第一章 中央線人の深層心理

『出中央線記』の伝説

 中央線−。  たかが一本の鉄道とあなどるなかれ。ここにはもろもろの魑魅魍魎(ちみもうりょう)奇々怪々(ききかいかい)抱腹絶倒(ほうふくぜっとう)のヘンテコなものが集中している。
 その異様ともいえるすごさは、"ローカル線"の一エリアに収まりきれず、東京区どころか全国区、いやひょっとしたら、世界区にまで悪影響を およぼしかねないパワーを秘めているのである。
 何よりもオゾマしいのは、この線に住む人びとの棲息パターンである(モノの考え方や行動の仕方)。中野駅以西にはいまだに”貧乏文士の街” とか”ヒッピーの街”とかいう言葉が生きている。一部の東京人のなかには、中央線を現代のジュラシック・パークと呼ぶものすらいる! (事実、ここでは一九七〇年代以後、時間が止まってしまったかのように見える)
 中央線。正確にいえばJR東日本の中央線は、花のお江戸の東京駅から発し、西の高尾駅まで、日本国の首都東京をほぼ真 横につらぬいて走る電車である。全国的に有名な、御茶ノ水、新宿、吉祥寺、立川などの各駅も、みなこの線に存在している。
 ハッキリいって中央線は、東急東横線のようにオシャレではない。小田急線のように女子大生が多いわけでもない。西武池 袋線や東武伊勢崎線のような東スポ的ノリもない。表向きは、あたりまえのサラリーマンとOLの住宅地といった 風情(ふぜい)を装っている。
 しかし、じつはこのオレンジ色のラインの裏の裏には、健全な人びとの生活を(むしば) む(?)、とてつもない負のパワーが立ちこめているのだ。
 この本は、そんな知られざる「中央線の呪い」を解き明かそうという、神をも恐れぬ暴挙(快挙?)の試みである。

 中央線と聞いただけで、マガジンハウス系ギョーカイ人たちは、(いま) わしい悪夢を呼び醒まされたような、緊迫した表情にとらわれる。電通系ギョーカイ人のなかには、どことなく(さげす) んだ目をする人さえいる。それほど、中央線にはいろいろな意味で人生を狂わせる、甘美な罠が仕掛けられているのである。
 「みうらよッ!
  メジャーになりたかったら中央線を去れッ!
  いま直ぐ、高円寺を出るのだッ!
  そして、その長髪を切り、借金をしてでもいいから、原宿へ向かえッ!
 決して中央線を振り向くな、決して!

 この、中央線人への覚醒をうながす天の声は、かつて高円寺にくすぶっていた、無名時代のイラストレーターみうらじゅん氏に、 糸井重里氏がのたまった言葉である。時、あたかも一九七〇年代のカウンターカルチャーの嵐も静まり、やがて、人びとがバブル の泡踊りに溺れていこうとする黎明期(れいめいき)であった。
 アブラハムみうらは、糸井神の言葉にしたがい、中央線を去る。そして、わずかな預金をはたき、原宿”同潤会アパート” 裏の、小さな、それでも青山文化の光とざわめきのあるアパートヘと引っ越した。
 奇跡がみうらじゅん氏に訪れたのは、それから間もなくのことだった。
 ある日、彼のもとに、マル金の伝導(*)、オシャレなマガジンハウスの編集者が訪れたのである。
 こうしてアブラハムみうらは、勇躍中央線の呪いから解かれ、メジャーの園の住人となったとさ……。
 この『出中央線記』の伝説は、もちろん実話である。


*マル金:原本では○のなかに「金」と書かれている。