トップページに戻る エセコラムに戻る 前の回へ 次の回へ

≪恋の病は病気です≫


 今回のエセコラムは・・・書こうとしてから日が経ちすぎて、一体いつの出来事だったのかすら忘れてしまったのですが、少なくとも3年以上は前に、他県に就職していた私が帰省したときのお話です。
 なぜこんなに時間が経ってしまったのかというと、苦手な分野についてコラムを書かなければならなくなったからです。
 ・・・いえ、初めはそう思っていました。でもよく考えるとそうではなく、単にテーマが難しすぎたからのような気がします。なにせ人の生き方に関する、「厳密な意味での正解」など存在しないのですから。もっとも人が社会生活を営む上で「何を正解とするべきなのか」を考えるのであれば、例えばタバコの問題のように、正解とすべき答えが存在する場合もあるのですが。

 でも今回のテーマは、とてつもなく難しい問題です。なにせ理想といえる生き方は実行不可能としか思えず、現実的な理想が存在するかどうかさえも怪しいからです。それどころか中途半端な形で理想が現実になったとしたら、社会が崩壊、いや人類が滅亡しかねないという、矛盾に満ちた大問題だからです。

 さて、それほどまでに恐ろしく、とてつもなく難しい今回のテーマとは、理想の恋愛です。

 ・・・いま「プッ(笑)」とふきだした人は覚悟してください。コラムを読み終えてから自分や周囲の人のことを考えてみると、顔から血の気が失せてしまうかもしれませんので。
 これは本当に大変な問題なんですよ! 人類滅亡ってのは大げさですけどね!

 それでは、エセコラム第6回の始まりです。
 ちなみに昔の話なので記憶があいまいでして、雑談部分には怪しいところも多いのですが、逆に開き直って好き勝手に書けるから楽ですね!
 ・・・それはさておき。


管理人 聞いたよ。結婚するんだって?

エディ もうしたよ。

管理人 へ? 僕、結婚式に呼ばれてないんだけど。

エディ だって、誰も呼んでないもん。籍を入れただけで、式とかしてないし。

管理人 あ、そうなんだ。でも結婚したんなら、これ以上はエセコラムにつき合わせられないな。

エディ エセコラム? ・・・ああ、あれね。まだやってたの?

管理人 まだやってたの! ったく、僕は本気でやっているのにさ。

エディ あはは、ごめん。だって管ちゃん、その話をしないんだもん。忘れちゃってたよ。

管理人 しかたがないだろ、ゆっくり会える日がなかったんだから。・・・でも、これはいい機会なのかな。これまでもサイト運営自体は僕1人でやっていたし、今までのやり方を続けるのは無理があったからね。それに今なら、1人で全部やれそうな気もするし。

エディ 今なら1人で・・・って、これまでだって、あたし大したことしてないよ?

管理人 でも僕にとっては、そのちょっとしたことが大きかったんだよ。僕が書きたいのは真面目な話なんだけど、それだけじゃあほとんどの人は読んでくれない。だから面白い話を混ぜて書こうとしたんだけど、そういうのは苦手だからね。実を言うと、コラムの感想を聞かせてもらうことはどうでもよくて、1番の目的は笑いのネタを作ってもらうことだったんだ。

エディ うわっ、ひっどーい! あたしは本気だったのに、おもちゃにされていただけだったのね!

管理人 さっきと言ってることが違うってば(笑)。まあ、そういう発言を期待していたんだけどさ。今でも面白い話を書くのが苦手なことには変わらないけど、以前よりはずっと慣れてきたと思うから、そろそろ独り立ちしないとね。

エディ ふーん。それで、今回は何か書くの? 今日なら時間あるんだけど、アタシの引退話をドドーンと30話くらいで。

管理人 (さ、30話!?)せっかくだけど、僕が準備してないからいいよ。この話は寮に戻ってから、1人で書くことにするから。ちょうど今、面白いコラムのネタを思いついたしね。

エディ そういう思いつきのネタって、後で考えるとつまらないことが多いよね。

管理人 やかましい!


 つまらないかどうかはともかくとして、苦労することになったのは確かです。ははは・・・
 さて、その思いついたコラムのネタというのが、理想の恋愛についてです。
 ・・・が、苦手分野の真面目な文章なんて書きたくないので、逃げ出したくなったのですがダメですか?

 ・・・ダメですか。
 仕方がないので書きますが、書くのはもちろん私なので、恋愛の話というよりも理屈の話になるのですが、逃げ出したくなりましたか? でも逃がしませんよ!
 では、ご覚悟を。


≪恋の病は病気です≫

 インターネットの普及と共に一般的になり、いまだ批判的な意見も多い、「顔も知らない相手」から始まる恋愛。しかし一般の恋や恋愛との違いを考えてみると、それほど差があるようには思えない。
 といっても私がしたいのは、ネット恋愛の擁護ではない。普通の恋愛だって「表面しか知らない相手」から始まり、その結果として望まぬ妊娠や離婚などの様々な問題が起こっているのだから、恋や恋愛というもの自体について、きちんと考えてみるべきだと思っている。
 そこで今回は恋愛について、思うことを書いていきたい。

【恋に恋する私たち】
 人間は動物。だから子孫を残すことは生きる意味の一つであり、異性を求めることは本能的なものだといえる。しかし「理想の恋愛」という言葉からイメージするものは、種の存続とは無関係なものが多いのではないだろうか。
 これには生活環境が、少なからず関わっていると考えられる。その環境とは、夫婦や恋人という男女2人組が身近に存在すること。そしてドラマや小説などの多くが、恋愛を美しく素晴らしいものとして描いているということだ。

 人の価値観は、(無意識のものを含めて)自分が学んだことを元にして作られる。だから現代の日本で生まれ育った人の多くが、夫婦や恋人という関係を当たり前の、そして素晴らしいものだと感じるようになる。「恋人がいて初めて本当の幸せがつかめる」というような、根拠のない幻想を抱くようになる。
 そのため幸せを求める人は、やがて恋愛に憧れる。これがいわゆる「恋に恋をする」という状態であり、「恋は盲目」に繋がる心理状態だといえる。

【理想と現実】
 このように人の恋愛観は、生活環境や人生経験を元にして作られる。これらは大きく2つに分けられるため、恋愛観も大きく2つに分けることができる。
 1つは現実を見て育った人が憧れる、現実的な恋愛であり、もう1つは物語等を見て育った人が憧れる、空想上の恋愛だ。
 ただし空想上の恋愛には、日常生活的な細かいことが含まれていない。これはドラマや小説などが、大抵そういうものだからだ。

 一般的な恋愛観とは、この現実と空想が混ざったものであり、どちらに偏っているのかは人によって大きく異なる。しかしその人の恋愛観がどんなものであろうと、実際に経験するのは現実の恋愛だ。だから恋愛観と現実とのズレが大きいと、その人の人生を狂わせてしまうこともある。自分が現実的であっても、恋人が現実を軽視していれば同じことだろう。

【恋愛、それは平和の副産物】
 ではどんな恋愛が理想的だといえるのか。それを考えるためには、まず恋愛そのものについて知る必要がある。

 私たちにとっては身近な恋愛だが、これは決して当たり前のことではない。恋愛とは、生きることを当然の権利だと思えるほどの、平和で自由な国で暮らしている私たちだからこそ手にすることができる、とても贅沢な幸せなのだ。生活にゆとりがあるからこそ恋愛を意識でき、恋愛のためにお金と時間を費やすことができるのだ。
 これを逆に考えれば、社会の安定に貢献することが、幸せな恋愛をするための条件だといえる。そして「社会への貢献度−妨害度」(引き算です)が、その人や組織によって生み出される幸せの量(自分が受け取ることのできる幸せの量)だと考えることができるのだ。

 幸せの量は、お金と同じように考えると分かりやすい。例えば社会に十分な貢献をすることができない学生でも恋愛できるのは、出世払いという条件で前借りしているからだ。簡単に前借りできるのは、現在の日本に幸せの貯金があるからだ。そして幸せ貯金が存在するのは、働かなくても楽しく暮らせる権利を(お小遣いのように)子供にあげるため、余分な仕事や家事をしている大人がいるからだ。あるいは他の人(未来の人を含む)から借金や強奪をしているからだ。

 ただし幸せは、お金と違って目に見えない。だから自分自身にどれだけの幸せ貯金があり、収支がどれだけなのかを判断することは難しい。恋愛中や新婚の人が、幸せがいつまでも続くと信じられるのはそのためだ。
 しかし現実には、個人の幸せ収支がマイナスであることは珍しくない。そしてそれに気づくのは、大抵の場合は大きな不幸を抱えてからだ。なぜなら日本は恵まれた国であり、行政や企業が(なんだかんだと言われながらも)膨大な幸せを生み出しているため、自分や恋人単独での幸せ収支が大幅マイナスであっても、それに気づくことなく生きていくことができるからだ。そして現実に気づいたときには、大きな不満や不幸に耐えて生きていくことを選ぶか、自己破産ともいえる破局や離婚を選ぶしかできなくなるのだ。

 現在の日本では、離婚やDV(夫婦間の暴力)などが大きな社会問題になっている。逆に理想の相手を求め続け、恋愛と失恋を繰り返す人もいる。理想の相手と結婚して幸せに暮らしていたつもりだったのに、事故や病気が原因で幸せを失う人もいる。既婚女性の中には結婚生活に幸せを見出すことを諦め、生活さえ保証されれば老後は離婚した方が幸せだと考える人もいる。
 恋愛が平和の副産物、つまり “人生のおまけ” であることを考えれば、これらを「仕方がない」とする考え方もできなくはない。しかしこれらの問題は、いずれも結婚前どころか恋をする前から、ある程度なら予測することが可能なはずなのだ。予測できる不幸を避けようとしないのは、せっかくの平和を無駄にすることではないだろうか。
 例えば精神面の未熟さは、浮気や暴力に繋がりやすい。現実を理解していない人は、事故や問題を起こしやすい。生活力に欠ける人は、家族からの信頼を損ねやすい。喫煙や過度の飲酒は、これら全ての問題に関わっている。

 しかしこれらに当てはまらない「きちんとした大人」が、この世にどれだけいるだろうか? あなたの周りに1人でもいるだろうか?
 つまり恋愛がらみの問題が多発しているのは、現在の日本では当然のことだと言えるのだ。そして私たちの常識が、現実と大きくズレていることを意味しているのだ。
 しかし自分の常識を疑うことは難しい。だから現在の日本で様々な恋愛問題が発生していることを知っていても、ほとんどの人は「自分の場合は他の人とは違う」と思ってしまう。自分の恋愛観や恋人、そしてその人を選んだ自分の判断を信じようとする。その結果ほとんどの人と同じように、不幸な歴史を繰り返すことになる。
 つまり幸せな恋愛や結婚をする鍵は、現実を知ることにあると言えるだろう。

 この項目のまとめとして、1つ考えてほしいことがある。もし恋人や配偶者から、「私と仕事、どっちが大事?」と聞かれたら、あなたはどう答えるだろうか。どんな心構えがお互いの幸せに繋がるのだろうか。

 私ならば、「あなたのためにも仕事を選ぶ」と答える。恋愛や結婚がもたらす幸せとは、平和があってこそのものなのだから。そして仕事とは、そのために必要なことなのだから。もちろんこれには、「その仕事がまともなものであるならば」という条件がつくのだが。

【子供の恋】
 社会の一員として自分の役割を果たし、「貢献度−妨害度」がプラスになっていれば、その差を幸せな恋愛という形で受け取ることもできる。先ほど書いたのはそういうことだ。
 これは恋愛が社会の一部でしかないことを表している。だから恋愛に関心があっても社会に関心のない人は、現実が見えていないことになる。そして恋愛や結婚は現実のものだから、現実を知らずに抱いた恋心は、幸運に恵まれなければ幸せに繋がることはない。

 しかし人間の成長は、心よりも体のほうがずっと早い。だから多くの人が精神的に未熟な10代のうちに、つまり社会も現実も知らないうちに恋をし、恋愛を経験する。30代、40代になっても、性格はともかく精神的には子供のような人が少なくないというのにだ。
 つまり現代日本人にとっての恋愛とは、それがなんなのか理解できていない状態で経験する、ごっこ遊び(ままごと)に近いものだといえる。恋愛が子供にも身近なものになるにつれて、恋愛どころかセックスさえも、遊びの一種に近づいているように感じる。

 しかしこれらは子供の遊びではないし、子供が学ぶべきことを飛ばして大人の真似事をしても、きちんとした大人にはなれない。むしろそんなことで大人に近づける(近づけた)と思うのは、まだまだ子供であることの証だ。そしてそんな現実を知らない子供だからこそ、愛があれば幸せになれると誤解する。現実には、1人の人間を幸せにするためには、この社会そのものを愛せなければならないというのにだ。
 だからそれがまだ分からない人がした恋は、恋に恋する子供の恋だといえるだろう。

【大人の恋】
 幸せに繋がる恋をするのは難しい。なぜなら恋は盲目だからだ。人は半ば本能的に異性を求め、しかも恋に恋をしているため、人に恋をする前から盲目になっているからだ。冒頭で、ネット恋愛と通常の恋愛に大きな差はないと書いたが、それくらい恋愛感情を制御するのは難しいのだ。だから異性の本質を見抜くのは難しく、逆に異性の心を操るのはそれほど難しいことではない。
 そんな恋愛心理を利用した「恋愛のコツ」が存在し、メディアで取り上げられることもある。経験などから学んで利用している人もいる。しかし自分の本性を偽り相手の目をごまかすのは、自分だけが楽しく生きるための処世術にすぎない。真実に気づいて目が覚めれば終わる恋愛など、相手が望むわけもないのだから。

 だから幸せに繋がる恋とは、恋に恋する心を抑え、相手がかぶった仮面を透視し、相手の本質を見抜いた上で好意を持つというものになる。そして理屈の上では、あらゆる真実を見抜くことができるならば、意識しなくてもきちんとした人以外に恋をすることはない。・・・が、これは現実的な話ではない。
 そのため、先ほど「恋愛のコツ」を否定していながら似たような話をすることになるのだが、相手の本質を見抜くコツを身につけておくべきなのかもしれない。

 そのコツとは、恋愛が社会の一部であるがゆえに、理想の恋愛観と理想の社会観が一致しやすいことを利用するというものだ。相手があなたに好意を持っていれば、半ば無意識に自分の本性を偽るものだが、社会観を偽ることは難しく、また無防備になりやすいため、その人の本質が現れやすいのだ。
 ただし相手の社会観を判断するためには、自分自身がまともな社会観を持っていなければならない。それに自分の社会観が狂っていれば、自分が原因となって恋愛に失敗し続けたり、最愛の人を不幸にする可能性が高くなる。逆にきちんとした社会観を持っている人は、きちんとした社会観を持っている人にひかれやすい。

 つまり幸せに繋がる恋をするためには、自分自身がきちんとした社会観を持った人、つまり大人にならなければならない。だからこそ幻想ではなく現実を見つめて、人に恋をするのが大人の恋だといえるだろう。

【恋の病の治しかた】
 恋愛は平和な社会あってのもの。だから「社会への貢献度−妨害度」がマイナスの人は、恋愛をする資格はない。よって盲目的に恋をする子供の恋ではなく、人に恋をする大人の恋でなければ、幸せには繋がらない。
 つまり私たちが第一に考えなければならないのは、遊ぶことではなく、生涯の伴侶を見つけることでもなく、社会の一員(歯車の1つ)を目指すことなのだ。そして恋とは、その過程で生まれるべきものなのだ。
 これが、ここまでのまとめだ。

 さて、そんな生き方に魅力を感じるだろうか。人の価値観は、育った環境に大きく左右される。もしあなたの周りに、あるいは読んできた本の中などに、社会の一員として生きているからこそ魅力的な人がいれば、そんな生き方に少なからず魅力を感じるはずだ。逆に魅力を感じないのであれば、もっと楽な生き方 〜例えば、社会の安定を軽視し、好き勝手して楽しく生きている人〜 の影響を強く受けているのだろう。そして表面的な自由と平和に囲まれて育つ日本人は、ほとんどが後者のような価値観を持っていると思われる。
 しかし社会よりも自分の嗜好を重視する生き方は、ほぼ確実に「貢献度−妨害度」がマイナスとなる。つまりは他人に頼り、あるいは犠牲にする子供の生き方だ。そんな生き方を支持する人が多い現代日本とは、子供が子供に憧れている奇妙な社会、つまり進歩しようとしない人によって運営されている未熟な社会だと言えるのだ。
 こんな環境で生まれ育った人が、本当の大人に憧れるのは難しい。そして本当の大人を目指す人は、そうでない人が放棄した責任まで背負って生きていかなければならない。つまり先ほど書いた大人の恋とは、それができる人だけを苦しめる、あるいは損をさせる、非現実的な理想論となってしまうのだ。

 それでも私は、大人に憧れてほしいと声を大にして言いたい。恋愛を意識しすぎるなと。もっと大切なことを意識しろと。
 恋の病に冒されているのは人だけではない。社会だって病んでいるのだ。だから社会が変わらない限り、大衆の恋愛観や人生は変わらない。そして現在一般的な恋愛観や人生とは、先人達から受け継いだゆがんだものであり、ただ普通に生きているだけでは、ゆがみをそのまま次の世代へと伝えてしまう。
 しかし個人の恋愛観や人生は、現実を知ることで変えることができるのではないだろうか。

 恋愛を単なる娯楽だと思ってはならない。なぜなら恋愛の先には結婚があり、その先には家庭があるのだから。そして家庭とは、親の世代から子の世代へと、人としての生き方を伝える最も重要な場所であり、人類の歴史をつなぐ掛け橋となっているのだから。

 つまり理想の恋愛とは、幸せを手にしたところで終わってしまう物語のようなものではなく、共に歩んでゆく中で生み出され、あるいは見出され、そして受け継がれる、持続的な幸せが得られるものではないだろうか。もちろんそんな恋愛は、ただ幸せに浸っていれば実現できるような、甘いものでは決してないだろう。
 だからこそ恋愛には、「協力して幸せな人生を送らなければならない」という、とても大きな責任が付きまとうことを忘れてはならないのだ。

 さてそんな責任を負うことを、あなたは避けたいと思うだろうか。もしそう思うのであれば、あなたが望んでいるのは恋愛ではなく、奴隷を所有することでしかない。これが「私の望むあなたでありますように」と願う、子供の恋の正体だ。
 だからこそ大人の恋は苦しくても、子供の恋よりはずっと大きな幸せに繋がるのだと、私には思えてならないのだ。



管理人 ところで、今度の旦那さんは大丈夫なの? 再婚なんだから、今度こそちゃんとした人を捕まえたんだろうね。

エディ うん、ほんとにいい人だよ。管ちゃんほどじゃないけどね。

管理人 ゴマすりポーズで言われてもね(笑)。で、旦那さんが社長って本当?

エディ ・・・なんでそんなことが気になるのかな。これだから万年ヒラ社員は・・・

管理人 やかましい!(注:現在は無職です) ・・・あーあ、でもこれからどうしよう。エセコラム、一人芝居でやっていくしかないのかなぁ。

エディ それってさ、管ちゃんが結婚して夫婦漫才やればいいだけじゃないの? 前から思ってたんだけど、管ちゃんて結婚しないの?

管理人 したいんだけど、自分の将来すら危ない状態だからなぁ。それにさ、結婚って1人じゃできないんだよね。・・・なんで突っ伏してるの?

エディ ・・・いや、なんていうかさ。・・・もしかして、結婚したくても相手がいないとか。

管理人 うん、いない。自慢じゃないけど、彼女がいたことすらないよ。

エディ ダメだこりゃ。・・・ねえ、なにか努力してる?

管理人 全然。努力って、いったい何をすればいいんだよ。

エディ きっかけは色々あるじゃないの。飲み会とかコンパとか合コンとか。

管理人 それって全部、飲み会だってば。っていうか無理。僕はタバコ恐怖症なんだから、人が集まるところになんて行けないよ。

エディ じゃあ、結婚相談所は?

管理人 それも無理。今の貧乏生活では、そんなことにお金は使えないよ。

エディ じゃあ、友達に紹介してもらうとか。

管理人 そんな友達はいない。

エディ ・・・。

管理人 ・・・。

エディ ・・・。

管理人 ・・・。

エディ ・・・ごめん、ちょっと泣けてきた。こうなったら、アレしかないわ。ナンパよ!

管理人 誰がするか! ナンパするくらいならネゲットするよ。・・・いや、冗談だけど。

エディ ねえ、ネゲットってなに?

管理人 「ネットで恋人ゲット」の略。・・・かな? よく知らないけど。

エディ ふーん。よく分かんないけど、それなら管ちゃんにピッタリかもね。

管理人 なんで?

エディ チキンネゲット。

管理人 ゲホッ、ゴホッ・・・


 この話は次回に続きます。恋愛の続きというと、結婚ですね。
 ・・・さて次の更新は、一体いつになることやら。
 それ以前にこんな私が、こんなことをマジメに書いて良かったのでしょうか。
 「こんなことを考えているから独身なんだ」などと、思いたくはないのですが。


トップページに戻る エセコラムに戻る 前の回へ 次の回へ