過去のWebにこんな記事もありました

アクセス杉並 『カルチャー』連載 三善里沙子の「まったり日記」
第1回(2001.6.8)を紹介致します。第16回(2003.5.12)迄は、下のアドレスから見て下さい。
http://www.ac-suginami.com/culbk/frcm.asp
第1回  「中央線ってつまりは杉並なんですよ!」(7.8)

 三善里沙子さんは今から5年前『中央線の呪い』を著し、瞬く間に中央線人のハートをつかんだ。そして中央線ができて111年になる今年、待望の第2弾『中央線なヒト』を出版。たちまち沿線書店でベストセラーとなり、品切れの店も続出している。

 阿佐ヶ谷育ち、西荻で執筆する彼女。今や「中央線の巫女」とまで呼ばれ、中央線を語らせれば右に出る者はいない。次週から連載をして頂くことになった三善さんに、まずは抱負をインタビュー。

−−三善さんが中央線に興味を持ったきっかけは?

三善 私と中央線との第1次遭遇は高校生の時です。阿佐ヶ谷に「熱気球」という喫茶店があって、コーヒーを飲みながら ママさんとお客さんが人生について語っているような店でした。それを聞くうちに、自分が小学校から通っていた渋谷と違うな、 中央線ってなんかヘン、って感じ始めたんです。これが中央線を意識した最初ですね。

 第2次遭遇は一人暮らしを始めてから。大学を出て阿佐ヶ谷の実家からすぐのところに6畳一間2万8000円の安いアパートを借りたんですよ。そうしたら、昼間は友達が遊びに来たり、夜は飲みに行くっていう「マル中」(注:中央線人のこと)的な生活が始まって。実家にいた時とは違う観点からこの地域を見るようになってさらに意識し始めたんです。

 第3次遭遇は西荻と出会って。数年前に西荻の整体師の方のところに通い始めたんです。その行き帰りに西荻の友人と「はるばる亭」という飲み屋でよく飲んでいたんですね。そこで西荻住民たちの独特の脱力感を目の当たりにしたんです。西荻って阿佐ヶ谷よりずっと変だな、と思って。それでまた中央線にハマってしまったんですね。

−−今回は“中央線”というよりズバリ“杉並”について書いて頂きます。中央線と杉並ってどういう関係なんですか?

三善 私の本の中では広い地域を扱っていますが、中央線っていうのはつまりは杉並なんですよ!!

 杉並らしさって大きく2つに分かれると思うんですね。まずは60年代的なものが町並みにも人々の精神構造の中にも残っていることです。

 例えば高円寺。今あそこは時代の先端をいっていますが、同じ古着の町でも下北沢なんかは狙ってオシャレに見せてる。高円寺の場合は60年代の文化がそのまま残ってて、いつの間にかまた世間の波長と合ってきただけです。

 それはまた杉並の人の精神構造も影響してると思うんです。前にみうらじゅんさんが「マイブーム」を流行らせましたけど、あれは杉並の人の心意気そのものですね。「人が何と言おうと自分が好きであればそれでいい」っていう。だから高円寺だって60年代なんてもう古いって思われてもそんなこと気にせずにその文化をそのまま残してたんですね。

 もうひとつは、住宅地でありながら安い学生街の雰囲気があること。杉並は家賃が安いところも多くてお金のないフリーターとかクリエーターがたくさんいるんですよね。世田谷だとそうはいかない。ゴールデンレトリーバーを連れた家族が仲良く散歩してるっていうファミリー的な雰囲気が漂ってて、とてもじゃないけど彼らはいられない。反対に杉並は、そこらへんのノラネコにえさをやってるような庶民的な街。その雰囲気が彼らを居やすくしてて、杉並らしさになっていると思います。

−−今回は三善さんにとって初めてのネットでの連載となりますね

三善 今までインターネットをやっていなかったのでこれからがんばって勉強します。ネットだと反応がすぐ返ってくるじゃないですか。中央線らしいディープな意見がたくさん戻ってくるのじゃないかと楽しみです。

三善さんは「中央線の視点から東京をみる本」(本人談)を秋に向けて出版する予定で、現在、東京のあちこちを探索中だ。そのため今回の連載では「外から見た中央線」といった視点が加わることは確実。新たな中央線像を導き出してくれるに違いない。

東京新聞 「江戸開府400年と21世紀東京まちづくり」の対談から

http://www.tokyo-np.co.jp/forum/edo/thoron.html
高見沢氏 新旧調和の営みを
三善氏   路地裏にこそ良さが

オープンから多くの人でにぎ
わう複合施設・六本木ヒルズ
 伊藤 三善さんは著書『中央線なヒト』に、「金銭志向とか上昇志向でなく、本物の文化とエコロジカルな生き方の人が中央線な人だ」と書かれています。高見沢先生は日本のまちづくりに詳しいお一人です。「町」「ひと」「文化」についてお話しいただきます。

 三善 私は東京の杉並区生まれで東京が大好き。東京は恋人のようなものだと思っています。

 高見沢 僕は東京の町田市に住んでいます。生まれは同じ杉並です。

 三善 京都から遷都する時、富士山から五本の「気の流れ」が出ていて、うち三本が重なる江戸城を皇居にした。江戸・東京は青龍・朱雀(すざく)・白虎・玄武という四つの神様に守られているといいます。つまり隅田川、東京湾、東海道、武蔵野の台地。風水的に守られた素晴らしい土地なんですね。

 高見沢 東京の再開発で象徴的なのが六本木ヒルズですね。来春までに三千万人が訪れるといわれます。住まいもあれば買い物もでき、美術館もあるという複合性を僕は評価しているんです。ただし、六本木ヒルズに行くなら麻布十番の方まで歩いてほしいですね。

 三善 麻布十番には江戸が残っていますね。昔は狐(きつね)や狸(たぬき)が出て、暗闇坂なんて本当に寂しい所で、幽霊も出たという。麻布十番から六本木ヒルズを見ると、江戸と二十一世紀という不思議な光景が展開して面白いです。

 高見沢 六本木ヒルズに庭園があります。毛利邸の庭と池を現代の和風庭園に仕立て直した着想は評価したい。歴史とか何かに依拠しないと町はつくれないんですね。

 三善 よく「東京は人の住む所じゃない」とか「路地裏はつぶしてしまえ」とか過激なことを言う人がいますが、路地裏にこそ東京の良さがある。例えば銀座でも、表側の美しいブランドショップから一歩路地に入ると、ラーメン屋とか一杯飲み屋とか安いスナックとかがある。そういう幅広いところが東京の良さだと思うんですが。

 高見沢 僕は都市再生の専門家として多少六本木を持ち上げましたが、いま進んでいる都市再生については基本的に否定的です。そこからこぼれ落ちる部分に本当はいろんな価値があるわけで、それを滅ぼすようなことがあっちゃいけない。

 私が応援している神田のNPO法人、都市まち研究会はコーポラティブという組合みたいなものをつくって、例えば息子さんが仕事を継がないので土地を売ってもいいんだけど、それなら小さい集合住宅を建てて住み続けたい、そういう人たちが、地域に溶け込む集合住宅って何だろうと模索しています。そして、以前から住んでいた人たちの意欲と新しく住む人たちの願望を調和させる。そうした営みを続けないと、都市再生にすべてが押し流されちゃうなという気分です。

 三善 そういう点では住宅地にある町、下北沢とか吉祥寺、自由が丘なんかもそうですが、住むということに人がこだわりを持っていく。非常に大事なことじゃないかと思います。ただ寝に帰るんじゃなく、ひとつのコミュニティーをつくっていくということ、町を友だちのように愛していくというんですか。東京の町も皆さんに愛していただきたいと。

 高見沢 いま超高層のマンションが都心部にどんどん建っています。入居者に聞くと、エレベーターに乗っても知ってる人はおらず、駅に来たような感じだという。超高層の入居者による集団としての地域をどうつくっていくかは、やっぱりその人の責任ですね。

 三善 都知事の発言のように、確かに東京はゲロのようなところもあるが、それが魅力。アメーバのように生き生きと破壊、再生、分裂、増殖している。それこそが東京のダイナミズム。闇の部分があるから光がある。そのような東京を人間のように好きになって愛していくことが大事だと思っています。

高見沢 邦郎氏
 たかみざわ・くにお 東京都立大学大学院教授。1942年、東京都生まれ。東京都立大学工学部卒、同大学院工学研究科修士課程修了、工学博士。都市計画を専攻し、同大学助手、助教授を経て現職。共著に「同潤会のアパートメントとその時代」「都市の計画と防災」など。

三善 里沙子氏
 みよし・りさこ エッセイスト、沿線民俗学研究家。東京都杉並区生まれ。青山学院大学文学部卒。著書に「東京法則」「東京魔界案内」「軽井沢の法則」「お台場の掟」「中央線の呪い」「中央線なヒト」など。東京新聞、NHK(BS1)、東京人などで東京の街と人々を語る。


asahi.com Be on Saturday ( 2003.1.18 )

http://www.be.asahi.com/20030118/W24/0007.html
『本日のお題』墓地の魅力に迫る怖いけれど愛される
ナビゲーターは…三善里沙子さん(エッセイスト)
 「お墓の奥深さに、わたし最近、とても驚いているんですよ」

 松の内が明けて早々、こう言ってはばからないのは、近著「東京魔界案内」(光文社)で都内の歴史的な「呪い」スポットをことごとく書き出したエッセイストの三善里沙子さんである。執筆のために都内の名だたる霊園、寺社・仏閣を調べ回り、すっかりお墓に魅了されたそうだ。
                               ご先祖様にお参りする三善里沙子さん=東京・青山霊園で

 「東京タワーの脚の1本は、昔お墓の敷地だった場所に建てたそうです。だからよく『出る』といううわさがあるのでしょうか。江戸幕府を守ろうと討ち死にした彰義隊の、上野のお山にあるお墓は、かつてごみためだった場所。お上にたてついた者は、死後も切ないのですねえ」

 くしくも昨年12月、東京都公園審議会は、都立霊園を公園としても再生させる答申をまとめた。港区の青山霊園には斎藤茂吉、志賀直哉ら文豪や吉田茂、池田勇人、大久保利通など名だたる政治家の墓があり、豊島区の雑司ケ谷霊園には夏目漱石、泉鏡花らも眠る。歴史的価値が高く緑豊かな霊園を公的に観光地化する、という趣旨らしい。

 確かに墓も色々だ。東京都台東区の谷中では、霊園の周囲の寺院まで足を延ばせば意外な墓に遭遇する。例えば霊園に隣接する天王寺には東大医学部の解剖実習に協力した人々の「供養塔」。和歌山県の霊場・高野山には「しろあり やすらかにねむれ」と書いたシロアリの供養塔まである。

 三善さんの最近のお気に入りは、東京・大手町、UFJ銀行や三井物産などの大企業が並ぶオフィス街の真ん中にある「将門首塚」だとか。940年、時の朝廷に戦いを挑んで敗れた平将門は、千代田区にある神田明神のご祭神だが、何かと「祟(たた)る」という噂(うわさ)が根強い。周辺企業などで作る保存会が丁重に管理する今も「尻を向けると祟る」と言われ、神田明神には、周囲のビルにオフィスを構える会社から「机の配置を相談したい」という問い合わせが絶えない。

 一方で、京都にさらされた将門の首が江戸に飛んで戻ったとの言い伝えに、「不死身」のイメージを重ねるのか、近年参拝者が急増中。今年も年明け1週間で、昨年より500社多い約4000社が祈祷(きとう)に訪れた。

 三善さんいわく、「怖いけど、気になる。愛される。その魅力が気になりますね」。ちょっと危険だけど、そこがたまらない。まるで恋愛小説のようなのだ。(文・浜田奈美、写真・宮島夕子)


■ 極意三カ条 ■

 ●大人のデートは霊園で

 ●「変わりダネ」墓碑 歩いてさがせ

 ●この不況 将門パワーにあやかろう


ブックス ルーエ 週刊ベスト

2003.6.2と古い話ですが、私の文庫が、一位と二位になっているので……。
http://www.books-ruhe.co.jp/category/bunko/best/2003/0527_0602.htm