年のころは、そう自分と変わりがないように見えた。
 世界に散らばっている二十七の真の紋章のひとつである、始まりの紋章の継承者であるリオウは、実際には外見とはかけ離れた年齢である。若い時分に脱走兵として国を追われ、流れ流れて無二の親友と袂を分かつことになり、最愛の姉を失いながらも立ち止まることのなかった過去。
 世の中の苦い汁ばかりを舐めさせられてきたことを思えば、ひとりでいるくらいの孤独などというものは時に寂しさを覚えども、決して苦しいものではなかった。
 ゆるやかに流れる時に身を任せ、心穏やかに過ごせる事ができるならすばらしいけれど。そう感じる自分がリオウは嫌だった。リオウは人間だ。道端に転がっているような石ではない。感情を殺すなんてこと出来る筈がなかったのだ。ただ無理に塞き止めているだけで、それがいつ氾濫してしまうのか本人にも分からなかった。
 それが、ひょんなことがきっかけで出会った少年と放浪することになってしまうとはゆめゆめ思ってもみなかった。

 最初はどうしようか迷ってしまったが、倒れていたところを助けてもらった恩もあり、しばらくはこの少年との旅を楽しむのもいいかと深く考えずにいたリオウだったのだけど。回っていた歯車は意外な方向に動こうとしていた。

「どうした? もう酔いが回ってきたの?」  

 とうに日の暮れた町中。本日の宿屋をふらりと抜け出し、店の明かりが漏れている道を歩きながら見つけた酒場。普段なら興味を示さずそのまま通り過ぎるティルが、なぜか今日に限ってリオウをやや強引に店の中に引っ張り込んだ。
 店内は仕事終わりの職人や猟師などの男たちで賑やかだった。罵声が飛び、つかみ合いの喧嘩になるのも珍しくない。恰幅のいい主が店を仕切っていた。
 あまり気が進まないながらも、一応付き合いという形でティルと同じ酒を頼んだリオウだったが、王城ではもちろん、戦時中ですらあまり酒を飲んだことがなかったため、どうにも酒がおいしいとは思えなかった。
 焼き魚や串焼きにした肉などで誤魔化しながらちびちび舐める。一気に飲んでしまった方が楽かもしれないが、どうせティルにうまいことを言われてまた酌を勧められるに違いない。
 しかし、それでもリオウは酒が飲めないと言う事が出来なかった。年長者としての意地が、ティルに勧められる酒を断ることをさせなかったのだ。
 男とは見栄を張りたい生き物だ。
 ちまちまとつまみと酒を飲みながら、くだらないことを言い合っていたものの、くらくらと視界が回り始めてきたことでリオウは思わず手のひらで額を押さえた。

「あの、さ……ちょっと僕、先に宿に戻ってるよ」

 ふらふらと視界が定まらないのを、まずいと思いながら何度も瞬きをすることでぐっと耐える。隣の席で天井の明かりに琥珀色をした酒を透かしていたティルが、テーブルに手を着いたまま立ち上がったリオウを見て首をかしげた。

「もう? まだ入って一時も経ってないけど。それに、あまり食べてないじゃないか。君、いつももっとたくさん食べるのに」
「それはそうなんだけど……。いや、やっぱり今日はもう止めとく」  

 すでに慣れないアルコールが体に回ってしまって、うまく頭が働かなかった。
 しかし、彼の前で醜態を曝すなんてことをしたくなかったリオウは、無言で自分の分の勘定をし終えた。テーブルに代金を置く。

「僕も出よう」

ティルの言葉にリオウは返事をしなかった。いや、出来なかった。口を開けば意味もなくけらけら笑い出しそうで口を閉ざしていたのだ。
 一息に酒を飲んで勘定を済ませたティルと共に飲み屋を後にした。火照った体に涼しい風が心地よく触れた。まだそんなに遅くないせいか、人通りは多く賑やかだ。家路を急ぐ人や露店で買い物をしている人にたまにぶつかりながら宿に戻った。

「あー、眠い……。もうムリだ。風呂はあしたはいる……」  

 ドサッと宿の硬いベッドの上にうつ伏せになって体から力を抜く。そのまますーすーと吐息を立てそうなリオウにティルが苦笑した。

「せめて服くらい着替えなよ。汚れたままで寝る気かい」  

 面倒だな、とぼんやりとした思考でリオウは思った。
 別にそんなの平気だと言うのも眠気に負けて返事することができない。本格的に眠りの姿勢に入ろうとしたところで、はあ、と呆れたようなため息が聞こえる。そんなものは無視だ無視。リオウはじっと目を瞑ったまま動かなかった。

「しょうがないな……」

 ぐいっと体を仰向けにされ、着ていた服を脱がされる。普段はあまり意識しないが、胴衣がするする緩められると体が楽になる。
 ほっとして力を抜いたところで、部屋に置いてあった簡易寝巻きを頭から被された。

「これも取ってしまうよ?」

 彼の前でも、誰の前でも外したことのない皮手袋。さっき店を出るとき水が入っていた杯をうっかり倒してしまったことをぼんやりした頭で思い出す。
 普段は十分に注意をして人目に曝さないようにしているが、アルコールで意識のかすれたリオウは思わず頷いてしまった。わざわざ覚えていて気を使うティルの親切心は素直にありがたかったので、逆らうことなくじっとしていた。
 別に手や腕に彫り物をする人間はそう少なくないし、昔と違ってすでにあまり知る人のいなくなった真の紋章のことだ。伝説や御伽噺としてしか今では話されることがない。だから後でいくらでも誤魔化しが効くだろうと、常にない楽観した考えがリオウにはあった。
 本人の了承を得て手袋を脱がしにかかっていたティルは、左手の手袋を外し終え、反対の右手袋を脱がしているとき、ふと手を止めた。驚いているような困惑しているような空気に、リオウは薄く目を開いた。

「なに?」
「いや……、なんでもない」

 いつまでも握られたままの右手を不審に思ってティルを見上げると、彼は普段のように澄ました表情で首を振った。握ったままだった手を離し、自分のベッドに戻る背中を見ることなくリオウは寝返りを打った。本格的な睡魔が全身を包む。
 すうすう吐息を立てながらも、リオウは隣からずっと何か言いたげな視線を感じつつ夜を越した。





 変だな、と違和感を覚えたのは三日くらい前からだ。
 リオウは町中を散歩しながら腕を組んで考えていた。酔いつぶれた次の日の朝リオウが目を覚ますと、ティルはすでに朝釣りにでも出かけているのかベッドはもぬけの殻だった。一緒に旅をし始めてから、彼がそうして時間を過ごすのは別に初めてのことでもなかったのでリオウは特に気にしなかった。
 ベッドの横に置かれている机に綺麗に畳まれた服の上に、長年愛用している皮手袋がちょこんと乗っていた。彼を几帳面だな、と思うのはこんなときだ。手袋をはめて風呂に向かい、誰もいないのを確認して体を洗って湯に浸かった。さっぱりした体に満足しながら部屋に戻ると、すでにティルが戻っていた。

「おはよう。昨日はありがとう。着替えさせてくれたおかげでゆっくり眠ることが出来たよ」
「いや、いいんだ。酔っていたみたいだったし、大したことじゃなかったから」

 リオウが礼を言うと、ティルは首を振った。右手に視線を感じて、リオウは苦笑した。

「驚いた?」
「まあね」  

 少し間を挟んでティルが同意した。彼の反応をある程度予想していたので、リオウはいつものように笑いながら右手を持ち上げた。

「人に見せると驚かれるから普段は手袋を外さないようにしているんだ。なかなか凝った彫り物だから気に入っているんだけど、あまり人目を集めても困るからさ」

 そう言って右手をひらひらと振るリオウの顔を、少し戸惑ったように右手と見比べていたティルだったが、やがて納得したように頷いてその話が終わったので、リオウは特に気にせずにいたのだが――。

「あれからなんか変なんだよな……。何がって言われるとよく分からないんだけど」

 あれからティルの前でも手袋は外していない。それでも、彼の視線はよく感じるようになった。気配に敏感なリオウだからわかる、些細なそれ。普通の人だったらまず気がつかないだろうなあと思う。

「話しかけても普段どおりなんだもんな。ほんとにどうしたんだろう」

 考えてもさっぱり見当がつかない。彼はつまらない嘘はつかない。だからリオウは宿に戻ったら、直接ティルに聞いてみるつもりだった。







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2007,6,26 Write By Mokuren