知らないことなんてないような人ってたまにいる。
 綱吉は自分の部屋で机に噛り付きながら教科書の文字を目で追っていた。向かいからの寒々しい空気を誤魔化すためでもある。なんで休みの日にこんなことをしなければならないのかといった無言の抗議も、最初の十分ですっかり消えてしまった。

「だから……君ねえ、いったい何度同じことを言わせるんですか。仮にも君、日本人でしょう」

 はあ、と馬鹿にしたようなため息を吐いて綱吉を睨むのは六道骸だ。机に肘をついて、手のひらに顎を乗せている。黒い細身のパンツに、重ね着したタンクトップの上からシャツを羽織っている。首もとのネックレスと合わせるとすごく派手な格好だ。耳についているピアスの群がおしゃれを通り越してなんだか怖い。

「すいません」 と、冷や汗をかきながら綱吉はすでに何度叫んだかわからない文句を内心で呟く。なんでこの人と一緒に勉強なんかしちゃってるのか、と。
 期末テストを二週間後に控えた日曜日。テストでいい点を取ろうなどまったく思わない綱吉は獄寺とはまた違った問題児だ。テスト勉強などせず今日も遅くまで寝て過ごす予定だった。せっかくの日曜日だ。ここのところリボーンや周囲の諍いに巻き込まれて疲れきっていたから、たまの休みくらい自分で好きに使いたい。
 平和っていいなあと綱吉はしみじみ思う。心の底から思う。ごろごろとベッドの上を寝転がりながら惰眠を貪っていると、突然ものすごい衝撃が鳩尾を襲った。

「ぐえっっ……!!」

 寝汚い綱吉が一発で目を覚まし、もんどりを打つほどの痛みと衝撃。呼吸が止まり、体が硬直する。か細い呼吸を繰り返しながらしばらく黙っていると、今度は布団越しに顔面を押さえつけられる。またランボかイーピンが何かいたずらでもしたのかと怒鳴りつけようと痛む腹を押さえつつ飛び起きると。

「いつまで寝ているんですか。さっさと起きてください」

 ベッド脇に屈むようにして立っていた六道骸が、押さえつけていた右手を外してひらひらと振った。おはようございます。と取ってつけたように微笑む六道骸の姿に、綱吉は呆然としてしまって、おはようございます、と思わず返してしまった。何でいるんですか、なんて、もちろん言えるわけがなかった。

「む、むくろさん……」
「なんですか?」

 集中力とか体力とか精神力とか、色々なものがそろそろ限界な綱吉は骸に声をかけた。すでに日は高く上り、骸の手によってつけられた扇風機の風だけじゃ暑い。母親に入れてもらったジュースに入っていた氷もすっかり溶けてしまっている。

「そろそろオレ、っていうかもうすでにダメそうなんですけど。あたまが爆発しそう」
「だらしないですね。たかが問題数個解いただけじゃないですか。答えすら合ってないですよ」

 弱音を吐く綱吉に、骸がはあ?と首を傾げる。理解できないと両目を丸くさせている。頭の回転が早い人との勉強はツライと綱吉は絶望的な気分になった。これが山本だったら、そうだなあと笑って頷いてくれるに違いなかった。

「君の勉強が終わらないと僕も解放してもらえないんですよね〜。まったくもって面倒です。守護者だかなんだか知りませんが、そんな役割与える人間なんて死ねって思いません? ボンゴレ」
「理不尽だな! それはオレじゃなくてリボーンに言ってくださいよ……。オレだってこんなことしたくない……」
 
 はああ、とため息を吐いて教科書の上に突っ伏す。大量に散らばった消しカスで汚かったが、それすらどうでもいい。

「理不尽なんて、それこそ僕の台詞だと思いますけどね」  

 骸が鼻を鳴らして素っ気無く言った。ぱらぱらと暇つぶしに捲っていた教科書類を閉じると、綱吉が四苦八苦していた古典のプリントに目を通す。  
 さらさらとペンのすべる音を聞いて、綱吉は顔を上げた。何回も書き直したプリントは文字を消しても後が残ってしまった。その上を綺麗な文字で埋めていく骸に、綱吉は思わずじっと見てしまう。

「? 何ですか?」

 訝しげに綱吉に視線を合わせる骸の手元と顔を交互に見ながら、なんでもないですと首を振った。
 頭もよくて字も綺麗で顔もまあかっこいい。というかピカイチかもしれない。綱吉にはよくわからないしあまり興味もなかったが、いい男は世界共通だとハルだったかビアンキだかが言っていたのを思い出す。外国人だからそう見えるのかもしれない。
 綱吉はそれとなく骸を眺めた。神様は目の前の男に物凄くたくさんの物を与えたが、非常識さやタチの悪さ、残虐非道な性格などその他もろもろによって魅力など相殺されているに違いなかった。
 そして綱吉は骸の散々な行為の数々によって彼の上辺を見る暇がなかったので、こうして二人で暴力無く会話が出来ていることにすこし新鮮さを感じた。

「骸さんって、頭いいんですね」
「それって褒めているんですか? 馬鹿にしてるように聞こえますが」
「なんでそうなるの?!」
「まあ…、君に褒められてもちっとも嬉しくもなんともありませんけど。一応ありがとうございます。というよりも、君が馬鹿すぎるだけなんじゃないですか」  

 わずか数分でプリントに書き終えた骸がニヤニヤ笑いながらプリントを揺らす。馬鹿にしていると分かったが、綱吉はこめかみを引き攣らせながらも反論できなかった。だって部屋には二人きりだ。怒らせたら面倒だし、こわい。

「まあ、最悪それを出しちゃえばいいんじゃないですか」
「これを? ムリですよ。オレが書いたんじゃないって一発でばれちゃいます」
「じゃあ写し直せばいいじゃないですか。君にだってそれくらい出来るでしょう?」
「でも骸さんの字、達筆すぎてオレよくわかんないんですけど……」

 ひらりと骸の手から離れたプリントに目を通して、眉尻が下がる。日本人ですらこんなに上手に字を書く人なんていないんじゃないかと綱吉は思う。それと同時に、この人に出来ないことなんてあるのだろうかと疑問が浮かぶ。

「骸さんって、出来ないことなさそうですね」

 物事に完璧を求める性質なんだろうか。いや、でも飽きたら飽きたで興味はすぐ失せそうだと勝手に推測する。
 骸は色違いの瞳を綱吉の瞳に合わせて片笑んだ。尖った肩を震わせている。何を当然、と言いたげだ。

「君はどうなんでしょうね。君にできることがなんなのか、僕はそっちに興味がありますよ」
「オレに出来ることなんて、せいぜい攻略本見ないでゲームクリアすることくらいですよ……」  
「それはそれは、素晴らしいですね」

 何かを企んでいるような空気に綱吉が呻きながら牽制する。直感が、何かぞわぞわとした怖気を感じている。  
 骸が机を挟んで綱吉に手を伸ばした。前髪を後ろに撫で付けられる。

「だったら、僕と二人でゲームをしましょうよ」
「お、お断りします!」
「なあに、簡単なゲームですよ。僕がゲームに勝ったら君をもらう。君が勝ったら僕は君に何もしない。そうですね、命令であればしばらくは大人しくしていてあげてもいい」
「ちょっとタンマ! か、肝心のゲームの内容言ってないじゃないですか。しかも負けたらオレの体もらうって?! あんたまだ諦めてなかったんですか――!?」  

 骸の手から逃げつつ、綱吉は絶叫した。手のひらを胸の前で激しく振る。引きつりつつも、場を取り繕うように笑みを浮かべた。
 骸は振り払われた右手を開いたり閉じたりしている。クフフ、と笑う感じががらりと変わった。うさんくさい好青年風だったものが、一気に邪悪な禍々しいものに変わる。

「拒否権なんてもの、君に与えるつもりはありませんが」

 持っていたシャーペンの先端を右目に突きつけられる。あまりにも素早い動きに逃げることもできず、綱吉は息を飲み込んだ。あまりにも近すぎてぼやけて見えるシャーペンの先に、熱を孕んだ双眸がある。

「わ…わかった、から……。これ、どけてください」

 恐怖に声が震えたが、綱吉は骸から目をそらさなかった。

「クフフ。素直な子は好きですよ」
「嬉しくないですけどっ!」

 笑い声を上げながら骸はシャーペンを机に放り投げた。綱吉は素早くそれを取り上げて骸から遠ざける。ただ日常で使う文具が、骸の手にかかれば凶器に変わってしまうことに愕然とした。
 じろじろと人の顔を舐めるように見ている失礼な人間に、常識とか倫理観とか期待するだけ無駄だろう。綱吉は心の底からため息を吐き出した。

「オレはなにすればいいんですか?」
「そうですね……。じゃあちょっとそこに横になってください」
「は? はあ。それだけでいいんですか?」

 にこにことベッドを指差され、綱吉は不審に思いながらも自分のベッドに腰掛ける。一人で寝る分には丁度いいサイズだが、たまにランボが部屋を間違えて潜り込んでくる時なんかは少々狭くて困る。
 立ち上がって近づいてくる骸に怯んだ。

「僕は横になれ、って言ったんですよ」
「なっ?!」

 ドンッ!!と肩を強く押されてベッドに倒される。膝をついてベッドに乗り上げた骸の顔が、すぐ近くにある。掴まれた肩が痛くて顔をしかめた。
 ふに、と柔らかなものが唐突に口に当たった。綱吉は信じられないというように目を丸くして、骸を見上げた。クフ、と笑った際の吐息が唇をくすぐる。
 ぬるぬると自分の唇の輪郭をなぞっているのが骸の舌だということに気づいた綱吉は、我武者羅に暴れだした。覆い被さる骸の胸板をドンドン!と強く叩いて激しく抗議する。

「ふぁにふんふぁふぇんふぁい(なにすんだへんたい)!!」

 骸は精神的に大ダメージを喰らっている綱吉の必死の抗議を軽くあしらい、口を開いた綱吉の中に入って自分の好きなように貪った。ぬるりとした、思いがけない質量の舌が歯列をなぞり、怯えたように小さく縮こまった綱吉の舌に絡みついてくる。ぞわぞわとした悪寒が背中から腰にかけて駆け抜けた。
 ひやりとした感触に驚いて綱吉は目線を下げると、いつのまにか服の下に潜り込んだ骸の手のひらが本人の了承も得ず好きに撫でまわしている。唇を離して骸が笑う。

「くふ、薄いですねぇ…。小さいし、細い……」
「なん、な……んなんですかあ! 骸さんっ、正気に戻ってよ!」
「僕はこの上なく正気ですよ」

 自分の身に降りかかった災難にすでに涙目の綱吉に、骸は慈悲もなく一言告げた。 冷たい手のひらが、綱吉の体温を奪うようにだんだん温かくなっていく。それを如実に感じられて、綱吉はそれを振り払うように首を振った。

「遊戯って言うのは、別に勝負事に限ったわけじゃないんですよ。こうやって…」

 ぐにぐにと綱吉の乳首を摘んで弄びながら、耳の中に舌を突っ込み舐めまわす。びくびくと痙攣したように震える身体に骸は哄笑した。

「君を喜ばせて遊んであげることも、僕にとっては立派なゲームなんですよ」
「ちが…それ、違う、だろっ!」

 綱吉は圧し掛かる骸を押しのけながら全力でツッコんだ。今必死で抗わないと、男の沽券とか道徳とか色々大事なものが目の前の男に奪われてしまいそうだった。

「そうですか? じゃあ、僕が一回出すまで君がついて来られたら君の勝ちということにしてあげてもいいですよ。種類はそうですねぇ…セックスから始まる恋愛シュミレーションゲームということで」  

 身を起こした骸が、片手で綱吉の膝裏を掴んで自分の肩に足を乗せる。

「いいいい、言ってる意味がわからないぃ!!」
「では手始めに骸先輩とでも呼んでいただきましょうか。沢田綱吉くん」

 顔を蒼白にして叫ぶ綱吉の口を塞いで、骸は上機嫌に目を細めた。






end.
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2007,6,26 Write By Mokuren