二人で夕飯を作りながら、他愛もない会話をしていた時の事だった。
 カヲルとの会話はいつも落ち着いて、その空気に安心して思っていることをすらすらと口に出してしまう。凪いだ草原にいるような穏やかな空気に、シンジは口を開いた。

「僕はときどきすごくどうでもいいことで頭がいっぱいになってしまう。僕にとってそれは本当にどうしようもないことで、考えたって仕方がないことだと分かっているのに。時計の針が歩みを止めないように、思考がそのどうでもいいことで塗りつぶされてしまう。自分でもわかってる。なのに、考えを止める事が出来ないんだ」

 シンジはまな板の上に置いた大根をサラダ用に切りながら肩を落とした。隣に立ってレタスを洗っていたカヲルは首をかしげた。

「例えば? 君が思うことで考えても仕方がないこととは何だい?」
「そうだね……。世界のあらゆる事象だったり自分のことだったり、君のことだったり。その時はすごく真剣に考えているんだけど、振り返ってみると何がどうだったのか思い出せない。これって考えたことにならないのに」
「君が僕をどう思っているのか、か。僕にはとても興味深い話だね」

 ボウルにレタスを千切って入れながらカヲルは微笑んだ。シンジは切り終えた大根をボウルに入れ、冷蔵庫からマヨネーズと明太子を取り出した。作っているのは明太子サラダだ。すでにメインディッシュのロールキャベツは作り終わっている。

「そうかな。そうたいしたことでもないよ」
「聞かせてくれないのかい?」
「僕が勝手に思っていることを本人に話してしまうのに……その、抵抗があるんだ。気を悪くしたら申し訳ないし」

 カヲルの顔を見上げて困ったように口ごもるシンジに、カヲルは興味を惹かれてしまったらしい。

「無理強いは趣味じゃないけど、そうまで言葉を濁されると逆に気になってしまうなぁ」
「あまり気にしないでよ。僕が君のことを悪く思ってるはずがないじゃないか」

 本人に好意を伝えるのにまだ慣れていないのか、照れたように俯いてしまう。それでもきっぱり言い切ったシンジにカヲルがにっこりと笑った。何を言わされるのかわからないが、自分には歓迎できそうにない雰囲気が出ていてシンジは怯んだ。

「じゃあ教えて」
「えぇ? カヲル君も結構引き下がらないというか、大概しつこいというか」
「まあね。譲る気はないよ。他ならぬ君が僕をどんな風に思ってくれているのか知りたいからね」

 さらりと恥ずかしいことを言うのが渚カヲルだ。本人は無自覚で、気づいていたとしても気にしないところがたちが悪い。シンジは赤くなった頬をそらしながら呻いた。

「キザ」
「本心さ」
「あとで、やっぱり聞くんじゃなかったって言っても知らないよ? 責任取れないからね」

 ボウルにマヨネーズをぐにゃぐにゃ出しつつ、シンジは肩を竦めた。カヲルはシンジから受け取った明太子を、ボウルに入れたマヨネーズと合わせて菜箸で手際よくかき混ぜる。

「この身に誓って」

 なんだか変な雰囲気だな、とシンジは遠い目をした。
 最初よりは慣れたけど、カヲルの言い方が一々恥ずかしくてしょうがなかった。カヲルの持つ普通という概念が、一般から百億光年離れていると言われたってシンジは驚かない。むしろカヲルと一緒にいると、普通ってなんだっけ?と、よく分からなくなってしまうシンジだった。

「だったら言うけど。本当にたいしたことじゃなくて、ただ……。前に、学級活動で帰りが遅くなったことがあったよね。その晩はとても月が明るくて、街灯が無くても君の姿がはっきりと判るくらいだった」

シンジは思い出すように目を細めた。

「新月か満月か、詳しくないから知らないけど。ああいった自然の雄大な眺めを見るたびに自分はなんてちっぽけな生き物なんだろうって僕はいつも卑屈になってしまうのに、君はそうじゃなかった。笑って、今夜の月は今まで生きてきた中で一番綺麗だって、そう言った」
「覚えているよ。シンジ君はどこかぼんやりとしていた」  

 カヲルは手を止めてしまったシンジの手に、持っていたボウルを渡した。はっとなったシンジは慌てたように引き出しから海苔を取り出した。飾り用の刻み海苔だ。それをぱらぱらと降りかけながら、シンジはカヲルの深紅の瞳を見上げた。  

「初めてだったんだ。たぶん。きちんと君を見ることが出来たのが」

 ふっと、囁くように吐き出したシンジの言葉にカヲルが目を瞠る。言っていることの恥ずかしさにシンジは俯いた。

「カヲル君の髪が月の光できらきら透けて、柘榴より赤くて透明な目が飾り物じゃなかってこと。そんなの当たり前のことなのに、僕はその日初めて気付いたんだ」

 シンジは自分の思いを口に出すのに精一杯でカヲルの変化に気づかない。飾り付けを終えると、海苔の袋を引き出しに仕舞った。

「気づいたら、なんかずっと君のこと考えるようになって。……変だね、僕」

 照れたようにはにかんだシンジを絶句しながらカヲルは見下ろした。

「カヲル君? あれ? なんで赤くなって……」

  透き通るように白い肌が真っ赤に染まっていくのを不思議に思って、シンジは首をかしげる。カヲルは赤面した顔を隠そうと、手のひらで覆って目を閉じた。意識せず口元が緩んでしまっている。
 想ってくれて嬉しいと口に出したら、彼もきっと真っ赤になってしまうだろうな。と思いながら、カヲルはシンジの痩せた体をきつく抱きしめた。もちろん、赤くなった顔をこれ以上見られないため、だ。  







end.
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2007,6,26 Write By Mokuren