ポン、と軽快な音を立ててその人物が現れた瞬間、綱吉は『ああ、またか』と半ば諦めの気持ちにも似た気持ちだった。
 桃色の煙がもくもくと立ちのぼり、宝飾品で胸元を留めたおしゃれマントを身にまとったご先祖様がそこに立っている。背は綱吉より高い。夏休みということもあり少し日に焼けた綱吉の肌よりよほど白く透き通るような肌をしている。陶器のような肌理細やかな素肌に宝石をはめ込んだような瞳が瞬きをした。
「……デーチモ」
 しゃべらないと精巧に作られた人形のようにも見えるので、綱吉は声をかけられてホッとした。ぎこちなくだが笑顔を向ける。
「こ、こんにちは」
 いくら慣れたとはいえ、やはり急に出てこられるとちょっとドキドキする。お化けやら超常現象が綱吉は正直なところ苦手なのだ。
「今日はいったいどうしたんですか?」
 綱吉の言葉に、ジョットは琥珀の瞳いっぱいに光を映して頬を染めた。いい歳だというのに少年のように目がきらきらとしている。いつもは引き締まった口元も、どこか緩んでいる。
 夢見る少女、もしくは少年のような表情でデーチモ、とうっとりと呼ばれた。
「どうしたんですか!? この暑さにやられましたか!?」
 平均気温が軒並み三十度を超える連日の暑さだ。綱吉はジョットの正体をいまいちよく分かっていなかったが、幽霊じゃなくてもどこかおかしくなってもしょうがない暑さだと思っている。
 しかし、ジョットは暑そうなマントを脱ぐ様子もなく、扇風機を一人独占していた綱吉に向かって首を振った。
 それ、と指差した先にあるのは綱吉の手に握られた今日のおやつのどら焼きだ。
 均等に火の通った綺麗なこげ茶色のカステラ生地に、ほどよい甘さのつぶあんが挟まれている。ポテトチップスやチョコレートが好きな現代っ子丸出しの綱吉だが、最近はある人からよく和菓子を分けていただくことが多いので、比較的口にする機会は多い。
 おじいさんおばあさんが好きな食べ物、という偏見も最近は徐々に薄れてきている。
 綱吉はいい意味でも悪い意味でも人からの影響を受けやすい、根が素直な子だった。
「…えっ…まさか……好きなんですか?」
「昔、一度食べたことがある。と言っても、こんな風に挟んではいなかったが」
「ええ? どら焼きって昔からこうじゃないんですか?」
「いいや。私の食べたやつは丸じゃなくて四角だったな。あんこもむき出しだった」
「そうだったんですか。知らなかったです」
 一つどら焼きに関して知識が増えた綱吉だが、特に今後役に立ちそうなものではないのが残念だ。
「……あんこの上品な甘さというのは、嫌いじゃないな」
 二十一世紀の猫型ロボットみたいなものが好物か。どちらも非現実的という意味においては似ているかもしれない。
「最近はあんこだけじゃなくって、ホイップクリームとかチョコレートクリームとかが入ってるのもあるらしいですよ」
 綱吉がどら焼きに関して持っている少ない知識を披露すると、初代様は疑問を浮かべた表情のまま首をかしげた。
「ほいっぷくりぃむ? ちょこれぃとくりぃむ? デーチモ、それはどのようなものなんだ?」
「え!? えーと…ちょっと口では説明しづらいですけど……どっちも甘くておいしいですよ」
 綱吉の貧困なボキャブラリーではチョコレートや生クリームを説明するのには少々難しかったのでだいぶ端折って説明した。要は甘いものにさらに甘さが加わったと分かればいいのだ。
「そうなのか」
 ぜひ食べてみたかった、としゅんと肩を落とした初代様にプッと軽くふきだしてしまい、綱吉は片手で口を隠した。子供のように素直に反応する人だなあと思った。
「今度用意しておきましょうか?」
「お願いするよ。私は正直あんこに勝るものはないと思っているが、それはただの勝手な思い込みかもしれないからな。何事も挑戦しなければ分からない」
 真剣な口ぶりで綱吉の手にしているどら焼きを見つめる初代様の熱視線には恐れいる。
「……あのー。よかったらこれ、食べませんか?」
「! いいのか、デーチモ」
 綱吉はリボーン用に用意していたもう一つをそろそろと差し出した。おやつを勝手に人にあげたとばれたら軽く殺されるかもしれないが、この場合しょうがないだろう。
 わざわざリングの中からどら焼き食べにご先祖様が出てくるくらいだ、相当好きに違いない。ここであげないで後で恨まれて試練を出されても困るのだ。賄賂ではないが、せめて内申点くらい良くしておきたいというような魂胆もちょっとは含まれている。
 初代様は綱吉の差し出したどら焼きを受け取って、見ているこちらまでのほほんとしてしまう笑みを浮かべた。幸せでしょうがないって感じの笑みだ。せいぜい一つ二百円もしないだろう代物にそんなに幸福を感じられるのだから、ある意味お手軽な人間である。
 しかし、綱吉はそれを指摘せずに好物を食べるご先祖様を見守った。ぱくりと一口かぶりついて幸せそうな顔をするものだから、綱吉もつられて笑ってしまう。
「お茶でも入れてきますか?」
「ありがとう」
 よいしょと立ち上がり、綱吉は一階に緑茶を入れに行った。最近お茶を入れる機会がずいぶんと増えたので、すっかり慣れてしまって自分でもびっくりするくらい手際がいい。
 湯飲み茶碗をわざわざ洗って使うのは面倒なので、マグカップで我慢してもらおう。いい具合に香りの立ったお茶を片手に部屋に戻る。暑いときに熱いものはどうかと思ったのだが、どうぞ、と綱吉がカップを差し出すと、のんびりとした調子で礼を言われた。暑さ寒さはあまり気にならないらしい。
 綱吉はいつも座っている場所に落ち着く。すでにおやつも食べ終えたし、特にすることもないので目の前の人物を観察するように見る。
 今更ながら、自分と同じ血が通っている人を正面に見るのは不思議な気分だった。本当にこんなのほほんとした人がボンゴレを作ったのか、綱吉にはいまいち信じられない。
「どうした?」
「あ、いや、えーっと」
 あまりにもじぃっと見ていたら当然ながら目が合ってしまった。しどろもどろで慌てて目をそらす綱吉をジョットは不思議そうに見て、ふいに腕を伸ばしてきた。手のひらには、綱吉と同じグローブがはめられている。
 わしゃわしゃと頭を撫でられた。そんなふうに子ども扱いをされることなど久しぶりなので、綱吉はなんだか照れてしまう。わ、わ、と慌てながらもその手を受け入れるとかすかに笑われた。
「綱吉はやさしい子だな」
「そんなこと、ないです」
「いいや。どら焼きをくれた」
「そんなことで!?」
 まさかおやつをあげただけでしみじみ褒められるとは。綱吉はびっくりしながらもついいつもの癖でつっこんでしまった。
 初代はうんうんと頷いて、綱吉の奔放に跳ねた髪の毛を整えてやる。どこか憂いを帯びたその瞳に、綱吉は内心首をかしげる。
「自分のものを人に分け与えられる人間はそう多くない」
「いや、ただのお菓子ですよ」
「それが何かはあまり重要ではないんだよ。だからこそ少し、心配している」
「何がですか?」
 意味深な言葉に綱吉が尋ねる。初代様はぽんぽんと二度軽く叩いてから腕を離した。綱吉の問いに答えてくれるつもりはないらしい。
「大丈夫。引きずられないように、私たちが守ってやる」
「……はあ」
「歴代勢ぞろいだからな。せいぜい邪魔させてもらおうか」
 守るって、いったい何から?と思わないでもないが、綱吉は深く追求せずに頷いておいた。
 初代様はにこりと微笑んで、ほんわかとした雰囲気が室内に満ちる。ああ、こういうのを平和っていうのかもしれないと綱吉がしみじみと実感した時だ。
 突然、からりと音を立てて窓が開いた。
「綱吉、赤ん坊いる?」
 和んだ雰囲気をぶち壊すかのように、これまた唐突に雲雀恭弥が現れた。
 いつものように玄関からではなく窓から姿を見せている。すでに着替え終えた綱吉と違って、いまだに制服のままである。さすがに暑いのか黒い学生服を羽織ってはおらず、白いシャツに風紀の腕章をつけていた。この暑いのに第二ボタンまで留めているところはさすがというところだ。
「雲雀さん?! え、どうしたんですか?」
「赤ん坊に頼まれごとをされてね。探してる」
 雲雀の訪問に、綱吉は慌てて立ち上がった。おかしいなぁと思いながらたずね返す。
「リボーンならまだ学校にいるって言ってましたけど、会いませんでしたか?」
「会ってないよ」
 雲雀はおもしろくなさそうな顔をして首を振った。どうやらすれ違いになってしまったようだ。リボーンの神出鬼没ぶりに頭が痛くなった綱吉を尻目に、雲雀は怪訝な表情をした。
「それ、なに?」
「それ?」
「そこの金髪だよ」
 雲雀は白いシャツから伸びた腕を組んで、綱吉の横に座ってのんきに茶をすすっている初代様を指差した。
 綱吉は雲雀の視線をたどって、ああ、と手を叩いた。そういえば初対面なのだ。
「雲雀さん。こちらボンゴレの初代、ジョットさんです」
 そう紹介した瞬間、なぜか可哀想なものを見る目をされた。あの雲雀に!だ。
「君、頭でも打った? 元からどうしようもなく頭の弱い子だとは思ってたけど。妄想と現実の区別くらいはついてると思ってたよ」
「失礼な!」
「バカなのは本当のことだろ」
 反論も軽く切って捨てられ、綱吉が悔しくて唇をかむ。言いたい放題でひどい。からかっているならまだしも、真顔で言われて綱吉は少し落ち込んだ。思わず肩を落としてしまう。
「……。雲の守護者はやきもちやき、か」
「どういう意味かな」
 それまで黙って成り行きを見ていた初代様が、ぽつりと落とした爆弾発言に雲雀がすばやく反応した。
「図星か?」
 ふふん、と綱吉に向ける顔とは一変して雲雀に不敵に笑いかけながらジョットが綱吉の頭をこれみよがしに撫でてみせた。
 立ったままだったのをまた座らされて、さらには頭を撫でられ綱吉は軽く混乱した。雲雀の視線が氷柱のように鋭く尖っているので息を呑む。何やら怪しい雲行きだ。
「僕の目の前で群れるつもりかな」
「とか何とか言って、本当は羨ましいんだろう」
「誰が!」
「素直になれよ、少年」
 綱吉そっくりな表情で雲雀を小馬鹿にする姿に慄きながら、綱吉はそろりと雲雀を窺った。黒い瞳とばちりと目が合う。下手なことを言うわけにはいかないと口を開くことも出来ず、お互いにしばらく無言で見つめあった。
「なに見てるの。咬み殺すよ!」
 雲雀は綱吉から目をそらしすばやくトンファーを抜き出して初代様に打ちかかった。が、察した綱吉に慌てて引き止められる。腕を掴んだ拍子に、一瞬雲雀の頬が赤く見えたのは綱吉の目の錯覚に違いない。
「死にたいんですか雲雀さん!! 無謀にも程がありますよ!」
「うるさい! 僕はこの幽霊もどきを咬み殺さなきゃ気が治まらない」
「そんなこと言ったって返り討ちにされちゃいますってば!!」
 だいたい幽霊(?)に打撃って効くんですかという最もな質問を、雲雀は一睨みで黙らせた。
「それって僕に対する侮辱かな、綱吉。馬鹿にされたまま引き下がれって?」
 ぎらんと睨まれ、綱吉は真っ青になりながらもぶるぶると首を振る。いくら雲雀が鬼すら裸足で逃げ出すような規格外の強さを持つ最強の中学生だろうと、相手は初代様だ。存在そのものが未知数なのだ、強いのだ。
「困ったものだな……」 
 標的を初代様から綱吉に変えようとした雲雀に、やれやれと初代様は首を振った。呆れた様子を隠そうともしない。
「好きな子をそう苛めるもんじゃないよ、雲の守護者」
 その言葉を最後まで聞かせることなく、雲雀はがつんと綱吉のことを殴って気絶させた。ばたんきゅうと床に倒れるところをむんずと掴み、引き寄せる。引き寄せたら軽すぎて胸にぶつかってしまったのだが、綱吉はうんうん唸りながら気絶している。起きる気配は無い。
 あまりの理不尽な仕打ちにさすがの初代様も顔をしかめた。可愛いデーチモによくも無体な真似をという心境である。
「さっきからぺらぺらとよく回る口だね」
「だって本当のことだろう」
 確かにそのとおりなのだが、素直に肯定するはずもない。雲雀はむすりと不貞腐れて初代様を睨んだ。余裕綽々のその顔をトンファーでぶん殴れたらどんなにすっきりするだろう!
「好きな子にはやさしくしないと可哀想じゃないか。ただでさえその子は人より鈍いんだから。そんな子供みたいな真似じゃあ伝わらないだろう」
「僕は僕の好きなようにするよ。あなたの指図は受けない」
 説教じみた言葉に、雲雀はそっぽを向いた。聞かぬ存ぜぬの態度に初代様はことさら深くため息を吐いた。
「その顔を見ているとぶん殴りたくなるのを抑えて教えてあげてるっていうのに。本当に雲の守護者ってやつは……どいつもこいつも我儘な奴らだ」
 初代様は雲雀に抱えられた綱吉をひょいっと奪い返してやさしく横たえた。さらさらと髪をなでる手つきはやさしい。
「僕の顔が何だっていうの」
 雲雀は綱吉と得体の知れない人間もどきを一緒にさせるのも癪だったので、リボーンが来るまで部屋にいることにした。こんな得体の知れないものと好きな子を二人きりにさせるなど冗談ではない。
 座布団など気の利いたものはないのでクッションを引き寄せて胡坐をかく。テーブルに片肘をついて正体不明の幽霊もどきを見据えた。
 初代様は綱吉の寝顔から雲雀に視線を移し、雲雀の鋭い視線を真っ向から受け止めて、微妙な表情をする。
「おまえの顔は嫌いじゃないよ。綺麗だものな」
 綱吉そっくりの声と表情で褒められ、雲雀は妙な気分になる。悪い気はしないのがなんだか腹立たしい。
「でもなぁ…その顔を見てると私の雲の守護者を思い出すんだよなぁ……」
「僕を不快な群れの中に組み込まないでくれないかな。こっちは了承した覚えはないんだから」
「……。外見もそっくりだが、喋れば喋るほどそっくりでますます腹が立つ」
 暴君な性格までそっくりとは、とぶつぶつ呟きながら顔をしかめる初代様に、雲雀はをしかめた。外見だけ褒められてもまったく嬉しくない。
 初代様は色素の薄い、黄金の輝きをした瞳で雲雀を無遠慮にじろじろと見てため息を吐いた。
「やっぱり大事なデーチモをわざわざ毒牙にかけるような真似はできないな……。こんなにかわいい綱吉をお前のような我儘で乱暴な男に預けるなどとんでもない」
「それって喧嘩売ってるのかな。高く買うけど?」
 あまりといえばあまりの言い様に、雲雀はトンファーを閃かせた。
 しかし初代様は雲雀の素早い攻撃を軽く頭を逸らすことで難なくかわした。へえ、と雲雀は眼を細める。思わぬ強敵の出現に、雲雀がどうやってぶちのめそうかと舌なめずりをした瞬間。
「雲雀といったか」
 初代様はきりりと顔を引き締めて威厳のある声音で、高らかに宣言した。
「私の目が黒いうちは綱吉には一切手を出させんからな」
 逆らいがたい雰囲気はさすがボンゴレ初代様である。童顔のくせに威厳すら漂う雰囲気は、綱吉にはまだ無いものだ。
 それでも雲雀はおよそ雲雀らしく振舞った。馬鹿にしたように鼻で笑う。
「黒い目なんかじゃないくせによく言うよ」
「屁理屈を言うな」
「人の恋路に首つっこむ野暮な真似しないでくれないかな。トンファーの錆にするよ!」
「出来るものならやってみろ!」
 バチバチと二人の間で何やらフラッシュやら暗雲じみた物が立ち込めたが、うう、と案外早く綱吉回復した綱吉のおかげで沢田家崩壊の危機は免れた。
「な、なんでそんなに険悪な雰囲気になってるんですかーー!?」
「そんなのそこの陰険ジジイに言ってくれる? 喧嘩を売ったのは向こうだ」
「だからって素直に買わなくてもいいじゃないですか〜〜っ!」
「デーチモ、こっちにおいで。そいつに不用意に近づくと危ない」
 殴られた箇所を押さえながら起き上がり、何やら怖い表情をしている二人を交互に見て綱吉は口角を引き攣らせた。巻き込まれるのは嫌だが部屋を壊されるのも嫌だ。どうしようどうしようとおろおろしている間にも、二人は睨みあっている。とんでもなく怖い。
「この童顔!」
「暴力男は黙ってろ!」
「ヒィーー! 止めてください二人とも! っていうかランボ並みの口喧嘩!?」
 あまりにも低レベルな口喧嘩にガーンとショックを受ける綱吉だ。いつもの近寄りがたい雰囲気とは正反対の子供っぽい口論は、リボーンの帰ってくる気配を感じて初代様がリングに戻るまで続いたのだった。
 
















 設定としては雲雀はつぶ餡派、綱吉はこし餡派、初代様は両方好き。