戦争とは、簡単に言ってしまえば人が死ぬことだ。大義名分やどんな正義を振りかざしていても、人が死ななかった戦争なんてない。それでも、譲れぬ想いや信念があるからこそ人は戦うのだと、そう思っていた。
僕は分かっていたつもりだった。挨拶を交わしたり、話をしたことのある人間が、争いが終わって城に戻ってきた時にはいなくなっていたこと。それも、けして少ないとは言い切れない数だということを。
亡骸に縋りついて泣き濡れる家族を前にして自分の至らなさや、自分のしでかしている事の大きさが身にしみる。肉親を亡くした人々の背中を見て、いつか、自分にも同じようなことがあるのではないかと密かに恐れていた。
「ナナミっ!?」
その恐れは、やがて現実となった。一本の矢によって、この世で唯一愛していた人が死んでしまったのだ。目の前で倒れた彼女の胸に刺さった矢が、彼女の柔らかな体を突き破り、彼女の命を奪った。
「どう…して」
真っ赤に染まっていく服とともに、己の視界がどす黒く染まっていくのを止められなかった。憎しみで人を殺したのはたぶん、そのときが初めてだった。きっと、同じように戦ったあいつもそうだったんだろう。すでに分かたれた道の上で、似たような信念を持つがゆえに敵となった友。だからこそ、僕たちはお互いのことがよく分かっていた。
 敵を殺して、まだ温かな、力の抜けていく彼女の体を抱いているままではいられなかった。人の上に立つ人間だからこそ、私情で動けば周囲が混乱する。いつもは何とも思わない地位にいることが煩わしくてしょうがなかった。
「城へ戻る!」
「お待ちください! それでは――っ」
役目を果たし、周囲の人間の言葉も聴かずにただ彼女を助けてくれる人のもとまでがむしゃらに走った。立ち止まってしまえばもう歩けなくなりそうな不安を抱えたまま、彼女を死なせたくない、その一心だけで。
城に着くと、惨状にざわめく人々の山を無視してホウアンの元へと急ぐ。まだ矢が突き刺さったままの赤く汚れた体を見て、ホウアンはただ「全力を尽くします」とだけ言って彼女を手術台へ寝かせた。厳しい表情だった。
糸が切れたようになされるままの彼女を見ていられなくて、傷を負った体をそのままに、黙って部屋を出た。心配して扉の前に集まった皆が、口々に何かを言っていたけど、何を言っているのかわからなかった。ただ、彼女に庇われたこの身が憎くて口惜しくてどうにかなってしまいそうなまま、ずっと立ち尽くしていた。
 ほんの数秒が、とても長く感じられた。まるで何年もそこに立ち尽くしていたような気分だ。扉が開く。沈痛な表情をしたホウアンの姿に、その先を知った。
 その後はただ視界が真っ黒になって、闇に引きずり込まれたように気絶してしまった。大切な人を守れないこの力が憎らしくて、かなしかった。
 頭を撫でられる感触にうっすらと目が覚める。ぼんやりとしたままでいると、その手がこめかみを通って頬を撫で、顎を掴まれた。
「起きた?」
 闇を纏う少年が僕をじっと見下ろしていた。返事をせずにされるがまま、死んでしまった彼女のことを考える。冷たい矢に貫かれた彼女は、いったいどんな痛みをそのちいさな胸に受けたのだろう。想像することでしかその痛みを味わえない。
 しかしそれは、想像であって実際に彼女が受けた痛みとは別のものなのだ。それがひどく悲しかった。
「死んでしまったんだってね。可哀相に……君が傍にいたのに。守れなかったのか」
 彼はちっともそう思っていない口調で僕をなじる。でも、この人の言うとおりだ。傍についていながら、守れなかった。いや、むしろ僕を庇って死んだのだ。だとすると、原因を作ってしまった僕はもう、死んでしまったところで彼女が行くだろう場所について行くことはできそうにない。
いつも人を幸せにしてくれていた笑顔は、もう二度と見ることが出来ない。当たり前のことが、どうしてこうも僕を苦しめる? この苦しみはどこから生まれてくるのだろう。
「どうして守ってあげなかったんだい? 愛していた人なんだろう?」
 静かにやさしく尋ねる口調とは別の、冷たい指先が僕の首筋を辿っていく。彼女に選んでもらった黄色いスカーフをするりとほどいて、無防備にさらされた首筋に触れる。ひんやりとした空気がそこから伝わってくる。彼女のぬくもりがこの手から消えてしまったように、この体も冷えて、何も感じなくなればいいのにとさえ思った。
 女の子たちが息を呑むほどの美貌が目の前にあっても、それがたとえ美の女神だろうと、彼女じゃなければ意味がない。
「可哀相なリオウ。愛した人も守れないで、こうして息をしながら後悔して……。君はこんなにも無力だ」
 首筋に顔を埋めて、彼が囁く。ただ黙ったまま、されるがまま彼の言葉を聞く。誰でもいい、このまま断罪してくれるものであれば、たとえ魔であったとしても。この想いを抱いた瞬間から、その覚悟くらいしていた。
「守れると思ったのかい? 君に。だとしたら君はなんて愚かで、傲慢で、可愛いんだろうね」
 ガリッと強く鎖骨を噛まれる。軋むような鋭い痛みを感じて、顔が歪む。でも、これだけの痛みでは彼女の元になど到底行くことはできない。もっと途方もない苦しみが必要なのだ。もう二度と、彼女に会えなくても。
 ぴちゃり、と濡れた音がして、伏せていた顔を上げた彼の唇に真っ赤な血がついている。彼女と同じ、赤。……同じ? 本当にそうだろうか。僕と彼女が同じわけないのに。
「彼女のところへ行きたい?」
素直に頷く。誰が迷惑に思ったとしても、彼女を一人にするくらいならどんなに恨まれたって構わなかった。
そんな自分を、独り善がりだと彼が嗤った。
「一人は寂しいだろうね。でも駄目だよ。君は死なせない」
 くすくす笑う少年の赤い唇が僕と重なる。柔らかな感触の後、ぬるりと熱い舌が入ってくる。抵抗するように顔を背けて腕を振り上げると、その腕ごとねじ伏せられた。噛み切られた自分の血の鉄臭い味が口の中に広がって、生きていることを実感させられる。彼女はもう死んでしまったのに、この体は生きている。それがたまらなく苦しい。彼が言う、僕の独り善がりだとしても。
後悔することしか出来ないなんて、そんな人間になりたいわけじゃないのに。僕よりも愚かな人間が、この世界のどこにいるんだろう。
「僕が愛してあげるよ。真綿のようにくるんで守ってあげる。君は弱いから、すぐに死のうとするだろう? でも駄目だよ。そんなのは許さない」
 どうしてだろう。ただ、彼女と一緒にいられればそれでよかったはずなのに。傍にいたかっただけなのに。それなのに死んでしまうなんて、そんなの酷すぎる。
 愉悦を孕んだ黒い瞳が、答える。

「それが君の、彼女を愛した罰なんだよ」

 途方もない濁流に呑み込まれる、木屑のように、抗うことも出来ず、ただ温かな闇に抱かれるようにして、彼女を想った。