「おまえ、こんなとこでメシ食ってんのかよ。ちょーボロい」

 ありえねー! と店に入って開口一番にこれである。綱吉は思わずぽかんとした。面と向かってこんなことを言われたのは初めてである。まあ、綱吉自身ちょっと古いよなぁ、と思ってはいたのだが、それを他人に言われるとなるとこれまた別である。つまり、ムッとした。しかしこちらも客商売。世の中には色んな人がいるものである。
「やあ。こんばんは」
今日初めて見る客の後ろに、最近見慣れた姿がある。夜も遅く、保護者もなしに一人で食べに来る小さなお客さんだ。
「こんばんは。今日は……お兄さんと一緒?」
 いつもは一人で来るのに、今日は年の離れたお兄さんと一緒らしい。そう思って聞くとティアラ(っていうんだろうか? 王冠?)を頭にのっけた少年と、マーモン君が同時にゲっ、と顔を顰めた。まあ、どちらも髪で隠れたりフードで覆ったりしているから肝心なところは見えなかったが。綱吉は何と言っていいものか分からず、とりあえず二人を席に誘う。幼子の定位置となっている厨房付近のテーブルに二人は座った。
「なんかお前らしいよな。こんなボロっちー店、オレなら入ろうとも思わねーし。狭いし汚いし何がいいんだか」
 綱吉が厨房に引っ込んでお冷を持ってくる間、冠をかぶった少年は椅子に座って店内を見回して暴言を吐いていた。しかし、狭いのでまる聞こえである。しかも元々音量を下げようと言う気もないので堂々とした悪口は筒抜けだ。
「うるさいなあ。勝手に着いてきたくせに人の好みにいちいちケチつけないでくれる?」
「ビンボーくさい。店員も幸薄そうじゃん」
(悪かったなぁッ!)
 輪切りにしていたレモンをタッパーから取り出し、グラスに浮かべながら綱吉は憤慨した。確かにあまり幸福そうな面ではないかもしれないが、初対面の人間に対してあんまりである。
 マーモンはうんざりして向かいに座り、にやにやと笑って周囲を見回す同僚を見た。ちょっと黙ってくれないかな、と思うが、人の話など聞かない相手はたちの悪い笑みを浮かべている。
「どうぞ」
 綱吉がどんっと、いささか乱暴にコップを置こうが相手は気にする様子はまったくない。それどころか、綱吉の顔をじろじろ見てげらげら笑うのだ。イラっとするが、客商売だ。我慢我慢。綱吉は注文票を手に取り大人しく注文を待つ。
「僕、豆腐あんかけ定食ね」
「なんだよお前、もう決まってんの? ってかメニューどれ?」
「あ、壁に……貼ってるんで」
 ずらりと壁に貼ったメニューを指すと、王冠をかぶった変な人は沈黙し、それから大爆笑した。苦しそうに腹を抱えている。綱吉の目が半眼になる。本当に失礼な客だ。
「じゃあオレ寿司ね。もちろん特上な」
「……うち、定食屋なんですけど」
 メニューを見ずに頼む非常識な人物に、綱吉は思わずマーモンを見る。正直たすけてくれ、という視線である。それに応えたわけではないが、お腹がすいたので早くご飯を食べたいマーモンは冷たいグラスを持ちつつ返事をする。
「箸を使わないやつを適当に持ってきてくれればいいよ」
「ハンバーグとか?」
「そうそう」
「なに勝手に決めてんだよ。寿司食いてーって言ってんじゃん」
 本人を無視したやりとりにベルフェゴールが口を挟む。ジャッポーネと言えば寿司なんだろ寿司、と言うベルに、日本人の綱吉としては、正直寿司もうまいが他にももっとおいしいものはたくさんあるんだよと内心呟く。もちろん声には出さない。
「だからここにはそんなものないって言ってるだろ。寿司を食べたいなら寿司屋にでも行きなよ」
 まったくもってその通りなので、綱吉はひそかにマーモンにエールを送った。
「めんどくさいからハンバーグ定食でいいよ。早く作って」
 ぶーぶー文句を言う少年にばっさりと言い捨て、マーモンは立ち尽くしたままの綱吉を厨房に追いやった。綱吉はいいのかなぁ、と思いつつ注文された料理を作り始める。一応、注文されたハンバーグ定食も作っておく。
ふんふんと調子の外れた鼻歌を歌いながら、狭いながらもきれいに掃除している厨房で作業を開始した。
 綱吉が母から譲り受けたこの店は、狭いながらも安価でボリュームもあり、しかもクセになるうまさということでリピート率は脅威の9割だ。大抵の人は店の古さに尻込みしてなかなか戸をくぐることはないが、一度料理を食べたらなんやかんのと言ってまた来てくれる。
 昼休憩中の背広を来たサラリーマンだとか、金がない学生が多い。例外として、中学の頃からずっと友人のメジャーリーガーだとか、同じく恐怖と暴力で学校どころか大人になった今でも町中を仕切っている先輩とか、プロボクサーになった先輩だとかが暇を見つけては顔を出してくれる。
 綱吉としてはテレビや新聞でお馴染みになった友人が「やー、やっぱツナの作るメシ食わなきゃ力入んないみてーだわ」なんてことを言ってくれるたび、嬉しくなる。なので、張り切る。始めた当初は三ヶ月持つかどうか、というのが正直な気持ちだったが、やってみるともう三年も続いていた。ものすごく飽きやすく面倒くさがりな自分にしては、なんともびっくりな年月に綱吉自身も驚いている。
 ぱっぱと手早く作り終え、火を止める。
「お待ちどーさま、っと!」
 両手でそれぞれに料理を乗せた盆を持ち、テーブルまで運んだ。
「ご注文は以上でよろしいですね」
ほかほかと湯気が立つ料理を客の前に置いて、お決まりの文句を言う。返事がなくてもまあ気にしない。綱吉は早々と厨房に引っ込んだ。後片付けと明日の仕込が残っているのだ。店が開くのは午前十一時からとは言え、その前には掃除も終わらせていなければならないのでゆっくり仕込みをするのは大抵その前の日になる。
食器用洗剤でもくもくと白い泡を立て、使用した調理器具を洗っていく。単調な作業なので、BGMにラジオを流すのも忘れない。流行りのCDを買う事もなくはないが、こうやってラジオから流れる分には無料なのでよく利用する。貧乏性なのではない。単に買いに行くのがめんどくさいだけである。
「……ふー」
 一通り流しをきれいにし終えると、綱吉は厨房のガラス戸から店内を見る。頭に何か乗っけた少年は背中を向けているので分からないが、幼子の方は後十分もしたら食べ終わるだろう。食べながら話す内容は先程とは違ってこちらまで届かないので、何を話しているかは分からない。
「ま、もうちょっとしたら持ってこう」
 いつものささやかなおまけ。今日はジュースにでもしようと決めて、綱吉は仕込みをすべく冷蔵庫を開けた。








「まーまー。悪くなかったぜ」
「ど、どうも」
 おまけも出し終えてすっかり満足したのか、会計をする際の一言でのことだ。少年はきれいに整った真っ白い歯をむき出しにして、上機嫌そうに笑って綱吉を褒めた。褒められている気がしないのがなんとも不思議で、綱吉は引きつりながらも笑みを浮かべた。
「ベルの悪くないは最大級の賛辞だから、自信持っていいと思うよ」
 気に食わないと女子供問わず八つ裂きだからね、とはもちろん言わないでおく。面倒なので。
「ありがとう……ございます?」
「何で疑問系なんだよ」
 もっと喜べと無理言う少年に、綱吉はめんどくせー! と思いながら礼を言った。さあでは会計を、という時に、少年はあっけらかんと言い放った。
「金? そんなの持ってねーし」
「は?」
 言われた一言に目が点になる。綱吉は思わず警戒した。まさか、食い逃げじゃないだろうな。
「カードしか持ってないんだけど。現金なんて持つのメンドイじゃん」
「うち、カード使えないんですけど……」
 店先にはカードが使えますなんてシール、どこにも貼っていない。大体が小銭で払えるような値段なので、カードで支払おうとする人間なんて皆無なのだった。
「バカだね。言っとくけど、貸してもいいけどそれなりに利子はつけてもらうよ」
「ハッ、冗談。誰がお前なんかに借り作るかよ」
「じゃあ自分でなんとかするんだね」
 マーモンはきっちりと自分の分だけ払うと、ごちそうさままた来るよと綱吉に言い置いて一足先に店を出て行ってしまった。その場に残された綱吉と、王冠少年。
「お金……払ってもらわないと困ります」
「は? 払うし。オレあいつみてーにがめつくないからさ」
 あいついっつも金金カネばっかり言うんだぜ、と言う少年だが、手持ちがないと言うのにいったいどうやって支払うと言うのか。
「無礼なヤツ」
 綱吉の疑うような視線に少年はけらけらと笑いながらぽいっとカードを手渡した。黒光りするカードは、綱吉が見たこともない類の物だ。しげしげとそれを見て、少年を見て、またカードを見て。首を傾げた。
「こっちにいる間しばらく通うから。これで代金引き出すなり好きに使っていーぜ」
「いや、あの……コレ、なんですか?」
 綱吉はクレジットカードなるものを普段使用しないので、渡されたカードがまさか無制限にお金を引き出せる、一般人には見る機会のない希少なカードだということももちろん分からない。だからどうやって使うのかもわからないので、返す。
「分かった、お金はまた今度来るときでいいや。ツケにしとくから、今度はちゃんと払ってくださいよ」
「へえ……」
 カードを付き返すと、笑みを浮かべた顔が綱吉を見下ろしている。ひょろりと細いくせに、綱吉より背が高いので見下ろされる形になるのがなんだか不愉快だ。劣等感をビシバシと刺激する相手はさっさと相手をするのをやめるに限る。
「お前、名前は?」
「お、お前ってなぁ……」
 一応年上だぞ、とぶつぶつ文句を言うと、なーまーえーはー? と頬をぎりぎりつねられた。痛い! 暴力反対だ!
「さ、さわらふなよひ…!」
「何言ってんのか全然わかんねーんだけど」
「沢田っ、綱吉だって言ってんだよッ!!」
 分かったらさっさと手ぇ離せこんにゃろう! と叫ぶと、少年は笑って手を離した。まったく悪びれた様子がない。
「ツナ…ツナヨシ、ね」
 異国の言葉を操るのだろう唇は、今ははっきりと綱吉の名前を告げて見せる。いったいなんなのだ、この少年は、と思いながら綱吉は頬をさすった。
「オレはベルフェゴール。特別にベルって呼んでも許してやるよ」
 ニィ、と笑う少年に何様だとは思うものの、とりあえず頷いた。それにようやっと満足したのか、ベルフェゴールは足音を立てることなく古い木の床の上を歩いて戸口に向かう。
「じゃーな」
 ひらひらとこちらを見ることなく手を振る背中を見送って、思わずため息をつく。
 
 厄介ながらも常連さんが、もう一人増えた、かもしれない。