太陽が山の向こうに沈む。橙色をしたぽかぽかとした光が消えるのをいつもどこかに身を潜めながらよく見ていた。どこからきてどこへ行くのか。暗くなったと思えば明るくなる。世の中は不可思議なことだらけだ。 やがて一等まぶしいきらめきが暗くなる夜空にぽっかり浮かび始めるのを見上げてから、彷徨うことが子供の常だった。 身の丈ほどある刀をずるずると引きずって歩く。それは最初のうち、振るった後に腕が痺れてずきずきと痛んだが今はもうそれもない。 お腹が減る。ぐるぐると鳴り止まぬ腹の音を静めるためにその辺に生えている草を食べた。青臭くて苦い。腹を壊すことも多いが、動かなくなるわけじゃない。 子供には常に生きるか死ぬかの二択しかなかった。殺すか、殺されるか。生憎と敵は多かった。 足元の虫を踏み潰し、息を殺し歩く。屍から飯を奪う。死人は動かない。腐ってさえいなければそれで良かった。腐臭漂うその場で口を動かす。もそもそと冷え切った硬いものを飲み込む。喉を通るときそれは牙をむくことが多い。首をさする。 戦場で虫の息の生き物を殺すことは容易かったが、子供が一人で生きるということはずいぶん難しいことだった。敵に数で押されては勝ち目がないので目立たず行動するには暗くなってからしか動けない。常に息を殺す方法が身についた。 赤く染まる世界の中、黒く伸びた影を踏んで歩いた。 ぽかぽかした光がゆっくりと消える。きれいだと思った。どろどろしていないその色は澄んでいて、嫌な臭いがしない。それが終わると魂さえ吸い込まれてしまうような光がぱらぱらと瞬き始める。ころころと変わる空を子供はじっと眺めた。 自分が動かなくなったその時はきっと、腐ったこの地へ沈むのだと思うと嫌な気分になった。血を吸い骨さえ飲み込むそこはおそろしい。 けれど、動かなくなった後のことなど考えてもしょうがないと思えば子供の気分はいくらかマシになった。雨が降ると光が見えない。ぼんやりとしながらも、散らばったきらきらした光が好きだった。曇った空はどこか子供を落ち着かなくさせる。 子供には、今自分がどこにいてどこへ行くのか、どこへ生けるのか。ただそれがわからなかった。 *** その時間を逢魔が時というのだと教えてくれたのは、ついて行った先で出会った人の子のひとり。脆弱な肉体。細い首は道具など使わずともへし折れるだろう。 しかしこちらを見る目はひどく真っ直ぐで揺らぎがない。 「銀時」 げろげろげろ、と蛙の鳴き声がうるさい。田に貼った水の中ですいすい泳ぐそれは蛙というのだとこの人の子が言っていた。涼しくなればそれはセミやこおろぎの鳴き声と変わるのだそうだ。子供は縁側に座りながら沈み行く太陽と影が濃くなる山を見ていた。そう、あのぽかぽかした光は太陽というのだそうだ。 隣に座ったもうひとりの人の子の視線を感じたが、どう反応すれば良いのか分からなくて放っておいた。この人の子は黙っていても何かを喋ってもいつも口をへの字にしている。太陽というものを教えてくれたときもこんな顔をしていた。 「この時刻には魔物がでるという」 見事な黒髪を一つに結んだ人の子。名は桂といった。ここに来るまで名前というものが何か分からなかったのだが、ここには人の子が多くいたので区別するために必要なものらしい。 今までなくても困らなかったので、ずっとそのままで生きてきた。しかし、ここでは名がないと大変不便らしい。よって、銀時という名をもらった。人の世というのは随分面倒なものだ。聞きなれない名を呼ばれるたび、身体の真ん中がもやもやとする。 「魔にみいられると現世にいられなくなるという」 「ま……?……なに」 声を出すと喉が痛くなる。長いこと使わなかったそこは、最近になって使う機会が増えたのでこうして痛むことが多くなった。それが嫌で黙ったままでいると、目の前にいる人の子や、何かにつけて文句を言ってくる人の子がむきになってますます話しかけてくるので大変面倒くさい。銀時は面倒くさいことが嫌いだ。 周囲に人の気配がするのは未だ慣れない。常ならば逃げ出してしまうことが多いのに、この二人は何故か逃げた後をぎゃあぎゃあ言いつつも追いかけてくる。先生がなんとか、二人はいつもそう口に出す。どこに行っても隠れてもしつこく着いてくるので、そのうち逃げること自体しなくなっていった。 「馬鹿じゃねえの。魔物なんかいるわけねーだろ。それに逢魔が時じゃなくて大禍時だ」 「ビビってなどいない。それに高杉、貴様がいるわけがないと断言する根拠はなんだ」 「根拠?そんなの俺が見たことがないからに決まってるだろ」 「そんなことでは話にならん。それじゃあ貴様は空気が見えないからといってないと言えるのか?」 縁側でぼんやり空を見上げている銀時を挟んで、二人はやいのやいのと言い合っている。どうせ何を言ってるか分からないので聞き流すことが多い。いつものことだ。 「おい銀時、おまえはどう思う。天人じゃあるまいし、触れもしねぇ魔物なんか怖いとおもうか?」 「まもの……しらねぇ」 「魔物というのはだな、人を迷わすものだ。化け物、妖怪、まあ色々呼ばれ方はあるがな」 桂の説明にうんざりしたように高杉は首を振った。 銀時はどこかぼうっとしながらも刀を抱く手に力をこめた。人からバケモノ、と呼ばれているのを知っていた。むしろ与えられた名よりもひどく馴染みのあるその言葉。 (そうか、おれはまものというのか。ばけものとも、おにのこともよばれるし、よばれるなまえがありすぎて、めんどうだ) 「おまえそんなもんが本当にいると思ってんのかよ」 「母上がおっしゃっていたからな」 「おまえの御母堂は見たことがあるのか?」 「む、そう言われてみれば聞いたことがないな」 「お前こそ何でもかんでも人のいう事ばかりで、本当に自分の頭で考えてんのか。ココは使わなきゃ意味がないんだぞ」 高杉と桂は家の迎えを待っている。銀時は空のきらめきを探している。向こうの山に黒い雲がかかっている。雨のにおいがした。 ああ、そうか。ふいに銀時は納得する。 「おれ、みた」 「はあ?魔物をか?」 「なにっ!?銀時、いつ見たのだ!俺も見てみたいぞ」 高杉の怪訝な顔に、桂の高揚した顔を見ながら言う。彼らは人の子で、魔物はここにいる。なんだ、簡単なことだ。 「あめふった、ひ、おっき。な、みず、たまり、あるだろ? そこ、のぞくといる」 「いるって何がだよ」 「おにだよ」 いつかおまえらのこと食っちまうかもな、と銀時は黒い雲を見ながら呟いた。 |