「セックスだけなら誰とだって出来る。でも僕はそうしない。なぜか分かる?」
けだるい空気を身に纏いながら天井を見上げる。一時間三千円の安いホテルの天井だ。
何の技巧もなく、薄っぺらな塗料があちこち剥がれていた。
「係わり合いを持つのが面倒くさいから?」
隣に寝そべって髪をくすぐっている少年の相槌に小さく首を振る。
「それもある。でも根本的なところで、僕は自分を傷つける人間を許せないんだよ。セックスは人を傷つける。肉体的にであったり、精神的にであったりと違いはあるけど」
「それはいけないことなんですか?」
素直に口をつく疑問に答えられるほど優しくない。どうしてこんなに捻くれてしまったんだろうと思うけれど、重ねた時間はどこにも返せない。大人になるということは、何かを捨てると言うこと。
「さあ、僕にはその質問に答えられるだけの経験を多く持たないから分からないよ。でも、嫌だね」
「嫌、ですか」
「そう、許せない。僕は自分が大事なんだ、他の誰よりも一番大切なんだよ。憎んでしまうほど」
「先生の普段からの生活を見ているとそうは見えないですけど」
理知的な双眸がゆるく口角を上げるのを見上げる。整った顔立ちの線の細い少年なのに、どうしてこうも男らしいのだろう。自分には無いものに憧れる悪い癖。
「自分で自分を傷つける分には構わないんだ。煙草を吸ったり体に悪いと分かっているものを食べたりとかね。でも、人に傷つけられるのだけは我慢できない。虫唾が走る」
「繊細なんだ、誰よりも」
納得したように静かに頷く彼が分からない。本心なのか、嘘なのか。
「そうかな。そうでもないよ。現に僕と君はこうして肌を重ねているもの」
「僕を好きなんですか?」
「その質問に答える気はないよ」
ストレート過ぎる問いに、同じようにストレートに返事をする。元来嘘は苦手な性質だ。
「じゃあ少しでも受け入れてくれている?僕は独占欲が強い人間なんです。そしてそんなに我慢強いほうじゃない」
「そうだね・・・・・・じゃないとこんな痕はつけないだろうね」
肌に散らばった幾つもの赤い痕をなんともいえない気分になりながら見つめる。
これじゃあ着替えるのにだって一苦労だ。少しは考えてくれたって良いのにと思う。
「嫉妬してるんです。あなたにすら。こんなに僕をかき乱すあなたが平然としているのを見ると、ぐちゃぐちゃに壊して僕しか見えないようになってしまえば良いと思うんですよ」
「だからあんなに激しいんだ?」
「あなたがとても可愛らしいから、というのも含みます」
揶揄するように言うと軽くかわされる。悔しい。
「そういうことを平気で口にするものじゃないよ。正気を疑われるから」
痛むこめかみを押さえながら諭すが、何の効果も期待できないだろう。
言って止めるほど可愛い性格をしていない。そのことを僕が知っているのを少年も知っている。
「誰にどう思われたってなんとも思いません。僕にはあなたがいればいいから」
「僕は、君を殺せるよ」
「僕もあなたを殺せます。あなたが愛しいから、誰よりも大切だからですけどね」
真摯な表情がこころを傷つける。鋭く尖ったナイフの切っ先が何本も何本も。
流れ出た血の色が何色かも知らないで。
「君の愛が痛いよ」
「僕だって同じです。セックスで傷ついたあなたをこれ以上傷つけるつもりはないんですけど」
口数の減らない少年にムッとしながらゆっくりと起き上がる。鈍い痛みが局部を襲う。
「うるさいなぁ・・・・・・もう黙ってよ。君がこんなに食えない奴だとは思ってなかった」
興味を示していたから近づいた。知ってしまえばもう用はなくなると思っていたから。
利用する、ただそれだけのつもりだったのだ。
「先生は思ったとおりの人でしたけど。あなたをもう手放す気はありませんから、覚悟しておいてください」
「僕は君の言いなりなんかならないよ。今までの人がどうだったか知らないけど、これっきりだ」
都合のいい人間になるつもりはない。僕を支配できるのは僕だけだから。
「拒むんですか」
「君が僕を傷つけるからね」
「それでもいいです。精々拒んでくださいね。・・・・・・僕も逃がす気はありませんから」
透き通った眼差しで、強い決意を込めた言葉に怯える。捕まえられるかもしれないという、恐怖。
「大概しつこい奴だね・・・・・・」
「他ならぬあなたのことですから必死なんです僕も、これでもね」
「もう帰って」
もう何も聞きたくない。
「それじゃあさようなら、碇先生」
白い制服を着た背中を見送って、掌でまぶたを覆った。

「じゃあね、渚君。もう二度と僕に近づかないで」









 → 庵カヲ貞シン?