雨が降っている。 昼過ぎから降り始めた霧のような雨が、長い時間を経て窓を叩くほどの強さになった。 昔から雨の日は苦手だった。憂鬱でもある。いや、嫌いだと言ってもいい。小学校、下手したらその前のころから、雨が降った日にはろくなことがない。 シンジは沸騰したケトルからマグへお湯を注いだ。この2、3日で急激に下がった気温のせいでどことなく体調が悪い。 室内に広がるココアの香りと、手のひらから伝わる熱さに冷えた体が震えた。だるい体をもてあましながらも、布団に入ることはしない。眠りたいのに眠れない。そんな日もある。 壁の向こうから聞こえてくる雨音を聞くのが嫌で、普段はめったに見ないテレビの電源を入れた。途端、静寂が遠ざかる。シンジはマグを一度テーブルに置いて、ブランケットをかぶる。またマグを手に取って、ソファの背もたれに体を預けた。 一口、あたたかなココアを飲む。口内に広がる甘さは、舌の上にひりつくようにして体内に流れていった。 仕事以外であまり鳴ることのない携帯電話は、無言のまま冷たいガラステーブルの上に横たわっている。本日の役目を終え、眠りについたのだろう。 今よりもよほど子供だった頃から、人と付き合うことが得意ではなかった。だがそれも、歳を取るに連れ徐々に慣れていった。いつまでも子供のままではいられないと分かっていたからだろうか。 何のきっかけでそうなったか心当たりはなかったが、その変化をあまり多くない友人の中で、さらにシンジの過去を知る友人たちは喜んでいた。 電気を消した暗い室内で、目まぐるしく変わる光源。冷たい床。冷えた爪先。 シンジは小さく身震いすると、マグを置いて深くかぶりなおした。大人と呼ばれる年齢になっても、寒いものは寒い。当然だ。外に出れば背負う立場が義務や立場が昔より重いものになったからとはいえ、結局、根本的なところは変わりようがないのだった。 学生服がスーツになって、できることの範囲がかつてないほど広がって制約が増えても、靴を脱ぎ服を脱ぎ去って鏡の前に立てば、変わることのないものも知る。 36度の熱をまとった肉体がこの地に引き止める。見えない空気が己を生かす。 変わらない。 変われない。 痛みも幸福も。すべては脳の電気信号だ。 首筋に触れる。片手では足らず、両手では余る。力をこめると、気道が閉まる。 苦しい。 だからこそ、生きていることを実感する。当たり前のことだからこそ、泣きたくなる。思い出す、けれど確実に薄れていく過去は、このようにまったく無防備で弱っている瞬間に限って目の前に現れた。 忘れたくないのか、それとも忘れさせてくれないのか、判断がつかない。 シンジは首筋から手を離した。同時に呼吸が戻る。じっと手のひらを見つめた。幾分か成長し、あの頃より固くなった手のひら。一度だけ触れられた、あの熱。 覚えている、きっと。いつになっても、誰と触れても、忘れられないだろう。 目を閉じると、にぎやかな音をすり抜けてしとしとと耳障りな雨音が鼓膜に消えていく。 癒されない傷に、冷たい雨音だけが染み入るように消えていった。 忘れたいことこそ、忘れられない |