸にたどり着いたとき、ジョミーは人間としての生を終え、無垢なるものとしてブルーに祝福を受ける。 「そうなったら君は、もう僕から離れられないんだ」 人間が神に見初められるとはそういうことだ。契りを結び、神自らの手によって永遠とも言うべき未来を分け与えられる。ジョミーが生まれる前、母親の胎内に宿った煌めく魂の輝きにブルーは惹かれた。この世に生れ落ちてなお、母に手を引かれて現れるジョミーの姿を目にしては身を焦がした。 ジョミーがまだ三歳のとき、事故で重症を負った彼の父親の命を助ける代わりに、十四歳の目覚めの日に、彼を自分の伴侶として天上に連れて行くことを母親に約束させた。 その時からずっと、ブルーはジョミーだけをただ待っていたのだ。彼が己の半神として一生傍に寄り添うことを。 「早く起きておいで。君を待つこの十四年の間、僕は君だけを待っていたのだから」 ブルーは満足げに微笑んで、己の腕の中で眠るジョミーにそっと口づけを落とした。 end. |