![]() すでにこの町に留まって十日ほど経とうとしていた。 普段はもっと早く町を出るときもあるし、何もしないで三月ほどだらだらと留まっているときもある。僕たちは旅人だから、ひとつの場所に留まっていたとしても、別のところに行かなくちゃ行けない。物事は流転する。普遍のものなんてこの世にはないから。 特に僕は紋章のせいで外見に変化が現れないので、ひとつの町に留まるには限度がある。ティルと一緒に旅を続けて半年程になったけれど、二年。もしくは三年で僕は彼との旅を終えるつもりだ。いくら毎日見慣れている顔だからといって、それだけ一緒にいればおかしいと思うこともあるかもしれない。成長しないっていうのは地味に辛い。特に彼は聡い人だからなおさらだ。 成長が止まったからといって自分の時間を止める気はないけど、これからずっと生きていかなくちゃならないから、どうせだったらゆっくり構えていたい。彼との旅は楽しいから、少し寂しいけれど。 ティルに出会ったのは草木の香りが爽やかな頃だった。時が経つのは早いな、って実感する。 すでに気の早い落ち葉が何枚か道に落ちていた。この季節は食べ物が美味しいから、モンスター倒してお金稼がないとな。 そうそう。モンスターといえば、彼と初めて一緒に戦ったとき、お互い息が合いすぎてびっくりしてしまったことを覚えている。阿吽の呼吸とでも言えばいいのか、ティルはいつも僕がいてほしい位置にいる。 僕は戦争に長いこと身を置いていたし、趣味といったら自己鍛錬とか料理修行などの自分を鍛えることだったので、武術に関して実力はあるほうだと思う。だからあまり、ティルには戦闘面では正直期待していなかったんだ。若くて体力もあるし、旅慣れているみたいだからそれなりには大丈夫かと思ったけど、やっぱり数で来られるとどうしても後手に回ってしまうかなって。 でも、そんなことなかった。確かに僕よりは上背があるけど、ティルってあまり筋肉ががっしりついている方じゃなかったから侮っていたのかもしれない。あ、これはあまり人に言えることじゃないな。どちらかというか僕も筋肉付き難いほうだから。 彼は成り行きを任せている僕を後目に、大群で押し寄せるモンスターを必要最低限の軽い動作で次々と倒していった。顔色を変えないで二桁以上を相手にしている姿を見てなんだか背筋が寒くなったけど、僕は強さというものに憧れを持っているから凄いなって素直に感心した。我流で強くなった、ってわけでもなさそうだ。師匠がよほど凄い人だったのかな。もちろん、彼の努力なしには語れないけど。 ぼーっとそれを見ていたら、いい加減相手にするのが面倒になったのか交代させられてしまった。モンスターを倒した後、ティルの得物と僕が使っている得物が同じような名前だったことに、二人してそんな気はしたんだ、ってなんだか納得してしまった。 でも、僕の使っている武器は百年以上も昔のものだからただの偶然なんだろう。もちろんティルには言ってないけどね。 しかし僕も大概そうだけど、ティルもティルで色々秘密がありそうだと睨んでいる。あの年で目的もなしに放浪なんて、今のご時勢じゃちょっと変だ。僕が彼と同じくらいの年の時だったら、そう変でもなかったけど。時代は変わるものだからね。 外見は優男って言うか、伊達男って言うか。とにかく作りはいい。色々な国の色々な町に行ったけど、女性に声をかけられなかったことがないくらいだから相当なものだろう。雰囲気は少年と青年のちょうど中間にいるくらいの不安定な感じ。だからこそ人目を惹きつけるのかもしれない。振る舞いも佇まいも落ち着いていて、たぶん、貴族か富豪なんかの良い所の出なんじゃないかな。年頃の少年が持つ荒々しさや野蛮さみたいなのがない。本当に、見たことがない。そういう人って、大抵は小さい頃からきちんと躾けられていて、美しい仕種っていうのを自然に出来るようになる。僕はそういう良い育ちというものとは無縁だったから、後々苦労したけど。育ちなんて選べるものじゃないし、しょうがない。 それに比べて僕の外見は彼よりほんの少し若いか、同じくらいだと思うんだけど、彼よりずっと長い間生きてきたから見た目と違って落ち着いていてると思う。年相応の無邪気さとか、荒々しさがないせいだろう。見た目の年齢を言うとよく驚かれる。性格的なもの、というよりは、積み重ねてきたものの数が違うんだろうな。 まあ、今の長生きしているご老人たちより年上なわけだから、そうじゃなきゃ困るんだけどね。体は若くて健康なんだけど、たまに心がそれについていかないことがあって冷や汗を掻くことがある。 たとえば、女性に声をかけられたりすることって、たまにある。そうすると、僕はどんな相手も自分より物凄く年下だって分かっているから心が動かない。健全な青少年としてどうよ、と体は訴えるが、そんなものは体を動かせば簡単に発散されるから問題なし。 でも、周りからの視線。特に男からの視線にはなんで乗らないんだとキツイ目で睨まれたりする。そんな目を向けられてもしょうがないじゃないか。自分の孫より(あくまで想像だけど)若い子に手なんか出せない。 あれ? でもティルも頻繁に声かけられているけど誘いに乗っているところを見たことがないな。なんだ、結構普通なのか? いや、でも彼の場合は潔癖というか、そういう一夜限りの関係みたいなのが嫌いそうだ。やっぱりこれって本人の性格かな。 他にも暦を年単位で間違えることなんて普通にあって、ティルによく呆れた顔をされる。百を過ぎるまではちゃんと覚えていたんだけど、そこを過ぎてからなんだかあやふやになってきてしまった。脳だけ年を取ることってあるのかな。ルックかレックナートさんに聞いておくんだったな。 身近に真の紋章の継承者がいないから、こういう疑問にぶち当たると考え込む羽目になる。王様やっていた頃の名残で、問題は解決しないとなんだか消化不良になってしまうんだよね。そんな時は一日中ぼんやりしているので、ティルの釣りに付き合ったりして時間を過ごす。というよりも、ティルに強制的に付き合わされる。前に何回か食事も取らずに同じ姿勢で椅子に座って考え込んでいたのを見られてしまっていたので、一応心配してくれているんだと思うけど。釣りも結構同じ姿勢で長時間過ごすからあまり意味がないんじゃないかな、って。さすがに言えないけど。でも、木陰で風を受けながらボーっと過ごすのって気持ちがいい。時々魚が水面を跳ねたりする音を聞くと楽しくなるし。ティルが飽きもせず暇があれば釣りをしに行くのも納得できる。 今過ごしている町は、昔過ごしたキャロのような雰囲気の町だ。キャロより建物の数は少ないし、言葉や文化も違うけどどこか似ている。 石造りの街道に日差しが反射して眩しい。風が吹いているから涼しいけれど、日が照っていて暖かなのでまだ上着を着なくても大丈夫そうだった。 「ただいま〜」 「おかえり。なんだ、また無駄遣いしたの?」 いい若い者が働きもせず日中から読書とは、と少し悲しくなるが別にそんなのは本人の勝手なので僕はあまり口に出さない。ティルは仰向けになってベッドに乗り上げて、壁に背を凭れかけて本を読んでいた。 「違うよ。これは困っていたおばあちゃんを助けたらくれたんだ。ん〜〜、やっぱり良いことはしておくべきだね」 「君の場合は礼を貰うことが目的じゃないだろう」 「まあね」 まだ半年しか一緒にいないのに、ティルは僕のことをよく知っている。 両手に持っていた果物の甘い香りを楽しみながらティルに一個放り投げる。 放物線を描いて落ちたそれを片手でなんなくキャッチして、ティルが礼を言う。本当に律儀だ。 「冷やしたらもっとおいしいだろうね」 しゃくりと皮ごと噛り付く。さっきちゃんと洗ったし、新鮮なものだから皮付きのままでも十分美味しい。瑞々しい汁と甘さが口いっぱいに広がって顔が緩む。食べられないところなんて中心の種くらいだ。 「あ……しまった」 水気が多くて、汁が腕に垂れてしまった。こういう時、手袋での生活ってかなり不便だなと実感する。放置するとべとべとになってしまうので、仕方がなく手袋を脱いだ。ティルみたいな袖の長い服を着れば紋章を隠せるんだけどな。 「リオウのその紋章…珍しい型だね。今までに見たことがない」 「そう? そんなこともないと思うけど……」 「今まで色々な紋章を見てきたけど、それは初めて見たな。ねえ、その紋章球ってどこで手に入れたの?」 「え…っと、どこだったかな……? なんせ色々旅していたから」 「気になるなあ。ねえ、もっとよく見せてよ」 本を閉じてベッドから立ち上がったティルが近づいてきて僕の右手を取った。うん、なんて誰も言ってないぞ。 しかも果汁まみれでべたついているのによく触れるなあ。屈むようにして紋章をじっと見つめているティルの頭を見下ろしながら、僕はどういえば彼に納得してもらえるのか考えていた。 「この前の晩、リオウの右手を見てから思っていたんだけど……。もしかしてリオウってさ」 不意に僕の右手にティルの右手が重ねられる。そこから走った電流のような痺れに驚いて咄嗟に自分の手を取り戻す。何が起こったのか理解できなくて、顔を上げて僕を見下ろすティルから一歩身を引いた。 紋章を庇うように手のひらで覆う。にこりと目だけで微笑むティルが、見覚えのない人間に見えた。 「真の紋章の継承者なのかな、って」 その言葉に、一気に警戒心が湧き上がる。 「さっきから何のことを言っているのか分からないな」 くすりと微笑まれる。普段あまり表情を変えたりしないティルだから、余計に怪しい。バカにされているようでなんだか腹が立つ。人間って本当に多面性のある動物だな。いや、僕もそうだけど。 「そう警戒しないで。別に僕は君からそれを奪おうなんて思っちゃいない。敵ではないよ」 「どうかな。それを決めるのは君じゃなくて僕だと思うんだけど。大体真の紋章のことだって、普通の人はもう知っている人が少ないし。それに、知っている人間はろくなことを考えない連中ばかりだから」 「警戒して損はない、と」 「そのとおり」 ティルに出会う前までのことを思い出して肩を竦める。真の紋章を探している人間というのはどれも欲望に忠実な人間ばかりだった。それが悪いとは言わないけど、迷惑だと思ったのは事実だ。少し高いティルの漆黒の瞳を見上げる。 「ばれたなら、しょうがない。今までありがとう。別れるのはもう少し先にしようかと思っていたから少し残念だけど……楽しかった」 そう、色々な事があったけどすごく楽しかった。だから、自分の不注意とはいえ紋章のことがばれてしまった今でもティルともう少し旅を続けたい気持ちはある。自分で思っているより、この少年のことが気に入っていたのかも。 「……人の話を聞かない子だね。それに自己中心的だし、結論を急ぎすぎる」 「わ、悪かったな」 やれやれと首を振るティルにむかっとする。なんだか彼にはすべてを見透かされているようで身の置き所がない。 ティルはいきなりいつも両手に巻いている包帯を解きだした。するすると床に落ちていく包帯。なんなんだろう。ティルが何をしたいのかよくわからない。 解き終えたティルの右手に現れたものを見て首を傾げる。見たことがない、紋章。 「それって、まさか……」 ティルの真意を悟って絶句する。そんな馬鹿な。ありえないだろ。 呆然として動けない僕の目の前に手のひらを掲げて、人の悪い笑みを浮かべながらティルは頷いた。 「結構身近にいるものだねえ、真の紋章持ちって。近すぎて気づくのが遅れたけど。今なら僕らの出会いが必然だったと思えるかもしれない」 しみじみと呟きながらティルはだらりと垂れ下がった僕の右手を取る。僕はなんと返事をしたものか迷って、結局されるがままだ。おかしいな。僕って予測不可能な事態に強いはずなんだけど……。 「相性がいいのかな。共鳴してる」 ティルの白い肌に不気味に浮かぶ黒い紋章から放たれる禍々しい光と、僕の紋章から溢れた光が混ざり合っている。色に例えるなら黒っぽい深紅と緑が混じり合っているようだ。 あまりにも紋章の力が強すぎて思考が呑まれそうになる。自分を見失いそうになる、恐怖。 「リオウ」 「あ……。ご、めん」 ふらついた体をティルに支えられる。相性が良すぎて、お互いの持っている紋章の性質を感じるどころか共鳴してしまったのか。 情けないけどティルの腕に縋りながら呼吸を整える。精神力を一気に使い果たしてしまったように疲れていた。 「しばらく紋章の気配を感じていなかったから一気に来ちゃったのかもしれないな。少し休んだほうがいい」 「ティルは、平気なの?」 「まあ。わりと」 「なんか悔しいというか、腹立つな」 支えてくれるティルの腕がベッドまで連れて行ってくれる。苦笑している彼が余裕に見えて腹が立つ。でも、逆らわずに彼に従う。全身から力が抜けたように疲れていた。 ベッドに腰を下ろすと体の力を抜いた。べたついている右手をベッドにつけないように気をつける。隣に座り込んだティルが、自分の右手を見つめていた。年相応とは言いづらい横顔。 今まで僕は、彼のことを子供だって思っていたけど、もしかしたら違うのかもしれない。僕と同じように、色々あったのかもしれないな。あくまで推測だけど、でも、間違ってはいないだろう。 「ティルの紋章はなんていう紋章なの?」 紋章というのは強い力と引き換えに宿主に代償を求める。好奇心というより、場を持たせるために僕はティルに話しかけた。 「ん……僕のは、魂喰らい―ソウルイーター―っていうんだ。君のは?」 「僕のははじまりの紋章っていうんだ。お互い大層な名前だね」 「まったくだ」 思いがけない出来事に、僕たちは紋章を継承する者通しの、変な仲間意識のようなものを覚え始めた。 ついさっきまで確かに感じていた一線が霧散して、やっとお互いを認識し合えたという感じ。唐突に視界が鮮明になった先に、強烈な光を浴びせられたような奇妙な心地。 なんだか、先ほどまでの緊迫した空気が一瞬にして緩んでしまって、なんだか笑えてしまう。その気配を感じ取ったのかティルが僕を伺うようにちらりと見た。目が合って、お互いに吹き出す。 「人生何があるかわからないものだねえ。さすがにこれは予想してなかったし」 「本当にそのとおりだ。僕もまだまだってことか」 「良かったね。一緒に旅が続けられて。でないと君はすぐ退屈してしまいそうだし。先は長いのに、さ」 ふっと肩を下ろして左手を差し出した。右手はべたべたしていたから、左手。ティルは僕の意図を察して左手を差し出してくる。 「あらためて……。紋章関連で色々迷惑かけるけどお互い様って事で、これからよろしく」 「まあ、面倒ごとには慣れているからね。君とやっていくのに支障はないよ。むしろ楽しそうだ」 肩を竦めながら言ったティルの台詞は芝居がかっていて、涙が出るくらい笑ってしまった。顔が良いからなんでもさまになっちゃうんだろうな。こう言っちゃ失礼かもしれないけど、それが面白すぎた。こんなに笑ったのはいつ以来だろう。 あまりに遠慮なく笑ったものだから少しムッとしたのか、ティルは笑顔のまま握った手に力をこめてきた。見た目は優男だけど馬鹿力だからすごく痛い。 負けじと僕も力を込めたら握手じゃなくて力試しみたいになってしまった。普段澄ました顔をしているティルだけど、なかなか子供っぽいのかもしれない。新しい発見になんだか胸がほんわかと暖かくなった。 話し終えると、妙に胸の辺りがすっきりしていた。秘密を隠していたのがやっぱり後ろ暗かったのかもしれないな。素直に生きるのが、やっぱり一番僕には合っているのかもしれなかった。 この世界には真の紋章が二十七あって、それによって世界が生まれたって伝えられている。 紋章が引き起こす強大な力で世界が混乱するのか、紋章が人の意思に応えてしまって力が暴走してしまうのかはわからない。 でも、この紋章だってそう悪いものじゃないと思ってる。色々あったけど。過去を気にしていたら、限がない。 そんな真の紋章持ちが偶然とはいえ二人集まって、何も無いほうがおかしいくらいだけど……。いや、絶対面倒なことになるだろうなって予感はある。それでも、一緒に時を過ごしていく人間に出会えたことが嬉しかった。 僕らには与えられた役目があって、その役割を終えてしまった今はこの紋章が悪い方向に行かないように監視することになっていた。誰に決められたわけじゃなく、自分がそうしようと決めたわけだから後悔はきっとしない。 でも、いつか我を忘れて紋章の誘惑に負けてしまうときが来るかもしれないっていう怯えが、少しだけ、僕の中にはあったから。そんな時に、頬を叩いて元の道に引っ張っていってくれるティルの存在が傍にいてくれることが、僕にはただありがたくて。嬉しくて。 ティルと一緒に池の辺に釣り糸を垂らしながら、久しぶりに空に向かって笑った。透き通った秋の空だ。 「僕はだいじょうぶだよ」 End. ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 2007,6,26 Write By Mokuren |