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 monologue 


祭りの後  ■水辺のほとり  ビルの中の宇宙  ■蝉の恋  「 リバーランズスルーイット」とフライフィッシング]  秋の気配  そぞろ歩き

 



  祭りの後
  
  月が綺麗な祭りの夜の家への帰り道、太鼓や笛の音が遠ざかって行くのに、夜空を見
  上げると、ぽっかりと浮かんだ月が、どんなに歩いても、どこまでもどこまでも追いかけ
  てくるのが不思議で、何度も何度も振り向いたっけ。
  幼い頃にワープする。いつでも、解凍可能な想い出という鎮静剤。


 ■ 水辺のほとり
 
  海、川、湖、池・・・水のそばにいると、どうしてこんなに気持ちが癒されるのだろう。
  近場では、キャンプ客の入らない奥丹沢や奥多摩の玉堂美術館への遊歩道が好き
  で良く足を運んだ。
  なにも考えずに水の流れを目で追っているだけで心が落ち着いていつもの数倍、穏
  やかな顔に(多分・・)なっているのではないかと思う。
  水が人の心を和ませるのは、母の胎内、羊水の中で浮かんでいる記憶からなのか
  きっと、そうに決まってる。母なる海は偉大なんだなぁと、思わすにはいられない。

  ビルの中の小宇宙
 
  かつて勤めていた会社のあるビルは、メタリック・ブルーの近未来的な一際目立
  つ要塞の様な姿の中に、外観からは想像できない、安らぐ空間を宿している。
  始めて建物の中に足を踏み入れた時、この贅沢な演出に、ひどく感動してして、
  会社そのものより、極端な話、この建物の中で仕事が出来れば満足とさえ思った
  程だった。
  建物の中は自然の光が採り入れられ、小さな人口の池がその光を集めて水面に
  反射し、吹き抜けの室内のあちらこちらに、水の文様を放ち、光の織り成す様子は
  Coolな写真の様に美しい。
  私は、その池の前のお気に入りのベンチに座り、必ずドーム型の天窓を見上げる。
  ガラスで出来たドームは、余程天候が悪くならない限り、空に向かって開かれてて
  天窓から季節の風が室内を吹き渡り、小雨混じりの日は雨粒が池に降り注ぐ。
  雪がちらつく日には、舞台の上で照明を浴びて降る紙吹雪の中に立っている様で、
  四季折々飽きる事がない。
  視界が捕らえる空は、切り取られた一部分だけの筈なのに、不思議な事と無限
  に広がる空を感じさせ、あたかも、外界と繋がる唯一の窓の様な小宇宙を作って
  いる。昼休みと仕事帰り、1日に2度このベンチに座り、無機質なオフィスで酸素不足
  になった身体を少し休め、心に栄養を補給して、暮れなずむ雑踏の中家路につく。
  
  この癒しの場であった空間と別れた時の淋しさを今でも私は覚えている。



 蝉の恋
 
 休み時間に、例のお気に入りのベンチで、ぼんやりととするのが日課になっていた。
 ある時、場違いな事に(池の前とはいえ、ビルの中だし・・)そばでセミの鳴き声がし
 て思わず辺りに目を配ったのだけれど、なんとすぐ足元に声の主を見つけた。
  
 みぃ-ん・・・みぃ-んと羽を怪我してるせいか、何だか声にも力が無い。その内ベンチ
 に50代後半位の品の良い女性が来て、蝉の居場所を捜してる風なので教えてあげ
 ると「可哀相に怪我してるのね。。1週間の間に恋が出来たかしらね?と話しかけて
 きた。「だと良いですね」そう答えて、休憩時間の為にすぐに仕事に戻ったけれども、
 外に放してあげたくても飛べないから仕方ないとはいえ、何だか、心残りで今頃どう
 してるだろうと気がかりだった。
  
 何故、それ程気になるかと言うと、家の大きな桜の木で鳴いていた沢山の蝉達が、
 夏の終わりが近づく頃、庭で力尽きている蝉の姿を見続けてきたからかもしれない。
 それにしても蝉もさる事ながら、あの女性のひと言が、心に残った一日だった。
  
 きっと良い恋をしてきたか、今でも誰かを愛しているんだろうな・・と思わせる印象的
 な人だった。顔だけではなくて、言葉はその人を物語るのかもしれない。



  「リバーランズスルーイット」とフライフィッシング

 
  私の好きな映画に「リバーランズ・スルー・イット」という映画がある。
  あ〜あのブラピの出ている映画ね!と一言で片付けられてしまった事もあるけ
  れど、実際、この映画の中のブラッド・ピットはとても美しい。
 
  私がこの映画に惹かれるのもう一つ理由はフライフィッシングと雄大な川。
  もしも男に生まれてたら、迷わず趣味にしていたに違いないと思うほど憧れてた
  フライフィッシングがこの映画の重要なコアになっているからなのです。
  女性でも勿論釣りは出来るのだけれどでも、この映画を見た時、釣りをしている
  姿の
  美しさに魅了され「これは男の領域」と悟り、本格的に渓流釣りをしてみたいという
  夢は、瞬く間にしぼんでしまった。
  この映画の中で、父親と二人の息子がフライ・フィッシングをするシーンは、何度
  見てもワクワクしてしまう。
  禁酒法のこの時代のファッションもたまらなく素敵だった。
  ハンチングに、シャツ、吊りズボン。雄大な自然を前に、様々な思いを抱きながら、
  フライ・フィッシングに興じる親の姿は、それだけで、雄弁にこの家族の絆の強さを
  物語っていると思う。
  それにしても、ゆったりと蛇行する川の美しい事といったらない。
  時々無性に川が見たくなる。近場では奥丹沢の中川や奥多摩の川。デッキチェア
  に座り、川の流れに耳をすまし、流れる水を見ていると、時までが、ゆったりと流れ
  ているような気持ちになる。 心が穏やかになっているんだと思う。
  リバーランズ・スルー・イット・・
  心の中を、いつも川が流れている様に、穏やかでいれたらと思う。


 

  秋の気配
  
  昨日とは打って変わって、ひんやりとした風が吹き、今までの猛暑が嘘のよう。
  鈴虫の泣き声を聞いていると、あれほど渇望していた秋なのに何か物悲しくな
  るから不思議。
  めまぐるしく過ぎて行く日々の中で、ストレスを抱えすぎて自滅しないよう、一日に一度
  は空を見上げる様にしている。
  季節の移ろいに鈍感になり、心が非常事態にならないためにも、数10秒の些細な時間
  で自分を取り戻す。(それ位忙しい)  そんなわけで今日の空・・
  鈴虫の鳴き声の効果で、一際、蒼い月光が幻想的に感じた帰り道



  そぞろ歩き
  
  鈴虫の声を聞きながら、夜道を歩くのは楽しい。

  秋を感じる事が出来る様に五感を研ぎ澄ませ、秋とのそぞろ歩き。
  浄化作用を求めて先日は、夜の海に行き遠くの町の明りや行き交う船を眺めて、仕事
  で一日PCに向かい、酷使された目を休めてあげた。
  耳は波の音を捕らえ、海の匂いには嗅覚が敏感に反応しているのが分る。
  誰が歌っているのか、流れてきた曲はOh!クラウディア。
  今年は、燃えるような紅葉が見たい!! 





 
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