北海道(4)(2011.6.19〜7.8)



6月19日(日)曇/晴 自宅〜中部空港〜新千歳空港〜千歳(青葉公園C) 走行距離:11.7Km

 これまで3年かけて北海道沿岸を1周したので、今年は内陸部を行くことにし、期間はこれまでと同じ20日間とした。
 概略のコースは、千歳〜支笏湖(樽前山)〜洞爺湖〜真狩(羊蹄山)〜ニセコ(ニセコ・アンヌプリ)〜中山峠〜札幌〜旭川〜旭岳温泉(大雪山)〜富良野〜占冠〜新夕張〜千歳とし、山にもいくつか登ってみることにした。
 飛行機は曇天の中部空港を満席で離陸した。日本列島は梅雨のため一面雲に覆われていたが、佐渡島は運よく真下に見ることができた。
 千歳空港に到着後、自転車を組み立て、いつものように千歳市街に向けゆっくり走った。釣具店でキャンピングガス、自転車店でブレーキシューと潤滑油、そしてスーパーで夕、朝の食材と酒を買い、日射しが残る中を、市街に近いキャンプ場に向かった。


6月20日(月)曇/晴 千歳〜支笏湖(モーラップC)走行距離:32.0Km

 朝4時前に起きて、コーヒとパン、卵、ソーセージ、チーズ、バナナ、きゃべつなどで朝食を食べ、キャンプ場を後にした。コンビニに寄って、おにぎり、お茶、菓子などを買い、最初の目的地である支笏湖へ向かった。千歳川に沿って支笏湖まで約20Kmの快適な自転車道が整備されていた。

 支笏湖を源流とするこの辺りの千歳川は、自然のままのきれいな流れだ。周辺は樹海に囲まれ、川の近くには古代住居跡が発見されていた。

 支笏湖までは登り坂が続いた。終盤に痙攣を起こし、しばらく苦しんだが、ツアー初日のため、足が慣れていなかったのと、自転車のサドル位置が低かったせいだと思われた。
 湖畔にあるキャンプ場からは対岸に恵庭岳がよく見えた。


6月21日(火)晴 樽前山(1041m)走行距離:15.5Km

 今日はキャンプ場の近くにある樽前山を登るか、直接洞爺湖に向かうか迷っていた。どっちにも対応できるように、全部の荷物を自転車に載せて、キャンプ場を出発した。樽前山は7合目まで自動車で入ることができる道があったが、ダートだったら大変そうなので、どうしようかと迷っていた。分岐点まできたところ、舗装がしてあったので、山へ行くことにした。距離は7Km程であったが、ここを自転車で登るのは考えていたより大変だった。樹海の中の舗装道路をそれでもフーフー言いながら4Km程登って行くと、道は何と石ころばかりの急なダートに変わった。自転車を下りて押し歩くのも難儀で、途中で何度もあきらめかかったが、なんとか終点まで行くことができた。駐車場には沢山の自動車があり、登山者が多かった。
 自転車を置いて林の中を少し登るとすぐに視界が開け、眼下に支笏湖や雄大な樹海を見渡すことができた。

 外輪山の縁に上がると、突如、火口原の中に奇怪な溶岩ドームが現れて、びっくりさせられた。シューシューと音を出して数箇所から有毒ガスを噴出しており、火山特有の荒涼たる景色が広がっていた。また遠くには苫小牧や太平洋岸まで見渡すことができ、苦労して登ってきてよかったと感じた。

 溶岩ドームを一周するトレッキングコースがあり、行ってみることにした。山の北東斜面にお花畑があり、イソツツジの群落が広がっていた。ゆっくり歩いて時間もかかったので、昨日と同じキャンプ場に泊まることにした。キャンプ場に戻り、暑いので早速水着に替えて泳ごうと支笏湖に入ったところ、痺れるような冷たさだった。

6月22日(水)曇/雨 支笏湖〜洞爺湖 走行距離:76.7Km

 支笏湖南岸を通って美笛峠(560m)を越えると、後は下りとなり洞爺湖まで行くことができた。途中で雨が降り出したが、たいしたことはなかった。今回は雨対策としてかっぱや荷物カバーのほか、雨靴を持ってきているので安心だったが、荷物が多くなったのが悩みでもあった。
 やがて洞爺湖が近くなってくると昭和新山が霧の中に見えてきた。

 壮瞥で買い物をして、洞爺湖岸道路への急坂を登った。湖畔にあるキャンプ場を探したが見当たらなかったので、ホテルのある洞爺湖温泉に向かった。洞爺湖は霧がかかり、中島もうっすらと見えるだけだった。今日は沢山走ったので疲れており、また明日は天気が良ければ、有珠山へも登ってみたかったので、近くの公園で泊まることにした。

 ホテル街の傍にある桟橋には美しい遊覧船が係留されて、夜には付近で打ち上げ花火が行なわれてきれいだった。

6月23日(木)曇/雨 洞爺湖〜真狩 走行距離:51.2Km

 朝起きると有珠山は曇って見えなかったので行くのは諦め、先に進むことにした。湖岸に沿って右回りに進むと、国道230号に出て急坂を少し登ると、再び湖岸に下る急坂が分岐していて、そこを下るときれいなキャンプ場があった。更に湖岸に沿って進むと、観光地の喧騒な雰囲気は無くなり、静かな落ち着いた雰囲気になってきた。ホテル街の対岸の洞爺村に入り、そこの公園にあった素晴らしいモニュメントが目に付いた。作者などの説明書きは消えており、詳細は分からなかった。

 付近には、浮きみ堂らしきものもあった。役場を中心に、美しい閑静な村があり、湖対岸の洞爺湖温泉の賑わいが嘘のように感じられる場所であった。
 のんびりとサイクリングを楽しんだ後、湖岸から再び国道230号へ戻るにはつづら折れの長い厳しい坂を登らなければならなかった。洞爺湖を眼下に見ながら、何回も休み休み5Km程の坂を登ると、畑が続く高原台地に出た。

 留寿都までは登り下りの丘陵が続いた。今日は真狩の羊蹄山麓のキャンプ場まで行く予定であるが、留寿都に着いたときは、疲れていたので心配だった。道の駅でゆっくり昼食を食べて真狩へ向かったが、道は幸い下りが多く、真狩までは思ったより楽に行くことができた。
 真狩は細川たかし(歌手)の出身地で、道の駅での宣伝のほか、公園には銅像も立っているらしい。キャンプ場は羊蹄山の登山口にあり、急な坂を登らなければならなかった。受付が済んで、サイトに向かう途中で雨が降り出した。キャンプ場には高校山岳部の競技会が行なわれているとのことで、沢山のテントが張られていた。

6月24日(金)曇/晴 羊蹄山(1898m) 走行距離:0Km

 昨夜来の雨は朝には止んでいたが、濃いガスが立ち込めてはっきりしない天気だった。昨日も今日も羊蹄山はまったく姿を見せてくれない。高校山岳部の先生の話によると、昨日もガスだったが山頂部はガスの上に出ていて、晴天だったようだ。携帯電話で天気を確かめた後、登ることに決めた。
 登り始めてから誰にも会っていなかったが、6合目辺りで昼食を食べていると、次々に下りてくる人に出会った。7合目を過ぎてからはガスも徐々に晴れてきて、景色もよく見えるようになってきた。

 森林限界より上では、キバナシャクナゲ、イワウメ、ツガザクラなどの花がよく咲いていた。

 9合目付近から所々に残雪があるようになり、それを越えて外輪山の一角に登ると、いくつかの火口底とそれを取り巻く外輪山の様子がよく見えた。登りに約5時間を要し、時刻も既に午後2時を過ぎていたので、残念ながら頂上までは行けなかった。午後2時半まで誰も居ない外輪山で過ごし、急いで下山することにした。快調に下山して、約3時間で、まだ夕日が高い間にキャンプ場にたどり着くことができた。
 後で知ったことであるが、9合目にある避難小屋には管理人がいて、800円で素泊まりできるそうである。

6月25日(土)晴 真狩〜ニセコ 走行距離:15.5Km

 羊蹄山を後にして、一路ニセコに向かった。昨日、羊蹄山からニセコは雲のため見えなかったが、実はすぐ近くであった。今日は久しぶりに良い天気で、羊蹄山もスキー場のあるニセコの山もよく見える。ニセコはスキー・リゾートとして全国的に有名であり、一度は来てみたいと思っていた。

 洒落た感じのJRニセコ駅の観光案内で、キャンプ場とコインランドリーを尋ねたら親切に教えてくれた。駅前にある温泉施設にコインランドリーがあると聞いたので、今日はゆっくり温泉に入り、食事と洗濯をして休養することにした。その後、街のスーパーで買い物をして、教えてもらった曽我公園(キャンプ可)に向かった。

 ニセコ大橋からの眺めはすばらしかった。尻別川とニセコの町、すぐ後ろには羊蹄山が美しかった。カナディアン・ロッキーのバンフような雰囲気をふと感じた。

6月26日(日)晴 ニセコ〜五色温泉(ニセコアンヌプリ1308m) 走行距離:19.7Km

 昨夜は星空がとてもきれいだった。北海道へ来てから日中は25度を越える日でも、朝晩は結構肌寒かった。昨夜は8度まで下がり、持ってきた衣類全てと、雨着を着て寝たほどだった。道東の別海町では、なんと霜注意が出されていた。今晩はニセコ高原のキャンプ場なので寒さが少々心配だ。

 キャンプ場を朝6時過ぎに出発し、近くのコンビニで弁当、バナナ、菓子などを買い、ニセコ高原(五色温泉)を目指してゆっくり登って行った。スキー場やホテルのある昆布温泉を過ぎると、派手な観光施設はなくなり、坂本温泉を過ぎ、五色温泉まで結局、距離約20Kmを4時間かかって登りきった。
 五色温泉はニセコアンヌプリとイワオヌプリに挟まれ、山の家と温泉宿があるだけの静かな場所であった。キャンプ場に自転車を置いて、昼弁当と飲み物などをサブザックに入れ、早速、ニセコアンヌプリを登り始めた。大勢の人が登っており、中には子供連れの人もいた。
 道路を挟んだ北西側には大きく崩れたイワオヌプリとその麓にある五色温泉、そしてその先にはニセコ連山が日本海まで伸びている様子がよく見えた。

 ニセコアンヌプリ頂上からの眺めは素晴らしく、南東方向近くに羊蹄山と眼下にスキー場のほか、倶知安、ニセコ、蘭越の町もよく望見できた。

6月27日(月)曇 五色温泉〜京極 走行距離:38.8Km

 朝起きると五色温泉周辺は濃いガスに覆われていた。今日は倶知安までの長い下り道だ。ライトを点けて少し下るとガスが晴れてきた。転倒に注意し、スピードを緩めながら慎重に下って行った。

 1時間程で倶知安に到着し、コンビニで弁当などを購入した。近くに地元出身の画家(小川原脩)の記念美術館があったので、見ていくことにした。美術館は羊蹄山をバックに見晴らしのよい場所にあり、近くに風土館も建てられていた。
 画家は東京美術大学に学び、風景画や動物画を主に、中国・チベット・インドを題材とした絵もあり、ゆっくり楽しみながら見て回った。「唄う男」はどこかで見たような気がした。
 風土館に旧海軍「ゼロ戦」の翼が展示されており、北海道になぜ「ゼロ戦」が、と不思議に思って説明書きを読むと、戦時中、ニセコアンヌプリの山頂に飛行機の着氷観測所が作られ、実験に使用されていた機体の一部ということだった。実は昨日、ニセコアンヌプリに登ったとき、頂上に観測所跡と書かれた「コンクリートの基礎」が残っていたが、詳しい説明書きがなく、気象観測所跡程度に思っていたのだった。

 右に羊蹄山を眺めながら、国道276号をゆっくり走って行った。京極の町に入り、道の駅と隣接する吹き出し公園へ行ってみた。近くにキャンプ場があり、温泉施設もあったので、少し早いが今日はここで泊まることにした。明日は、中山峠(831m)を越えて札幌に向かう計画である。吹き出し公園では羊蹄山の地下水を多量に湧出しており、観光地となっていた。

6月28日(火)曇/雨 京極〜中山峠 走行距離:33.6Km

 昨夜、雨が少し降ったが、朝は止んでいた。朝食を食べて出発準備をしていると、女性の管理人がやって来て、炊事棟にあったコンセントで携帯電話機の充電をしているのを見つけられ注意された。サービスが良いと思って喜んでいたのに!キャンプ旅では、まだまだ電話機やカメラの充電に苦労する。
 喜茂別を過ぎて国道230号に入り、徐々に登りが始まった。トラックなどの交通量も増え、道路工事もよくやっていた。途中で小雨が降り出したので雨具を着て登り続け、ようやく昼頃、中山峠にある「道の駅」に到着した。レストランで昼食を食べ、無料の美術館を見ている間に天気が悪くなり、濃いガスと共に雨も強くなってきた。暫く様子を見ていたが、ガスは晴れないので、長い坂を下るのは危険だと考え、今夜はここで野宿することにした。午後6時頃、賑やかだった道の駅も閉じたので、テントを張って寝ることにした。暗くなってから暴走族の車が一台やってきて、駐車場でスピンをしていたが、すぐに道路パトロールがやってきて追い出してくれた。北海道の道路は、国土交通省の黄色の車がよくパトロールしていた。

6月29日(水)霧/晴 中山峠〜札幌(開拓の村)走行距離:67.4Km

 中山峠は今朝も依然として濃いガスに覆われていた。朝早く札幌方面から来た人に天気を聞いたら、札幌は晴れており、このガスは峠の下のトンネルを越えれば無くなるとのことだった。昨日もそうだったのかなと思いつつ、出発準備を整えて、自転車の前後のライトを点灯し慎重に進んだ。坂を下り始めて間もなくガスが晴れて、青空が見えてきた。1時間弱で定山渓温泉に到着し、橋の上から温泉街を眺めながら中山峠の方を見ると、大きな雲で覆われていた。

 札幌に近づくにつれて天気は益々良くなり、陽射しも強く、暑くなってきた。市街に近くなって公園を見つけ、休憩を兼ねてテントや寝袋を干していくことにした。陽射しは暑いし、爽やかな風が吹いていて、湿ったものはよく乾いた。この日の気温は29度まで上がり猛暑だった。

 旅が始まって、予定より多い10日が過ぎたので、札幌市内見物は特にしないで、このまま先に進むことにした。豊平川沿いの涼しい木陰のある藻南公園で弁当を食べ、真駒内公園、札幌ドームを通り国道12号へ向かった。
 国道12号を江別市に向かう途中で、「開拓の村」という大きな公園があったので、今日はここで泊まることにして、近くのコンビニで買い物をして、公園にあるキャンプ場をあちこち探したが見つからなかった。百年記念塔が一際目を引いたが、その他の開拓記念館などは、時間がなくて見ることはできなかった。

6月30日(木)曇 札幌(開拓の村)〜砂川(子供の国C)走行距離:80.8Km

 昨日、今日と30度近い猛暑が続いて疲れが出てきた。札幌から旭川に向かう国道12号は幹線道路なので交通量が大変多い。江別市に入り酪農学園大学前を通ると間もなく石狩川左岸に出るが、またすぐに離れてしまう。岩見沢、三笠を過ぎて、美唄から奈井江、砂川、滝川までは日本一の直線道路が続く。左側には石狩川が流れており、この付近は米や麦の穀倉地帯である。
 暑さで疲れてきたので、今日は砂川にある「子供の国」という公園のキャンプ場に泊まることにした。予約が必要らしいが、管理人のはからいで泊まることができた。立派な施設のキャンプ場にもかかわらず、無料だった。

7月1日(金)曇/晴 砂川(子供の国C)〜旭川 走行距離:70.4Km

 昨夜のキャンプ場には私の他に、一人で一週間も連泊しているという男性がいた。管理人から聞いた話では砂金採りをしていると聞いたが、本人と話したら今は木彫りをしていると言った。いろいろな人がいるものだ。
 静かなキャンプ場を後にして、国道に出たら途端にまた車の洪水だ。滝川、深川を過ぎて、旭川まであと15Km程のところに、「神居古譚」という石狩川の渓谷を望めるビューポイントがあった。今日もよく晴れて、昼近くには強烈な紫外線と暑さだったので、暫く日陰で休んでいくことにした。一軒の茶店があり、ゆでとうもろこしや店オリジナルのシソジュースを売っていた。

 以前の函館本線は川沿いに通っていたらしく、右岸には当時の駅がよく保存されていた。今はトンネルが掘られてそちらを通り、廃線部分は自転車道として活用されていたが、がけ崩れのため旭川方面へは通行止めとなっていた。

 神居古譚から石狩川の左岸沿いにも自転車道があって、こちらを通って旭川までのんびりと行くことができた。
 旭川は札幌と並ぶ大都会で、北海道の中央に位置し、道東、道北、道南への交通の要である。若者で賑わう駅前の繁華街を通り、忠別川沿いにある公園のキャンプ場を確認したが、少し疲れていたので休養を取ろうと思い、ビアガーデンで食事をし、ビジネスホテルで泊まることにした。ゆっくり風呂に入り、コインランドリーに行って洗濯をして、テレビを見て久しぶりにゆっくり休養できた感じがした。

7月2日(土)晴 旭川〜旭岳温泉 走行距離:58.5Km

 この旅行も終盤に入ったので、昨晩は今後の予定を考えた。今日は旭岳温泉まで行き、明日は旭岳(大雪山)登山、4日は富良野、5日は占冠、6日は新夕張、7日に千歳、8日に千歳空港から飛行機で帰宅、予備が1日もないが、なんとか大雪山にも登れそうだった。
 一方では予備日確保のために大雪山へは行かないで、直接、富良野へ行くことも考えて国道237号を走っていた。そして分岐点の北美瑛まで来た時、やっぱり大雪山に行きたいと思ってハンドルを左に切った。

 大雪山登山のため旭岳温泉を目指したものの、道は険しく遠かった。途中に忠別湖というダム湖があり、ダムを見学していった。大雪山はガスに覆われて見えないが、天気は良く、直射日光が暑かった。

 ダム湖を過ぎると天人峡との分岐点があり、そこから樹海の中の登りが12Km程続いた。標高800mを過ぎ、更に300m程登ると、やがてホテルが次々と見え出し、間もなくキャンプ場にたどり着いた。

7月3日(日)晴 大雪山(旭岳)(2291m)登山 走行距離:0Km

 今朝は良く晴れており、最高の登山日よりだ、昨日は見えなかった旭岳がよく見える。朝食を済ませた後、早速ロープウェイに乗って、姿見(5合目)まで一気に駆け上がった。

 ロープウェイを降りると、姿見ノ池があり、また盛んに噴気している地獄谷もよく見られた。登山道は地獄谷の右側の岩尾根を登っていく。

 トムラウシや十勝などの山並を眺めながら、急な稜線を登ること約3時間で頂上に到着した。頂上からは、西側眼下に地獄谷や遠くに忠別湖などが見渡せるほか、東側には黒岳など大雪の峰々が箱庭のように良く眺められた。

 旭岳の東側斜面には、まだ多くの残雪が残っていたが、その先の間宮岳方面には雪はなかったので、行ってみることにした。間宮岳には黒岳から来た数人のグループが休んでいた。旭岳からはよく見えなかったが、ここからは広大な御鉢平がよく見えた。
 この後、中岳分岐、中岳温泉、裾合平を経てロープウェイ駅に戻った。裾合平は残雪が多く、一部、道も分かり難い箇所もあったが、幸い先行者がいたので、安心して歩くことができた。

7月4日(月)雨 旭岳温泉〜中富良野 走行距離:60.5Km

 今日は雨との天気予報だったが、朝起きたらまだ雨は降っていなかった。これは幸いと思って、すぐテントを撤収し、出発することにした。一昨日、苦労して登ってきた坂道を一気に下っていった。忠別湖を過ぎ、国道に出る手前でとうとう雨が降り出した。
 コンビニで食料を買い、美瑛にある、きれいな花畑の休憩所で雨宿りし、遅い朝食を食べた。

 深山峠のレストハウスで昼食を食べ、再び風雨の中を富良野に向かった。上富良野を過ぎて中富良野まで来た時、大型ショッピングセンターがあったので、雨宿りするために店に入った。広い店内をゆっくり見て回った後、今晩の対策を考えた。
 ガイドブックでユースホステルを調べると、近くにあることが分かったので、早速電話した。ガイドブックによると、会員価格3360円で、食事は珍しく無料ということだった。
 ユースホステルはJR中富良野駅に近い、少し坂を登った所にあり、茶色のペンキの少し変わった建物だった。手作りの広いテラスとベンチがあり、また内部にも随所にオーナーの手が入れられていた。米や野菜も自作とのことで、夕食は美味しいカレーだった。中国人(台湾)を含む10人程の客があり、楽しく過ごすことができた。

7月5日(火)曇 中富良野〜占冠 走行距離:62.2Km

 今日は天気が回復するということだったが、朝はまだ雲が多かった。他の客は朝食後すぐ出て行ったらしく気が付いたら誰もいなかった。私はコーヒーを飲んでオーナーと少し話をし、ゆっくり出発した。オーナーは脱サラのようで、50歳位の面白い人だった。富良野を過ぎると平野部は徐々に狭まり、山間部へと入って行った。

 金山湖を源流とする空知川は富良野、芦別を通り抜け、砂川で石狩川に合流するが、カヌーで下るとよさそうな川だった。

 金山でJR根室本線と別れ、金山峠(490m)を登り始めた。占冠まで17kmの道路標識があった。金山峠を越え、暫くするとトマム方面から来るJR石勝線が見え、程なく占冠の町に到着した。こじんまりとした山間の町であったが、間もなく道東自動車道が開通する交通の要衝のようであった。町の中央に道の駅があり、隣に公園があったので、今夜はそこで泊まることにし、買い物、食事、入浴を済ませた。

7月6日(水)曇/晴 占冠〜新夕張 走行距離:54.3Km

 占冠の町を出ると、すぐまた川沿いに山の奥深くへと入って行った。この辺りは山がどこまでも続いている。赤岩青巌峡、ニニウへの道は分かり難く、通り越して国道274号(樹海ロード)に出てしまい、途端に交通量が多くなった。

 ダム湖(穂別ダム)にある橋を渡り、トンネルの歩道を走っていたところ、ピチャピチャと音がするので不審に思ったが、トンネルを出ると、自転車が泥まみれになっていてショックだった。
 雲が晴れて暑くなり、昼近くになって疲労も出てきたところ、山の中に温泉施設(樹海温泉はくあ)があったので、温泉に入ってゆっくり休憩・食事をしていくことにした。
 やがてまたJR石勝線が見えてきて、新夕張に到着した。新夕張周辺には道の駅以外は何もないので、夕張まで行きたかったが、疲労があるのと明日またここまで戻ることを考えて、止めてしまった。

7月7日(木)晴 新夕張〜千歳 走行距離:53.6Km

 昨夜は新夕張の道の駅で過ごしたが、バイクで熊本から来た人と一緒だった。駐車場で各々テントを張って寝たが、朝までぐっすり眠ることができた。
 今日は、いよいよこの旅のラストランになった。これまで無事に旅ができたことに感謝しつつ、今日も安全に注意して走ろうと気を引き締めた。夕張川を渡り、徐々にゴールの千歳に近づいて行った。

 川端で札幌へ向かう国道274号と分かれると、やっと交通量が減って走りやすくなった。追分でJR室蘭本線を越えると間もなく千歳市に入り、馬牧場や広い平野の向こうに懐かしい支笏湖方面の山々が遠望できるようになってきた。
 千歳市街には午前中に到着したので、サケの水族館を見学し、スーパーで買い物をして暑い日射しの中をキャンプ場に向かった。

 翌8日は朝から雨が降っていたが、予定通り千歳空港に向かい、飛行機に乗ることができた。飛行機が中部山岳上空まで来ると、眩しい雲の間から残雪の山々を眺めることができた。久しぶりの中部空港は晴れて暑かった。東海地方は既に何日も猛暑が続いていたというが、この日、梅雨明け宣言がなされた。