関ヶ原・大垣行 ('95・2月)
冬の関ヶ原駅。雲ひとつない快晴でした。 | まず丸山へ向かいました。 |
丸山。岡山ともいいます。黒田長政・竹中重門の本陣が置かれたところで、 東軍ラインの最右翼。 | 丸山山頂の岡山狼煙場碑。関ヶ原戦当日、ここから開戦の狼煙が上げられ ました。 |
丸山からは戦場が一望できます。この小山は石田三成本陣だった笹尾山から 1.5kmの近距離で時代が偲ばれますが、このスペースに東西両軍合わせて15万の兵が結集していたとは いかに大混戦だったかと思います。 | 何ということはないのですが、自然歩道を歩いていて撮った1枚。 |
立派な農家だったので撮ってしまいました。 | これも何ということはないのですが、光がキレイだったので撮った鳥居。 |
丸山の近くにある瑞竜寺というお寺。 | この付近にはいくつも池があります。これは神秘的な小栗毛池、…だった かな? |
冷たかった雪解けの池の水。 | 残雪の笹尾山斜面。笹尾山は石田三成本陣が置かれたところで、西軍ラインの 最左翼。 |
笹尾山からも戦場を一望できます。 | 森の中の島津義弘陣跡。手前は史跡遊歩道の案内板。 |
北天満山の小西行長陣跡付近にある西田公園。当時ここは小さな池だったようで、 近年埋め立てられ、公園として整備されています。 | 宇喜多秀家本陣だった南天満山の天満神社。 |
藤古川ダム。南天満山の裏手にあたり、この藤古川を渡った藤古台に 大谷吉継本陣がありました。 | 同じく藤古川ダム。この先の大谷吉継本陣跡と墓にも参っているのですが、 雪が深くて歩くのに必死で写真どころではなかったです… |
畑の中に建てられている平塚為広の墓。当時垂井城主で大谷吉継と親しかった 平塚為広は大谷隊に加わり、前線で奮戦して討死。逆光がキツい… | 陣場野公園近くの田中吉政陣跡。 |
大垣城。空襲で焼失し、1959年に再建された天守閣。関ヶ原戦前夜には西軍 本拠となり、石田三成の一族である福原長堯が守って籠城戦が戦われました。大坂冬・夏の陣以後は 大垣藩として戸田氏の居城。 | おあむの松。山田玄暦の娘おあむは家族とともに大垣籠城に加わり、後に 悲惨な籠城の思い出を「おあむ物語」として手記に残しますが、おあむらは落城直前に松をつたって 脱出したといわれ、これはその松の2代目と伝えられます。 |