二人だけの戦争




「キラッ!?あっ‥‥」

大人達の間をかいくぐり、浜辺に倒れている人物を見た瞬間、

カガリは全身に冷水を浴びせかけられたような感覚に陥った。

キラと同じ位の背格好、だがキラとは違う、赤いパイロットスーツ、

そして赤いヘルメットからこぼれる青みがかった黒髪…こいつは──

「救護班を!」

頭のどこか遠くの方でキサカの叫ぶ声が聞こえる。

カガリは身動きひとつ出来ずにそこにある赤い物体を凝視していた。



周りにいた作業着姿の大人達が、いつの間にか白衣を着た大人達に入れ替わっていた。

救護班がうつ伏せに倒れていたザフト兵を仰向けにし、

パイロットスーツとヘルメットを脱がせる所で、名前を呼ばれた。

「カガリ」

キサカに肩をたたかれ我に返ったカガリは、手当てを受ける少年に背を向け、呟いた。

「…キラを探す」

そして、何かを振り切るように、力強く走り出した。



「カガリ、そろそろ飛行艇に戻るぞ」

キサカが浜の方から叫んでいるが、カガリはそれを無視して、なおも足と首を動かし続けた。

だがしびれを切らしたらしいキサカが、カガリの傍に寄って来て二の腕を掴み、

引きずるようにして大股で歩き出した。

「まだキラを見つけてない!」

「カガリ!」

引き摺られながらも踏ん張って、潤んだ瞳で必死に訴えるカガリに、 キサカは立ち止まりきっぱり言った。

「もうすぐ日も落ちる。暗くなってからの捜索は困難だ」

そう言われてカガリは初めて気付いた。

ここに到着した来た時よりも、太陽はかなり西に傾いている事を。

「それに…こんな小さな島を一日中捜して見つからなかったんだ。きっとここには…いない」

キサカの物言いに、カガリは激しく反発した。

「じゃあ、ここにいなきゃ何処にいるって言うんだ!?自分の機体を自爆させたザフト兵はここにいて、

あれだけ機体の残ってるストライクのパイロットがいないわけないじゃないか!」

「とにかく今日はもう捜索は無理だ。また明日、日が昇れば気の済むまで捜せはいい」

「もしこの島に倒れていて夜の内にどうにかなってたらどうするんだ!?」

キサカは一つため息をついた。

「…では、ここで見つかったザフト兵に訊いてみる事にしよう」

「!意識が回復したのか!?」

カガリはキサカの手を振り切り、上着に掴みかかりながら顔を上げて叫んだ。

「いや、まだだが…」

カガリはキサカの返事をロクに聞かず、飛行艇の方に走り出した。



少し息を切らしながら、ザフト兵が寝かされている部屋の前まで辿り着くと、

ドアの前にいる見張りらしき男が立っていた。

「どけ」

低く吐き捨てるように叫んで、睨みつけると、男は困惑した表情を見せた。

「しかし…」 呟きながら目を泳がせている男に、カガリは一喝した。

「中に入れろ!」

そう叫んだ所で、部屋から一人白衣の男が現れた。

「もう少し静かにしてもらえませんか?カガリ様。中に怪我人がいるんですよ?」

その言葉を遮るように、しかし幾分声のトーンを落として、カガリは宣言した。

「私が見張る。代われ」

見張りの男と同様の眼差しを白衣の男にも向けると、後ろから肩に手を置かれた。

見なくても誰であるかは分かっていた。

「あなたをこの中に入れるわけにはいきません」

カガリは勢いよく振り向いてキサカをも睨みつけながら、ドアを指差して言った。

「お前が『コイツに訊けばいい』と言ったんだぞ!」

「『彼に訊いてみましょう』と言っただけです。訊く事なら私でも出来ます」

冷静なキサカの顔を見ているとだんだん腹が立ってくる。

カガリは苛立ちを募らせながら、それをキサカにぶつけた。

「私が訊く。私が直接訊きたいんだ!お前達に任せておけない!」

「手負いといえど、彼はザフトの軍人です。

そのような人間とあなたを二人きりにする事を了承するとでもお思いですか?」

「了承されなくても私はアイツと話をする!」

今のカガリに何を言っても無駄だと、キサカも感じたのだろう。

諦めたようにため息をついたあと、仕方なさそうに呟いた。

「…では、私も一緒に部屋に入ります。それでよろしいですか?」

キサカの精一杯の譲歩だった。

だが──

「ダメだ。私一人でいい」

「なっ…!」

カガリは先程までの激しい眼差しに真剣な色を付加して訴えた。

「私は…アイツに…アスランに直接訊きたいんだ。キラの事を!」

『アスラン』の名を聞いてキサカと白衣の男がギョッとした顔をした。

「カガリ様…その名は…」

「ザフト兵の名前だ。知り合いなんだ、彼とは」

2人共が絶句しているすきに、カガリは畳み掛けるように言葉を投げつけた。

「もうアイツの名前は認識票か何かで知ってるんだろ?アイツの名前はアスランだ。

間違いないよな?じゃあ入っていいよな?」

無茶苦茶な論理でドアを開けようとするカガリの手を、我に返ったキサカが押さえつけた。

「知り合いである筈がないでしょう。大方何処かで立ち聞きでもしたんでしょう」

「立ち聞きなんかするか!私はここに来てからずっとキラを捜して走り回ってたんだぞ!?」

キサカはカガリの手首をずっと掴んだまま何か考え事をしているようだった。

カガリはキサカの返事をじっと待った。

こんな時、きっとキサカなら…

「…わかりました…銃は持ってるな?」

「ああ」

カガリは答えながら複雑な表情で腰にある銃を見つめた。

さらにキサカが話を続ける。

「だか、その銃はあくまで護身用です。すでにザフトに彼の事は連絡してある。 くれぐれも暴行したり…」

「わかってる、心配するな。多少乱暴な再会になるかもしれないが、私達は『知り合い』だ。

多分…私にアイツは殺せない」

「心配なのはあなたの命ですよ!」

「それも心配無用だ。とにかく私にまかせろ」

再びドアを開けようとして…ふと思い出したように振り返り、カガリは言った。

「それと、私が『いい』と言うまで、このドアは絶対開けるなよ。どんな事があっても、だ」

「カガリ!」

「でないと中からロックするぞ」

再び絶句するキサカにカガリはニッと笑いかけた。

「大丈夫だ。心配するな」

そう言ってキサカに背を向け、今度こそカガリはドアの向こうに消えていった。



大して広くもない部屋だった。

ドアの右手奥にベッドがあり、そこにアスランは寝かされていた。

無人島で見たあどけない少年の寝顔より、幾分苦しそうに見えるのは気のせいか。

こんな時に安らかな顔で寝ていられたら、きっとたたき起こしていただろうが…

そのベッドの上部に窓があり、そこから夕焼けの淡い光が差し込んでいた。

入ってきたドアの左手に長椅子があったが、

あえてそこに座ることもなくカガリは壁にもたれかかって目を覚まさない少年を見つめていた。



腕組みをして考える。

あの無人島での夜、奪った銃でコイツを殺していれば、今こんな状況にはならなかっただろう。

その事を今、この時までに何度後悔しただろう。

だがあの時、銃とナイフの違いがあったというのに、自分が勝てる気は全くしなかった。

それがコーディネイターというものだろうか。

しかしあの時武器を手に向かい合っていたのがキラだったら私の勝ちだったろうな──

と無意味な事を考えて、落ち込む。

カガリにもわかっていた。キラは多分この島にはいない。

あれだけ捜して見つからなかったのだから──

そして、コイツに訊いて果たしてキラの居場所がわかるのか。

もしコイツがキラを、殺していたとしたら── 私は本当にこの銃を使わずにいることが出来るだろうか──

ホルスターから銃を取り出し、じっと見つめる。

そして────




ベッドの上の人物を見つめていた瞳をそっと閉じ──考える。

今日は朝から一日中動き回ってキラを捜した。

さすがに少し疲れている。

しかし。

休んでいる場合じゃない。

今から戦争が始まるのだ。二人だけの戦争が──

キッと目を開き顔を上げる。

窓から差し込むオレンジの光がベッドで眠っている少年の顔に色をおとす。

「ん…」

その光に誘われるように、少し眩しそうに顔をしかめてと唸り、瞳をゆっくりと開ける少年。

その瞼の動きとシンクロするようにカガリもまた銃を持つ腕をゆっくりと上げていった──







ドアが閉まるのを見送って、またキサカはため息をついた。

いつも結局カガリの言う事には逆らえない。

そしていつも胃に穴のあく思いをする。

とにかく部屋で何か異変があれば、すぐに飛び込むつもりではいる。

言いつけに逆らうことになるが、カガリの命にはかえられない。

キサカは少し離れて先程のやりとりを伺っていた見張りの男に

外での作業に加わる様に言い、ドアの隣にもたれ腕を組んだ。

部屋の中の様子を気を配りつつ、少し考えようとしたその時、

タイミング良く白衣の男がキサカの考えていた事を尋ねてきた。

「カガリ様はどうして彼の名を知っていたのでしょうか?」

男をちらりと見てキサカは表情を変えずに言葉を返した。

「さあ…」

「彼の素性まで知っているのでしょうかね…」

その問いにもキサカは答えられない。

知らないのだから、自分は何も。

ここに来ている連中の立ち話でも聞いたのかと思ったが、

ザフト兵の名前や素性についてはキサカとこの男しか知らない。

『アスランに直接訊きたいんだ』

アスラン──アスラン・ザラ。

彼の名前は認識票からすぐわかった。

『ザラ』という名に引っかかり、さらに赤いパイロットスーツを着ていた事もあり、

すぐさまオーブの持つデータと照合した結果…いやな予感は確信へと変わった。

パトリック・ザラ──プラント国防委員長。

もうすぐ最高評議会議長になるであろう男の一人息子。

どうしてそんな人物とカガリが知り合いなのか──

この世が平和であるのらな話はわかる。

どこかの会議なりパーティーなりで

プラント権力者の息子とオーブの首長の娘が出会う事があってもおかしくはない。

しかし今は戦時中だ。

コーディネイターとナチュラルが一堂に会する場などなきに等しい。

では戦争が始まる前か──

しかしカガリはウズミ様の意向で公の場にはほとんど姿を現すことはなかった筈だ。

仮に公の場で会っていたとしたら──

カガリはあのザフト兵の素性を正確に知っている事になるが、多分それはないだろう。

知っていればまず評議会議員の息子が兵士である事に驚くのではないか?

では最近出会ったのか?

まず砂漠は除いてもいいだろう。自分が四六時中護衛していたのだから。

──いや、一度離れた事があった。

カガリとキラが買い物に行って戻ってこなかった時だ。

しかし、あのザフト兵の乗った赤い機体を砂漠で見た事はない。

『絶対会っていない』とは言い切れないが、まず砂漠で会っているという事はないだろう。

後はヘリオポリス──あの島で自爆していた赤い機体はあそこで奪われたMSだ。

そしてあの時カガリはヘリオポリスにいた。

そこで出会っていてもおかしくはないが…

後自分とカガリが離れていた時と言えば…つい最近だ。

カガリがスカイグラスパーで出撃して一日戻ってこなかった。

あの時の事をカガリはいくら訊いても詳しくは教えてくれなかった。

カガリが戻ってきてすぐ、アークエンジェルとザフト軍との間で戦闘になった時、

確かにあの赤い機体もいた。



カガリがあの少年と会う機会があったとすれば

自分に心当たりがあるのはその二回だが…そんな偶然あるのだろうか。

とにかくこれから何事もなく、あの少年を無事ザフトに引き渡す事が出来たら

カガリ本人に訊いてみる事にしよう…話してくれるかどうかはわからないが。



ふと、部屋の中の空気が動いたような気がした。

先程まで巡らせていた思考を中断して部屋の様子を探る事に全神経を集中する。

何を言っているのかわからないが、カガリの喚く声や壁を叩く音が聞こえる。

カガリの声は涙声のようだ。

おそらく、あのストライクに乗っている少年は──

部屋に入った方がいいだろうか。 キサカはドアの正面に立ち、いつでも飛び込んでいける体勢をつくった。

カガリには勝手に部屋に入ってくるなと言われているが、今入った方がいいだろう。

放っておけばあの少年の命はない様な気がする。

ドアを開けようと手に力を込めた時、カガリではない別の声が聞こえてきた。

やはり何を言っているのかわからなかったが、こちらも涙声であることはわかった。

──泣いているのか?何を泣く事がある?

少し動揺したが、ザフトの少年がこの様子ならカガリに危害が及ぶ事も、

相手に危害が及ぶ事もないだろうと、ドアから離れて元の体勢に戻った。

ふと顔を上げると作業着を着た男がこちらに向かって来るのが見えた。

「キサカ一佐、外でのモビルスーツ回収の指揮をお願いします。」

すこしドアの向こうが気になったが、こちらも自分の仕事だ。

隣にいた白衣の男にこの場を任せて、キサカはその場を離れた。



キサカが外での作業を終え、トレイを二つ持って再び部屋の前に戻って来た時、

その中は暗闇に包まれていた。

何があったのか、キサカはドアの横にいる白衣の男に様子を訊いた。

「しばらく嗚咽が聞こえてましたが…それからずっと静かなものですよ」

キサカは頷いて、男に食事を摂るように言い、トレイの一つをドア横の椅子の上に置いた。

多分、食事を摂れる状態ではないだろうが──キサカはドアをノックした。







「それで本当に最後は平和になるのかよ?ええ!?」

肩を震わせ声を殺して泣く少年の胸倉を掴んでそう叫び、

さんざん二人で涙を流してどれ位の時間が経っただろう‥‥

お互い声も涙もかれ果てた。

少し落ち着きを取り戻したカガリは彼の胸倉を掴んだ左手を外そうとした。

しかし指が強張って外れてくれない。

一本一本ゆっくり時間をかけてやっと外すと、 今度は自分が彼にのしかかっている体勢だという事に気付く。

それでも泣き疲れた後の気だるい体のせいか、ベッドから降りる動きは緩慢だった。

そしてようやく彼から離れることができた。



ふと、ノックの音がした。カガリは右腕で自分の目を二、三度こすってホルスターに銃をしまい、

無言でドアの前まで進んで、少しだけ開ける。

予想した通り、そこにはキサカが立っていた。

「食事を持ってきた。二人とも食べておいた方がいいだろう」

とても食事が喉を通りそうな気分ではなかったが、確かに少しは食べておいた方がいいだろう。

特にアイツは。

「ああ、いただく」

そう答えると食事の乗ったトレイを一つ渡され、それを長椅子の上に置く。

もう一つのトレイを受け取ろうと手を出しかけると

「見張りを代わろう」

と言われた。が、その問いには答えず、手を出した。

キサカはため息をついて言った。

「‥‥なるべく食べておきなさい」

「わかってる。‥‥ありがとう」

もう一つのトレイを受け取り、静かにドアを閉めた。

そのままベッドの方に向き返り、そちらに向かって歩いて行く。

アスランはこちらを全く見ずに、ベッドから起き上がった状態のまま 自分の足先あたりを見ているようだった。

もうその目に涙はなかったが、それは何も映していないような、虚ろな暗い瞳だった。

アスランのすぐ傍まで近づき、通り越して、トレイをベッドの枕元にある棚の上に置いた。

そのまま無言で自分の食事が置いてある長椅子まで戻り、腰をおろした。

しばらくトレイに乗っている簡素な食事を見ていたが、やはり食欲はわいてこなかった。

ちらりと少年の方を見やると、やはり先程と同じ体勢で身動き一つしていない。

とりあえず自分のトレイから喉を通りやすそうなフルーツを手に取り、口に押し込む。

やっとの思いでそれを喉に通したカガリはアスランを見た。

「少しだけでも食べた方がいいんじゃないか?‥‥オーブのモノでも食糧は食糧だぞ」

そう言ってやったが、やはり全く動かない。

「『今はいらない』とか『後で食べる』とか、何か言う事はないのかよ?」

少しイラついて訊いてみたが、やはり無反応だった。

とりあえず今はアスランを無視して、カガリは食べやすそうなものを口に押し込んでいった。

結局フルーツを少しとスープを数口、その位しか喉を通らなかった。

カガリはトレイを持って立ち上がり、ドアを少し開けてそこにいるであろう人物を呼んだ。

キサカはすぐに顔を出してきた。そしてトレイを渡す。

「これ、さげてくれ‥‥あんまり食べられなかった。すまない」

キサカは顔を巡らせてベッドの方を見て小声で言った。

「‥‥彼の方は?」

カガリは無言で首を振る。キサカが部屋に入ってこようとするのを片手で止めた。

「あいつのはさげなくていいよ。‥‥後で食べるかもしれないし」

キサカは何か言いたそうな顔をしたが、 結局何も言わずカガリのトレイを持ってドアを閉めた。

それを見送ってカガリは再び長椅子に腰掛けた。



アスランはやはり先程の体勢のまま身じろぎひとつしない。

しばらく様子を見ていたが、やはりそのまま動かない。

まるで魂の入ってない人形みたいだ‥‥

カガリはだんだん腹が立ってきた。キラの事が悲しいのはわかるが、

全部自分の行動が招いた結果じゃないか!



‥‥ゆっくりとカガリは立ち上がった。そしてホルスターから銃を取り出すと、 やはりゆっくりとした動作でアスランに標準をあわせる。

「食事にも目を向けずにそうやってボーッとしてるって事は 『死にたい』と思ってるって解釈していいんだな?」

そう言うとアスランは自分の足先に向けていた視線を緩慢な動きで銃口に向け、

そして、

ゆっくり、

目を閉じた。



“バカか?!コイツは!”カガリは全身が怒りで熱くなるのを感じた。

怒鳴りたい気持ちを必死で抑えて── 一旦銃をおろす。

そして‥‥

「アスラン‥‥」

カガリは感情を抑えた声でゆっくり呼びかける。

その呼びかけにアスランはやはりゆっくりと深緑の瞳を開いていき‥‥そして大きく見開いた。

カガリは自分のこめかみに銃口を向け、口元に笑みを浮かべて琥珀色の瞳でアスランを見据えていた。

やっとこちらを見たアスランを確認すると、笑みを消して静かな声で言った。

「キラが‥‥死んで悲しいのはお前だけじゃない。私だって‥‥」

そこで一旦言葉を切り、

「私だってキラが大好きだったんだ‥‥」

瞳にじんわり熱が篭っていくのがわかった。

そして右手の人差し指をゆっくりと折り曲げていく‥‥

「なっ‥‥!やめっ‥‥!」

アスランはベッドから降りてこちらに来ようとしたようだが、

怪我のせいか思うように体が動かず、顔をしかめながら少し身じろぎしただけだった。

しかし視線はカガリの人差し指に向けられたまま、深緑の瞳からひとすじ涙が零れた。



カチッ。異様に軽い音が部屋に響いた。

カガリはアスランを見つめたまま驚き、多少呆れながら言った。

「‥‥私が死ぬからって、泣くことないだろ‥‥」

それでもアスランは流れる涙を拭いもせず呆然とカガリを見つめていた。

「お前があんまりボケてるから少しおどかしてやろうと思ったら──」

大分前から部屋の中を支配していた西日はすっかり影をひそめて、

今は月のみがこの部屋に光を送り込んでくれていた。

その微量な光が彼の涙を照らして頬を伝っていった。

アスランがカガリの為に流したであろう光の筋を綺麗だな、と思う反面、

苛め過ぎたかな、と少しだけ反省した。

「弾倉はお前が目覚める前に抜き取っておいた。 抜き取っとかないと本当にお前を殺してしまうかも、と思ってな‥‥ でも弾倉を抜いてた事思い出したの、ついさっきだ‥‥」

そう言いながらカガリはまたこめかみに銃口を当てた。

「この時にはもう思い出してたけどな‥‥それでもこんなことするなんて、私ってバカ‥‥」

そうしてすぐに銃をホルスターに収めた。

それでもまだアスランは固まったまま涙腺が壊れたかのように涙を流していた。

カガリはため息をついてアスランに近寄り、 足にかかっている毛布を彼の顔面に引っ張り上げて言った。

「これしか拭くものなさそうだ。ほら」

と、さらに顔へと近づけたが、アスランはやっとカガリの顔から視線を外して俯いただけで じっとしている。

「しょうがないな、ほらっ」

カガリは乱暴にアスランの顔をごしごし拭きはじめた。

力の加減も全くなし、というよりむしろ思いっきり力を込めて拭いてやったので

さすがに痛かったのか、カガリの手から毛布を奪い取って顔に押し当てた。

そしてそのまま動かなくなった。

しばらくその様子を見ていたが、ここにじっとしててもしようがないと思い、長椅子に戻ろうとした。

するとアスランが毛布から顔を外し、無防備な表情でカガリを見上げてきた。

さすがにその瞳からもう涙は流れてはいなかったが、よく見ると頬に涙の跡が残っていた。

これは後で顔洗わせないとな、とこっそり思っていると、

アスランの手が毛布を手離し、ゆっくりと自分の頬に伸びてきた。

そして親指でそっとなぞられる。

彼の突然の動作にびっくりして動けなかったカガリだが、ふと、その行動の理由に思い至った。

──私も泣いてるのか‥‥?──

先程自分のこめかみに銃口を押し当てた時、キラの事を想って自然と涙が出たようだった。

そうされて、初めて自分が泣いていた事に気付いたのだった。



気がつくとアスランは既にカガリから視線をそらし、動かなくなっていた。

自分の頬にあった手も離れ、再び毛布を握っていた。

しかし彼の深緑の瞳には本来の色が戻りつつあるような気がした。

とりあえず一安心かと、長椅子まで戻って腰掛けた。



カガリもキラの事を考えると今この瞬間も涙が出そうになるし、喚きたくもなるし、 殺した奴に殺意だって抱く。

でも‥‥とカガリは、目の前の少年を目の端に入れる。

そいつが自分と同じ位、いや、それ以上にキラの死に絶望している、

その姿を目の当たりにしてしまったら、 自分が泣き喚くより、そいつの状態を何とかしてやりたい、と思ってしまう‥‥

というのはどうなんだろう?

自分が泣いてる場合じゃないと思ってしまったじゃないか‥‥

大体、自分のこめかみに銃口を向ける様な行為、 いくら死なないとわかっていても普段の自分なら絶対しない。

ただ、アイツ、アスランの本来の瞳を取り戻したかった。

何故だか彼の瞳には惹かれるものがあった。

どこかで見た事があるような、懐かしいような、泣きたいような‥‥

なのにさっきまでの瞳にはまるで生気がなかった。

それが悲しくて悔しくて仕方がなかった。

だから、どんな事をしてでも、奪えもしないアスランの命、

そして自分の命を楯にしてでも、彼の瞳を取り戻したかった‥‥

部屋の内部は暗くはあったが、満月だったのが幸いしてか

自分以外の、ベッドの上にいる人間の顔の表情が何とか読み取れる程度には明るかった。

ベッドの上の人物は呆けてはいるが、先程よりは落ち着いているように感じた。



──カガリは低い声でぽつりぽつりと話をはじめた。

「『敵となるものをすべて滅ぼして‥‥』私にはそんな戦い方はできない。 お前と初めて会った直後の私はそう思っていた」

多分アスランはこちらに視線を向けていないだろう。見なくてもわかった。

別に話を聞いていなくてもいい。ただ自分の考えをまとめたかった。

カガリもベッドの方を見ずに、まっすぐ前を、ただ暗闇を凝視していた。

「でも‥‥その後すぐ後悔した。お前をあそこで殺さなかった事‥‥ 私達がオーブに入る直前の戦闘の時だ。‥‥それでも何とかオーブに入国して‥‥ お前の姿を見た。あれはモルゲンレーテの敷地内だった。‥‥お前も気付いてたよな」

少し言葉をおいて、再び話しだした。

「ザフトがオーブに潜入してる‥‥それを私は誰にも言えなかった‥‥多分キラも‥‥ そしてお前達‥‥お前とキラは、わかってたんだな。

アークエンジェルがオーブを出たらすぐに戦闘になるって事‥‥

私は‥‥ただ、イヤな予感がしただけだったけど。

それで私もアークエンジェルに乗ってついて行こうと思ってた‥‥キラと一緒に行きたかった‥‥」

少しだけ目を伏せて、話を続ける。

「そしたらお父様に止められた。──今までお小言はさんざん言われたけど、 結局いつも私のやりたいようにさせてくれてたお父様が‥‥」

フッと自嘲ぎみに笑う。

「『地球軍の兵としてプラントと戦うのか?』と。私はそこまで考えていなかった。 そして言われた。

『お前が戦えば戦争は終わるのか?』‥‥終わらないよな。キラもそう言ってた。

『戦っても戦争は終わらない』って」

「キラ」の言葉に涙が出そうになった。ぐっと堪えてさらに言葉を紡ぐ。

「私が誰かを殺せば、その家族は私を憎むだろう。私を殺しに来るかもな。

私が殺されれば、父は私を殺した者を憎むだろう‥‥こんな簡単な連鎖がなぜわからない?と‥‥」

唇をキュッと結び、再び暗闇を見据えて言う。

「お前は仲間をキラに殺されたから、キラを殺ったんだよな。

それなら大事な友達を殺された私は、お前を殺しても不思議じゃないんだろう‥‥

でもな、私がお前を殺したら、お前の家族や恋人は、私を殺そうとするかもな‥‥

そして私が殺されたら‥‥?」

言葉を止めて小さく深呼吸する。重い空気を肺から吐き出して、新しい空気を自分の内へ取り込む。

「‥‥だから私で止めておく。お前を憎まずに“戦争”を憎む‥‥ そうしたらいつか戦争は終わらないか‥‥?」

しんと静まり返った部屋。きっと何も言葉は返ってこない。

わかっているけど‥‥少しだけでもいい、心に留めていてほしい‥‥

「──これが今の私が出した“この戦争を終わらせる方法”だ。

‥‥まだ“私の出した結論”だとは言い切れないけどな‥‥」



カガリは“話は終わり”とばかりに立ち上がり、ベッドに近づいてトレイを手に取った。

そのままドアまで歩いて開ける。やはりキサカはドア横に控えていた。

手付かずのままのトレイをちらりと見て、何も言わずに受け取った。

「ザフトから連絡は?」

小声でカガリが訊くと、早朝には、とやはり小声で返ってきた。

ひとつ頷いてカガリはドアを閉めた。

そしてそのまま長椅子に腰をおろす。足と腕を組んで、真っ直ぐ前を見つめたまま動かなかった。



まだ窓からは朝陽もささない時刻、満月の灯りのみの薄暗い部屋の中。

お互い一睡もせず、言葉も交わさず、ただ夜が明けるのを待っている、そんな状態だった。

その沈黙を破って、カガリはおもむろに立ち上がった。

ベッドの上で膝を立てて座った状態のアスランに近付いて、肩に手をやる。

ジッと顔を顔を近づけて言った。

「顔、洗うぞ。お前、涙の跡が残ってる」

肩から手を離してしばらくベッドから降りてくるのを待っていたが 一向に降りて来る様子がない。

仕方ないな、とため息をついてもう一度顔を近づけた。

「あのな、もうすぐザフトがお前を迎えに来る。 そんなばっちい顔を仲間に晒してもいいんならそのままそうしてろ」

そう言ってやる。
するとしばらくしてからやっとのそのそとベットから降りて来た。

カガリはアスランの手を引いてドアから出た。
やっぱりドア横にはキサカが立っていた。

「顔、洗ってくる」

キサカは二人が急に部屋から出て来た事に驚いた様子だったが、 少し考えてから洗面所の場所を教えてくれた。



洗面所に入るとまずあかりを点けた。今まで暗がりにいたせいか眩しくて目を細める。

それからまず自分が先に洗面台を使った。水が異様に冷たく感じられたが、

何度かごしごしやるとやっぱり気持ちがいい。

いろんなものをこの冷たい水が洗い流してくれている気がする。

タオルを顔に当て、水は出しっぱなしたまま洗面台の正面から少し横に退いてやる。

そしてアスランの方を見て‥‥重大な事に気付いた。

「お前、片腕使えなかったんだ‥‥!悪い、忘れてた!今、濡れタオルか何か‥‥」

と、新たにタオルを取り出し、水に濡らそうとしたその時、

アスランは何でもない事のように一歩前へ出て片手で器用に顔を洗い始めた。

カガリはその様子を見て呆然としながらも、片手だからなのか妙に上品な洗い方だなぁと感心しながら

自分の使ったタオルを首にかけ、 新たに手に取ったタオルを持ったままアスランが顔を洗い終えるのを待った。

しばらくしてアスランが水を止めて前屈みのまま濡れた顔だけをこちらに向けてきたので

素早くタオルを差し出したのに、それを受け取りもせずじっとカガリの顔を見つめてきた。

明るい所で見る緑の瞳に少しドギマギしながら

「な、何だよ、ほらっ」

と、タオルを持った右手をさらに突き出すと、 アスランはゆっくりと腰を伸ばしてカガリと向き合い、

カガリの首にかかったタオルを手に取って顔にあてた。

「そっ、それ、私が使ったタオルだぞ!?」

妙にわたわたして奪われたタオルを掴み引っ張るが、アスランは気にも留めず顔を拭き続ける。

カガリはタオル奪い取るのを諦めて、ため息をついて言った。

「ボケボケだな‥‥お前」



また動かなくなったアスランをカガリが手を引いて元いた部屋に戻ってきた。

そしてアスランはベッド、カガリは長椅子に腰掛けた。

後はザフトからの迎えを待つばかりだ。

やっぱりボーッとしているアスランを見ながらカガリは考える。

こいつの乗ってたモピルスーツは自爆したみたいだし、コイツはこんな調子だし‥‥

ザフトに帰って使いモノになるとは思えないんだけど‥‥ こんなボケててコイツ、元通りやっていけるんだろうか‥‥

と余計な心配をしてしまう。 別に心配してやる義理はないのだが‥‥

「なあ、お前、これからザフトに帰ってどうするんだ?」

そう尋ねてアスランの方を見るがやっぱり呆けた様子で、答えが返ってくるとは思えなかった。が、

「‥‥わからない‥‥」

ごく小さな声が聞こえてきた。

まさか返事が返ってくるとは思ってなかったので発言内容はどうあれ、少しうれしくなる。

「私が言う事じゃないけどさ‥‥ 休暇でも貰ってプラントに帰ってしばらくゆっくりしたらどうだ‥‥?」

そう言ってやると少し間があって

「そんな事‥‥」

その後に続く言葉を待っていたが、結局お互い言葉を発せずにただ黙って夜明けを待った。





「もう誰にも死んでほしくない」

カガリがそう呟くと、しばらく見つめ合った後アスランはこちらに背を向けて、 ドアに向かって歩き出した。

そのままキサカに連れられて部屋を出る。

カガリは二人の後についていった。

ドアから出ると、その脇にある椅子の上にコートが折り畳まれて置いてあった。

キサカはそれを手に取ってアスランを振り返り、

「ついて来なさい」

と言って歩き出した。その後ろにアスラン、カガリはそのアスランの横に並んだ。

そうして進んだ通路の先にある部屋の前でキサカは止まり、ドアを開ける。

「君のパイロットスーツと荷物はここに置いてある。とりあえず着替えなさい。 ‥‥一人では無理だな。手伝わせよう」

そう言ってドア横に控えていた男に目で合図すると、 アスランは、その男と共に部屋の中に入っていった。



ドアが閉まるとその前の壁にキサカと二人で並んでもたれ、アスランが着替え終えるのを待った。

ふと気付くと、キサカがこちらをじっと見ていた。

「‥‥何だよ」

ジロジロ見られていた事に不快感を示しながら尋ねると、 キサカはこちらを見つめたまま尋ねてきた。

「彼とは一体どこで知り合ったんだ?」

カガリは少し考えて、結局こう答えた。

「秘密だ」

あの島での事を話すと、自分の数々の失態も話さなければならないし、 何となくだが秘密にしておきたかった。

ふとキサカを見上げると顔をしかめたような、困ったような表情をしていた。

その顔がおかしくて少し微笑んだ。

結局キサカは、それ以上アスランとの出会いの一件については何も聞かず、一言

「彼を帰したら、撤収する」

と言っただけだった。

カガリは口元から笑みを消し去り、俯いてこちらもただ一言

「‥‥わかった」

と呟いた。



その時、目の前のドアが開き、アスランが出て来た。

上半身は腕を吊った状態なので、先程のシャツ、首からは護り石がかけられたままだった。

下半身にのみパイロットスーツを着込んで、上は腰の辺りで纏めていた。

キサカが手にしていたコートを広げてアスランの肩にかけてやる。

サイズが少し大きいようなので、きっとキサカのコートなのだろう。

アスランはキサカに軽く頭を下げた。

そのままさらに通路を進み、飛行艇の出入口に辿り着くと、

朝陽を映した海の少し先に戦闘用のヘリコプターが浮いていた。

あれがザフトからの迎えなのだろう。

出入口の真下にはオーブの小型ボートが待機していた。

アスランはボートに乗り込む直前、カガリ達を振り返ってもう一度、頭を下げた。

そして頭を上げてこちらに向き直ってた時の顔は、
先程までの呆けたものではなく 無人島で最初に見たザフト兵の顔に戻っていた。

蟹を見て笑った時の顔でもなく、私が銃を放り投げた後の呆れた顔でもなく、

私を組み敷いてナイフを振り上げた時の、銃を奪った私を殺そうとした時の顔‥‥

カガリにはアスランが無理をして表情をつくっているような気がして、却って痛々しく思う。

コイツのこういう顔はらしくない気がする。

仲間がいる場所に帰るというのに、 コイツはずっとこんな不細工な顔の仮面をつけてないといけないのか‥‥?

そう考えながら、迎えに来たヘリの方をじっと見た。

上官相手には無理かもしれないが、あちら側に少しでも彼が素に戻れる場所があればいい、

とそう願わずにはいられなかった。



カガリとキサカは、飛行艇の出入口に並んで、ボートで戻って行くアスランを見送った。

やはりこちらに背を向けたまま一度も振り返らない。

それでもアスランが仲間に引っ張られてヘリの中に消えるまで、 カガリはその背中を見つめ続けていた。

その背中もヘリの扉に遮られ、全く見えなくなった。カガリはふと、海面を見た。

一面の深い青、そこに淡い朝陽の光が反射している。

その光や波の微妙な加減で、海の青が所々で微妙に色を変えていく。

ふと、思い出した。アスランの瞳の色。

哀しい色をしたあの深い緑の目。あの色の正体。

‥‥アフメドからもらったマラカイトの原石に似ているんだ‥‥

あの石を見ていると、様々な思いが交錯して、とても哀しくなる。

石自体はとても綺麗で惹かれるものがあるのに、何故か涙が出そうになる。

昨日から見続けた彼の瞳は、それにとてもよく似ていた。

‥‥あの石をちゃんと磨けば、別の想いを抱けるような色になるのだろうか‥‥

少なくとも、哀しい色ではなく、もっと別の、正反対の‥‥



もう一度海を見つめた。今の色を忘れないように。

そして、昨日必死で走り回った島を見た。

結局キラは見つからなかった。

『死んでしまった』とも思うし『生きている』かもしれない。

だって私はキラの死の証拠を何一つ手に入れていない。

それを見るまでは信じてみようと思う。キラの生を。

今、私の瞳が涙で滲んでいるのは、キラの生を諦めたからじゃない。

海が眩しいからだ。



カガリはカッと目を見開いて空を見上げ、瞳の余分な水分を蒸発させる。

海も空もカガリ達を優しく包み込む。

うん、大丈夫。みんなきっと大丈夫‥‥

じっと動かなくなったカガリを、キサカが見下ろしているのがわかった。

「私たちも帰ろう」

カガリは少し首を傾け心配そうに見つめる男を見て、そいつの腕をポンと叩いた。

そうして二人は今来た通路を戻っていった。









あとがき
なぜ31話の話なのに「二人だけの戦争」がタイトルなのよ、私。
‥‥やっぱりうちのアスラン、むっつりですか‥‥?
そしてカガリ、やっぱりしゃべりすぎ‥‥
だって今回はさらにアスランしゃべってくれないし。つーか、しゃべるの無理な状態ですし‥‥
そしてこの話、長くなったので分けようかと思ってたんですが、もうこのままで。
次は39話のオーブでのお話の予定です。が。
その前に短めの話を3本先にお届けしたいと思います。
この3本も本編に沿った妄想でお送りしたいと思います〜

03.10.30 up