赤や青、黄色にピンク。色とりどりの光が街中に溢れかえり始めたのは、ハロウィーンが終わった次の日のことだった。 ジングルベルやきよしこの夜の大合唱に、うんざりとしているのは何も綱吉だけではないだろう。キャンパスではそこかしこで新しい恋人が誕生し、クリスマス前に別れた人々は恋人を作ろうと躍起になっている。幸いにも綱吉の受けているクラスでは、恋人もいいけど講義もちゃんと受けたい、なんていう比較的生真面目な人間が多かったのであまり浮かれて羽目を外す心配もなさそうだった。うきうきとした雰囲気はあるものの、それを他人に強制しないので実に居心地がいい。 綱吉が実家を離れて一人暮らしを始めてからもう二年のことになる。住み慣れた家から少しばかり遠い大学に通い、一人暮らしもまあまあ慣れたそんな頃合。 あまり熱心にサークルで活動するようなタイプでも、大学に入ってから意気揚々と遊ぶタイプでもなかったので、綱吉の日々の生活は大学で講義を受けアパートに戻るというきわめてありふれたルーチンワークだ。友人に誘われれば大学生特有の飲み会に顔を出すこともあったが、あまり馬鹿騒ぎするのも好きではないので一次会で早々とアパートに戻るのが常だった。 その日も、チェーンの居酒屋で飲んだおいしくもなんともない酎ハイに、どこととなく足元が覚束ないままアパートへ戻る途中だった。綱吉の育った町とは違い、街灯はぽつぽつと人通りの少ない商店街をさみしく照らしている。シャッターが閉まっている中を一人歩きながら、綱吉は冷えた手のひらをポケットの中に突っ込んだ。携帯電話と財布くらいしか普段持ち歩かないので、ポケットはぎゅうぎゅうでいきなり窮屈になる。 「そういえば…」 いつも読んでいる漫画が発売しているのではないかと、綱吉は室内の蛍光灯の明かりが漏れている本屋の前を通りかかったときに気づいた。普段は大学の生協や駅前の大型本屋で買うことが多い雑誌類だったが、今の今まですっかり忘れていた。 これ幸いとばかりに自動ドアではない引き戸を横に押して、綱吉の上背より高い書棚にたくさんの本がきれいに収められている店内に入る。引き戸の上には来客を知らせるベルが付いているのか、綱吉が中に入るとちりりん、と軽やかな音を立てた。店内には綱吉の他に、二、三人ほどの客が各々の欲しいものを物色していた。 綱吉はきょろきょろと辺りを見渡して、目当ての漫画本を探すものの、あまり多く漫画を置いているわけではないらしく、綱吉が欲しかった本は置いていなかった。残念に思いながら店を出ようとすると、ふと目についたハードカバーに興味を引かれ、思わず立ち止まった。大学で学んでいる分野の専門書だ。本棚に手を伸ばし、ずっしりとくる重たい本をぱらぱらとめくっていく。細かな文字の羅列を、時間を忘れて追っていった。 ボーン、ボーン、ボーン、と鳴る壁掛け時計の音で我に返る。あまりにも夢中になって読んでいたら、いつの間にか時間が過ぎていたらしい。店内にあった人気も、今はお店の人を除いて綱吉一人しかなかった。 綱吉は慌てて本をもとに戻すものの、もう一度手にとって本の値段を見る。専門書なだけにやはり値が張るものだ。普段ならば図書館で借りるか友人から借りるなどして済ませるだけだったものを、綱吉はそのときアルコールで気分も良かったし、分かりやすく丁寧に書かれた内容にも満足していて、この本を買おうと常ならばありえない行動を起こしてレジに向かう。財布には確か五千円くらいは入っていたはずだ。 「これ、お願いします」 店の店主だろうか、レジにいた白髪の眼鏡をかけた老人に本を渡して綱吉はポケットから財布を取り出した。 「3,760円です」 綱吉は財布から五千円札を出そうとして、あれ、と固まる。確かに五千円が入っていたはずの財布には、千円札が三枚しか入っていなかった。綱吉は慌てて小銭を数えるもの、購入するにはあと五十円ばかし足りなかった。一体何故だとぐるぐると考えたら、先程の飲み屋で友人に二千円ほど貸したのを思い出した。金の貸し借りは嫌いだが、普段から世話になっている友人だし、明日には返すと約束されたのでしょうがないなと思いつつ貸していたのだった。 人に貸したら返って来ないと思え、それでもいいならやるつもりで貸せ、とは元家庭教師の言葉だ。 「どうかしたのかい?」 「あっ……す、すいません。お金、足りませんでした」 羞恥で一気に酔いも吹っ飛んだ綱吉の言葉に、おじいさんが笑う。 「いくら足りないんだ?」 「五十円、です」 たかが五十円、されど五十円。丸い穴の開いた銀色の硬貨を笑ったことは一度もないが、綱吉は恥ずかしさにうな垂れながらお店の人に謝った。 「いいよ、持っていきな」 「え、でもほんとに持ち合わせがないんですよ」 紙袋に本を入れて手渡そうとするおじいさんに、綱吉はいやいやいや!と両手を振った。 「いいからいいから。お兄さん、今日は何の日か知ってるかい?」 「は? いえ…知らないです」 唐突に問われて綱吉は混乱した。あたふたとする綱吉をみて、おじいさんはうんうんそうだろうなあ、と頷いて言った。 「お兄さん、恋人はいないだろう。もしくは遠距離恋愛ってやつか」 「な、なァっ!? なんで」 初対面の人間にぐさりと切り込まれ、綱吉はぱくぱくと口を開いた。そのせいで、紙袋に包まれた本を受け取ってしまう。 おじいさんが言うとおり、綱吉は遠距離(というほど距離はないが)恋愛中の身である。一つ年の離れたその人は、横暴で暴力が趣味みたいなこわい人で、綱吉の言うことなんかこれっぽっちも聞きやしない我が侭な人だが、群れが嫌いなくせにちっちゃくてもふもふした小鳥とか肩に止まらせて、眠くなったら人の膝を勝手に使って、気まぐれに頭を撫でたりしてくれるような人なのだ。 綱吉は大学に通うため並盛を離れたが、恋人は町に留まって色々(物騒なことを含め)やっているらしい。最近財団を立ち上げたと、彼の右腕で綱吉もお世話になりっぱなしの先輩に教えてもらったものの、綱吉は財団が何なのかよく判っていなかった。首を突っ込んで骨までしゃぶられても嫌なので。 「今日は12月25日。クリスマスだよ」 「あぁ…そういえば…」 おじいさんは壁にかけてあるカレンダーを見て、綱吉に向かっていたずらっ子のようににやりと笑った。だから飲み会の参加が彼女持ちじゃない男ばかりだったのか、と友人らに仲間だと思われていることなど知りもしない綱吉は、そうだったのかと納得した。 「こんな日に、家に一人でいても寂しいからね」 やけに実感の篭った言葉に綱吉は確かにそうですねぇ、と頷いた。寒い季節はただでさえ温もりが欲しくなるものだ。 綱吉の表情を見て、おじいさんはごそごそと引き出しの中から贈答用のピンクのリボンを取り出した。なんだなんだと綱吉が驚いていると、リボンの後ろの台紙を取って、ぺたりと無造作にクリーム色の紙袋に貼り付けて頷いた。 「サンタクロースは忙しいだろうから、老い先短い爺から寂しい若者へのささやかなプレゼント、ということで持っていきなさい」 「おじいさん…」 綱吉は初めて会った人からのなんとも太っ腹な親切に素直に喜べばいいのか、馬鹿にされているのか複雑に思いながらプレゼントを受け取った。 でも、やっぱり人の親切は嬉しかった。おじいさんが言うように、今夜はきっと恋人には会えないだろうから。 「ありがとうございます!」 「ハッピー・メリークリスマス」 おせっかいで最高にイカした白髪のおじいさんにお礼を言うと、やけに流暢な英語で手を振られた。くそー、いちいちかっこいいな、と綱吉はほかほかした気分で外に出る。 左脇でずしりと思いプレゼントを抱え、一段と冷え込んだ外の空気にくしゃみをする。ポケットに手を入れると、携帯が震えているのに気がついた。綱吉は慌てて携帯を取り出し画面を見る。 そして、着信を告げている名前を見て思わず笑ってしまった。くすくすとしながら通話ボタンを押す。 「こんばんは」 綱吉が出ると、律儀に返事をした恋人の声が受話器から聞こえてくる。今から行くから鍵開けといて、というその人。きっと、クリスマスとかそんなの気にしたこともないようなこの人が、クリスマスのこの日にわざわざ寒い中バイクを走らせてやってくるのだろう。綱吉に会う、そのためだけに。 とんだ素敵なクリスマスだよ! と先程のおじいさんに内心笑って、受話器越しの、耳に馴染むようになった声を聞く。 何笑ってるの、と少し不機嫌になったかの人の声を耳にしながら、星灯りの美しい澄んだ夜空の下を歩いた。想いが伝染するならば、彼にもこの妙に気恥ずかしく落ち着かない、あたたかな気持ちが伝わるといい。 「オレも、あなたに会いたいと思ってたとこですよ」 受話器越しの絶句した雰囲気を感じる間もなく、綱吉は素早く通話を切ってポケットにしまった。 ちょっと大胆すぎたかなぁと心配半分恥ずかしさ半分で頬を染めながら、綱吉はアパートへと戻っていった。 恋人が来るまで、このクリスマスプレゼントを読みながら待つのもいいかもしれない。 これくらいなら許容範囲。だって今から風紀を乱しにあの人がやってくる! |