よしよし 後編
結局アスランの提案で、カガリ達はエターナルのアスランの自室まで移動する事になった。
あの戦艦の内部に入れるとあって、カガリは二つ返事で了承しようとしたのだが‥‥
よく考えたら、あの赤毛の男にまた会うかもしれない。
それにあの男と同じように考えるクルーがいるかもしれない。
カガリは返事に戸惑ったが、アスランが強く希望したのでそれに従うことにした。
クサナギの食堂を出る時にはまだ落ち込んでいる様子を見せていたアスランだったが、
エターナルの内部に乗り込む頃にはもう普通の表情に戻っていた。
そんなアスランを見ていると、もう“よしよし”しなくてもいいような気がするのだが、
もしかしてまだ辛いのに無理しているのかもしれない。
改めて“よしよし”するのはかなり恥ずかしいが、もうこれは覚悟を決めた。
でも‥これはもういいだろ。
「アスラン」
「何?」
少しだけ先を行くアスランは、穏やかな表情で私を振り返ってきた。
‥‥本当に落ち込んでいるのか?こいつは。
「何、じゃない。もういいだろ、これ‥‥」
カガリの右手はアスランの左手にがっしり握られていた。
カガリはそれを外そうと軽く振った。
そんなカガリをよそにアスランはその穏やかな表情のまま、何も言わずまた前に顔を戻してしまった。
「おい!何ふつーに無視してるんだよ!」
そう言いながらカガリは先程より幾分強めに腕を振った。
なのにもうアスランは振り返りもしない。黙ってただ通路を進むのみ。
アスランの両腕が不自由な状態の為、移動ベルトも使っていない。
エターナルの奥に進むにつれて、クルーとすれ違う人数も徐々に増えてくる。
その度にカガリはひとり、ひやひやした。
「他人に妙な誤解、されたくないだろ?またイヤミとか言われたらどうするんだよ?」
漸くカガリを振り返った顔は少し困ったように眉根を寄せていた。
「カガリはやっぱり嫌か?ここのクルーに変に思われたり、イヤミ言われたり‥‥」
「私の事はどうでもいい!ここで変に思われて困るのはお前の方だろ?」
私はこの艦にずっといるわけではないから、いい。
でもアスランは‥‥虎も言っていたように、いずれはこの艦と共に行動する事になる。
その時、ここでの生活がやりづらくなるのは他の誰でもない、アスランなのだ。
そう思って言ったというのに、アスランは何も言わず、また前に視線を戻した。
そして繋いだその手を離すどころか逆に強く握ってきた。
そのあたたかさと痛みに、カガリは気付かれないように小さくため息をついた。
──やっぱりコイツ、調子変だ。
何人かのエターナルクルーとすれ違いざま、不思議そうな目を向けられはしたが、
カガリが危惧していた事態にはならず、どうやら無事アスランの部屋まで辿り着いたようだ。
アスランはその前まで来た時、漸くカガリの手を離し、ドアを開けた。
シュン、と乾いた音がすると同時にアスランは部屋の中に入って行った。
流石のカガリも今からやろうとしている事を考えると、
戸惑いもなくこの部屋に入る事ができず、
部屋の入り口から首だけ出してキョロキョロと中を窺った。
何もない部屋。人が生活している気配のない部屋。
それがこの第一印象だった。
聞くところによるとアスランは、この艦のクルーに救助してもらったという。
だったらプラントから私物を持ち出したりするような事もなかっただろう。
がらんとした部屋をぼんやり見遣って考えていると、アスランに呼ばれた。
まだ入り口から一歩も中に入っていない事に今更ながらに気付くカガリだった。
そういえば──アスランもオーブを出てすぐ、クサナギの私の部屋まで来てくれたっけ‥‥
あの時、確かアスランも今の私のように戸口に立ったまま、
結局一歩も部屋に踏み入ることはしなかった‥‥
あの時のアスランもきっと、今の私と同じような気持ちだったのかもしれない。
私がやすやすと入っていい場所なのかな、ここは‥‥
「カガリ?」
さっき呼ばれた時よりも、近くから声がした。ハッと顔を上げると目の前にアスランの顔がある。
かなり‥‥近い。
「あ、ああ‥‥!」
ドクン、と心臓が大きな音をたてた。それを誤魔化すように、カガリは少し大きな声を出した。
「やっぱり俺が手を引かないと入れない?」
「な、何言ってるんだよ!入れるよ!」
やはり間近で軟らかく微笑むアスランを軽く突いて、
カガリはとうとうその部屋に一歩足を踏み入れた。
クサナギの自分の部屋程の広さはないが、
以前アークエンジェルで用意された自分の部屋よりははるかに広い──
この戦艦の専用モビルスーツのパイロットであるアスランの部屋だからかな‥‥と
尚も物珍しげにキョロキョロしてしまうカガリだった。
「せっかく来てもらったけれど、何のおもてなしも出来そうにないな‥‥」
そう言いながらアスランは、デスクと対になっている椅子をひょいと持ち、こちらに運んできた。
そしてそれに座るように促される。
流されるようにカガリは椅子に座ったのだが──
‥‥“よしよし”は?
カガリは不思議で仕方なかった。
この部屋に入ったら早速“よしよし”するものだと思っていたし、それで少し身構えもした。
なのにアスランはそれを求めるでもなく、カガリを椅子に座らせ、
「お茶でも飲む?」などと話しかけてくる。
これだったら別に食堂にいるのと大差ないじゃないか‥‥
それに‥‥人をこんなにドキドキさせておいてこれじゃあ‥‥私、ドキドキし損じゃないか?
このドキドキを返して欲しい位だ。
だからカガリは思わず言ってしまった。
「なぁ、“よしよし”は?」
奥の方で何やら物色していたアスランの動きが止まる。
それと同時に部屋に響いていた物音も止まった。
突然、部屋はしんと静まり返る。
その沈黙がカガリに緊張とともに重くのしかかった。
しばらくして空気が動いた。
奥からアスランが戻ってきて、ベッドに腰かける。
カガリと数メートルの距離を隔て向かい合った状態で
アスランは自分の膝に空いている左肘をついてこちらをじっと見つめてきた。
そして発した言葉にカガリは驚いた。
「‥‥もう、別にいいけど?」
──はあ!?何でいいんだ?
そう反射的に叫びそうになったがグッと堪え、カガリは抑えた声で尋ねた。
「‥‥もう、元気出た、って事か?」
「ん‥‥さっきよりはね」
そう答えるアスランの声はまだまだ弱々しい。カガリから見ればまだまだだ。
どこが“元気出た”なんだよ!
「そうは見えないけど?」
思ったままの事を言ってやると、アスランは少しだけ目を伏せて薄く笑った。
「まあ‥‥だけど、それこそ“ハツカネズミ”になってても仕方ない、だろう?」
──こいつ、何で私が“よしよし”してやるって言ったのか、全っ然解ってないじゃないか!
カガリはガッと立ち上がって言い放った。
「“よしよし”っていうのはな!元気なヤツにしてやるモンじゃないんだよ!
今のお前みたいなヤツにしてやるもんなんだ!それ解ってないだろ!?」
カガリの言葉に引っ張られるかのようにアスランは顔を上げ、再びカガリを見つめた。
「じゃあ‥‥してくれるのか?“よしよし”」
──そう改めて尋ねられるとカガリも頷きにくいのだが──
「お、女に二言はないっ!」
両手両足に力を入れ、そう宣言すると、アスランは可笑しそうにクスッと微笑んだ後、
こちらに向かって小さく、遠慮がちに左腕をのばしてカガリの場所を作った。
「じゃあ──どうぞ」
こんな静かで誰もいない、そしてその後も誰の邪魔も入らない場所でこういう状況で──
なかなか実行に移しにくい。
それでもカガリは身体全体から奏でるドクンドクンという煩い音と闘いながら、
1歩、また1歩とアスランに近寄っていった。
ほんの数メートルの距離。
きっとあっという間だった。
でもカガリに、2人にとっては長い時間──やっとお互いが触れ合える距離まで近付いた。
すでにもうアスランの左腕は下ろされ、ベッドの縁を掴んでいる。
カガリはもう1歩前に進み出て、アスランの長い脚の間で立ち止まった。
胸はずっとけたたましい音を鳴り響かせているのに、なぜか今、顔の火照りは感じられなかった。
カガリはゆっくりと、自分の両腕を持ち上げた。
それをそっとアスランの背中に廻す。
「‥‥よし、よし」
自分の口から出たのは、かすかなつぶやきだった。
小さな声で赤ん坊が目をさまさないように気をつけているのかというくらいの、小さな声。
そして伝わってくる、アスランの息づかい、鼓動‥‥
何てことはない、こうやって触れてしまえば落ちつく。
あれだけ素早くからだを打っていた音も、今は普通の響きに戻っている。
ふと、アスランの右肩に目をおとし──赤の軍服で隠されたその傷にゆっくり右手をまわした。
アスランに痛みがおとずれないように、そっとさすった。
ふと、右頬にあたたかなものが触れた。
カガリが見つめていた腕とは反対側の手で、アスランが自分の頬にふれていた。
不思議に思ってアスランの頭のてっぺんを見たつもりだったのに──そこには緑色の瞳があった。
こんなに間近で見た事はなかったけれど──やっぱり思ったとおりだ。
とても奇麗だな‥‥
すいこまれそうだ。
自分でも気付かないうちに、カガリはその瞳をもっと近くで見たくて、その瞳に入りこみたくて、
少しずつ腰を屈め、首を下に傾けていった──
ずっと、いつまてでても見ていたい瞳なのに、それが何故か徐々にまぶたで隠されてしまう。
あっ、ちょっと待って‥‥
カガリはそこに入りこもうと必死で、さらにそれに近づいていく。
それと同時に、自分の瞳もゆっくりと閉じはじめて──
「アスラン、いるんでしょ?あの‥‥わあっっ!!」
「うわっ!」
突然世界を破られた声に驚き、カガリは目の前にあったものを思いきり突き飛ばした。
それと同時に、今まで止まっていた鼓動が急に蘇ったかのように大きな声で喚いている。
再び全身に血が行き渡り、カッと熱くなる。
あわてて全身で振り返り、その声の主を見た。
「キ、キラ‥‥ッ!」
そのキラの顔はトマトのように真っ赤だった。
私も今、あんな顔をしているのだろうか──?
「‥‥何?キラ。何か用か?」
カガリの背中、すぐ間近から落ち着いた声が聞こえてきた。
そう問われたキラは、まだ顔を真っ赤にしてボーッとしていた。
「キラ?」
アスランが再度呼びかけて、漸くキラはハッと我に返ったようだ。
「あ、いや‥‥別に、用、って程の用は‥‥ただ、ちょっと話を‥‥で、でも、いいや!」
そう言いながら後ずさるキラにカガリは『お、置いていかないでくれ〜〜!』と叫んでいた。
‥‥心の中で。
「俺は別に構わないよ。じゃ、ここで話すか?」
「ええっ!」
ひとつの冷静な声の後、ふたつの慌てふためいた声がハモった。
驚きのあまりカガリは身体ごと思いっきりアスランを振り返ってしまった。
アスランはまだ私に押された状態のままベッドに仰向けに横たえたまま顔だけこちらに向けていた。
視線が合い、カガリはとっさにフイッと上に目線を逸らせると、キラの慌てた声がした。
「い、いい!ココじゃなくて!あ、そうだっ!そういえば‥‥っ!
‥‥キサカさんがカガリを捜してたよ‥‥」
──何で後半はそんなに申し訳なさそうな声なんだ、キラ‥‥
カガリはバツが悪そうにキラをチラリと見る。
やっぱりキラの顔はまだまだ赤い‥‥
「カガリ‥‥」
今度はアスランの艶っぽい声での呼びかけに、カガリはビクッと身体を震わせつつ
おそるおそるアスランを見た。
濃紺の細い髪を白いシーツに散らばせ微笑を浮かべているアスランは‥‥何と言うか‥‥その‥‥
そんな呆けた状態のカガリにお構いなしに、アスランはゆっくり左手を持ち上げて、言った。
「起き上がれないから、引っぱって?」
『嘘つけっ!1人で起き上がれるクセに‥‥!』
と、言いたかったのだが、カガリは情けなくも口をぱくぱくさせただけで声が出てこなかった。
ダメ押しとばかりにアスランはさらに微笑んだ。
「カガリ?」
‥‥負けだ。
何故かカガリはそう思ってしまった。
観念したかのようにそろそろと右腕を降ろすと──
それをがっちり掴まれて、ふわり、とアスランは起き上がってきた。
かと思うとカガリの耳元にくちびるを寄せて──囁いた。
「ありがとう。元気出た」
そのままスッとキラの側まで移動し、カガリを振り返る。
「じゃあ、また」
そうしてキラの肩に手を置きドアの方を向かせ、2人は並んで部屋を出て行ってしまった。
──カガリはその様子を見てはいなかった。
アスランが耳に残していった囁きが、頭の中で、耳の奥で反響していた。
うれしいような、はずかしいような、耳をふさぎたいような、頭から追いはらいたいような‥‥
2人が出て行った後、ドアの閉まる音を背中で聞いたカガリは、そのままうつぶせに
ベッドに倒れこんだ。
もう、どうにかなりそう──!
シーツに盛大なため息をつき、また息を吸い込んで‥‥
あ‥‥アスランのにおい──
思い出さなくていい事を思い出し、カガリはさらにシーツに顔を埋めてう〜〜〜〜っ!!と唸った。
その後さらに彼のにおいを吸いこむ事になるとも知らずに‥‥
あとがき
「よしよし」本編、終了です!
このお話が書きたくてサイト始めたようなモノですから、もうこれでいつ閉鎖してもいいわっ!ていう
位の気持ちです〜
あ、まだ「おまけ」が残ってますけど…
これは43話でアスランにハグされてあたふたしていたカガリが、
46話で肩コツンまで出来るようになった経緯を自分なりに考えた時、できたお話でした。
…って、このままではまだまだ肩コツン、出来なさそうだ…
このお話を楽しみにして下さっている方が多くて、本当に嬉しかったです。
どうもありがとうございました!
ミオの戯言、感想等はこちら
04.04.04 up