更新前の3100形の後半グループ.
その中でも1編成のみ小窓の側扉を採用した3121〜24を紹介.
3116までに続いて1961年に製造された16両は3117〜3120を欠番として3121〜3136の番号が与えられた.
2両で運転できるMMユニットである点は変わらず,
前半グループに対して製造当初から窓の保護棒が1本に減り,社名表示がKeiseiに変わった.
前面の造作やアンチクライマの形状は前半グループと同じ.
一番の変化は揺れ枕ばねの空気ばね化で,形式の末尾をBとしたKS116BとFS329Bが採用されている.
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小窓の側扉採用の理由については,
当時は新京成津田沼駅付近にあった京成の車両工場(車両基地)を見学させてもらった際に,
教えてもらいました.
片開き扉の大きな窓は,ラッシュが激しくなると割れることが増加.
その対策で強化ガラスを採用したがHゴムではラッシュの圧力でガラスごと外に落ちてしまった.
そこで金属で支持する小さい窓のドア(ステンレス製)を採用してみたそうです.
その後,ドアのガラスは強化ガラスを金属の押面支持とすることで解決.大きな窓のままとなり,
小窓ドアはこの編成のみ.この片開き小窓ドアは新京成に波及して,多く使われました.
京成の片開き扉の材料はアルミ等の軽金属で更新後もほとんどのドアが継承されたようである.
余談だが,3001〜3014の側扉は5cmほどの引き残りがあり,窓上に製造銘板があった.
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東中山からの出発シーン(下り線)
上の写真の退避中から出発シーン.
窓の小さい側窓がわかると思います.ぼけた写真ですが.
東中山の葛飾(現,西船)寄りには,いつ使われるか定かではないが,
ぎりぎり6両分(たしか)の折り返しにも使える待避線がある.
東中山は中山競馬場の最寄り駅で,東側に大きな広場があり競馬開催日に運行されるバスが発着する場所となる.
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出発シーンその2.
すれ違うのは3100の更新車
3124編成の屋根の上をじっくり見ると,中間の連結部分の
列車無線アンテナが3123の側に無いように見える.
一方3122の側には,列車無線のアンテナが残っていることから運転台の機能があったと思われる.
このことから1982年に704+(1603)+2203の荷物電車(行商電車)が廃車された際に,
後継として3121-22の2両編成で活躍.
更新入場までの2ヶ月ほど埋め込み幌も外された特異な姿で運転していた.
その後は特別な車両を設けず,9時台の西馬込行き急行2本の最後尾1両が行商専用車として設定されるようになった.
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