三池炭鉱・熊本行 ('03・2月)
まず大牟田からレンタサイクルで荒尾の万田坑跡へ向かいます。ヤグラが見えて 来ました。 | 万田坑正門から第二立坑ヤグラと巻揚機室。1902年開坑の万田坑は大正・昭和 前期の主力坑で、日本最大規模の立坑と言われます。1951年に閉坑しましたが、この第二立坑は1997年 まで保安稼動を続けていました。 |
第二立坑は人員昇降と排水・排気用。石炭の採掘はこの左手奥の第一立坑で 行われていました。 | 第二立坑ヤグラは高さ18.8m。1954年に解体された第一立坑ヤグラは30.7m あったそうです。 |
煉瓦造り2階建ての巻揚機室内部には巨大なワイヤーがあります。 | 万田坑正門には文字の消えかかった木の表札がかけられていました。 |
ヤグラの向かいにはかつて巨大な扇風機が設置されていたという扇風機室。閉坑後 は事務所として使われ、内部は閉山時の様子がそのまま残されているとか。 | 汽罐場跡付近から第二立坑ヤグラと巻揚機室。明治期のものという煉瓦造りの壁は すっかり草に覆われています…。 |
100年の歳月を経てそびえる勇姿に惚れ惚れ! しかし傷みがひどく、早急に補修 しなければならないとのことです。 | 万田坑跡にて。2本の柱のみ残されたこの辺りにはどんな施設があったのでしょう か。立てかけてある自転車は私が借りていたレンタサイクル。 |
炭鉱住宅の集会場だった万田講堂の跡には万田炭鉱館が建てられています。ここ で元炭鉱マンに残り少ない三池の石炭をいただき、感激です。 | 万田炭鉱館付近にて。諸施設が解体された跡地には草が生い茂り、いたるところ に残された塀や門柱、木戸ばかりが時代を語るようでした。 |
続いて大牟田の宮原坑跡へ。1898年開坑の宮原坑は明治・大正期の主力坑で、 1931年に閉坑しましたが、立坑のヤグラと巻揚機室が残されています。 | 昨年訪れたときは補修中だったヤグラが、今回はきれいになってお目見えして いました。 |
同じく宮原坑ヤグラと巻揚機室。 | 逆光覚悟、シルエットの宮原坑ヤグラと巻揚機室。 |
1887年開坑、1968年閉坑の宮浦坑跡は宮浦石炭記念公園として整備されて います。 | 宮浦坑跡に残されている煙突。1888年に建造された煉瓦造りの煙突は高さ31.2m、 炭鉱節に「あんまり煙突が高いので〜♪」と歌われたモデルとも。手前は大斜坑のプラットホーム。 |
熊本の日奈久へやって来ました。後藤謙太郎の出身地です。 | 室町時代からという歴史ある温泉が有名な日奈久。 |
小高い山を登ってみるとみかんがたわわに実って…、いや、もしかして夏みかん でしょうか? | 日奈久は海岸線まで山が迫っている細長い町です。南の海の明るさが印象的 でした。 |
1910年創業という木造3階建ての建物の立派さに、ついカメラを向けてしまう 日奈久温泉の金波楼。 | 金波楼の玄関も(勝手に入って)撮らせていただきました。 |
名産の日奈久ちくわや竹細工店が並ぶ日奈久の町中で撮った1枚。どうして人の 家の裏手を…; | 日奈久温泉神社鳥居。 |
日奈久温泉神社にて。濃い紅梅の向こうには日奈久の伝説的力士・嶋ヶ崎関の墓 が。 | 日奈久温泉神社から見下ろす鹿児島本線。 |
鹿児島本線と日奈久の家々。 | 日奈久港に建つ西南戦争官軍上陸之地碑。当時薩摩軍の勢力下にあった日奈久に 官軍は海から上陸、海岸に面した家には交戦時の弾痕も残っているそうです。 |
日奈久港に沿った海岸は細長い公園になっていました。 | 日奈久港。 |
熊本駅から北岡自然公園へ。細川家の菩提寺だった妙解寺跡です。 | 北岡自然公園内、細川氏3代忠利廟。 |
細川忠利廟の横に整然と並ぶ殉死者の墓。 | 森鴎外『阿部一族』で有名な阿部弥一右衛門の墓。印象的なエピソードを残す お犬牽・五助の墓もつい探してしまう自分; ゴメンナサイ… |
細川氏4代光尚廟。 | 細川光尚廟の横にも殉死者の墓が並ぶ。圧巻、というより茫然とさせられる空間 でした… |
かなり広い北岡自然公園のあちこちに、石段と細川氏代々の墓が。 | 夕闇迫る公園内は人もおらず、緑色の静寂に包まれていました。 |
北岡自然公園にて。 |