彼を一言で表せと言われたら、眩しい人だと綱吉は答えるだろう。
それは彼の風に揺れる柔らかな稲穂のような髪の毛だったり、熱々のパンケーキに垂らすメープルシロップのような瞳を指しての事ではない。いや、誤解があるといけないから言うが、彼は美形だ。思春期真っ只中の独特の冷めた考えを抜きにしても、人間は不平等だと綱吉が思わず嘆きたくなってしまうくらいには、彼は美しかった。
平凡という言葉を一身に浴びて育った綱吉とは違い、きりりとつり上がった眉に油断なく世界を見据える眼差しは深く、その瞳を縁取る金の睫毛はくるりと上を向いていて長い。輪郭の綺麗な唇でゆったりと笑う仕種を見れば、女の人ではなくとも思わずため息を吐いてしまうだろう、と思う。
事実、彼は何百何千の男たちに慕われており、綺麗や平穏という言葉とは真逆の裏社会であるマフィアの頂点に立ち、人を、社会をも動かすだけの力を持っていた。美しいからこその苦労など綱吉には分からなかったが、美しさというものは力と密接に関わっているのではないかと勘ぐってしまいたくなるくらい、その人にも、その周囲にも逆らいがたい力のようなものを感じた。
ダメツナ、とありがたくもないあだ名をつけられている綱吉とは、冷静に考えれば本来会話をするどころか知り合う機会などなかったはずの相手だろうと思う。
それがいったい何の因果か、ボンゴレと呼ばれるマフィアの後継者として鍛えるべくやってきた小さな家庭教師を発端に、校内一美女の憧れの女の子や、クラスの人気者など知り合って嬉しい人間から、中学どころか街中を仕切っている最強に恐ろしい先輩や、マフィアでさえ恐れる隣町の中学生、マンガやゲームでしか見たことがないような派手な格好をした暗殺部隊の連中などなど、綱吉の精神衛生的にほぼアウト!な面々が次から次へと現れるようになってしまった。
そんな連中が目の前に現れるまで、綱吉は平々凡々な暮らしを特に不満に思うでもなく生活できていたというのに、最近ではそれさえ難しくなってきている。
たった数ヶ月前のことなのに思わず振り返ってしまいたくなるほど、現在の沢田綱吉の周囲に集まってくる人間の性質は一般からかけ離れており、降りかかる騒動の数も日に日に増えていくのであった。その中で出会った彼も、綱吉にとって影響を与える一人である。
綱吉は、ごくり、と極度の緊張に乾いた喉を鳴らした。
「どうしたツナ。緊張してんのか?」
「ヤ、緊張っていうか、どうしてぼくはここでこうしてチーズなんか食べてるんだろうかと思いまして…」
いつも家に来るときの普段着とは違い、金のストライプの入った黒の揃いのスーツに皺一つ無い白いシャツを着ているディーノの姿は新鮮だ。緩めてはいるが、きちんとネクタイもしている。
雑誌から出てきたようなディーノの姿に、やはり彼は着るものを選ばない人種なのだな、と改めて思う。場所が場所でなかったら、綱吉は素直に兄とも慕う彼に対して憧れと尊敬の念を深めたに違いない。
フレッシュチーズと新鮮なオレンジの果肉を上に乗せたクラッカーを、ぱくり、とディーノが一口で食べる。綱吉も同じものを勧められて、断りきれずに食べたら悔しいことにおいしかった。テーブルの上には、他にも美味しそうな料理がふんだんに盛られている。
綱吉は口の中のものを咀嚼してから、もう一度同じ問いをディーノにする。オリーブの実を指でつまんで口に放ったディーノが首を傾げた。
「ん? 言ってなかったか? ツナをオレのファミリーに紹介するためだ」
「聞いてないですよそんな話! むしろなんで今なんですか!?」
軽い口調で告げられた内容にガーン!と、ショックを受ける綱吉に、周囲がどっと吹き出す。元気のいい坊ちゃんだな、とはディーノの部下の言葉だ。
「ま、細かいことは気にすんなって」
「ぜんぜん細かいことじゃないですよね!? そんな近所の人に挨拶するみたいなノリでイタリアまで連れて来られたの!?」
綱吉の最後の記憶としては、いつものように獄寺と山本と一緒に下校している最中にいきなり拉致された、で止まっている。十代めぇええー! と獄寺の驚愕した叫び声が耳に残っている間に、目隠しをされあれよあれよと拉致、だ。
わーわーとパニックになって喚いていると、綱吉の口の中にぽいと放り込まれた甘い飴玉。きっとあの中に睡眠導入剤のようなものが入っていたに違いない。それからすぐに意識をなくして、気がついたときには見知らぬ天井。ディーノがやってくるまで、綱吉はただひたすらどうやって助かるかだけを考えていた。
目隠しを外された瞬間視界に飛び込んできたディーノに殴りかかりそうになったのは、綱吉のせいではなくあくまでリボーンの教育の賜物だ。これが兄弟子ではなく本当に拉致を目的にした非道な集団だったら、なんて恐ろしくて考えたくもない綱吉だった。
「やっぱ部下にはちゃんとお前を紹介しときたいしな。自慢の弟分だってさ」
「そりゃ、そう言ってもらえるのは嬉しいですけど」
「それに、色々物騒になってきたしなぁ……。オレも負けてられねーし」
「はい?」
「ん、なんでもねー。ツナ、こういう立食式のパーティーは初めてか?」
薄桃色のシャンパンが小さな泡を伴って煌めいている。アルコールが入ったグラスを手持ち無沙汰に持っているだけの綱吉とは違い、ディーノは空になったグラスを部下に手渡した。心得たように自然な動作で受け取る部下の態度を見て、綱吉は何で人の了解も取らずに拉致したんですか?と、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。ディーノの手に新しい飲み物が入ったグラスが手渡されている。
「立食式もなにも、パーティーなんてしたこと無いんですけど…」
引き攣る口元をなんとか耐えて綱吉が言うと、ディーノはにっかりと太陽も裸足で逃げ出してしまうような笑顔を見せる。普段なら、その笑顔を見るたびこちらもにへらと笑い返してしまう綱吉だったが、さすがに今は笑っていられる状況じゃない。
「じゃあ今日は楽しんでけよ」
「イヤイヤイヤ、ディーノさんがオレのことを良く思っていてくれるのは嬉しいですけどっ…! わざわざこんな人いっぱい集めてパーティーするほどの価値なんてオ、ぼくにはないですから!!」
年上どころか同年代の人間とも最近まで付き合いという付き合いをしたことのない綱吉だったが、さすがにこの行動はちょっとおかしいだろ、と思う。
立食式とかよく解らない単語に頭痛を感じつつ、周囲を見てみる。煌びやかなドレスやスーツを身に纏ってにこやかに食事をしている人の群れに、綱吉の視界はぐるぐると廻った。立派に正装している彼らとは違って、綱吉といえば下校当時と同じく並盛中学校の制服だった。
あまりにの場違いさと家に帰りたい一心でディーノを見上げた綱吉だが、その視線をどう間違えて捉えたのか兄弟子は感激したようにがばっと綱吉に抱きついた。綱吉にはますます意味がわからない。
「〜〜っツナ! なんて謙虚な奴なんだ!」
「なんでそうなるんですかーーっ!!??」
「兄弟子としてはもっと自信もってもらいてーくらいだが、そこがツナのいいとこでもあるしな。ま、そう硬くならないで身体の力を抜けって。こいつらナリは悪くても優しいトコあるから」
ディーノの言葉に「ひでーぞボス!」「わりとってなんだー!!」と周囲からはやし立てる声が聞こえるが皆笑っており、ディーノの言葉に嘘は感じられない。
しかし彼らの腰や手に持っている武器を前にして、どうやって気を抜けというのか。こればかりは普段から生活している環境が違うため、どうしようもないのだと、嫌だけど納得するしかない。綱吉は銃などテレビや映画の中でしか見たことが無かったし、周りは海に囲まれた島国育ちで危険とは一切無縁な生活をしてきた筈なのだ。最近はそれも怪しいが、綱吉としては断固としてノーセンキュー!と叫びたいところである。
ディーノが先立って色々な人を紹介してくれて、向こうも綱吉ににこやかに話しかけてくる。
しかし、そもそも綱吉には彼らが何を言っているのかさっぱり理解ができない。英語の成績だって壊滅的なのに、それ以外の言語など容量オーバーだ。今は日本語が喋れるディーノの部下が一々日本語に翻訳してくれているので助かっているが、彼がいなくなったら綱吉はきっとトイレへも行けなくなるというのに。
こんなきらきらしたパーティーなんて、綱吉にとって別世界もいいところだ。
運ばれてきた熱々のカルボナーラを見て、綱吉はチビたちのいる騒がしい我が家を思った。心配しているだろう獄寺や山本はもちろんのこと、母親と家庭教師にも早めに連絡を入れたいところである。でなければ何を言われるかわかったもんじゃない。
帰った後の面倒を思い浮かべて顔色が悪くなっている綱吉を宥めるように、ディーノは綱吉の奔放に跳ねたやわらかな髪をわしゃわしゃとかき混ぜた。父親よりは小さな、けれど綱吉より大きくかたい手のひらが地肌をすべる。
「わわっ…!? 何するんですか!」
「まぁそう心配すんなって。オレもいるし、こいつらもいるし。心配することなんて起こらねーから」
「心配してるんじゃなくて、今この状況を何とかしてください!」とか、「ディーノさん部下いないと1/4しか頼りにならないじゃないですか!」なんて、言いたいことはたくさんある。しかし、口に溜まった言葉は外に漏れることなく綱吉の中で留まって、やがて大きなため息となって外へ飛び出していった。
「な?」
撫でられた手のひらが自分よりも力強くて、安心させるように笑った表情(かお)がいつもより大人びて見えたせいかもしれない。とかなんとか考えてしまう時点で、綱吉もたいがいこの兄弟子には甘かった。
「……帰る前に母さんとリボーンにちゃんと連絡しといてくださいね」
柄にでもないことを思いつつ、綱吉は肩を落としてディーノの腕に身を任せた。
シチリアの日差しよりも彼の存在は眩しい。
end.
あとがき
ツナはディーノや雲雀には敬語(僕呼び)だねという話。…あれ?
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