≪人生の墓場を花園に≫
幸せの形。それは恋愛であり、結婚である。そう考える人は少なくないだろう。しかし「結婚は人生の墓場」と言われるように、結婚生活はうまくいかないことが多い。実際にDV(配偶者間の暴力)や離婚が大きな社会問題になっており、この格言はあながち間違いであるとは言えない。そんな結末を望んで結婚した人はいないはずなのにだ。
ではなぜ結婚の前後で、夫婦間の仲が大きく変わってしまうのだろうか。私は男性と女性の価値観の違いが最大の原因であると考えている。
【理想の夫婦像と男尊女卑】
かつての日本は男尊女卑が基本の社会であったが、男性のみならず女性もそれが普通であると思い込んでいた。夫は働くことで経済的に家族を支えていればそれで良く、妻は夫を影から支えるべきである。これが少し前まで日本で一般的だった考え方である。
この考え方は現在の常識では問題があるとされているが、全ての人(特に女性)が疑問を持たなければ、表向きは問題が起こらない。客観的にみると女性の人権を侵害しているとしてもである。
しかし日本が豊かになり、また男女平等の考え方が広まった結果、多くの女性が「女性らしい生きかた」に疑問を持つようになった。これは素晴らしいことであるが、問題は男性の多くがそんな女性の変化を認めようとしないことにある。男尊女卑の考え方に未だに縛られている男性が多すぎるのだ。自分にとって都合のよい生き方ができなくなった結果、それに不満や怒りを感じてしまう情けない男性が多すぎるのだ。
女性は1人の人間としての権利を主張したい。男性は仕事以外の面倒なことは全部女性にしてもらいたい。あるいは自分に尽くしてもらいたい。このような価値観のズレこそが、夫婦間の問題で最も大きなものではないかと考えている。
ニュースで見ただけなので詳しいことは分からないが、良い夫婦になるための、とある男性向けの教室では、妻に合わせて生きることが秘訣だと教えられるという。しかしそれは実際には違うのだ。妻に合わせるのではなく、男尊女卑の考えを捨てようとすることが、結果として男性は譲歩しなければならず、その分だけ女性は好きなことができるようになるというだけなのだ。ほとんどの男性は明らかに間違った価値観を持っているのだから、それを正さなければならないのだ。
一方で、女性の側にもゆがんだ結婚観を持った人はいるだろう。最たるものが、結婚すれば幸せになれると考えている人だ。結婚を人生のゴールと考えているような人だと言い換えることもできる。
しかし結婚生活とは夫婦の共同作業であり、結婚すれば楽に暮らせるということはあり得ない。もし楽に暮らせているとすれば、それは相手に何もかも押し付けているということである。そんな関係は夫婦といえない。主人と奴隷である。
まとめると、発言力の強い方に合わせるのではなく、相談しながら理想の家庭を共に目指して歩んでいける夫婦。それが理想と言えるのではないだろうか。結果として、どちらかが(大抵の場合は男性が)譲歩し続けないといけないとしてもだ。
もちろん家庭によって労働の量は違うわけだから、例えば夫が仕事で妻が家事というように、役割を分担するのがベストと言う場合も多いだろう。だからといって夫が家では何もしないというのは甘えであると思うし、小さな子供がいれば仕事よりも家事の方が大変であることが多いだろう。だから家庭を守ることの大変さを男性が(仕事を担当する側が)理解することは、必要不可欠であると思うのだ。
【離婚】
離婚する夫婦は年間約25万組。結婚が約80万組だから、単純に考えて結婚の3分の1近くが不幸な結末となっていることになる。離婚したくてもできないという人も少なくないのだから、悲惨な実態であることは間違いない。
前項で書いたように、離婚の最大の原因は男性側の価値観のゆがみだろう。つまり離婚が少なかった時代がまともだったのではなく、離婚率の増加は実際には性差別の解消に向かっている証拠であると考えている。人権や生活という非常に重要なことに関わっているだけに、男性はそれに協力すべきだし、女性はそれに否定的な男性に魅力を感じない価値観を持つべきではないだろうか。
とはいえ、多くの人は人を見る目を養う前に恋愛し、結婚する。それは仕方がないことである。
だから離婚とは、人生をやり直すために許された最後の手段だと言える。離婚は非常に大変な行為であるが、遠慮することはない。考えて考えて、家族などとも相談して、それでも結婚生活を続けることが無理だと思ったら、勇気を出して離婚という選択肢を選んでほしい。ただし離婚という経験を、人生の糧にはしてほしい。くれぐれも、2度、3度と離婚することのないように。
【結婚あれこれ】
そもそも人は、なぜ結婚するのだろうか。結婚はしないといけないことなのだろうか。
結論から書くと、結婚することが普通であることは自覚しておくべきだと私は考える。これは単純な話で、誰も結婚しなければ人類は子孫を残せず、滅亡してしまうからだ。そんな極端な話でなくとも、社会を支えるためには子孫を残していかなければならない。大人には社会を支える義務があるのだから、結婚することは義務に近いことだと言える。もちろん結婚しない自由も認められる社会であるべきだが、「1人暮らしの方が楽だから」という理由で結婚しないのは、大人としての義務を放棄していると言えるだろう。
このところ問題になっていることに、晩婚化がある。しかし若者の精神的な成熟度に乏しい現在において、晩婚化はむしろ歓迎すべきではないかと思っている。少なくとも成熟度に乏しい状態で結婚が行われていた昔よりは、ずっとマシではないだろうか。結婚はできるならば1度で終わらせるのが望ましい。そして結婚相手を一時の盲目的な感情で選ぶと失敗しやすい。本当に幸せな家庭を築ける大人などそうはいないのだから、まずは自分を磨き、それからしっかりと相手を見定める必要があるだろう。
ただし「まともな相手がいないから」「結婚に魅力が感じられないから」と言う理由で晩婚化が進んでいるのだとすれば、社会として大きな問題である。そしてこのことは、少しは関係しているのではないかと思っている。だから社会を正すこと。そのために自分の幸せ(欲求)を少しでいいから犠牲にした生き方を送ること。それが大切ではないかと考えている。
いわゆる「できちゃった結婚」も以前から話題になっている。これで結婚した人が特に不幸になりやすいなどと言う話は聞いたことがないが、真相はどうなのだろうか。個人的には、前述の通り普通に結婚しても幸せにはなりにくいのだから、結局は誰とどんな理由で結婚しても(悪い意味で)極端には変わらないのではないかと思うのだが。
しかし本当に幸せになりたいのであれば、安易なセックス、特に正しい避妊をしないものは避けるべきである。これは「結婚相手は熟考の末に選ぶべし」という考えを持つべきであり、それを妨げる思考で生きている人を否定せよと言う理由である。
例え恋人や夫婦であっても、セックスを強要するのは相手の人権を侵害する行為(犯罪)であることを知っておくべきだ。これは相手を自分の所有物だとしか考えていないがゆえの行動である。そんな人になってはいけないし、そんな人の要求に従う必要はない。別れを考えてもいいくらいだろう。
【浮気】
ふざけるな。
【結論】
人間が2人で暮らせば、思い通りにはいかないことが多くて当たり前。親しき仲にも礼儀あり。伴侶が仕事や家事をすることを当然だと思わず、感謝の気持ちを忘れないことが重要なのではないだろうか。そして夫婦がお互いを1人の人間として尊重することこそが男尊女卑の世の中を改善し、より良い家庭を築いていく必須条件といえるのではないだろうか。
なお恋愛や結婚に繋がりやすい感情は愛情だが、愛情は相手の美点を知った時に芽生え、現実を知った時に冷めることが多い。結婚すれば嫌でも現実を見ることになるのだから、やがて薄れていくことが多いだろう。
それゆえ夫婦が末永く幸せに暮らすために必要なのは、愛情ではなくむしろ友情ではないかと思っている。ただし趣味など人間性以外の部分でのみつながっている危うい友情ではなく、その人自身に親しみを持つ深い友情、つまり親友と呼べるかどうかが重要なのだと考えている。親友が配偶者であれば、これほど素晴らしいことはないと思うのだが。
夫婦で暮らすということは、1人暮らしのような気楽なものではない。もちろん親のすねをかじる生活とは大違いだ。しかし最愛の人と力を合わせて生きていくということに魅力を感じられるのであれば、結婚というものは素晴らしいものになる。そしてそんな価値観を持つことが、大人の条件だと言えるだろう。
結婚は人生の墓場。これが未熟な人や社会でのみ正論となる言葉だということは、お分かりいただけたのではないだろうか。こんな教訓が過去のものとなるように、せめて自分はそうならないように、結婚やそれにつながることは慎重に考えてほしいと思う。
成熟した人や社会にとっては、結婚は人生の花園となるだろう。世の中は決して捨てたものではない。日本という国は、ほんの少しずつだが良くなっているのだから。少なくとも結婚が不幸に直結するという、そんな悲しい社会のままではないはずなのだ。
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