ご出席いただける恩師の方々

長野 覚先生
大藪 勉先生
井上 裕先生
釜瀬 九州男先生
伊藤 信先生
小森 成彬先生
前田 圓先生
伊勢田 黎二先生
  
中村 太次郎先生
尾嶋 信好先生
渡辺 暢平先生
田浦 賢治先生
田口 俊子先生
桧垣 正浩先生
佐藤 忠邦先生
中村 堅市先生
  
新谷 勉先生
奥田 義郎先生
高原 進先生
水崎 雄文先生
白川 昌弘先生
西村 善久仁先生
梅野 哲雄先生
深江 久嗣 先生

5/1 現在(順不同)

恩師の御宅へ伺いました

 母校を卒業してまもなく30年を迎える本年、私達55会のメンバーは同窓会総会の 幹事を勤めさせていただく機会を得ました。歴史ある同窓会において、私達ができ ることはほんのわずかですが、その運営と準備に心を込めることだけは、しっかり 努めさせていただきたいと思っております。

 本年の同窓会のテーマは「未来への伝言〜メッセージ」です。それぞれが未来へ 伝えたい思いを巡らせた時、私達が今ここにある礎を築いた青春の日々に、貴重な 経験の場や金言を与えて下さった、恩師の先生方のお姿がまず最初に思い浮びました。 先生方への感謝の思いを総会前に直接お伝えしたいと思い、卒業した3年時に担任を して下さった 先生方のご自宅を訪問させていただきました。

 訪問記は、55会メンバに向けて、書かれたものですが、訪問の様子が伝わると思います。 ご覧いただけれは、幸いです。

伊藤信 先生  渡辺暢平 先生  前田圓 先生  小森成彬 先生  奥田義郎 先生 


伊藤信 先生 2/28 訪問記を非表示

 恩師隊 伊藤組(3-2)の下村です。  本日、伊藤さん、福島さん、山田さん、平田君の計5名で伊藤先生のお宅をお訪ねしてきました。

 私は恥ずかしながらの隠れ修猷のつもりやったとですが、伊藤先生がなんでも覚えていらっしゃったんで本当に参りました。 いきなり「あんたは漱石のごたー小説を書くて言いよったろーが」と言われてまさに汗顔の至り。 一方で「修猷生は、夢が大きかとこがよかとこ」と30年前同様大きな目で生徒をご覧になろうというお気持ちがぜんぜん変わらん。

 先生はあれから平成9年まで約20年間定年まで修猷で教えよんしゃったそうです。 現在68歳(?)だそうです。無理をお願いして訪問させていただいたのに奥様ともども歓待していただいて本当に有難いことでした。 「長生きしとったらいいこともあるんやね」といったもったいないお言葉もいただきました。

 伊藤先生へのメッセージということで 阿部野君、河原君、平田君、淵脇君、吉田君、伊藤さん、門野さん、福島さん、吉村さん、そして3−4の森哲郎君に 送っていただきそれを読みながら先生がしばし絶句しておられたのが感動的でした。 やっぱり卒業アルバムは必携品で、それを見ながら、先生は当時の先生や生徒の思い出を語ってくださいました。

 そしてとうとう伊藤先生に「じゃー今年は出らないかんねー」とおっしゃていただきご訪問した甲斐(君)がありました。

 30分のつもりが、2時半から4時45分まで2時間以上話が尽きることなく、名残惜しみながら、 「続きは5月29日の総会で」ということでお暇してきたことでした。



 下村くんがとっても素晴らしい報告を書いてくださっているのですが、 何せ2時間も長居してしまったので、お話も沢山出きました。 下村くんが書いていないことを中心に補足で書かせていただきます。

 さすが英語の先生だけあって、イギリス紳士かアメリカの小粋な風情か(?)、 昭和52年(私たちが1年生の時)に修猷に赴任され、3年時で41歳(かな?) だから御年71歳前後なのにダンディーで、白髪になっておられましたが、 それもまた良い感じで年を重ねておられました。

 在学中から小森先生と釣りを始められて、その頃は同レベルだったのに、あれよあれよと いう間に小森先生は上達されて、伊藤先生曰く、”小森先生は仙人”の域だそうです。 海の上から底が見える、今何が泳いでいるかわかるそうです! クーラーに入らない位のデッカイ鯛などを釣り上げるそうです。 他にも徳田先生の深江のお宅の前には綺麗な海が広がっている、とか 奥田先生のご次男とお嬢様がこの度法律事務所を開設された、とか アルバムをめくりながら次々と同僚の先生や生徒の話題が尽きることがありませんでした。

 「2組の誰それ君は運動会に彼女を連れてきた、結婚するかのような感じだったよ」、

 「畑地さんは大学を卒業した後、医学部に入り直した、偉いよー、お坊ちゃんの○○くんは すんごく可愛い、そうか、もう修猷の1年生かぁ」 と話は全クラスの生徒に及んでいました。

 私は「先生、よく覚えていらっしゃいますね〜」と何度感心したかしれません。 すんごい記憶力です! そのまま定年までずっーと修猷で教鞭をとっておられた訳ですから、 私たちが卒業させた最初の教え子だとしても、以後の幹事学年は すべて伊藤先生とともに在学していた生徒ということになるのですね。 まあ大体持ち上がりなので、主に担当していた学年は3年毎に なるようですが。

 長尻になってしまい、もしかしてお身体がきつかったかな〜というのは 反省事項でした。下村くんが「じゃそろそろ…」と切り出してくれなかったら、 もっと長居してしまったことでしょう。

また下村くんが綺麗にプリントアウトして持参してくれた皆のメッセージにも 先生は感動しておられました。

福島


渡辺暢平 先生 3/1 訪問記を表示

 1日、日曜、2時〜 繁田、太田、高倉、小川の4人で、 渡辺暢平先生(化学、3−6)宅を訪問して参りました。

 メガネなしの渡辺先生、笑顔はかわらず当時のまま。 ゆっくりと、とつとつとしゃべる感じも昔と変わって いらっしゃらなかったです。

 私達こういう者で、と、持参のアルバム広げて自己紹介したのですが、 「そうですか」と 私達4人の事はあまり記憶にないようでした。残念!

 「薬学に行った女子が多くて」と言われたので、女子二人は 「ハイ!ハイ!」と手を上げたのですが、やはり先生の記憶にはなかったようです。 >< 「女子は浪人させてはいかんやろうと考えていた」との優しいお言葉。

 先生は熊本ご出身。先生のお父様のご都合で福岡に来られたそうです。 修猷には20年間いらっしゃって、そのうち3年生を受け持ったのは 6回だそうです。 57年に湊館長と一緒に修猷を後にされました。 先生は退職でその後、大濠で教鞭をとられたそうです。 大濠に行って、修猷の有難味が分かったと言われてました。 大濠では授業に入る前に、静かにさせるのが大変だったそうです。

 同窓会には「欠席」で出しても、幹事さんから電話があって、 「是非都合つけて来てください」って言われるのでと、 よく出席されていらっしゃるようでした。 でもこのように、うちまで押しかけて来たのは初めてだとか。 「有難いです。」と言われてました。

 「同窓会はいつもいろいろ趣向をこらしてあって、大変ですな〜」
 今年も乞うご期待ください!!

 現在、79歳。両眼は白内障の手術をされたので、ネガネなしでも、 とてもよく見えるとのこと。お耳もふつうに聞こえていらっしゃってました。

 そんな渡辺先生からお願いが。。。 「私は足も丈夫で一人で歩けるからいいのですが、高齢の方で杖ついて 来られる方もおられます。その方が食事とったりする時など大変なので、 そういう方々の お世話をする人をつけてほしい。」とのことでした。

 そういう方々のお世話をするためにも、私達55会には考えに考えた秘策が あります。先生には「わかりました!ご安心ください!」とお返事しておきました。 高齢者、大先輩方に優しい同窓会にしたいですね。

 30分強の滞在で、最後に先生お一人と私達との写真を撮りました。 繁田君が三脚持ってきてくれたので。。。
 でも奥様お呼びして、お二人のお写真を撮ってさしあげたら 良かったとちょっと後悔。 奥様、綺麗にされてたし。。。ごめんなさい。

小川



前田圓 先生 3/8 訪問記を表示

 恩師隊 前田組(3-10)は、本日、中島清一組長、成清(大木) 紀子さんと中村昌太郎の3名で前田先生のお宅を訪問してきました。

 詳細は後ほど、清一君が写真をつけて報告してくれると思いますが、まず、前田先生がお若いのにびっくりしました。 昭和3年生まれで81歳になられたというのに、体格は29年前のまま、背筋はまっすぐで、ジーンズがお似合いでした。 明瞭なお話ぶりも昔と変わらず、楽しいひとときを過ごさせていただきました。

 お一人暮らしが長いそうで、食事のしたくもご自分でやられるとのこと、ケーキとコーヒーを御馳走になりました。 また、パソコンで執筆されているそうで、最近書かれた評論文(日本書紀が出典の「平城山の影媛悲話」に関するもの) のコピーをいただきました。

 清一君持参のアルバムを眺めつつ、元3-10のみんなからのメッセージをおみせすると、とても嬉しそうでした。 昨年は同窓会総会に行けなかったけど、今年は来ていただけそうなご様子でした。

中村昌太郎



 恩師隊 前田組(3-10)は、平成21年3月8日(日)、中村昌太郎、大木(成清)紀子、中島清一の3名で 前田圓先生のお宅へ総会出席のお願いとご挨拶へ行って参りました。

 10年間お一人暮らしとは思えない整頓されたお宅で、通された食卓の大きなテーブルにはクラシックの CDが数枚置かれ、伺った際には心地よい音楽が静かに部屋全体を包み込んでいました。 小さなお花を持参したのですが、ことのほか喜ばれ、なんだか私たちまで華やいだ気分になりました。

 早速総会のご案内をし一通りのご挨拶を済ませたのですが、先生のお若い姿には本当にびっくりしました。 81歳とはとても思えない、「矍鑠とした」という形容詞とはまるで無縁の若さ!!  相変わらずのスリムで背筋のきりっと伸びた姿にストレートの細身のジーンズを纏われ、30年の月日を 全く感じることはありませんでした。明瞭なお話ぶりも昔と変わらず、修猷館時代のお話や先生の 28歳の頃のアメリカ留学のお話をひとしきり拝聴しました。 持参した修猷の卒業アルバムを眺めつつ、元3-10のみんなからのメッセージをおみせすると、とても 懐かしがられて、喜んでいただけた様でした。

 お料理はお得意だそうで、お孫さんが尋ねてきた時などは料理を習って帰る、と嬉しそうにお話しされていました。 手際よく美味しいコーヒーを2度も淹れていただき、ケーキをご馳走に(2個も!)なって帰ってきました。

 眼が昔ほどはよく見えないこと以外はお体も特に悪いところもないそうで、今も色々なご興味に対して 執筆活動をされて いらっしゃるご様子。 僕たちにとっては、高校時代の恩師ではありますが、先生は今でも歴とした研究者でした。 今後はこれまで封印していたアメリカ留学時代の日記や資料の再編集をされるとのこと。 今後の執筆物には要注目です。お話を伺っていてとても読んでみたいと思いました。

 話も弾み1時間15分の滞在の後、お宅を失礼しました。総会にはご出席いただけそうなお話でした。 総会当日の再会を楽しみに、また当日楽しんでいただけるように、これからの準備を頑張っていきたいと思いました。

中島清一


小森成彬 先生 3/8 訪問記を表示

 甲斐君、繁田君、牟田さんとお子様、瓜生で、本日 小森先生のお宅に訪問させていただきました。

 お迎えに出ていただいていた先生、30年前とお変わりなく、とてもお元気でにこにこされながら、お招きいただきました。 お茶を頂き、アルバムを見たり、同級生でもあるご子息の現況をお聞きしたり、皆さんからのメールを読み上げた後、 みんなで玄関(植木の剪定も先生がなさるそうで、見事でした)で写真を撮らせていただいて失礼しようとしましたが、 その間にお食事のご用意までして頂き、恐縮しながらもおいしく、楽しくいただいてきました。

 先生は、(先日の伊藤先生のお宅訪問にもありましたが)釣名人でいらっしゃって、 (わたしたちが高校在学中から)現在でも、前日から船宿に泊られ、 早朝6時から船に乗って釣りを楽しまれるとのこと、たくさんの釣果は、ご近所に配ったり、 関東のお孫さんたちに送られるそうです。 『皆さんに喜ばれているよ』と、とてもうれしそうでした。『なんかして遊ばなきゃ、ね』と笑っておられました。

 わたしたちが授業を受けていたころ、先生は、今のわたしたちの年代でいらっしゃったんですね。 エネルギッシュな授業をしていただいたなあ、とつくづく思います。 そんかりも先生の熱意のたまものですよね。ありがたかったなあ、と今つくづく実感できますね。 懐かしい波戸岬・大宰府の遠足や九重・霧島の登山のお話も、よく覚えてくださっていて、盛り上がりました。

   奥様もとてもお優しく、上品でいらっしゃって、先生にぴったりの素敵な方でした。 食後にいただいたお手製のおはぎをお土産にもして頂き、 まるで実家に帰ったような(母と同じ年齢とお聞きしたこともあり) あったかい気持ちで、おいとまさせていただきました。

今日おじゃました4人は、先生のお宅の近くのメンバーばかりで、
  『チカラ仕事があればいってください、飛んできます』
  『急病のときは飛んできます』
  『仕事で遅くなるときは、子どものお迎えお願いしようかな、先生、算数みてやってください』
  『(奥様から)お声が通るのね、お近いし、公会堂でコーラスご一緒しませんか、とお誘いいただきました』
と、総会はもちろんのこと、今後もまた必ず先生にお会いできそうで、楽しみです。

 メッセージをくださったみなさん、ありがとうございました。 さすがにどれもすばらしい名文で、先生も『うんうん』とうなずいて聞いてくださっていました。 確かにお渡ししてきました。

長くなりましたが、以上、瓜生からの報告でした。



「小森先生」宅 訪問記 「その二」

 3月8日(日)にご近所に住むメンバー四人で小森先生宅を訪問してきました。 既にその内容は、昨日の「瓜生さん」の報告でご存知のことかと思いますが、 まだまだ「先生の御様子」を詳しく知りたい方もいらっしゃると思います。 奥様のお手伝いのため、まめに席を外していた瓜生さんが不在だった時の お話も追加した、違った目での「先生のご近況」をご報告いたします。

 訪問メンバーが元1の9と元2の3の近所の四人組だったので、先生のご自宅 に近いであろうポイントに徒歩(牟田さん親子のみ自転車)で13時半前に集合 しました。今からお伺いする旨お電話したところ、まるで昔の数学の授業のその スピードについていけない板書のように「場所分かるの?」「今どこにいるの?」 「こちらから迎えに行くよ!」と続けさまにおっしゃって下さいました。ご自宅が地 図上で数分内の地であることがわかっていましたから、自分達で向かいましたが、 先生は玄関先からわざわざ見通しのよい所まで降りてきて下さっておられ、自分 達を見つけるや否や満面の笑顔で迎えて下さいました。

 お家にお上がりした後、まず記憶を呼び覚ましていただこうと、自己紹介を始めま したが、「担任をした生徒はみんな覚えているよ!」ときっぱりとお話しになったので、 (修猷館高校在職は二十数年に及びますから大変な卒業生の数に上ると思います。 その後お話を聞いているうちに「本当にそうなんだ」と感心することとなりました。) 以降は卒業後の出来事を中心に各自が自己紹介をしました。

 次に卒業アルバムを開いて一人ひとりの写真を眺めながら、「3の4」を中心とした メンバーから預かった「小森先生への伝言〜メッセージ」を、奥様とご一緒に聞いて いただきました。 女性からのものは、牟田さんが「子供に絵本を読み聞かせるような セリフじみた調子」で、あの懐かしい”はっきりとした大声”で代読し、男性からのものは、 「絶妙な舌」を持つ繁田君と自分が交代でその方になりきって読み、瓜生さんが絶妙な 「合いの手」を入れる、といった役回りで行いました。メッセージをお寄せいただいた ” 碇さん、稲葉さん、金氏さん、境君、鈴木君、富田さん、中村君、福島さん、湊さん、 森君 ” ありがとうございました。文を読み上げるたびに、各々についての思い出を 先生は語っておられましたよ。

 次に先生ご自身のお話をお聞きすることができました。先生は海軍だったお父上が横浜 の鎮守府にいた頃に知り合った千葉県佐原出身のお母様との間にお生まれになった後、 佐賀県の鹿島で育ち、大学は京都に行かれ、教師となられて最初に教鞭を執られたのは 先生の母校だったそうです。その後福岡県職員となって他高の勤務を数年され後、 修猷館にお移りになり、20数年間在職され(4回程卒業生を送られたとの事)、定年 を1年残して県職を辞され、私立校で10年程のご勤務後、教員生活を終わられました。

 修猷館に勤務当初は、教員の中で年少の方から数番目だったために、全くの素人ながら 学外に試合で出ることが多い運動部(サッカー部)の顧問を引き受けられたそうです。 結構お忙しかったようで、数年後に「同様の先生」を見つけて顧問をお譲り(?)になり、 自分達が在校の頃は、既に噂となっていますが、休みの日にはほとんど「釣り」に行って おられたそうです(仲間数人で前泊、早朝に船出、夕には帰宅)。今やその腕前は、伊藤 先生のお言葉によれば「仙人の域」に達しておられ、毎回その釣果と言えば、「我が家」 内での消費分(冷凍用も含む)と「東京の孫」にクール宅急便で送る分はもとより、ご近所 に配っても余る程で、「主人が帰って来た夜は、正直私が大変です」と、奥様が笑みを浮か べながらこっそりと教えて下さいました。

 先生は「庭のお手入れ」もお手の物で、添付した写真にあるきれいな和風のお庭の剪定を 業者顔負けの腕で、日々小まめにされてあるそうです。男のお孫さん(昨日は牟田さんの 息子さん)にとっては、安全で格好の遊び場となる「手入れの行き届いた」きれいなお庭でした。

 先生がご自分からお話になって下さったのですが、自分達が卒業後の在職中に2回の大病を 経験されたそうです。いずれも偶然が重なって、早期発見、早期治療を受けることができ、今は 治癒されており、その幸運(人との縁からこういう機会が得られたそうです)に感謝するとともに、 「人との繋がり」の大切さを、自分達に静かに語り継いで下さいました。

 最後に同級生にとっては「今後有用になると思われる接待情報」を伝達して終わります。 先生はお酒を全く飲まれません。飲むと吐いてしまう体質だそうです。一方、若かりし頃より タバコを毎日欠かさずお吸いになります。今でも一日に20本を超えておられるそうです。 (当日も全く悪びれることなく、お庭でほんとうに美味しそうに煙をふかしておられました。) 食べ物の方は、和食を好まれ、甘い物が大層お好きなようです。奥様お手製の「おはぎ」 の味がそれを雄弁に物語っていました。他の訪問隊から、体調により甘い物を差し控えら れた先生がおられたと聞き及び、既に用意していたものが先生にはお大丈夫かと心配して いたのですが、現役の大の甘党であることを聞くに及んで、持参した「鈴懸」の和菓子を後で 奥様お一人ではなく「お二人で」楽しんでいただけると、安心して帰路についた次第です。 お腹も心の中もいっぱいの楽しい日曜の昼下がりとなりました。

甲斐


奥田義郎 先生 4/11 訪問記を表示

奥田義郎先生訪問記

 4月11日(土)、奥田先生のご自宅にお伺いしました。「大勢で飲みに来い」との厳命ゆえ、 畑中、久積、柔道部の大塚、城谷、やまこ、牟田智佳ちゃんとその息子、角銅、穴井の総勢 9人で押しかけました。午後6時、すでに先生は炭をおこしていて宴会は準備万端。 巨大な皿に山盛りのズワイガニを炙りながら、グイグイ、グイグイとビールをいただきました。

 奥田先生は70歳になられるとのこと。30年前と全く変わらずお元気でした。さすがはヘーシンクを 押さえ込んだ男です。「えーっ!じゃあ、あのころ先生40歳くらいだったんですか!!」。 昔話の数々、逸話の真相。尽きることのない話に宴は盛り上がり、先生もご機嫌なご様子でした。 独自の教育観、柔道論、交友論、人生論、修猷への思い。 昔と変わらぬ奥田節を炸裂させておられました。 「修猷はなあ、トップスクールたい。ここの連中はなあ、手品ば見るとなあ、すーぐそのタネば 見破ろうとするたい。頭がいいけんなあ。でもなあ、タネをばらされたら客も面白くないし、 手品師もうれしくないたいなあ。お前たちはなあ、そげなことば考えたうえで行動せないかんとぞ」。 山の借景も見事な風情あるご自宅の中で、酔いが回るうちにだんだんと奥田先生が山寺の和尚さんに 見えてきたのでした。

 「55グラス」の試作品を持っていったので、先生に試してもらいました。「わしゃぁ、8:2ばい。 『8』がお湯で『2』が焼酎の薄いやつ」。ちょっと残念でしたが、お湯割り用なので小ぶりの グラスにしたことを説明すると、「おぅ、穴井は酒に関しては繊細さを持っとるちゅーことやな。 お湯割りは冷めるといかんからな」。初めて奥田先生にほめられたのでした。

 30年間の不義理をお詫びしようと思っていたのになかなか言い出せず、そのうち酔っ払って頭が クラクラになってきました。でも何とかお伝えしようと口に出した途端、涙が止まらなくなって しまいました。

 奥田和尚を中心に山盛りのご馳走と酒。山賊の酒盛りのような一夜でした。大きな声のやりとりと 暴露話に、みんな腹を抱えて笑い転げました。ステーキも絶品でした。 優しい奥様、ありがとうございました。

穴井建一