六道骸が銀色のいかついアタッシュケースを持って沢田家に訪れたのは金曜の夜のことだった。夕飯に呼ばれる一時間ほど前に突然やってきた彼は、無言のままずかずかと部屋主の言葉すら無視して上がりこみ、机の上に散乱していた漫画や飲み終わったジュースのペットボトルなどを腕の一振りで片付けた。 「ちょっと、なにやってんだっ!? そのペットボトルにまだジュース入ってたのに!」 「知りませんよそんなの」 きれいになった机のうえにドンッとケースを置き、よくわからない展開においてけぼりの綱吉の前でケースを開けていく。部屋主よりもよほど堂々とした態度に綱吉は身の置き所がなくなる。いつもはうるさいくらいに騒ぐランボやイーピンは、下で母と一緒に餃子作りをしていた。リボーンは最近お気に入りの山本の家にすしを食べに行っている。 窓を突き破ることなく入ってきたのはいいが、完全に二人きりになった室内に冷や汗をかく。 骸はやってきたときと同様、唐突に切り出した。 「ここに三億あります」 「は……?」 綱吉にケースの中身を見せるようにしながら開いたその言葉どおり、そこには見たこともないくらいたくさん並んでいる福沢諭吉の顔があった。皺の一つもない、ピン札だ。ご丁寧に銀行の印字がされた白い紙で束ねられている。 「おまえなに考えてんのォーっ!? ちょ、どうしたんだよコレ! まさか銀行ごうと」 「失礼ですね。僕はスマートな人間なんです。そんなことだれがやりますか」 真っ青になってがたがた震えながら後ずさる。愕然としながら見上げると、失礼な、と眉を顰められた。 「だって……なぁ。じゃあどうしたんだよ、こ、このお金!」 「僕のものですが?」 さらりとなんでもないことのように告げられ絶句する。普通のサラリーマンが生涯やっと稼げるほどの金額をあっさり自分のもの発言してしまうなど、平々凡々(最近はすこし違うが)な生活をしてきた綱吉にはにわかに信じられない。ふるふると震えながらさした指が硬直する。 骸は思わず正座してケースの中を凝視している綱吉の横に座り、いつもの不遜な態度をまったく変化させることなく、これまた唐突に言った。 「取引しませんか」 「取引って……オレと? なんで」 疑問の形を取ってはいるが、ほぼ命令だ。よくわからないながらも、綱吉は見つめてくる視線の強さに負けて返事をする。 「これで君を売ってください」 「は……? え?」 「君を構成するすべてのものが欲しい」 「は…はぁああああ!?」 「僕のものになれ、ってことです」 「な、な、なに言ってんの〜〜!? そんなことできるわけないだろ!!」 取引の内容はいたってシンプルで、金を払う代わりに自分のものになれということだった。綱吉はぶんぶんと首を振った。まったく何を考えているのかわからないが、頷いてはいけないことだけはわかっている。ものすごく今更ながら、この男が何を考えているのかまったく理解できない。 「足りませんか? これでも君の立場やらなにやらを考慮して、相場の数十倍の値段なんですが」 「そういう問題ぃい!? 違うだろそこは! しかもさらっと怖いこというし!」 骸はケースの中から一つ、紙幣の束を取って、綱吉の前にかざす。うっ、と怯む綱吉をからかうように目の前でひらひらと振る。 「これだけで君が欲しがっていたゲームが何本買えると思います? この中に入っているものだけで君の好きな漫画にゲーム、洋服に靴、アクセサリーなどなんでも買えるんですよ」 「そ、それはそうかもしれないけど……でも」 「不満ならこの倍出してもいいですが、よく考えてみてください」 反論を遮るようなタイミングで骸が口を挟む。 「なにを?」 「本来なら無理やりでも君のことを手に入れようとしていた僕が、こうしてなんの実もない取引を持ちかけたことさえ奇跡のようなことだ、ってことです。僕からしてみればありえないくらいの譲歩案ですよ」 「なんだそれ! まったく嬉しくないからな?! そんなこと言われたって!」 「ぐだぐだ言ってないで一言うん、って言えばいいんですよ、めんどくさい人ですね。君のような平均値を遥かに下回った人間が、これだけの金額を稼ぐのにどれだけ月日がかかると思ってるんですか? 君じゃ一生かかっても無理ですよ」 「ほんっとに失礼なヤツだな!」 反論できないことを言ってくる骸に綱吉が拳を握る。悔しいが手を出せば即報復されることがわかっているので殴ったりはしない。めんどうなのはおまえのほうだと綱吉は内心で叫んだ。 「そうだぞ骸。ボンゴレなめてんじゃねー」 失礼なことをずばずばと断定口調で諭され言葉をなくす綱吉に、ここぞとばかりに骸が近づく。が、突然割りこんだリボーンの声に隠そうともせずチっと舌打ちをした。二人揃って扉を振り返れば、いつものように山高帽を被ったリボーンがちょこんと立っていた。ブリムには相棒のレオンが乗っている。 いつのまに部屋に戻っていたのか綱吉は気づかなかったが、助かったと力を抜いた。 「ボンゴレ次期後継者に払うのがそんなはした金でいいと思ってんのか? 将来は数百億ドルを動かすようなゴッドファーザーになるヤツなんだぜ? まだダメダメだけどな」 「オレはマフィアにはならないよ!」 「僕は君と来るべき未来の話をしにここへ来たわけじゃありませんよ」 「だったらなんだってーんだ? ダイヤの原石はただの石ころだというつもりじゃないだろ。そんなもんで動くほどこいつは安くねーんだ」 「……二人とも、オレ抜きで話をするなって」 お互い口角を上げて笑ってはいるが、発せられるぴりぴりとした空気に、綱吉は自分のことなのに会話に混ざれない。自然と抗議する声も小さくなってしまう。 「オメー、まだこいつのことを諦めてねーんだな。マフィアを牛耳って甘い汁でも吸いたいのか?」 「クフフ、僕がそんなことに興味があると思うんですか? くだらない。僕はただ彼に興味があるだけだ。マフィアのボスになるという未来しか望めない、愚かで非力な彼に」 骸は視線を横に流し、やれやれと肩を竦めた。なんだか馬鹿にされたような感じがして綱吉は顔を顰める。 真意の読めない態度にリボーンが首を傾げた。 「酔狂なやつだな。こいつに惚れてんのか?」 思いがけず放たれた爆弾に綱吉が引きつる。一瞬の間をおいてリボーンに叫んだ。 「おいおいおいーっ! なに言ってんだよリボーン、そんなわけあるわけな」 「そうだと言ったらどうするんですか?」 「……本気か?」 今度こそ何も言えなくなった綱吉を気にする様子もなく、骸は不敵な笑みでもってリボーンに答えた。 「人の恋路に邪魔するやつは馬に蹴られてなんとやら……って、この国の言葉でしたか? あまり野暮なことしないでくださいよ。君はこの子といつまでも一緒ってわけではないんですから。しょせん雇われの身でしょうに」 「マフィアのボスを男色家にする気か? オメーも大概腐ったヤツだな。親の顔が見てみてーぜ」 「君に言われたくないですよ。なんなら会ってみますか? 地獄の底でね」 「ハっ、上等」 「こらこらこらこらこら――――っ!! 人の部屋で武器出すの禁止! っつーかなに怖いこと言ってんの!?」 各々が無言で武器を構えようとする。あまりの急展開に眩暈がするのをこらえながら、近くにいた骸に慌てて飛びつく。このまま暴れられたら部屋がめちゃくちゃになってしまうので、どうやっても骸を放すわけにはいかない。 だいたい、顔を合わせると険悪なムードになる骸や雲雀、獄寺などに何回部屋を破壊されたかわからない。掃除だって結局自分がするに決まっている。 綱吉は自分より力の強い相手を必死でぎゅうぎゅうと掴んだ。 「ツナ、そいつから離れろ。孕まされてーのか?」 「クハハ! おもしろいことを言いますねぇアルコバレーノ。望みどおり地獄に堕としてあげますよ」 「やめろー! 頼むからオレの部屋を壊さないでーっ!!」 自分だって抱きつきたくはないが、この手を放したらどうなるかわからなかったので綱吉は必死に骸にしがみついていた。 結局、餃子を作り終わった子どもたちが綱吉の部屋に乗り込んでくるまでにらみ合いが続いた。耳から腐りそうな言葉がぽんぽん飛び出す室内で、綱吉は霞みそうになる意識をなんとか保った。 「僕は諦めませんから」 何故か夕飯を共にして、帰る際にもう一度骸が告げた。窓際に身体をかけ、そのまま溶け込みそうな闇を後ろにして。 (そんなこと言われたって、なぁ) それだけを告げて姿を消した骸に、これからどうしようと不安になりながら、綱吉は机の上に置かれたままのアタッシュケースを見て頭を抱えた。 |