関ヶ原行 ('94・11月)
秋の関ヶ原駅。雨上がりでした。 | 東首塚。関ヶ原戦東西両軍戦死者の供養堂。徳川家康が首実検後 その首を東西2ヶ所に埋めるよう指示し、その東の方なのでこの名があります。 関ヶ原戦当日は東軍松平隊、井伊隊の本陣が置かれていました。 |
東首塚内、洗首の古井戸。泥にまみれた多くの首を洗ったと伝えられ ます。 | 合戦の進行とともに陣を移した徳川家康が最後に指揮をとった場所で、 合戦後の首実検場にもなりました。現在は陣場野公園として整備されています。 |
水田の中に建つ決戦地碑はインパクトがあります。石田三成本陣 だった笹尾山の前に位置し、この辺りで最後にして最大の激戦が繰り広げられました。 | 笹尾山の登り口。 |
笹尾山登り口に復元されている竹矢来。竹を組んだ垣で、この内側から 鉄砲を撃つ訳です。 | 笹尾山山頂からは関ヶ原盆地を一望でき、小山とはいえ絶好の地点。 見晴らしのいい前面に対して、背後は伊吹山を控えた薄暗い林でした。 |
笹尾山山頂に建つ石田三成陣地碑。どうして傾いて写ってるのかな、 って…; | ほの暗い森の中の島津義弘本陣跡。 |
島津義弘陣地碑。他の本陣跡とは異なる立派な碑で、昭和初期に 鹿児島の青年団が寄付金で建てたとか、さすが薩摩藩… | キリシタン大名として有名な小西行長陣跡。 |
開戦地碑。朝、深い霧が晴れてくるや東軍最前線の福島隊が 先陣を切って正面に陣を構える西軍宇喜多隊に攻撃を開始し、合戦の火蓋が切られました。 | 北天満山小西陣跡と開戦地碑を臨む。この辺りは史跡遊歩道に なっています。 |
南天満山天満神社。西軍副将だった宇喜多秀家の本陣が置かれたところ です。 | 宇喜多秀家本陣跡。今、暗い杉林の中はひっそりと静まり返っていますが、 宇喜多隊は西軍ラインの中央に布陣し、開戦当初から激しい衝突が繰り返されました。 |
東軍の先鋒を担った福島正則本陣跡。福島本陣が置かれた春日神社は古来より 月見の名所だそうですが、思いのほか小さな神社でした。 | 関ヶ原ウォーランド。広場を関ヶ原盆地に見立てて人馬の人形を並べ、 関ヶ原戦を再現するという観光施設。縮尺は正確らしいです。資料館もありました。 |
関ヶ原ウォーランド。 | 同じく関ヶ原ウォーランド。石田三成本陣。 |
この地は“もうひとつの関ヶ原”壬申の乱の合戦場でもあり、西軍大将・ 大友皇子(弘文天皇)を祀る若宮神社がありました。藤古川をはさんで向かいには東軍大将・大海人皇子 (天武天皇)を祀る井上神社もあります。手前の自転車は私が借りていたレンタサイクル。 | 松尾山登山口。松尾山は小早川秀秋の本陣跡ですが、前を流れる黒血川 (壬申の乱時、川が血で黒く染まったことからこの名があるそうです)にかかる橋が工事中で 渡れませんでした… |
西首塚。関ヶ原戦戦死者供養堂の西の方。 | 桃配山。合戦当初、徳川家康の本陣が置かれていました。壬申の乱時、 大海人皇子が兵に桃を配って士気を鼓舞したのでこの名が付いたと言われ、家康は縁起を担いで ここに布陣したという説も。 |
桃配山の徳川家康最初陣地碑。 | 島津豊久の墓。義弘の従弟・豊久は有名な島津の敵中突破で討死。奮戦した 烏頭坂の土手に墓が建てられています。 |